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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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076話『日常の隙間に忍び寄る予感』

朝。いつもより少しだけ早く家を出た。


久しぶりの出社。カジュアルスーツに革靴。

格好が切り替わると、それだけで背筋が伸びる。


「……スーツ着ると、気持ちも勝手に揃うな」


新大阪のオフィスへ向かい、いつもの入口をくぐる。

コーヒーマシンの駆動音。

キーボードの乾いた連打。

電話の声と、誰かの短い笑い。

フロアのリズムが戻ってくる。


「おはようございます」


「あっ、時任さん。今日は出社なんですね」


声をかけてくれたのはサブマネージャー。

この数週間、僕が半日単位で抜ける穴を、現場で黙々と埋めてくれていた人だ。


「……すみません。助けてもらってばかりで」


「いえいえ。急ぎはこっちで捌いてます。時任さんが午前だけでもいると、判断が早いので助かってますよ」


「……感謝しかないです。午前中、ちゃんと回します」


「期待してます。PMがいると、チームも締まりますからね」


苦笑して席に座る。

一週間ぶりの社内の空気。

懐かしい――というほどではないが、感覚が少しだけ“二重”になっている気がした。


午前中は進捗確認と軽めのミーティング。

サブマネからの報告をまとめてキャッチアップ。

頭の中が、仕事用の棚にきれいに整列していく。


――と。


『……はぁ。今日は午前中、見れないのね』


脳内に、少し不満げな声。

左腕のブレスレットの内側。

ミニチュアのディアが、念話でぼやいてきた。


『……午前中、いちばん見やすいのに。今日は出社なの、退屈ね』


『レシピ動画だろ。分かってる』


『ええ。あと、お菓子作りのやつ。ああいう“手順”は見ているだけで楽しいのよ』


『最近、献立の回し方が妙にうまいと思ってた。ちゃんと蓄積してるな』


『当然よ。現代の料理は、段取りがすべてでしょう?……ねえ、帰ったら――また美味しいの、作ってあげるわ』


『……それは助かる。楽しみにしてる』


始祖の姫が、動画で家庭料理を学ぶ。

世界がねじれてるのに、生活だけは妙に正しい。


僕はディスプレイの影で、口元を緩めた。


正午。

社内チャットに「午後から半休いただきます」と打ち込み、PCをスリープ。

背伸びをして席を立つ。


外は穏やかな晴れ。

新大阪駅に着くと、そのまま駅構内のゲート専用の管理施設へ向かった。


中に入ると、受付の隊員が無言で端末を見上げる。


「こんにちは。午後、少しだけ潜ります」


顔なじみの隊員が短くうなずく。


「時任さんですね。どうぞ」


やり取りはそれだけで十分だった。

僕も向こうも、“いつもの手順”に慣れている。


更衣スペースでスーツを脱ぎ、黒いジャージに着替える。

この瞬間、身体の重心が少し下がる。

仕事から戦闘へ、じゃなくて――生活の中の別タスクに移る感覚に近い。


「……じゃ、午後の分。行くか」


着替えを終えて出ると、若い隊員がひとり待っていた。

初めて見る顔。


「えっと……時任さん、ですよね?」


「はい」


身分証を出すと、隊員は端末で照合して、少しだけ安堵の息を吐いた。


「確認できました。どうぞ」


「ありがとうございます。行ってきます」


黒い歪み――ゲートへ、一歩。


空気が反転し、重力がふっと抜ける。

次の瞬間、視界が切り替わった。


新大阪ゲート、43階。

石畳の通路、低い天井。

ひんやりした空気が肌を撫で、光がやけに沈む。


「……切り替え。集中。コユキ、索敵。スーラ、警戒」


「了解。前方に複数。散ってる」


「(ぷにっ)」


闇が濃い。

暗いというより、光が吸われる。

輪郭がぼやける分、気配の“重さ”が際立つ。


――来た。


「速いな……」


二足歩行の小型魔獣が三体。

鎧みたいな外殻で、音もなく詰めてくる。

挟みに来る動きだ。


「背中を取らせるな。スーラ、進路を潰して」


「ぷにっ!」


右腕から影が伸び、スーラが“壁”みたいに射線を作る。

僕は間合いを詰め、刃を滑らせた。

切るというより、触れたところからじゅっと溶ける。

外殻が崩れて、足が止まる。


その瞬間、コユキが横から爪を入れた。

肩口に噛みついた瞬間、黒い魔力が一瞬まとわりつく。


【スキル取得:暗闇耐性(ダークネスガード・強)


「模写捕食、成功。暗闇耐性“強”。当たり」


「助かる。……視界が、ひと段明るい」


技能共有結(コードリンク)越しに共有が走る。

暗さの圧が一枚剥がれた感覚。

事故が減るし、単純にありがたい。


そのまま44階、45階。

罠は落とし穴系が混じるが、影移動(シャドウ・シフト)重圧跳躍(グラヴィティフレア)反重力脚(グラビティ・ステップ)で回避しながら進む。

遠距離個体は少なめ。

その代わり、速さで削りに来る個体が多い。

集中力を噛ませてくる構成だ。


そして46階。


広間に踏み込んだ瞬間、空気が重くなる。


「……来るな。数もいる」


「大型が中央に一。周囲に中型が六。囲まれないように」


ディアが短く告げる。

言葉は少ないのに、刃みたいに刺さる。


「周囲から。中央は最後」


スーラが脚を絡め、触れた箇所をじわりと溶かす。

僕が一撃を入れ、コユキが横合いから強襲。

呼吸が合っている。

戦闘が“作業”に近づいていく。


その最中、コユキの爪にまた魔力のきらめきが走った。


「……ん?」


一閃。

爪が走った軌跡に、魔力の残滓みたいなものがきらりと残る。


「今の、爪に……?」


「うん。さっきの個体、爪攻撃に魔力属性が乗ってた。模写して取り込んだ」


コユキがしっぽをくいっと立てる。


「ボクの爪に、魔力を纏わせて強化できる。通りもよくなる。――魔爪強化(シャドウ・クロー)ってやつ」


「いいな。じゃあ僕にも――……あれ? 共有、来てない」


「うん。確認した。モンスター系限定の“生体スキル”っぽい」


「つまり」


「“ボク専用”。残念でした」


しっぽがくいっと立つ。誇らしげ。

種族差はあるけど、こういう“専用スキル”が増えていくのは戦力として素直にありがたい。


「頼む。どんどん拾ってくれ」


「了解。ボクの爪、福利厚生つきで強化しておく」


一通り片付けたところで呼吸を整え、僕は周囲を見た。


「……今日はここまで。切り上げる」


無理して進むより、明日に繋げる。

攻略は、勢いより継続だ。


帰りのゲートに足を踏み入れた瞬間、空気が変わり、視界がぐにゃりと揺れる。

次の瞬間、管理施設の前に戻っていた。


――同時に。


ポケットの中でスマホがぶるっと震える。


画面の通知は一件。差出人は――柊 真理恵。


「……柊さんから?」


開く。


【至急、明日お時間いただけますか?

淀屋橋の政府施設にて予定しています。

九条と八代も同席予定です】


背中の温度が一段下がる。

“至急”“政府施設”“九条さんと八代さん同席”。単語が全部、軽くない。


「……何かあるな」


僕はすぐ返信を打った。


【承知しました。明日14時頃、お伺いします】


送信して、息を吐く。


「……帰るか。まず着替え」


更衣室でスーツに戻し、汗を拭って外へ。

日が落ちかけた新大阪の街は、いつも通りの顔をしている。


電車に揺られながらニュースをざっと眺める。

海外の訓練拠点、認定制度、実証実験――話題はある。

でも、今の通知に直結しそうな“事件”は見当たらない。


「……表に出てないやつか」


それが、いちばん面倒だ。


20時過ぎ。玄関を開ける。


「ただいま」


「秀人、お風呂を先にどうぞ。今日は煮込みよ。温かいうちに召し上がってほしいの」


ブレスレットからミニチュアのディアがふわりと降り、床に軽く着地した。

上品に言うのに、段取りだけは一切ブレないのがディアだ。


「……毎日ありがとな。ほんとに」


「ふふ。感謝されても何も出ないわよ。……あ、夕飯は出るけれど」


「そこは出るんだな」


僕は小さく笑って、そのまま風呂場へ直行した。


湯船に沈む。肩まで浸かる。

体の奥の固さが、じわっとほどける。


(柊さん……たぶん、平穏な用件じゃない)


でも今は、この温度に預ける。


風呂から上がると、リビングにいい匂いが漂っていた。

ビーフシチューに温野菜。

卵のサラダ。

スーラと共同のゼリー。


「今日も、いい匂い」


「今夜のテーマは“優しいけれど、きちんと”よ。胃も心も温めなさい」


ディアと、コユキと、スーラと。

箸の音と、短い会話と、くだらない冗談。

それは“日常”そのものだった。


――だからこそ、さっきの通知が頭の隅に残っている。


八代。九条。政府連絡室。至急。

何が来るのかは分からない。

でも、逃げる話でもない。


僕は窓の外へ視線を向け、食器の音に紛れるくらいの声で言った。


「……今日はここまで。明日、ちゃんと話を聞きに行こう」


その言葉で、いったん区切りをつける。

今夜は眠って、明日に備える。


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