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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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064話『仕事と戦場の境界線』

火曜の朝。

スーツを着て、新大阪のオフィスへ向かった。


今日は、東京から上司が来る日。

それだけで、背筋が勝手に伸びる。


電車の混み具合はまちまち。

外出規制は解除されたけど、街にはまだ少しだけ“様子見”の空気が残ってる。


そんな中、僕はいつものオフィスのドアをくぐった。


「あ、おはようございます、時任さん」


「おはよう」


挨拶を返して席に着く。

——はずなのに、呼吸する間もない。


「時任さん、ちょっといいですか。例の新規の件で…」


「すみません、こっちも一つ相談が」


「朝のうちに方向性だけ、決めたいです」


出社が普段少ない分、溜まってた“ちょい相談”が一気に流れ込んでくる。

プロジェクトのメンバー、隣のチームの人、営業。

みんな、悪気はない。

むしろ頼ってくれてる。


(……うん。これこれ。オフィスでの仕事ってこういう感じ)


席に座ったまま、頭だけでタスクを捌いていく。

要点を拾って、線を引いて、優先度を並べ替える。

口は自然に“決めるための質問”を選んでいく。


「まず、納期いつ?前提条件は?」


「それ、相手の決裁者は誰?」


「今週中に叩き台。金曜の朝までに一回、僕に投げておいて」


——10時を少し過ぎた頃。

普段は東京にいる上司が、ふらっと現れた。


「時任くん、今ちょっといい?会議室空いてるから」


「あ、はい」


僕は椅子を引いて立ち上がった。


小さな会議室。

上司は椅子に座って、声のトーンを少し落とした。


「午後半休、ずっと続いてるだろ。体調とか、生活リズムとか……問題ない?」


ああ、そこ。

前に「ゲート関連に巻き込まれた」くらいは伝えた。

でも、ここまで続けば気になるのは当然だ。


「大丈夫です。むしろ、午前だけ出るくらいが今はバランス良くて」


口にしながら、一呼吸。

頭の中で、言い訳の候補がいくつか浮かんで、すぐ消えた。


(そろそろ、ちゃんと言うか……実は、僕は“帰還者”だ。と)


――違う。

この場は“現場”じゃなくて“会社”で目上の方が相手だ。

無意識に背筋が伸びる。


「……実は、私。“帰還者”です」


言葉にした瞬間、胸の奥で張っていたものがほどけた。

上司の眉が、ほんの少しだけ上がる。


でも、驚愕じゃない。

“やっぱりな”の色が強い目だった。


「そういうことか。ゲートって聞いた時点で、なんとなく察してたよ。動きが慎重だったしな」


「すみません。言うタイミングが難しくて」


「いや、言いづらいのは分かる。俺でも黙ると思う」


その一言で、肩が軽くなる。

“責められない”ってだけで、人はこんなに息ができるんだなと思った。


「で、有給はまだ残ってる?」


「年度変わったばかりなので、まだあります。ただ……午後で削っていくと、さすがに底が見えます」


「そっか。じゃ、有給が尽きたらどうする?」


責める口調じゃない。

先の段取りを確認する、上司の声だ。


「正直、まだ答えが出てません。……ただ、今のプロジェクトは最後までやり切ります。そこは責任持ちます」


「……うん」


上司が頷いて、机に一枚のメモを置いた。

メモというより、考えの骨格が書かれた小さな設計図みたいなやつ。


「提案なんだけど。“時短勤務”って選択肢、考えてみない?」


「時短……ですか?」


育児の制度、ってイメージが強い。

だから一瞬、言葉が詰まる。


でも上司は淡々と続けた。


「特別事情なら、制度上の“対象外”じゃない。会社としても、いきなり辞めますは困る。君の実績はちゃんと評価してるし」


「……ありがとうございます」


「帰還者での時短、前例はない。けど、個別対応できる範囲はあると思う。人事部や労務部と相談してみるよ」


「お願いします」


会議室を出て、僕は小さく息を吐いた。

喉の奥にあった硬さが、少しだけ溶ける。


(……会社も、ちゃんと見てくれてるんだな)


それだけで、今日の心拍数が少し下がった。


午後。

僕はいつものように新大阪ゲート管理施設へ寄って、スーツをジャージに変えた。


(……この切り替えも、慣れたものだ)


ゲート前で深呼吸をひとつ。


(よし。41階から)


黒い渦へ、足を踏み出す。


静かなダンジョンの内部で、僕は声をかけた。


「コユキ、出てきて」


影が波打って、白銀のモフモフがすっと現れた。


「ふぁ……ちゃんと起きてる」


「今、絶対寝起きだろ」


「起きてる、という事実が重要」


(理屈が強い)


少し進んだところで、早速モンスターと遭遇。


黒い体毛、ねじれた角、突進タイプ。

見覚えがある。

嫌な記憶も、セットでついてくる。


「……あー、こいつ」


コユキが一歩だけ前に出て、敵をじっと見た。

ほんの一瞬、空気が引き締まる。――それだけ。


解析眼(アナライズ・サイト)


一拍。


「爆発属性。倒した瞬間、周囲に爆ぜる霧を撒く。近接で落とすと、こっちが巻き込まれる」


「うわ、最悪」


「だから今日は、距離。徹底」


コユキが尻尾をふわっと揺らした。


「知ってる敵でも全部鑑定。もう変なスキルは拾わない。決めたから」


……その顔が、妙に決意に満ちていて、少し笑ってしまう。


実際、これまでにも地雷は山ほどあった。

自爆するだけのやつ。

毒を撒き散らし続けるやつ。

そもそも身体そのものが“腐食スキル”みたいなやつ。


コユキの《模写捕食(ミミック・イーター)》は強い。

でも、強いからこそ――“何を掴むか”で、こっちが大変なことになる。

それが常時発動型だったら、洒落にならない。


「……慎重なの、正しいよ」


「でしょ」


──そして、今日の僕の検証も同じだ。


影移動(シャドウ・シフト)》は封印。

コユキの発動型の共有スキルも封印。

“自分の手札だけ”で、どこまでいけるか。


主軸は二つ。


空間斬糸(スペース・スレッド)

黒想鋳具アーマメント・フォージ


「……よし、やってみるか」


突進してくる瞬間に、腕を横に払う。


空間斬糸(スペース・スレッド)


空気が、短く裂けた。

敵が、スローモーションみたいに崩れた。


(……今のは綺麗に入った)


次。横幅広めのトカゲ型。


黒想鋳具アーマメント・フォージ


黒い魔力が腕にまとわりつき、形がハンマーになる。

そのまま、カチ上げ。


「……よし」


トカゲが吹っ飛んで、床にめり込んだ。


(影移動なしでも、いける。いけるけど……)


正面突破は、疲れる。

当たり前だけど、誤魔化しが効かない。


横でコユキが、うんうんと頷いていた。


「うん。危なっかしい。見てるだけでも疲れる」


「お前、それ言う資格ある?」


「ある。今日は“安全管理者”」


(言い方が仕事)


でも、見てくれていると思うと、雑にならない。

──雑になったら死ぬ階層を、一昨日やったばかりだ。


そのまま41階を踏破。

勢いで42階も押し切った。


終わった瞬間、息が抜ける。


(……疲れた。けど、検証して対策を講じるのは嫌じゃない)


共有に頼らず、手順で勝った。

地味だけど、確実。


帰りの電車。

座席に沈み込んで、明日の予定を思い出す。


(水曜。政府施設で九条さんと面会)


「紹介したい人がいる」

──この一言が、嫌な予感しかしない。


(保険、打っとくか)


スマホで有給申請をひとつ。木曜を空ける。


……でも、指を離す前に、今日の午前中がよぎった。

部下からの設計相談。

レビューの詰まり。

営業からの新規案件の火急の確認。

“ちょっとだけ”のはずの会話が、全部、地味に重いやつ。


(木曜、丸一日抜けて……回るか?)


頭の中で、タスクを棚卸しする。

止められないものと、止めてもいいもの。

僕がいないと詰むものと、任せていいもの。


……結論。

“回る”。ただし条件付きだ。


(明日の午前中で、やり切る)


相談の返しを出し切ってボールを相手側にする。

詰まりを潰す。

優先順位を揃える。

木曜の不在でも回るところまで持っていく。


そして、明日の政府施設で何もなければ潜ればいい。

何かあっても動ける。


上司に打ち明けたぶん、こういう有給申請が少しだけ楽になった。

“言えないストレス”って、思ってたより重い。


帰宅。

風呂を沸かさず、今日はシャワーでいい。


全身の汗と埃を流すと、ようやく日常に戻ってくる。


「ふぅ……」


リビングに出た瞬間、スパイスの匂いが鼻をくすぐった。

コンロの上に鍋。保温の弱火。――ディアだ。


(……カレー、作ってくれてたのか)


温め直すだけでいいって、ありがたすぎる。

皿に盛って、ソファに沈む。


そのとき、軽い気配が肩に落ちた。


ミニチュアのディアがブレスレットから出て、肩に乗った。

髪の匂いが、ふわっと近い。


「おかえり、秀人」


「ただいま。……カレー、ありがとう」


「どういたしまして」


ディアは少しだけ得意げに、続けた。


「それと、報告。スーラ――94階で、ちゃんと頑張ってるわ」


「……頑張ってる、って何を」


「ふふ、内緒。怖がらずに、ちゃんとついてきてるのよ」


……その笑い方、だめだ。

絶対に“言わない”を楽しんでる。


「まさか、料理中にゴミ箱代わり――」


「失礼ね。料理はこっちで私がやったわ。スーラは別件。……だから内緒」


「はいはい。内緒ね」


追及したら、たぶん面倒になる。

ここは素直に引くのが正解だ。


ディアは満足そうに頷いて、肩の上で小さく脚を揃えた。


「冷めるわよ。食べなさい」


「いただきます」


一口。

あったかい。ちゃんと、身体の中が戻ってくる味。


ディアはそれを確認したみたいに、ふわりとブレスレットへ戻った。

残るのは、まだ少しだけ甘い香り。


僕はもう一口食べてから、スマホを手に取る。


(……さて、世間はどうなってる)


何気なくSNSを開いて、固まった。


《帰還者5人、最強パーティ結成へ──山田玲央が語る“次のステージ”》


「……は?」


記事を開くと、キメ顔の山田。

派手な演出、派手な言葉、派手なノリ。

横には知らない若手っぽい男女が数人。


「……派手に出たな。大丈夫か、これ」


メディア映えはする。

でも、動きが派手だと、規制も派手になる。


(頼むから、巻き添えはやめてくれよ……)


スマホを伏せて、ソファの背に沈む。


静かな夜。

だけど今日という一日は、少しだけ違った。


上司に“今の自分”を話せたこと。

それが、心を軽くしていた。


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