070話『G崩壊』
「ふぅ……午前の仕事、いったん終了」
金曜の午前。
在宅のありがたさって、終わった瞬間に“力を抜ける”ところだと思う。
コーヒーを一口飲んで、椅子の背にもたれる。
ソファでタブレットを触っていたコユキが、ちらりと僕を見る。
「午前中の予定、全部終わったね。仕事の速度、先週より上がってる。……やっぱり、昨日と一昨日の“癒し”が効いた?」
「うん。顔が“やり切った人の顔”だった」
「……そんな判定あるのかよ」
笑いながらも、否定できない。
ここ二日、妙に賑やかで——それが、思っていたより心地よかった。
「今日は午後、ゲートだよね?」
「そう。近場の小型ゲート。今日は11階から始める」
テーブルの端に、ミニサイズのディアがふわりと現れる。
機嫌は良さそうで、目だけ優しい。
「お疲れさま、秀人。夕飯は――午前中に作れる範囲で用意しておくわね」
「ほんとに?助かる」
「ふふ。頑張ってるあなたの顔、……好きよ?」
「そこで照れさせにくる!……いや、ありがとうございます」
モフモフと姫に囲まれる生活、だいぶズルい。
でも午後は“遊び”じゃない。
気持ちを切り替えて——
13時。
自宅から電車と徒歩で30分ほど。
小型ゲート前に立つ。
「今日は11階から。軽く回って、スーラの実戦も見たい」
「了解。肩慣らしね。……行こ」
ゲートに踏み込んだ瞬間、鼻が嫌な仕事をする。
酸っぱいような、土と油が混ざったような——ぬめった空気。
そして視界の端が、黒く“動いた”。
手のひらサイズの虫の群れ。
黒光りする殻、長い触角、壁にも床にも天井にも、わらわらと——しかも、形がよりにもよって。
「……っ」
僕が言葉を失った一拍のあと、肩の上のミニディアが爆発した。
「む、無理!無理無理無理無理!!」
次の瞬間、空間がズン、と沈む。
僕の横で“紅い気配”が膨れ上がり——
「え、ちょ、ディア——」
バシュッ。
現れたのは、通常サイズのディア。
腰までの金髪が揺れ、銀の瞳が笑っていない。
夜の気配が濃くなる。
完全に本気のディア。
「存在が……無理なのよ……。あの蠢き、あの光沢、あの触角……無理」
……理屈じゃないやつだ。
構文詠唱もない。
ディアは、ただ手をひと振りした。
「崩滅波動。——全方位。全力で」
ズゴオォォン。
紅と黒が混ざった奔流が、壁も床も天井も、そして黒い群れも——まとめて“なかったこと”にした。
僕とコユキだけが、ディアの背後で無傷。
「……え?」
「……うわ、消えた」
ディアは胸を押さえて、深く息を吐く。
「ごめんなさい。ちょっと取り乱したわ。……でも、あれは正義だと思うの」
「……うん。僕も、あれは、心が無理だった」
「人類共通の敵だね……」
ディアはぷいっと顔を背けて、ブレスレットへ戻っていく。
「今日はもう、お休みするわね……」
魔力の気配がすっと薄れた。
「……Gが、始祖の姫すら退かせるとは」
「格が違ったね……」
僕とコユキは、無言でうなずき合った。
「……ということで、次は12階。どうする?」
「行く。こうなったら、気持ち切り替えて“心の浄化タイム”」
「了解。次は“さっきの記憶を上書きするペース”でいこ」
階層まるごと消し飛ばした事件のあと、僕たちは淡々と進む。
12階は速度特化の中型。
突進をスーラの“籠手”で受け止め、勢いごと溶かして無力化する。
(ほんと、受け止め役なのに、主役側にいるんだよな……)
ぷにっ、と腕の上で返事みたいに振動が返ってくる。
かわいいのでヨシ、じゃなくて、頼もしいのでヨシ。
13階は重力ギミックのあるフロア。
さっき手に入れたばかりの新スキル――反重力脚。
説明だけじゃ掴めない。
ここで実地テストだ。
「反重力脚、着地の瞬間に合わせて」
「了解……試す」
踏み出した瞬間、床が抜けた。
落ちる——と思ったところで、脚に魔力を集める。
“ふっ”と体が軽くなる。
落下速度が、目に見えて緩む。
「……おお。これ、落下だけじゃなくて、跳躍にも使えるな」
「うん。制動時間が伸びる。空中で姿勢を作れるのが強い」
「あとで訓練枠だな。使いこなせたら相当変わる」
14階は電撃系。
スーラが前に出て、五式吸収と魔力捕食で、飛んでくるものを“全部飲み込む”。
「……ほんと、頼れる」
「火力を足すより先に、事故を消す。しかも消し方がえげつない。スーラらしい」
そして最後を片付けて、深呼吸。
「これで16階までクリア。おつかれ」
「スキルは反重力脚だけ。でも成果は大きい」
「うん。戦術の幅、広がった」
スーラはぷるん、とご機嫌に震えて、いつも通り影へ戻っていく。
僕はゲートを出て、家路についた。
夜。
シャワーを浴びて、夕食を済ませて、ソファに沈む。
テーブルには温め直したプレートと、紅茶。
ミニサイズのディアが、少し静かな顔で座っていた。
「秀人。今日も、よく頑張りましたね」
「順調だよ。……でも、ディア。元気ない?」
「……少しだけ、あの“残像”がね」
「やっぱ引きずってたか……」
「今日は、冷凍の作り置きを温めるだけにしたの。ごめんなさい」
「全然いいって。あれを見た直後に“いつも通り”やろうとする方が、無理してる」
ディアが紅茶の香りを確かめるみたいに、カップに指を添える。
いつもの優雅さはある。
でも、耳の先がほんの少しだけしょんぼりしていた。
足元ではコユキがクッションで丸くなって、尻尾を一度だけ揺らす。
「ねえ、ニュース……見た?」
「ん?……これか」
スマホを開く。
《米軍、スキル保持兵士100名を突破──“1階層ループ訓練”が機能》
「……来たね」
記事はこうだ。
一階層クリア、帰還、再突入のループを制度化。
週一でスキルを取得させる仕組みを構築し、新たに戦力化された帰還者が百名を超えた、と。
——“スキルは国家資産。帰還者は戦略リソース”といった趣旨のコメント。
「まあ……こうなるよな」
コユキが目を細める。
「当然の流れ、だね。“使える”ものを放っておかない」
「新しい技術が軍用されるのは昔からの話。スキルが“兵器”扱いになるなら——戦争の形も変わるだろうな」
ため息が漏れる。
その肩に、ディアがそっと寄り添ってくる。
「でも、あなたは国に使われるために、スキルを振るっているわけじゃないでしょう?」
「……うん。国家の歯車になる予定はない」
「ええ。それでいいのよ。あなたはあなたのまま——今まで通り、前へ進めばいい」
その言葉に、僕は小さく笑って、画面を閉じた。




