075話『積み上げる日々、選ぶべき未来』
午前。
いつも通り在宅勤務モードで、PC画面とにらめっこしながら会議用チャットに返事を返していた、そのときだった。
──ふっと。
意識の奥で、コユキとの技能共有結の“接続感”が、いきなり消えた。
「……ん?」
集中していた思考が、ほんの一瞬だけ揺れる。
胸の奥にあった細い糸が、すっと手放されたみたいな感覚。
でも、焦りは湧かなかった。
「……ああ。今日も行ったな、94階」
すぐに合点がいく。
昨日も同じだった。
朝から何やら真剣にPCを触っていたし、あれはレグリスへの追加インプットの準備だったはずだ。
「データの追記か、補足か……。よくやるよな」
僕は小さく息を吐いて、胸元を軽く押さえる。
繋がっていないのは、少しだけ落ち着かない。
けれど理由が分かっていれば、それは不安じゃなくて──ただの空白だ。
それにしても。
猫型だからなのか、“世話焼き”だけは妙に板についている。
……ポケットはないのに、スキルの“引き出し”だけは妙に多い。
昼食を済ませ、午後いちの予定を確認してから、全員で物置部屋のゲートをくぐった。
94階集合。
僕、ディア、コユキ、スーラ。
中央の広場には、変わらずレグリスが鎮座している。
20メートル超の巨体。
建物の影みたいな威圧感が、今日も当たり前の顔でそこにある。
「報告。92階側の魔力炉、再チャージ完了。転送処理、起動可能状態に復帰」
低い声が空間を震わせる。
「本体はこれより92階へ帰還。三日間に蓄積された知識・文化情報に基づき、構造最適化・思考回路再編を実施予定」
「つまり……学んだ分、自分を更新しに戻るってことか」
「肯定。意義:大」
「……その意義が、どの方向に伸びるかがちょっと怖いんだけどな」
僕のぼやきに、ディアが小さく笑ってから手を差し出した。
「じゃあ、準備するわね」
右手が地面へ落ちる。
魔力がにじむように床を這い、淡い円が浮かび上がった。
幾何学模様と魔紋が絡み合い、青白い光を静かに放つ。
──ディア式転送陣。
見慣れても、やっぱり綺麗だ。
「いつでも起動できるわ」
「待機、完了」
転送陣が、ゆっくりと輝きを増す。
その直前。
「……レグリス」
コユキが、ひそやかな声で呼びかけた。
「例の件、お願いね」
「認識済。依頼内容、優先スケジュールに組み込み済。承認完了」
コアアイが一度だけ明滅する。
次の瞬間、転送陣の中心に風が渦を巻き、巨体が光に包まれて──
──レグリス、転送完了。
残ったのは、淡く光る魔法陣と、静かな余韻だけだった。
「なあ、コユキ」
僕はその場で、素直に聞く。
「今の“お願い”って、何を頼んだ?」
「……秘密」
「秘密って……」
「必要になったら言う」
「それ、ディアの悪い癖が移ってないか?」
隣で聞いていたディアが、口元を少しだけ上げた。
「良い傾向ね」
……二方向から“後でのお楽しみ”を投げられると、地味に逃げ場がない。
昼過ぎ。
転送の用事も終わった。
手が空いたなら、放っておく理由もない。
「24階まで進めてた。今日は25階からだな」
「行こ。担当の小型ゲート、様子見も兼ねて」
「(ぷにっ)」
駅まで歩く。
カフェのテラス席、スーツ姿の会社員、いつも通りの街の顔。
この街にも、帰還者がいておかしくない。
そう思っただけで、いつもの景色がほんの少しだけ違って見える。
電車で22分。
徒歩で7分。
「やあ、時任さん。今日も?」
「うん。少しだけ続きを」
「承知です。お気をつけて」
軽く会釈を交わして、通してもらう。
歪む空間へ一歩。
視界が反転し、音が遠のく。
次の瞬間、僕たちは25階のスタート地点に立っていた。
ディアは後方から支える。
コユキは背中側の気配を拾い、僕は前でスーラと敵を処理する。
25階、26階、27階。
テンポよく抜ける。
動きも悪くない。
初めての階層のはずなのに、出てくる敵はどこか既視感があった。
――種類が違っても、癖は似てる。
だから対応は早い。
そして──28階、最奥。
……違和感。
「……出口、ないな」
通常なら転送陣と脱出ゲートがあるはずの場所に、何もない。
代わりに部屋の中央にあるのは──
「……まさか」
「ええ。コアよ」
ディアの一言で、背筋がきゅっと締まった。
ゲートの心臓部、コア。
破壊すれば支配構造が崩れ、閉鎖か無効化に繋がる。
――そして、経験値が桁違いに入る。
つまり、“やる価値が跳ね上がる”やつだ。
僕は黒想鋳具で武器を整える。
ディアが万一に備えて気配を張り、コユキが周辺の異物反応を見ている。
一瞬の静寂。
「……行く」
短剣を突き立てた瞬間──ズンッ、と空間が揺れた。
コアから光が噴き出し、波動が部屋中へ走る。
そして──反射で、ステータスウィンドウに意識を向けて確認する。
【レベルアップ! Lv.58】
思わず笑いが漏れる。
コア破壊は経験値の入り方が違う。
前に別のゲートでやったときも跳ねたが、今回はさらに露骨だった。
「階層が深い分、報酬も跳ねる……。やっぱり、狙えるなら狙うべきだな」
ディアが頷き、ふと補足する。
「経験値だけではないわ。27階で倒した水棲系の個体……スキルも拾っていたでしょう?」
「うん。ボクが回収しておいた」
コユキが尻尾を小さく揺らす。得意げ、というより“当然”という顔だ。
「助かった。これで水場でも動ける」
【新スキル取得】
《水流機動》
水流に乗るように推進・方向転換が可能。魔力補助による水中機動。
《長息保持》
無酸素環境下でも長時間の活動が可能。水中・毒霧・真空などでの行動を補助。
「猫は泳ぐの、得意じゃないからね」
「……それ、僕もあまり強く言えないんだよな」
「やっぱり」
「これで川も湖も──」
「海は却下。いきなり無理」
「……うん」
コユキの切り捨てが早い。
ふと振り返ると、コアは崩れて光の粒になっていた。
粒子が天井へ吸い込まれ、空間全体がふわりと震える。
「……解体、始まってるな」
壁の一部が透け、光の筋が交差し、構造ごと“無かったこと”になっていく。
数秒。
静寂。
収束。光。
次の瞬間、僕たちは地上の公園──黒いゲートがあった場所へ戻っていた。
「お疲れ様で……えっ!?いま、ゲート消えましたよね!?」
警備の人が驚いた顔で駆け寄ってくる。
外からも異変ははっきり見えたらしい。
「中のコアを壊した。たぶん、その影響」
「コア破壊……!それ、報告上げないと……!」
「お願いします。こちらは手が空いたら、あとで状況まとめます」
「は、はい……!」
端末を操作して走り回る警備の背中を横目に、僕は大きく伸びをした。
「……帰って、シャワー浴びて、飯を食って。明日は──また普通に仕事だな」
もう、そういう流れになっていた。
ゲートを抜けても、翌朝には会議が来る。
それが今の僕の“いつも通り”だ。
帰宅後。
まずはシャワーで汗を流し湯船に沈む。
熱すぎず、ぬるすぎず。
ちょうどいい温度が、身体の芯までじわっと染みてくる。
呼吸がほどけて、肩の力が抜けた。
「……はぁ。これ、幸せだな」
バスタオルを頭にかけたままリビングへ戻ると、テーブルにはディアの軽めの夕食が並んでいた。
ミネストローネ、こんがり焼いたチーズトースト、彩りのいいサラダ。
重すぎないのに、ちゃんと満たす構成。
「いただきます」
一口。
じんわり沁みる、静かな味。
「……沁みるな」
僕は黙って食べた。
昔はスマホを見ながらが当たり前だったけど、今は手を伸ばさない。こういう時間は、ちゃんと向き合っていたい。
食後、皿を片づけてから、ようやくスマホを手に取る。
「……ニュースでも見るか」
軽い気持ちで開いた画面に、妙に目を引く見出しが飛び込んできた。
《海外で犯罪を起こした帰還者、契約モンスターと共に処刑》
「……」
記事を開く。
内容は重かった。スキルの悪用。拘束。
処刑に他の帰還者が協力したこと。
政府間の調整。
そして──
「強力なスキル保持者を拘束する手段が、ほとんど存在しない」
「……そりゃ、そうか」
スマホを伏せて、息をつく。
スキルは“武器”以上に厄介だ。
檻に入れても壁を溶かせる。
瞬間移動があれば意味がない。
幻術や精神干渉なら、警備の概念が崩れる。
人間が作った“法”と、スキルの“理”。
噛み合っていない。
止める手段と、回す仕組み——拘束力のある“鍵”が要る。
それを作るまでに、時間も金も――痛みも、出る。
「……解決策、ないのかよ」
呟いて、スマホを伏せた。
そして、もっと嫌な想像が遅れてくる。
――もし僕が、いまスキルを悪用したら。
止められる人間は、どれだけいる?
拘束する檻も、無力化する確実な手段も、まだ整っていない。
誰かが正義を掲げたところで、僕がその気になれば、すり抜けられてしまう。
それが怖かった。
“悪い人間がいる”ことじゃない。
自分にも、その選択肢が物理的に開いていることが。
だから結局、最後はこれだ。
自制。
自分の手綱を、握り続けるしかない。
顔を上げる。
コユキはソファで丸くなって、うとうと眠っている。
尻尾がたまに、ぴくりと動く。
スーラも小さくぷにぷに震えながら、静かに休んでいた。
ディアは紅茶を啜っている。
穏やかな横顔。けれど目だけが、どこか遠い。
「……ディア」
僕の声に、彼女はカップをそっと置いて振り返った。
「世界は……これから、どうなると思う?」
短い沈黙。
それからディアは、静かに言った。
「世界がどうなるかじゃないわ。……秀人がどう在るかよ。あなたが選びなさい。何のために生きるのか」
「……うん」
もう一度、コユキとスーラを見る。
眠っている。ここにいる。
守るべき“今”が、ちゃんとある。
「……明日も、ちゃんと一日を送ろう」
独り言みたいに呟いて、僕はソファに身を沈めた。
……が、じっとしていると、さっきの記事の文字が頭の奥で残り続ける。
切り替えたい。
僕は立ち上がって、二階――物置部屋へ向かう。
ゲートの脇に置いたままの、電子ピアノ。
布をめくって、電源を入れる。
ヘッドホンを繋いだ瞬間、世界が静かになる。
「……よし」
指を置いて、ゆっくり音を出す。
指慣らしのスケールと、短いフレーズ。
それだけで、呼吸が整っていくのがわかる。
背中の力が抜ける。
今日の出来事が、音の粒にほどけていく。
20分か、30分か。
区切りのいいところで手を止めて、電源を落とす。
布を戻して、部屋の明かりを消す。
寝室に入って、ベッドに沈む。
目を閉じる前に、もう一度だけ思う。
明日も、いつも通り。
それでいい。
そうして僕は、静かに眠りに落ちた。




