064話『仕事と戦場の境界線』
火曜の朝。
スーツを着て、新大阪のオフィスへ向かった。
今日は、東京から上司が来る日。
それだけで、背筋が勝手に伸びる。
電車の混み具合はまちまち。
外出規制は解除されたけど、街にはまだ少しだけ“様子見”の空気が残ってる。
そんな中、僕はいつものオフィスのドアをくぐった。
「あ、おはようございます、時任さん」
「おはよう」
挨拶を返して席に着く。
——はずなのに、呼吸する間もない。
「時任さん、ちょっといいですか。例の新規の件で…」
「すみません、こっちも一つ相談が」
「朝のうちに方向性だけ、決めたいです」
出社が普段少ない分、溜まってた“ちょい相談”が一気に流れ込んでくる。
プロジェクトのメンバー、隣のチームの人、営業。
みんな、悪気はない。
むしろ頼ってくれてる。
(……うん。これこれ。オフィスでの仕事ってこういう感じ)
席に座ったまま、頭だけでタスクを捌いていく。
要点を拾って、線を引いて、優先度を並べ替える。
口は自然に“決めるための質問”を選んでいく。
「まず、納期いつ?前提条件は?」
「それ、相手の決裁者は誰?」
「今週中に叩き台。金曜の朝までに一回、僕に投げておいて」
——10時を少し過ぎた頃。
普段は東京にいる上司が、ふらっと現れた。
「時任くん、今ちょっといい?会議室空いてるから」
「あ、はい」
僕は椅子を引いて立ち上がった。
小さな会議室。
上司は椅子に座って、声のトーンを少し落とした。
「午後半休、ずっと続いてるだろ。体調とか、生活リズムとか……問題ない?」
ああ、そこ。
前に「ゲート関連に巻き込まれた」くらいは伝えた。
でも、ここまで続けば気になるのは当然だ。
「大丈夫です。むしろ、午前だけ出るくらいが今はバランス良くて」
口にしながら、一呼吸。
頭の中で、言い訳の候補がいくつか浮かんで、すぐ消えた。
(そろそろ、ちゃんと言うか……実は、僕は“帰還者”だ。と)
――違う。
この場は“現場”じゃなくて“会社”で目上の方が相手だ。
無意識に背筋が伸びる。
「……実は、私。“帰還者”です」
言葉にした瞬間、胸の奥で張っていたものがほどけた。
上司の眉が、ほんの少しだけ上がる。
でも、驚愕じゃない。
“やっぱりな”の色が強い目だった。
「そういうことか。ゲートって聞いた時点で、なんとなく察してたよ。動きが慎重だったしな」
「すみません。言うタイミングが難しくて」
「いや、言いづらいのは分かる。俺でも黙ると思う」
その一言で、肩が軽くなる。
“責められない”ってだけで、人はこんなに息ができるんだなと思った。
「で、有給はまだ残ってる?」
「年度変わったばかりなので、まだあります。ただ……午後で削っていくと、さすがに底が見えます」
「そっか。じゃ、有給が尽きたらどうする?」
責める口調じゃない。
先の段取りを確認する、上司の声だ。
「正直、まだ答えが出てません。……ただ、今のプロジェクトは最後までやり切ります。そこは責任持ちます」
「……うん」
上司が頷いて、机に一枚のメモを置いた。
メモというより、考えの骨格が書かれた小さな設計図みたいなやつ。
「提案なんだけど。“時短勤務”って選択肢、考えてみない?」
「時短……ですか?」
育児の制度、ってイメージが強い。
だから一瞬、言葉が詰まる。
でも上司は淡々と続けた。
「特別事情なら、制度上の“対象外”じゃない。会社としても、いきなり辞めますは困る。君の実績はちゃんと評価してるし」
「……ありがとうございます」
「帰還者での時短、前例はない。けど、個別対応できる範囲はあると思う。人事部や労務部と相談してみるよ」
「お願いします」
会議室を出て、僕は小さく息を吐いた。
喉の奥にあった硬さが、少しだけ溶ける。
(……会社も、ちゃんと見てくれてるんだな)
それだけで、今日の心拍数が少し下がった。
午後。
僕はいつものように新大阪ゲート管理施設へ寄って、スーツをジャージに変えた。
(……この切り替えも、慣れたものだ)
ゲート前で深呼吸をひとつ。
(よし。41階から)
黒い渦へ、足を踏み出す。
静かなダンジョンの内部で、僕は声をかけた。
「コユキ、出てきて」
影が波打って、白銀のモフモフがすっと現れた。
「ふぁ……ちゃんと起きてる」
「今、絶対寝起きだろ」
「起きてる、という事実が重要」
(理屈が強い)
少し進んだところで、早速モンスターと遭遇。
黒い体毛、ねじれた角、突進タイプ。
見覚えがある。
嫌な記憶も、セットでついてくる。
「……あー、こいつ」
コユキが一歩だけ前に出て、敵をじっと見た。
ほんの一瞬、空気が引き締まる。――それだけ。
「解析眼」
一拍。
「爆発属性。倒した瞬間、周囲に爆ぜる霧を撒く。近接で落とすと、こっちが巻き込まれる」
「うわ、最悪」
「だから今日は、距離。徹底」
コユキが尻尾をふわっと揺らした。
「知ってる敵でも全部鑑定。もう変なスキルは拾わない。決めたから」
……その顔が、妙に決意に満ちていて、少し笑ってしまう。
実際、これまでにも地雷は山ほどあった。
自爆するだけのやつ。
毒を撒き散らし続けるやつ。
そもそも身体そのものが“腐食スキル”みたいなやつ。
コユキの《模写捕食》は強い。
でも、強いからこそ――“何を掴むか”で、こっちが大変なことになる。
それが常時発動型だったら、洒落にならない。
「……慎重なの、正しいよ」
「でしょ」
──そして、今日の僕の検証も同じだ。
《影移動》は封印。
コユキの発動型の共有スキルも封印。
“自分の手札だけ”で、どこまでいけるか。
主軸は二つ。
《空間斬糸》
《黒想鋳具》
「……よし、やってみるか」
突進してくる瞬間に、腕を横に払う。
「空間斬糸」
空気が、短く裂けた。
敵が、スローモーションみたいに崩れた。
(……今のは綺麗に入った)
次。横幅広めのトカゲ型。
「黒想鋳具」
黒い魔力が腕にまとわりつき、形がハンマーになる。
そのまま、カチ上げ。
「……よし」
トカゲが吹っ飛んで、床にめり込んだ。
(影移動なしでも、いける。いけるけど……)
正面突破は、疲れる。
当たり前だけど、誤魔化しが効かない。
横でコユキが、うんうんと頷いていた。
「うん。危なっかしい。見てるだけでも疲れる」
「お前、それ言う資格ある?」
「ある。今日は“安全管理者”」
(言い方が仕事)
でも、見てくれていると思うと、雑にならない。
──雑になったら死ぬ階層を、一昨日やったばかりだ。
そのまま41階を踏破。
勢いで42階も押し切った。
終わった瞬間、息が抜ける。
(……疲れた。けど、検証して対策を講じるのは嫌じゃない)
共有に頼らず、手順で勝った。
地味だけど、確実。
帰りの電車。
座席に沈み込んで、明日の予定を思い出す。
(水曜。政府施設で九条さんと面会)
「紹介したい人がいる」
──この一言が、嫌な予感しかしない。
(保険、打っとくか)
スマホで有給申請をひとつ。木曜を空ける。
……でも、指を離す前に、今日の午前中がよぎった。
部下からの設計相談。
レビューの詰まり。
営業からの新規案件の火急の確認。
“ちょっとだけ”のはずの会話が、全部、地味に重いやつ。
(木曜、丸一日抜けて……回るか?)
頭の中で、タスクを棚卸しする。
止められないものと、止めてもいいもの。
僕がいないと詰むものと、任せていいもの。
……結論。
“回る”。ただし条件付きだ。
(明日の午前中で、やり切る)
相談の返しを出し切ってボールを相手側にする。
詰まりを潰す。
優先順位を揃える。
木曜の不在でも回るところまで持っていく。
そして、明日の政府施設で何もなければ潜ればいい。
何かあっても動ける。
上司に打ち明けたぶん、こういう有給申請が少しだけ楽になった。
“言えないストレス”って、思ってたより重い。
帰宅。
風呂を沸かさず、今日はシャワーでいい。
全身の汗と埃を流すと、ようやく日常に戻ってくる。
「ふぅ……」
リビングに出た瞬間、スパイスの匂いが鼻をくすぐった。
コンロの上に鍋。保温の弱火。――ディアだ。
(……カレー、作ってくれてたのか)
温め直すだけでいいって、ありがたすぎる。
皿に盛って、ソファに沈む。
そのとき、軽い気配が肩に落ちた。
ミニチュアのディアがブレスレットから出て、肩に乗った。
髪の匂いが、ふわっと近い。
「おかえり、秀人」
「ただいま。……カレー、ありがとう」
「どういたしまして」
ディアは少しだけ得意げに、続けた。
「それと、報告。スーラ――94階で、ちゃんと頑張ってるわ」
「……頑張ってる、って何を」
「ふふ、内緒。怖がらずに、ちゃんとついてきてるのよ」
……その笑い方、だめだ。
絶対に“言わない”を楽しんでる。
「まさか、料理中にゴミ箱代わり――」
「失礼ね。料理はこっちで私がやったわ。スーラは別件。……だから内緒」
「はいはい。内緒ね」
追及したら、たぶん面倒になる。
ここは素直に引くのが正解だ。
ディアは満足そうに頷いて、肩の上で小さく脚を揃えた。
「冷めるわよ。食べなさい」
「いただきます」
一口。
あったかい。ちゃんと、身体の中が戻ってくる味。
ディアはそれを確認したみたいに、ふわりとブレスレットへ戻った。
残るのは、まだ少しだけ甘い香り。
僕はもう一口食べてから、スマホを手に取る。
(……さて、世間はどうなってる)
何気なくSNSを開いて、固まった。
《帰還者5人、最強パーティ結成へ──山田玲央が語る“次のステージ”》
「……は?」
記事を開くと、キメ顔の山田。
派手な演出、派手な言葉、派手なノリ。
横には知らない若手っぽい男女が数人。
「……派手に出たな。大丈夫か、これ」
メディア映えはする。
でも、動きが派手だと、規制も派手になる。
(頼むから、巻き添えはやめてくれよ……)
スマホを伏せて、ソファの背に沈む。
静かな夜。
だけど今日という一日は、少しだけ違った。
上司に“今の自分”を話せたこと。
それが、心を軽くしていた。




