063話『再起の月曜、再鍛の夜』
──朝。
カーテン越しの光で、目覚ましより先に目が覚めた。
(……体は動く。なのに、頭が起きてこない)
昨日まで40階まで潜ってたんだ。
そりゃ切り替えも遅れる。
ベッドを出て、コーヒーを淹れて、身支度して、PCの前へ。
「……昨日までダンジョンにいたのに、朝から仕事してる僕、えらい」
誰も褒めないので、自分で言う。
今日は在宅勤務。
ほんとに助かった。
午前中はメール処理、資料確認、報告会。
画面の文字を追っているうちに、じわじわ“会社モード”に戻っていく。
――そして、WEB会議の終盤。
「明日、大阪に行く予定があるんだけど、君も出社できる?」
画面の向こうの上司が、さらっと言った。
僕は一瞬だけ止まって、それでも口は勝手に動く。
「はい。問題ありません。明日は、出社します」
社会人はフレキシブル。
というか、フレキシブルでないと生き残れない。
午後。
進捗報告を投げて、一息。
……やっぱり、頭が重い。
体力じゃない。
“まだ休ませてくれ”って気持ちが、ずっと訴えてくる。
「今日は、お休みデーにするか……」
小声で宣言して、PCを閉じる。
背もたれに預けて、深く息を吐く。
「賛成よ」
いつの間にか、ミニチュアのディアが棚の縁に座っていた。
脚を揃えて、こっちを見てくる。
「無理をすると、また技能共有結が乱れるわ。今日は休息にしましょ」
「……休息。いい響きだな」
「でしょ?」
ディアは小さく笑って、少しだけ真面目な目になる。
「それと、スーラの件でひとつ。少しの間だけ、94階層で……私の本体のそばに置いておきたいの」
「ん?なんで?」
「可能性を感じたから。試したいことがあるのよ。もちろん危険なことはさせない。あの子の意思も、確認済み」
36階で契約しようとしたとき、ディアは言った。
「あなたが責任を持ちなさいね。私は知らないわよ?」――まだ覚えてる。
でも――ここで言い返せば、たぶん面倒になる。
だから、言葉は飲み込んで頷いた。
「わかった。夜にみんなで94階へ行こう」
「ありがとう、秀人」
その一音だけで、空気が少し緩むからずるい。
午後は、軽い家事で“生活”を取り戻す。
洗濯機を回して、掃除機をかけて、シンク周りを磨く。
(こういうの、効くんだよな)
整えるって行為は、精神の呼吸になる。
作業部屋に移って、テーブルの端末を手に取る。
ゲート内でこまめに録音していた、各階層のボイスメモ。
提出用にまとめるため、AIに処理を投げた。
「……21階から40階まで。録音ファイルの結合と要約、お願い」
端末が低く起動音を鳴らし、解析が走る。
音声からテキスト、タグ分類、重要キーワード抽出。
数秒で進捗バーが伸びていく。
(ほんと、便利な時代だよな……)
僕が現場で“喋って残した”分だけ、あとが楽になる。
仕事も同じ。ログは裏切らない。
処理完了を確認して、端末をスリープへ。
「……今日はここまででいいか」
ソファに腰を下ろして、久々にニュースとSNSを開いた。
情報の海から、丸四日離れていた。
(さて……世間はどうなってる?)
まず目に入ったのは、新宿ゲートの到達階層。
「……16階まで行ったのか」
前回見たときは14階だったはず。
着実に進んでる。
さらにスクロールして、目に止まった見出し。
「アメリカ、20階クリア……中国も20階達成……か」
速い。
人も資源も、投入してる規模が違う。
――もっとも、僕みたいに情報を“隠してる”国があっても、おかしくはない。
そして、もうひとつ。
≪本日、海外6ヶ所でスタンピード発生。各国、対応に追われる≫
「……スタンピード」
日付を見る。
小型ゲート発生から、ちょうど――37日目。
(……やっぱり、この日なんだな)
日本は、今のところ何も起きていない。
スマホを置いて、息を吐く。
「……よかった」
背もたれに沈んだ。
夕方。
空腹がふわっと顔を出した頃、キッチンから香ばしい匂いがした。
「……いい匂い」
吸い寄せられるようにダイニングへ行くと――
「……ああ」
ディアがエプロン姿で、フライパンを振っていた。
ミニチュアじゃない。
通常サイズだ。
動きが妙に様になってる。
その横。
調理台の上に、ちょこんとスーラ。
そして――
「……なにその連携」
ディアが人参の皮をむく。
皮が落ちる前に、スーラがぺちん、と触れて溶かす。
プラ容器、卵の殻、包装ビニール。
全部、スーラが無言で分解していく。
(なるほど。“可能性”ってこれか)
便利だ。
便利だけど――
(36階ボスの使い方が、それでいいのか?)
「……見なかったことにしよう」
そっと後ずさりして、リビングへ引き返す。
ツッコミを入れたら負けな気がした。
夕食後。
「そろそろ、スーラにも拠点を見せましょうか」
ディアが言って、僕らは94階へ移動する。
城に入ると、スーラはきょとんとしながら壁沿いにのそのそと進む。
金属の装飾の前で止まり、じっと眺めて、ぷにっと震えた。
「ふふ。かわいい。ああ見えて、学習能力も高いのよ」
ディアの声が上機嫌だ。
僕はふと、40階のボス戦を思い出していた。
「……やっぱりさ。技能共有結って、切れる時は切れるんだな」
慣れたら呼吸みたいに当たり前になってた。
寝てる間だって繋がってる。
それが戦闘中、あの痛みと動揺で――ふっと途切れた。
「不安、出てきた?」
ディアの問いに、僕は一瞬だけ黙って頷く。
「なら、訓練しましょうか。例えば私が日々ストレスを与えて、耐性を――」
「やめて。壊れる。僕が完全に壊れる」
即答だった。
ガチでノータイムだった。
コユキが、腹の底から楽しそうに笑う。
ディアは頬を軽く膨らませる。
「……冗談よ。半分」
「半分でも怖い」
僕は深く息を吐いて、考えを切り替えた。
「切れない環境づくり。切れた時の手順。あと――自分のスキルだけで最低限戦える形」
「現実的」
コユキが頷く。
ディアも腕を組み、微笑む。
「じゃあ、まずは黒想鋳具ね」
「うん。今の僕の“武器”だ」
掌に意識を集める。
黒い金属みたいな魔力が腕にまとわりつき、形を作り始めた。
「黒想鋳具」
短剣。片手剣。槍。
形は、思ったより素直に立ち上がる。
そして――慣れた形。
「……バット」
金属バット。
僕の相棒だったやつ。
黒い“意志の武器”が、同じ輪郭で固まる。
一拍。
コユキが、じっとそれを見てから言った。
「……なんでそこでバットなの」
「僕の手が勝手に」
「本来、バットは武器じゃないよ。スポーツ用品」
「知ってるよ。けど、僕にとっては武器だったんだよ」
ディアが口元を押さえて、くすっと笑う。
「……あなたらしいわ。いちばん握り慣れたものを、真っ先に選ぶのね」
「でしょ。――よし、次」
僕はバットを霧みたいにほどいて、もう一度、意識を絞る。
剣。ナイフ。トンファー。ハンマー。
形を変えるたび、黒い魔力が“型”を覚えていく。
「……うん。だいぶ安定してきた」
ディアが指先を軽く振る。
「じゃあ、試し斬りの相手を出すわね。安心して。痛くない子よ」
「痛くない子って何……?」
紅い霧と黒い魔力が絡んで、床の上に湿った輪郭が立ち上がった。
――ちびワーウルフみたいなやつ。
眠たそうな顔。
動きもゆるい。
「ぬいぐるみ感あるな……」
黒想鋳具を片手剣にして、一閃。
黒い刃が、空気を裂いた。
ちびワーウルフは、霧みたいに散った。
「……いける。ちゃんと当たるし、斬れる」
「魔力の流れも安定してる。動作も悪くない」
コユキの分析が、妙にプロっぽい。
プレッシャーが増す。
その後も、剣、槍、ハンマー……形を変えながら数体を相手に繰り返す。
最後に息を吐いて、僕は肩を回した。
「よし。今日はここまで。……いい練習になった」
「ええ。継続が大事よ」
「継続は正義」
コユキが頷く。
──帰る前に、スーラをディアの城に置いていく。
アイスブルー色のゼリーみたいな体が、ぷるん、と小さく揺れて、床の装飾の影へゆっくり溶けるように寄っていった。
「……頑張るんだぞ」
スーラは一度だけ、ぺちん、と軽く跳ねてみせる。
その仕草が、返事みたいで――僕はそれ以上言わなかった。
帰宅して、汗を流す。
熱いシャワーは、身体じゃなく頭の奥に効く。
湯気に包まれると、現実と非現実の境目が少しだけ滑らかになる。
ベッドに潜り込んで、スマホのカレンダーを見る。
「……そうだ、明日は出社だった」
それから、ふと思う。
「午後から、新大阪ゲートにも行けるな」
日常と非日常が、交互に来る。
でも――一人じゃない。
「……また、潜るか」
小さく呟いて、目を閉じた。




