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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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075話『積み上げる日々、選ぶべき未来』

午前。

いつも通り在宅勤務モードで、PC画面とにらめっこしながら会議用チャットに返事を返していた、そのときだった。


──ふっと。


意識の奥で、コユキとの技能共有結(コードリンク)の“接続感”が、いきなり消えた。


「……ん?」


集中していた思考が、ほんの一瞬だけ揺れる。

胸の奥にあった細い糸が、すっと手放されたみたいな感覚。


でも、焦りは湧かなかった。


「……ああ。今日も行ったな、94階」


すぐに合点がいく。

昨日も同じだった。

朝から何やら真剣にPCを触っていたし、あれはレグリスへの追加インプットの準備だったはずだ。


「データの追記か、補足か……。よくやるよな」


僕は小さく息を吐いて、胸元を軽く押さえる。

繋がっていないのは、少しだけ落ち着かない。

けれど理由が分かっていれば、それは不安じゃなくて──ただの空白だ。


それにしても。

猫型だからなのか、“世話焼き”だけは妙に板についている。

……ポケットはないのに、スキルの“引き出し”だけは妙に多い。


昼食を済ませ、午後いちの予定を確認してから、全員で物置部屋のゲートをくぐった。

94階集合。

僕、ディア、コユキ、スーラ。


中央の広場には、変わらずレグリスが鎮座している。

20メートル超の巨体。

建物の影みたいな威圧感が、今日も当たり前の顔でそこにある。


「報告。92階側の魔力炉、再チャージ完了。転送処理、起動可能状態に復帰」


低い声が空間を震わせる。


「本体はこれより92階へ帰還。三日間に蓄積された知識・文化情報に基づき、構造最適化・思考回路再編を実施予定」


「つまり……学んだ分、自分を更新しに戻るってことか」


「肯定。意義:大」


「……その意義が、どの方向に伸びるかがちょっと怖いんだけどな」


僕のぼやきに、ディアが小さく笑ってから手を差し出した。


「じゃあ、準備するわね」


右手が地面へ落ちる。

魔力がにじむように床を這い、淡い円が浮かび上がった。

幾何学模様と魔紋が絡み合い、青白い光を静かに放つ。


──ディア式転送陣。

見慣れても、やっぱり綺麗だ。


「いつでも起動できるわ」


「待機、完了」


転送陣が、ゆっくりと輝きを増す。

その直前。


「……レグリス」


コユキが、ひそやかな声で呼びかけた。


「例の件、お願いね」


「認識済。依頼内容、優先スケジュールに組み込み済。承認完了」


コアアイが一度だけ明滅する。

次の瞬間、転送陣の中心に風が渦を巻き、巨体が光に包まれて──


──レグリス、転送完了。


残ったのは、淡く光る魔法陣と、静かな余韻だけだった。


「なあ、コユキ」


僕はその場で、素直に聞く。


「今の“お願い”って、何を頼んだ?」


「……秘密」


「秘密って……」


「必要になったら言う」


「それ、ディアの悪い癖が移ってないか?」


隣で聞いていたディアが、口元を少しだけ上げた。


「良い傾向ね」


……二方向から“後でのお楽しみ”を投げられると、地味に逃げ場がない。


昼過ぎ。

転送の用事も終わった。

手が空いたなら、放っておく理由もない。


「24階まで進めてた。今日は25階からだな」


「行こ。担当の小型ゲート、様子見も兼ねて」


「(ぷにっ)」


駅まで歩く。

カフェのテラス席、スーツ姿の会社員、いつも通りの街の顔。


この街にも、帰還者がいておかしくない。

そう思っただけで、いつもの景色がほんの少しだけ違って見える。


電車で22分。

徒歩で7分。


「やあ、時任さん。今日も?」


「うん。少しだけ続きを」


「承知です。お気をつけて」


軽く会釈を交わして、通してもらう。

歪む空間へ一歩。

視界が反転し、音が遠のく。


次の瞬間、僕たちは25階のスタート地点に立っていた。


ディアは後方から支える。

コユキは背中側の気配を拾い、僕は前でスーラと敵を処理する。


25階、26階、27階。

テンポよく抜ける。

動きも悪くない。

初めての階層のはずなのに、出てくる敵はどこか既視感があった。

――種類が違っても、癖は似てる。

だから対応は早い。


そして──28階、最奥。


……違和感。


「……出口、ないな」


通常なら転送陣と脱出ゲートがあるはずの場所に、何もない。

代わりに部屋の中央にあるのは──


「……まさか」


「ええ。コアよ」


ディアの一言で、背筋がきゅっと締まった。


ゲートの心臓部、コア。

破壊すれば支配構造が崩れ、閉鎖か無効化に繋がる。

――そして、経験値が桁違いに入る。


つまり、“やる価値が跳ね上がる”やつだ。


僕は黒想鋳具アーマメント・フォージで武器を整える。

ディアが万一に備えて気配を張り、コユキが周辺の異物反応を見ている。


一瞬の静寂。


「……行く」


短剣を突き立てた瞬間──ズンッ、と空間が揺れた。

コアから光が噴き出し、波動が部屋中へ走る。


そして──反射で、ステータスウィンドウに意識を向けて確認する。


【レベルアップ! Lv.58】


思わず笑いが漏れる。

コア破壊は経験値の入り方が違う。

前に別のゲートでやったときも跳ねたが、今回はさらに露骨だった。


「階層が深い分、報酬も跳ねる……。やっぱり、狙えるなら狙うべきだな」


ディアが頷き、ふと補足する。


「経験値だけではないわ。27階で倒した水棲系の個体……スキルも拾っていたでしょう?」


「うん。ボクが回収しておいた」


コユキが尻尾を小さく揺らす。得意げ、というより“当然”という顔だ。


「助かった。これで水場でも動ける」


【新スキル取得】

水流機動(アクア・フロー)

水流に乗るように推進・方向転換が可能。魔力補助による水中機動。


長息保持(ブレス・キープ)

無酸素環境下でも長時間の活動が可能。水中・毒霧・真空などでの行動を補助。


「猫は泳ぐの、得意じゃないからね」


「……それ、僕もあまり強く言えないんだよな」


「やっぱり」


「これで川も湖も──」


「海は却下。いきなり無理」


「……うん」


コユキの切り捨てが早い。


ふと振り返ると、コアは崩れて光の粒になっていた。

粒子が天井へ吸い込まれ、空間全体がふわりと震える。


「……解体、始まってるな」


壁の一部が透け、光の筋が交差し、構造ごと“無かったこと”になっていく。


数秒。

静寂。

収束。光。


次の瞬間、僕たちは地上の公園──黒いゲートがあった場所へ戻っていた。


「お疲れ様で……えっ!?いま、ゲート消えましたよね!?」


警備の人が驚いた顔で駆け寄ってくる。

外からも異変ははっきり見えたらしい。


「中のコアを壊した。たぶん、その影響」


「コア破壊……!それ、報告上げないと……!」


「お願いします。こちらは手が空いたら、あとで状況まとめます」


「は、はい……!」


端末を操作して走り回る警備の背中を横目に、僕は大きく伸びをした。


「……帰って、シャワー浴びて、飯を食って。明日は──また普通に仕事だな」


もう、そういう流れになっていた。

ゲートを抜けても、翌朝には会議が来る。

それが今の僕の“いつも通り”だ。


帰宅後。

まずはシャワーで汗を流し湯船に沈む。

熱すぎず、ぬるすぎず。

ちょうどいい温度が、身体の芯までじわっと染みてくる。

呼吸がほどけて、肩の力が抜けた。


「……はぁ。これ、幸せだな」


バスタオルを頭にかけたままリビングへ戻ると、テーブルにはディアの軽めの夕食が並んでいた。


ミネストローネ、こんがり焼いたチーズトースト、彩りのいいサラダ。

重すぎないのに、ちゃんと満たす構成。


「いただきます」


一口。

じんわり沁みる、静かな味。


「……沁みるな」


僕は黙って食べた。

昔はスマホを見ながらが当たり前だったけど、今は手を伸ばさない。こういう時間は、ちゃんと向き合っていたい。


食後、皿を片づけてから、ようやくスマホを手に取る。


「……ニュースでも見るか」


軽い気持ちで開いた画面に、妙に目を引く見出しが飛び込んできた。


《海外で犯罪を起こした帰還者、契約モンスターと共に処刑》


「……」


記事を開く。

内容は重かった。スキルの悪用。拘束。

処刑に他の帰還者が協力したこと。

政府間の調整。

そして──


「強力なスキル保持者を拘束する手段が、ほとんど存在しない」


「……そりゃ、そうか」


スマホを伏せて、息をつく。


スキルは“武器”以上に厄介だ。

檻に入れても壁を溶かせる。

瞬間移動があれば意味がない。

幻術や精神干渉なら、警備の概念が崩れる。


人間が作った“法”と、スキルの“理”。

噛み合っていない。

止める手段と、回す仕組み——拘束力のある“鍵”が要る。

それを作るまでに、時間も金も――痛みも、出る。


「……解決策、ないのかよ」


呟いて、スマホを伏せた。


そして、もっと嫌な想像が遅れてくる。


――もし僕が、いまスキルを悪用したら。


止められる人間は、どれだけいる?

拘束する檻も、無力化する確実な手段も、まだ整っていない。

誰かが正義を掲げたところで、僕がその気になれば、すり抜けられてしまう。


それが怖かった。

“悪い人間がいる”ことじゃない。

自分にも、その選択肢が物理的に開いていることが。


だから結局、最後はこれだ。


自制。

自分の手綱を、握り続けるしかない。


顔を上げる。

コユキはソファで丸くなって、うとうと眠っている。

尻尾がたまに、ぴくりと動く。

スーラも小さくぷにぷに震えながら、静かに休んでいた。


ディアは紅茶を啜っている。

穏やかな横顔。けれど目だけが、どこか遠い。


「……ディア」


僕の声に、彼女はカップをそっと置いて振り返った。


「世界は……これから、どうなると思う?」


短い沈黙。

それからディアは、静かに言った。


「世界がどうなるかじゃないわ。……秀人がどう在るかよ。あなたが選びなさい。何のために生きるのか」


「……うん」


もう一度、コユキとスーラを見る。

眠っている。ここにいる。

守るべき“今”が、ちゃんとある。


「……明日も、ちゃんと一日を送ろう」


独り言みたいに呟いて、僕はソファに身を沈めた。

……が、じっとしていると、さっきの記事の文字が頭の奥で残り続ける。


切り替えたい。


僕は立ち上がって、二階――物置部屋へ向かう。

ゲートの脇に置いたままの、電子ピアノ。

布をめくって、電源を入れる。


ヘッドホンを繋いだ瞬間、世界が静かになる。


「……よし」


指を置いて、ゆっくり音を出す。

指慣らしのスケールと、短いフレーズ。

それだけで、呼吸が整っていくのがわかる。


背中の力が抜ける。

今日の出来事が、音の粒にほどけていく。


20分か、30分か。

区切りのいいところで手を止めて、電源を落とす。


布を戻して、部屋の明かりを消す。


寝室に入って、ベッドに沈む。

目を閉じる前に、もう一度だけ思う。


明日も、いつも通り。

それでいい。


そうして僕は、静かに眠りに落ちた。


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