068話『仲間と笑う日、ぷにぷにと進化する朝』
いつもより少し遅めに目を覚ました僕は、寝ぐせを手ぐしで押さえながら、二階からリビングへ降りた。
──そして、階段の最後の一段を踏んだところで、思考が止まる。
「おはようございます、時任さん」
「……って、え?」
朝のリビング。
ソファにちょこんと座っていたのは、一ノ瀬透花。
その隣には、透明感のある空気をまとったエルフのリィナが、静かに背筋を伸ばしている。
向かい側では、コユキが器用に猫座り。
さらにテーブルの上、ミニチュアのディアが優雅に紅茶を啜っていた。
(……なに、この絵面)
僕の家のはずなのに、僕だけが場違いな気がする。
「いや、待って。整理させて」
頭の中で、昨夜の記憶を掘り返す。
──そうだ。
昨日、食事が終わったあと。
一ノ瀬が「猫さんと妖精さんにも、きちんとお礼がしたい」と言い出したんだった。
(いや、気持ちは分かる。分かるけど……)
もちろん個室とはいえ、人目もある場所で二人を呼び出すのは無理がある。
「それはちょっと」とやんわり断ろうとした、その瞬間。
脳内に、あからさまに圧のある念話が突き刺さった。
『おいしいものを目の前で食べてるのに、私たちはずっと“見るだけ”。……どういうことか、分かってるわよね?』
『ごちそうしてくれるなら、顔くらい出してもいいって言ってるの。わたしたちも、ちゃんと“お礼”は受け取るから』
……我慢ゲージは、とっくに振り切れていたらしい。
だから僕は、苦し紛れに“仲裁案”を出した。
「人目がある場所じゃ無理だから……うちで改めて、顔合わせとお礼タイムをやろうか?一ノ瀬さんがいいなら、って前提だけど」
すると一ノ瀬が、目を輝かせて。
「じゃあ、美味しいもの、たくさん買いに行きましょう!」
──閉店間際のデパ地下へ滑り込み。
あれやこれやを大量購入。
笑い声と、柔らかな空気に包まれて始まった“二次会”。
……気づけば、誰にも語られないまま、特別な夜として記憶の奥に刻まれていた。
そして今。
「改めて、おはようございます、時任さん」
「……おはよう。一ノ瀬さん、リィナさん」
「ん。おはよ。起きてきたね、マスター」
「おはようございます、秀人。少し寝過ぎじゃなくて?」
「……色々あったんだよ」
テーブルには、昨夜の残りのデパ地下グルメが並び、簡易的な朝食になっていた。
僕も席につき、ようやく箸……じゃない、フォークを手に取る。
一ノ瀬が、少しだけ肩をすぼめた。
「昨日は……お酒、飲んでしまって。すみません。少し、醜態を晒してしまった気がして……」
「気にしなくていい。酔ってても、ちゃんと伝わってたよ」
「……うっ。それはそれで、恥ずかしいです」
ディアが紅茶のカップを置いて、くすっと笑う。
「ふふ。いい夜だったわ。珍しくあなたが“人の輪”にいるのを見て、私も楽しかったもの」
「料理も美味しかったしね。マスターがちゃんと社交してるの、こっちまで癒された」
「……僕って、そんな“基本ぼっち”扱いだった?」
「自覚ないのが、一番おもしろい」
「コユキ、黙りましょう」
(通常運転だな……)
そんな空気がひと段落した頃、一ノ瀬が箸を置いて、少しだけ背筋を正した。
「昨日は、相談に乗ってくださって……ありがとうございました」
「こちらこそ。話してくれて、助かった」
一ノ瀬は、小さく息を吐いてから微笑んだ。
昨日よりずっと、顔が晴れている。
迷いが消えたというより、“自分で決めた”顔だ。
「……まだ、時任さん以外の男性は、少し苦手意識があります。だから、無理に距離を詰めたりはしません。まずは“業務に支障が出ない範囲”で、きちんと接していこうと思います」
「うん。それでいい」
「それに……私は、ゲート対処特務班のエース帰還者なんですから。今はそれとして、やるべきことをやります」
その言葉に、僕は自然に頷いていた。
「それが一ノ瀬の答えなら、応援するよ」
一ノ瀬が、少しだけ照れたように笑う。
「ただ――走り続けるだけじゃなくて、困ったときはちゃんと頼ってください。俺でも、八代さんでもいい」
「八代さん、周りを動かすのは上手い人に思える。信頼していいと思う」
「……はい」
そして僕は、言葉を少し選びながら付け足す。
「それからエースの立場……“出る杭は打たれる”って言うけど――圧倒的に出すぎた杭は、そもそも打つ側が手を引く。仕事でも、たまにある」
「ふふっ……覚えておきます」
穏やかな朝だった。
戦場じゃない。
政治でもない。
ただの食卓という名の、平和な時間。
やがて僕は、一ノ瀬とリィナを駅まで送ることになった。
春の空気が、やわらかい。
街の音が、ちゃんと日常に戻っている。
「ありがとうございました、時任さん。私、頑張りますから」
「……うん。頑張りすぎないで。危なくなる前に、一回ちゃんと立ち止まって」
「はい」
一ノ瀬は軽く手を振って、改札の向こうへ消えていった。
その背中を見送りながら、僕も少しだけ背筋を伸ばす。
日常と非日常のあいだで、またひとつ。
心が前に進んだ気がした。
帰宅すると、ディアがリビングの窓際で陽を浴びながら、紅茶を片手に言った。
「こういう時間も、たまにはいいものね」
「……そうだね。たまには」
僕もソファに沈み込み、ようやく肩の力を抜く。
──が、くつろぎタイムは長く続かなかった。
テーブルに残った紙容器やグラス。
宴会の名残を片付けようと立ち上がった瞬間、ディアがちらっとこちらを見る。
「秀人。94階に来てもらえる?」
「……了解」
このタイミングで“城のお呼び出し”。
嫌な予感はしないけど、ろくでもない予感はする。
コユキがひょこっと現れた。
「じゃ、ついてくよ」
物置部屋のサブゲートを抜け、僕たちは94階層へ向かった。
城の玉座の間。
いつもの場所に降り立つと、ディアは開口一番、どこか得意げに言った。
「スーラが、進化したの」
「進化……?」
「ええ。スーラは元々優秀だけれど、深層になればなるほど“素のスペック”だけでは限界が来る。……だから、手を打ったの」
「手を打った、って……」
ディアはさらりと言う。
「この城の地下倉庫に眠っていた“財宝”を、スーラに吸収させたの。私の魔力を注ぎ吸収できるようにしながらね」
「……財宝?この城、そういうのあったの?」
素で聞き返してしまった。
デカい城なのは知ってたけど、地下倉庫とか、財宝とか、初耳だ。
ディアはくすっと笑う。
「ええ。昔集めた装備や魔道具がたくさん。ただし外へ持ち出そうとすると、ゲートで拾うものと同じく崩壊する。だから、“中で使う”か、“中で生かす”しかないのよ」
「なるほど……ゲートの仕様か」
ディアは軽く手を振った。
「あなたがスーラを“籠手”みたいに使っているのを見て思ったの。アイテムって、結局は“効果”が本体でしょう?なら、使わないアイテムから効果だけを抜き取って、スーラに定着させればいい――そう考えたのよ」
「……それで試したんだ」
「ええ。そして成功」
ディアは誇らしげに頷いた。
「百近い特殊な効果が付与された財宝を、私の魔力で順に解いて吸収させた。結果――スーラが得たスキルは、六つ」
ディアが指を折っていく。
1.《質量魔変》
魔力を質量に変換・蓄積し、膨張・縮小を自在に行う。
2.《魔力捕食》
スキル・魔法・生命から魔力を吸収し、自己魔力に転換。
3.《五式吸収》
運動・電気・熱・光・核の五種エネルギーを吸収。
4.《癒空生成》
精神の安定を促進し、催眠・洗脳・混乱など精神異常を無効化。回復も可能。
5.《偽色変態》
体表の色彩を自在に変化。
6.《滋養膠片》
体の一部を美味な栄養ゼリーへ変化。
「……守り寄りだね」
僕のつぶやきに、ディアがゆっくり頷く。
「ええ。スーラはあなたを“守りたい”って気持ちが強いのよ。吸収した効果も、攻撃より防御と補助に寄って継承された。気質ね」
「……性格からの適正がある、ってことか」
言いながら、僕は頭の中で整理する。
スーラは元々――《選択溶解》《魔力ろ過》《擬形変化》の3つのスキルをもっていた。
そこに今の六つが乗り――合計、九つ。
(……これ、ディア抜きで僕とコユキだけだったら――勝ててないんじゃないか)
そこで、コユキがぼそっと言う。
「その構成ならさ……スーラが頭の上にいれば、核が落ちても生き残れそう」
「……盛りすぎだろ」
と言いかけて、スキルを思い返す。
エネルギー吸収、魔力変換、防御、精神安定、回復……。
(……いや、冗談に聞こえないのが怖い)
ディアが呼びかける。
「スーラ。来て」
スーラが、ぷるりと現れた。
……え?
以前は淡い青と銀の半透明。
コアも赤ちゃんのこぶしほどだった。
でも今は、淡い黄と銀が混ざった光沢。コアは黄金色で、しかもビー玉サイズまで小さくなっている。
「……見た目、変わったね」
指先で触れると、弾力のある抵抗が返ってくる。
(ぷにぷに感、増してない?)
スーラは「どう?」と言いたげにぷるぷる震えた。
「よくやった。すごいよ、スーラ」
その言葉に、スーラが嬉しそうに跳ねる。
ディアも満足げに頷いた。
「これであなたは、ただのゼリューム・スライムじゃない。唯一無二よ」
「……確かに、唯一無二だ」




