072話『灰にもなり得る力と、選ぶ未来』
日曜日、午前10時過ぎ。
今日はゲートには向かわず、ディアの誘い通り、94階層の城――外縁の開けた地表に来ていた。
風が抜ける。
視界が広い。
それだけで、妙に「これから何か起きる」って空気が立つ。
「こっち。向こう――92階の転送陣は完成してる。あとはこちら側の仕上げだけね」
ディアが掌を空にかざすと、紅い魔力が薄い糸みたいに舞い上がり、空間に円の紋を描き始めた。
キィィン……と、金属を鳴らすような共鳴音。
地面が低く震え、円を描くように隆起していく。
……出てきたものを見上げて、僕は思わず目を細めた。
「……規模、想定より大きいな」
直径、数十メートル。
“転送陣”って聞いて、ここまでの物量を想像してた人、いるのか。
コユキが少し後ろで尻尾を揺らす。
「うん……これ、近づいたらいけないタイプな気がする」
僕は乾いた笑いを漏らして、ディアを見る。
「ディア、ちょっと待って。……なんか嫌な予感しかしないんだけど。今日、ほんとに大丈夫なやつ?」
「大丈夫。今回は私が立ち会うもの」
淡々としてるのに、言い切りが強い。
その自信が、ありがたいような、怖いような。
転送陣の中心が光り始めた。
空気がピリつき、視界の端が揺れて――重力が一瞬だけズレた感覚が走る。
そして、転送。
眩い光の中心に、“何か”が輪郭を持って現れた。
ギギギ……ギュイイン……!
金属が噛み合う音が、空間に響く。
組み上がるたびに、存在感が増していく。
――最後に光が落ち着いた瞬間、僕は言葉を失った。
巨大ロボット。
しかも、人型ロボットというより……「神像」を機械で再現したみたいな威圧感。
全高は20メートル級。
白銀と青を基調とした装甲が重く光り、背中ではリング状の機構が静かに旋回している。
顔は能面めいた無機質さで、目らしい目はない。
代わりに、胸部の巨大なコアアイが――こちらを“計測する”みたいに回転していた。
僕の右腕で、スーラがぷる、と小さく震える。
それが妙に人間っぽくて、逆に落ち着く。
「……これが、92階の“ボス個体”?」
コユキが、珍しく声を小さくした。
「聞いてた“ロボットが多い階層”って、そういう意味だったんだ……」
その巨大な存在が、音を立てずに口を開く。
「──自己識別コード:ノヴァリア=レグリス」
「クラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン殿より、貴殿が“帰還者”であると確認済」
「当機は第92階層の管理個体。現時点、討伐対象登録状態」
「ただし、意志確認のため交戦プロトコルを保留。会見を要望」
硬質な声。
抑揚がないのに、圧はある。
僕は視線を外さず、事実だけを拾って返す。
「討伐対象……ってことは、僕は基本“敵”として扱われてる?」
「然り。当階層における“ボス”は、“討伐”によって処理される仕様」
「しかし、クラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン殿の仲介により、代替選択肢の提示を受理」
「代替……つまり、戦う以外の選択肢を取りに来た、と」
「肯定」
コユキが小さく鼻を鳴らす。
「賢い。……というか、自己保存本能が優秀」
レグリスの胸のコアアイが、淡く明滅する。
「クラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン殿との交戦シミュレーション:勝率0.0002%」
「灰化確率:98.6%」
「交戦継続は、階層崩壊に直結。……当機は回避を推奨」
……数値で殴られると、納得するしかない。
僕が無言でいると、ディアがさらっと言った。
「私は強いもの」
誇示というより、“仕様説明”みたいな口調で。
レグリスは一歩前に出る。足元で浮遊魔力が揺れ、地面がわずかに沈む。
「当機は討伐対象として存在する限り、いずれ討伐者と対峙する定め」
「しかし、可能であれば“協力個体”として再分類を希望」
「協力することで、討伐を回避したい。合理的だな」
「肯定」
「追加要望:魂魄契約の締結を希望」
「魂魄契約……?」
ディアが静かに頷く。
いつものように“いつの間にか”ではなく、今日はちゃんと準備してきた顔だった。
小さなトレイがふわりと現れ、紅茶の香りが薄く広がる。
「少しだけ説明しておいたわ。魂と魔力を結んで“味方として固定する”契約。支配じゃないわ。互いの合意で、関係を深くしていく。――“共存”を形にする、レグリスなりの誠意よ」
レグリスが続ける。
「契約により協力関係の正式化を希望」
「貴公にとって敵対・欺瞞・離反のリスクを低減、スキル共有のメリット。本契約は最適と判断」
コユキが、僕の方を見て軽く首を傾げた。
「秀人。これ、たぶん“条件提示”じゃなくて“お願い”だよ」
たしかに。
敵対を避けるだけなら、魂魄契約までは要らない。
わざわざ“結ぶ”と言ってきたのは——踏み込む意思がある、ってことだ。
僕は一度だけ息を整えて、言葉を選ぶ。
ビジネスの癖で結論に飛びそうになるのを、ぐっと止めた。
「……ひとつ聞かせて。まだ会って間もないのに、どうしてそこまで急ぐ?」
レグリスのコアアイが、わずかに明度を上げる。
「否。帰還者である貴殿を攻撃すれば、クラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン殿が敵対対象となる。よって当機は交戦を回避。なぜなら──彼女は“別格存在”」
「第92階層には各種自律機械群、防衛設備、戦術兵器あり」
「但し、交戦対象がクラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン殿である場合──いずれも意味をなさず、全階層の崩壊が想定される」
淡々としているのに、内容は重い。
“避けたい”じゃなく、“避けるしかない”と言っている。
——だからこそ、口約束じゃ足りないのか。
僕は小さく頷いて、今度こそ、結論に戻した。
「……わかった。結ぼう。ここで」
ディアが、満足そうに頷く。
「ええ。私がナビゲートするわ。力を抜いて」
レグリスのコアアイが静かに光を強めた。
「魂魄リンクモード、同期準備開始」
「意志接続、魔力インターフェース、確立可能」
僕とレグリスが向かい合い、魔力が交差する。
“人”と“機械”の間に、一本の線が通った感覚。
【魂魄契約(仮)成立】
「……仮契約、か」
ディアが小さく頷く。
「うん。想定どおり」
「了解。じゃあ——ここから信頼構築だな」
レグリスが続けて言う。
「外界に関する理解を深めたい」
「当機は第92階層の管理個体にして閉鎖空間存在。外部世界の文化、社会構造、倫理基準などについて、学習が必要と判断」
「なるほど。外の常識が欲しいってことか……学ぶ手段は?何が一番やりやすい?」
「情報が集約された“機器”との接続を希望。直接接続により効率最大化」
僕はすぐに現実の手段を探した。
「古いノートPCが家にある。オフラインで使える辞書や資料、ニュースの保存データも入れられる。……それでいけるかな」
「推定:可能。ただし前提として、貴殿の“ノートPC”を確認する必要あり」
「提供された機器および信号体系に応じて、自動適応。学習プロトコル、即時展開可能」
「……要するに、何でも読めるってことか。対応力、反則だろ」
コユキが、僕の足元で尻尾を揺らす。
「じゃあまず“常識”からだね。……仮契約のあいだは、外に出るとか以前の問題だけど。本契約まで育って、いつか“外と関わる”段になったら――今のままだと、常識じゃなくて災害扱いだし」
「同意」
ディアが紅茶を一口含んでから、軽く言った。
「名前、長いわね。これからは“レグリス”で呼ぶわ」
「命名呼称、受理。以後、レグリスで応答する」
僕は視線を上げて確認する。
「で、92階って、これで“自由に行き来”できるようになる?」
ディアが首を振る。
「まだよ。転送陣は片側だけじゃ開かないの。92と94、双方から“同時に”魔力を流し込まないと繋がらない」
レグリスのコアが淡く点滅する。
「92階側、魔力炉再チャージ中。転送可能時期:三日後と推定」
「つまり、一回開いて転送が走ったら……その分、また“溜め直し”が要るってことか」
「そう。便利だけど、打ち放題じゃない。大技のあとに息継ぎがいるのと同じね」
「三日後ね。了解」
僕は頷いた。
「それまでに、PCに教材を詰め込む。レグリスの学習と、こちらの運用方針も整理する。
……やることは多いな」
コユキが尻尾を揺らす。
「ね。せっかくだし、今のうちに“何ができるか”棚卸ししとこ」
「だな。レグリス、ひとつ聞く。戦闘以外で――君は何ができる?」
レグリスの胸部コアが、わずかに明滅した。
「第92階層に存在する機械モンスター群とのリンクが可能。遠隔操作、共有視覚取得、遠距離支援などを実行。但し、現在は階層が離れており不可」
「各種機械の製造・改造、ならびに内部スキルコアのインストールが可能」
「建造物やシステムへの接続による解析・改変処理が可能。ただし、魔力炉の出力と素材、そして“接続距離”が制約条件」
「人やモンスターとコードを接続して対象のスキルを代理起動・支援使用可能」
「インストール・分析によって自己構造のアップデートが可能」
「物体・人物・環境をリアルタイムでスキャンし、構造・状態・潜在値などを多層解析」
「仮想未来演算によって、戦闘や判断の選択肢をシミュレーション可能」
「……いや、待って。情報・後方支援・製造まで全部入りじゃないか」
僕が思わず額を押さえると、コユキも小さく息を吐いた。
「……未来演算ってさ。株価とか為替に使えたら、ゲート行くの馬鹿らしくならない? 大儲けコースじゃん」
ディアが、どこか楽しそうに笑う。
「だから昨日、言ったでしょ。楽しみにしておいてって」
巨大なコアアイが、ぱち、と一度だけ点滅する。
「学習プロトコル、即時展開可能。待機中」
その光が、ほんの少しだけ――
“期待”に見えたのは、たぶん気のせいじゃない。
……機械の目が、そう見える時点で、もう十分に「想像と違う」。




