071話『癒やしの偽空、コユキの毒無効』
4月15日、土曜日。
朝から、昨日と同じ小型ゲートに来ていた。
正直、もう17階くらいじゃ歯ごたえはない。
というか──ウォーミングアップにもならない。
「じゃあ次、18階いこう」
「了解。――スキャンいくよ」
コユキが耳をぴん、と立てて反響領域を展開。
同時に、以前、一ノ瀬から手に入れた精霊導読も常時発動している。
「三歩先。地面の振動に反応して穴。左に寄って」
「毎回助かる。精度、相変わらず高いな」
「慣れって大事。罠も敵も、今のボクらなら“地形”みたいなもの
冗談っぽい言い方だけど、体感はわりと本気だった。
出てくるのは、牙つきトカゲだの、羽虫の群れだの。
コユキの火と、スーラの制圧で、数分もかからず片付く。
「スーラ、右斜めから。お願い」
ぷにっ。
右腕から伸びたスーラが、壁を伝って、ぬるりと敵を包む。
抵抗の音すら立たないまま、輪郭だけが静かに崩れていった。
(静かすぎて、逆にぞっとする。……でも、ありがたい)
「20階、クリア」
「今日は防御も回復も余裕。平和すぎるくらいだね」
「こういう日があるのは助かる。ペースは崩さずいこう」
21階に入った瞬間、空気がふっと変わった。
「……あれ。あっち、開けてる?」
少し離れた場所に、小さな川辺。
視界が抜けて、光が入っている。
「少し寄ってもいいか?」
「うん。ボクも気になってた」
「反応なし。……水音だけ」
近づくほど、胸がゆるむ。
水が澄んでいて、空が抜けるように青い。
ゲートの中とは思えない開放感で、細い流れがきらきらと光を跳ね返していた。
丘と木々。柔らかな風。
上には“空”を模したドームが遥かに広がっていて、薄い雲まで作り込まれている。
「……気持ちいいな、ここ」
思わず声が漏れた。
「ボク、このエリア……好きかも」
荷物を下ろして、川辺に腰を下ろす。
「これ、最高の休憩じゃない?」
「異議なし」
「(ぷにっ)」
スーラはぴょん、と地面に降りて、そのまま水に浮かんでぷかぷか。
ひんやりしたのが心地いいのか、表面がふわっと広がっていく。
コユキは川辺で前足をぺしぺし。
「……コユキって、猫だったっけ?」
「さあ。最近、分類が怪しい」
ツッコミながら、僕は弁当袋を開けた。
中身は昨夜、ディアが用意してくれていたもの。
おにぎり、卵焼き、サラダ。スープは保温ボトル。
ミニチュアのディアは木陰にシートを広げて、湯気の立つ紅茶をひと口だけ含む。
「こういう時間……最近、味わってなかったわね」
「スキルや経験値も大事だけど、こういう“余白”があると続けられる気がする」
空を見上げる。
風と水の音が、肩の力をほどいていく。
作られた風景だとしても。
仲間と飯を食って、笑って、もふもふが転がって、ぷにぷにが浮いてる。
この時間は──僕にとって、十分“今”だった。
……でも、ふと思う。
ゲートの中のダンジョンって、いったい何なんだろう。
天井の向こうはコンクリでも鉄でもなく、空みたいに抜けている。
雲の影が流れて、水が冷たくて、風がちゃんと匂いを運んでくる。
ただの“背景”なら、ここまで手触りが要らない。
誰かが「休める場所」を、意図して組み込んでるみたいだ。
──ダンジョンそのものが、何かの意思で“景色”を選んでいる?
考えても答えは出ないのに、なぜか落ち着く。
この不気味さと優しさが同居してる感じが、ゲートらしい。
腹が満ちると、不思議と足も軽くなる。
……とはいえ、癒し空間に先に当たってしまったせいで、正直もう「帰って昼寝しない?」って気分になっていたのは否定できない。
「でも、まだ進むよね」
「……うん。切り替えて、予定どおり進もう」
川辺を後にして、僕らは奥へ。
22階の奥に踏み込んだ瞬間、鼻をつく薬草っぽい匂い。
──と思った次の瞬間、違和感がじわりと全身へ回る。
「……毒だ。空気に混ざってる」
「うん。神経毒っぽい。吸いすぎると、しびれと熱で動けなくなるタイプ」
「……累積は事故の一番嫌なやつだな」
僕には状態異常耐性がある。
でも、問題はコユキだ。
霧の向こうから、敵が跳び出してくる。
「右!」
「見えてる——解析眼」
コユキの瞳が一瞬だけ研ぎ澄まされる。
霧の濃淡、風の流れ、毒の“溜まり”——全部が線みたいに整理された。
「……濃いのは真ん中。狙うのは“隣”の個体。そいつが撒いてる」
「了解、任せる」
影から飛び出したコユキが霧を割り、首元に噛みつく。
「──摂取、完了」
【スキル取得:毒耐性・無効】
毒属性への耐性が、即座に“無効”域へ跳ね上がる。
「助かる。これでコユキも突っ込める」
毒を無効化したコユキが、そのまま霧の奥へ切り込む。
僕は右腕のスーラに意識を向けた。
「スーラ。魔力ろ過、いけるか?」
ぷにっ。
スーラが腕の周りに薄い膜を作る。
空気中の“嫌な粒”を、動きながらろ過していく感覚。
技能共有結が切れた時の保険にもなる──実戦で試せるのは大きい。
「……頼もしいな、ほんと」
霧の中から、風をまとった斬撃が飛ぶ。
「風スキル持ちがいる!解析眼!コユキ、噛めるか?」
「任せて」
二段跳躍。
背後を取って、腕ごと噛みつく。
「いただきます──」
【スキル取得:風操術】
周囲の風流を微調整して、斬風(薄い風刃)/加速(追い風)/風壁(瞬間の偏向)を発生させる。
「よし。遠距離の対応が広がった」
「毒の無効化に、風の制圧……この階層、地味に当たりだね」
「うん。今日だけで“動ける幅”がまた増えた」
「スーラも、ありがとな」
「ぷにっ」
右腕のスーラが、誇らしげにぷるぷる震えた。
ディアは今日は手を出さず、ミニチュアのまま静かに上から見守っていた。
まるで「自分たちでやり切りなさい」と言うみたいに。
24階を抜けてゲートを出た頃、空は茜色だった。
──帰宅後は、即シャワー。
「っはー……生き返る……」
リビングに戻ると、ふわっと煮込みの匂いが迎えてくる。
「戻り……って、めちゃくちゃいい匂い」
「おかえりなさい。今日は牛すじと野菜のトマト煮込みよ」
エプロン姿の本体サイズのディアが、ちょっと得意げに笑う。
その横で、スーラが野菜くずやラップを、いつも通り飲み込んでいた。
「スーラ、それ……ゴミ箱の限界、超えてない?」
「(ぷにっ)」
たぶん本人は“仕事してます”の顔だ。
夕食は、文句なしに幸せだった。
とろとろの煮込みに、焼きたてのパン。
コユキは食後にバターを舐めて、うっとりしている。
「……さて」
片付けが終わった頃、ディアがふっと僕を見る。
「明日だけど……ゲートには行かず、94階に来てくれない?」
「……了解。何か動きがあった?」
「92階への転送陣が、そろそろ完成しそうなの」
「おお……ついに」
「それでね。明日、あなたに見てほしいの」
「見てほしい?」
「うん」
僕は一拍置いて聞いた。
「92階のボスって……どんなやつなんだ?」
ディアはティーカップを口に運んで、含み笑いを浮かべる。
「ふふっ、それは……見てのお楽しみ」
「……わかった。じゃあ明日まで取っておく」
「でもね。92階は“機械”が多いって聞いていたでしょう?私も最初は、てっきり“人型ロボット”の延長だと予想していたの」
「……違った?」
「ええ。奥まで行って、接触してみたら──想像してたものと、まるで違った。何が違うのかは……明日、あなたにも確かめてほしいわ」
ディアの瞳に、いつもより少しだけ高揚が混じる。
ワクワクと、ほんの少しの不安。
何か、新しい扉が開きかけている気配。
「了解。じゃあ明日、朝からそっちに行く」
「ええ。楽しみにしてるわ」
その夜は、布団に入ってもしばらく寝つけなかった。
明日、何が待っているのかは分からない。
でも──
「……楽しみにできてるうちは、まだまだ大丈夫だな」
そう呟いて、目を閉じた。




