065話『境界の面談』
水曜の午前は、がっつり仕事だった。
ゲートも政府も、いったん頭の外に押し出して。
目の前のタスクだけを、ひたすら潰す。
チャットの通知、資料の差し戻し、営業からの相談。
レビュー、軽い火消し。
ついでに、もう一件火がつく。
でも、こういう“現実”は、僕の身体は慣れている。
指が勝手に動いて、言葉が勝手に整う。
13時。ようやく椅子に深くもたれた。
「……午前の部、完了」
息を吐いて、時計を見る。
午後は政府施設で九条さんとの面談――その“紹介つき”だ。
(出発まで、まだ少しある)
ちょうどいい空き時間を、お昼を食べながら僕は“整理”に使った。
42階までの進行記録。
出現モンスターの傾向、頻度、地形、難所ポイント。
音声メモからAIで文章化したデータに、危険度をざっくりつけつつレビューする。
そして、いつも通り。
こちらのスキルや戦闘の中身は、一切書かない。
14時過ぎ。
作業を切って身支度を整える。
今日はスーツじゃない。
ジャケットとシャツ。
失礼にならない程度に、少しだけ柔らかい装い。
ブレスレットの中にディア。
影の中にコユキ。
スーラは――一昨日から94階だ。
『……あまり長引かないといいわね』
ディアの声は落ち着いている。
その落ち着きが逆に、今日が軽い話じゃなくなるのではと思わせる。
『ボクは影。静かにしてる。……たぶん』
「“たぶん”やめろ」
影の中で、小さく鼻で笑う気配がした。
電車で淀屋橋へ向かう。
SNSを開くと、相変わらずゲートの話題で埋まっている。
“攻略レース”“帰還者ランキング”――
どこかゲームみたいな文字列に、胃の奥が少しだけ冷える。
(……42階まで行った僕が、まだ未報告扱い。皮肉だな)
スマホを伏せて、窓の外へ視線を逃がした。
15時20分。
政府施設。
受付で名前を告げる。
「時任秀人です。九条さんとお会いする約束をしております」
案内された廊下は静かで、音が吸われるみたいだった。
エレベーターを抜け、指定された会議室の前で立ち止まる。
(……さて。今日はどんな話になるのか)
ノックする手に、わずかに力が入った。
扉の向こうは、予想より静かだった。
入った瞬間、視界に九条さん、柊さん――そこまでは想定通り。
そして。
「……一ノ瀬?」
柔らかく微笑む一ノ瀬透花。
そのそばに、エルフのリィナが静かに立っている。
(……雰囲気、少し変わった?)
さらに視線を移すと、見知らぬ二人。
一人は黒いスーツの女性。
姿勢が綺麗で、空気が冷静。
もう一人は体格のいい男性。
立ち方が“現場”のそれで、無駄がない。
九条さんが一歩前に出た。
「来てくれて助かった。紹介しよう」
簡潔に、でも重みのある声。
「ゲート対処特務班の責任者――八代理子さん。そして同班の戦闘指揮を務める隊長、五十嵐烈士だ」
「……はじめまして。時任秀人です」
八代さんは、丁寧な角度で会釈した。
「初めまして。八代理子です。今日はお時間、感謝します」
温度の低い丁寧さ。
礼儀の中に“観察”が混ざっている。
五十嵐さんは立ち上がり、短く頭を下げた。
「五十嵐烈士です。よろしくお願いします」
声は低く、余計な飾りがない。
ただそれだけで、場が締まる。
(……見たことがある)
どちらも、ニュースで――“特務班”の顔として映っていた。
九条さんが続ける。
「勧誘じゃない。おまえが組織に縛られるのを嫌うのも含めて、八代さんには伝えてある。安心しろ」
……助かる。
僕は小さく頷いた。
八代さんが、真正面から僕を見る。
「あなたのことは、限られた報告と九条さんの評価で把握しています。率直に言うと――興味深い存在ですね」
一ノ瀬の視線が、静かにこちらに乗る。
リィナは表情を変えない。
八代さんが続けた。
「ただ――あなたに関する情報は、政府内でもごく一部にしか共有されていないわ。ここにいる五十嵐にも、一ノ瀬にもね」
会議室の空気が、ほんの少し硬くなる。
「このあと、踏み込んだ話をします。望まないなら、五十嵐と一ノ瀬には席を外してもらうこともできます」
僕は一拍置いてから、口を開いた。
「一つだけ、確認させてください」
「どうぞ」
「ここにいる五十嵐さんと一ノ瀬さんは、あなたが“秘匿できる”と断言できる方ですか。漏れた場合の責任は、持ってもらえますか」
一瞬、空気が張り詰めた。
八代さんの口元が、ほんの少しだけ緩む。
「……食えない人ね」
そして、はっきり言った。
「ええ。私は部下を信頼しています。もし漏れたなら、私が責任を取るわ。――それでいい?」
「……十分です。では同席でお願いします」
九条さんが、短く息を吐いた。
柊さんは黙ってメモを取っている。
(本当は、最初の一手で“責任”を突きつけるやり方は好かれない。信頼を積んでからやるのが、まともな順番だ。……でも今日は、その順番を待てなかった)
八代さんが本題に入る。
「アメリカと中国が、20階をクリアしたニュースは見たかしら?」
「はい。見ました」
「正確には、10日前ね。両国ともほぼ同時に突破。公式発表され、国際的にも評価された大きな功績です」
(……ここまでは公開情報だ)
八代さんは続ける。
「ただ――あなたはその約2週間前に、20階を突破していたと聞いている」
五十嵐さんの肩が、わずかに動いた。
目が、こちらに刺さる。
僕は小さく頷いた。
「その件、情報の更新があります」
「更新?」
……言うべきか、一瞬迷う。
ここで出せば話は早い、出戻りも減る。
ただ、言った瞬間に――この場の前提が変わる。
それでも、黙って引き延ばす方が後で面倒になる。
「はい。本来は九条さんと柊さんに個別でお伝えする予定でしたが――この場で共有します」
全員の視線が集まる。
「先週の金曜午後から日曜夕方まで、約50時間。ゲートに潜りました」
一瞬、空気の密度が変わった。
「……現在のクリア階層は、42階です」
静寂。
言葉のない静けさが、数秒続いて――
「……そんな馬鹿な」
五十嵐さんの声が漏れた。
八代さんが、鋭く言う。
「五十嵐。口を慎みなさい」
静かな声なのに、逆らえない。
五十嵐さんは口を閉じた。
八代さんは僕を見つめる。
驚きというより、分析の目だ。
僕は苦笑する。
「40階で死にかけました。正直、やりすぎでした」
九条さんの眉が寄る。
「気をつけろと言ったはずだ」
「……耳が痛いです」
柊さんが、少し引き気味に言う。
「各階層のデータはありますか?」
「地形傾向と出現モンスターをまとめてあります。あとで提出します。参考程度にはなるかと」
「……受け取ります」
柊さんが、少し引き気味の声でそう返してくる。




