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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第六章:仮面の告発者

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063話『再起の月曜、再鍛の夜』

──朝。

カーテン越しの光で、目覚ましより先に目が覚めた。


(……体は動く。なのに、頭が起きてこない)


昨日まで40階まで潜ってたんだ。

そりゃ切り替えも遅れる。


ベッドを出て、コーヒーを淹れて、身支度して、PCの前へ。


「……昨日までダンジョンにいたのに、朝から仕事してる僕、えらい」


誰も褒めないので、自分で言う。

今日は在宅勤務。

ほんとに助かった。


午前中はメール処理、資料確認、報告会。

画面の文字を追っているうちに、じわじわ“会社モード”に戻っていく。


――そして、WEB会議の終盤。


「明日、大阪に行く予定があるんだけど、君も出社できる?」


画面の向こうの上司が、さらっと言った。

僕は一瞬だけ止まって、それでも口は勝手に動く。


「はい。問題ありません。明日は、出社します」


社会人はフレキシブル。

というか、フレキシブルでないと生き残れない。


午後。

進捗報告を投げて、一息。


……やっぱり、頭が重い。

体力じゃない。

“まだ休ませてくれ”って気持ちが、ずっと訴えてくる。


「今日は、お休みデーにするか……」


小声で宣言して、PCを閉じる。


背もたれに預けて、深く息を吐く。


「賛成よ」


いつの間にか、ミニチュアのディアが棚の縁に座っていた。

脚を揃えて、こっちを見てくる。


「無理をすると、また技能共有結(コードリンク)が乱れるわ。今日は休息にしましょ」


「……休息。いい響きだな」


「でしょ?」


ディアは小さく笑って、少しだけ真面目な目になる。


「それと、スーラの件でひとつ。少しの間だけ、94階層で……私の本体のそばに置いておきたいの」


「ん?なんで?」


「可能性を感じたから。試したいことがあるのよ。もちろん危険なことはさせない。あの子の意思も、確認済み」


36階で契約しようとしたとき、ディアは言った。

「あなたが責任を持ちなさいね。私は知らないわよ?」――まだ覚えてる。

でも――ここで言い返せば、たぶん面倒になる。

だから、言葉は飲み込んで頷いた。


「わかった。夜にみんなで94階へ行こう」


「ありがとう、秀人」


その一音だけで、空気が少し緩むからずるい。


午後は、軽い家事で“生活”を取り戻す。

洗濯機を回して、掃除機をかけて、シンク周りを磨く。


(こういうの、効くんだよな)


整えるって行為は、精神の呼吸になる。


作業部屋に移って、テーブルの端末を手に取る。

ゲート内でこまめに録音していた、各階層のボイスメモ。

提出用にまとめるため、AIに処理を投げた。


「……21階から40階まで。録音ファイルの結合と要約、お願い」


端末が低く起動音を鳴らし、解析が走る。

音声からテキスト、タグ分類、重要キーワード抽出。

数秒で進捗バーが伸びていく。


(ほんと、便利な時代だよな……)


僕が現場で“喋って残した”分だけ、あとが楽になる。

仕事も同じ。ログは裏切らない。


処理完了を確認して、端末をスリープへ。


「……今日はここまででいいか」


ソファに腰を下ろして、久々にニュースとSNSを開いた。

情報の海から、丸四日離れていた。


(さて……世間はどうなってる?)


まず目に入ったのは、新宿ゲートの到達階層。


「……16階まで行ったのか」


前回見たときは14階だったはず。

着実に進んでる。


さらにスクロールして、目に止まった見出し。


「アメリカ、20階クリア……中国も20階達成……か」


速い。

人も資源も、投入してる規模が違う。

――もっとも、僕みたいに情報を“隠してる”国があっても、おかしくはない。


そして、もうひとつ。


≪本日、海外6ヶ所でスタンピード発生。各国、対応に追われる≫


「……スタンピード」


日付を見る。

小型ゲート発生から、ちょうど――37日目。


(……やっぱり、この日なんだな)


日本は、今のところ何も起きていない。

スマホを置いて、息を吐く。


「……よかった」


背もたれに沈んだ。


夕方。

空腹がふわっと顔を出した頃、キッチンから香ばしい匂いがした。


「……いい匂い」


吸い寄せられるようにダイニングへ行くと――


「……ああ」


ディアがエプロン姿で、フライパンを振っていた。

ミニチュアじゃない。

通常サイズだ。

動きが妙に様になってる。


その横。

調理台の上に、ちょこんとスーラ。


そして――


「……なにその連携」


ディアが人参の皮をむく。

皮が落ちる前に、スーラがぺちん、と触れて溶かす。


プラ容器、卵の殻、包装ビニール。

全部、スーラが無言で分解していく。


(なるほど。“可能性”ってこれか)


便利だ。

便利だけど――


(36階ボスの使い方が、それでいいのか?)


「……見なかったことにしよう」


そっと後ずさりして、リビングへ引き返す。

ツッコミを入れたら負けな気がした。


夕食後。


「そろそろ、スーラにも拠点を見せましょうか」


ディアが言って、僕らは94階へ移動する。


城に入ると、スーラはきょとんとしながら壁沿いにのそのそと進む。

金属の装飾の前で止まり、じっと眺めて、ぷにっと震えた。


「ふふ。かわいい。ああ見えて、学習能力も高いのよ」


ディアの声が上機嫌だ。

僕はふと、40階のボス戦を思い出していた。


「……やっぱりさ。技能共有結(コードリンク)って、切れる時は切れるんだな」


慣れたら呼吸みたいに当たり前になってた。

寝てる間だって繋がってる。

それが戦闘中、あの痛みと動揺で――ふっと途切れた。


「不安、出てきた?」


ディアの問いに、僕は一瞬だけ黙って頷く。


「なら、訓練しましょうか。例えば私が日々ストレスを与えて、耐性を――」


「やめて。壊れる。僕が完全に壊れる」


即答だった。

ガチでノータイムだった。


コユキが、腹の底から楽しそうに笑う。

ディアは頬を軽く膨らませる。


「……冗談よ。半分」


「半分でも怖い」


僕は深く息を吐いて、考えを切り替えた。


「切れない環境づくり。切れた時の手順。あと――自分のスキルだけで最低限戦える形」


「現実的」


コユキが頷く。

ディアも腕を組み、微笑む。


「じゃあ、まずは黒想鋳具アーマメント・フォージね」


「うん。今の僕の“武器”だ」


掌に意識を集める。

黒い金属みたいな魔力が腕にまとわりつき、形を作り始めた。


黒想鋳具アーマメント・フォージ


短剣。片手剣。槍。

形は、思ったより素直に立ち上がる。


そして――慣れた形。


「……バット」


金属バット。

僕の相棒だったやつ。

黒い“意志の武器”が、同じ輪郭で固まる。


一拍。


コユキが、じっとそれを見てから言った。


「……なんでそこでバットなの」


「僕の手が勝手に」


「本来、バットは武器じゃないよ。スポーツ用品」


「知ってるよ。けど、僕にとっては武器だったんだよ」


ディアが口元を押さえて、くすっと笑う。


「……あなたらしいわ。いちばん握り慣れたものを、真っ先に選ぶのね」


「でしょ。――よし、次」


僕はバットを霧みたいにほどいて、もう一度、意識を絞る。


剣。ナイフ。トンファー。ハンマー。

形を変えるたび、黒い魔力が“型”を覚えていく。


「……うん。だいぶ安定してきた」


ディアが指先を軽く振る。


「じゃあ、試し斬りの相手を出すわね。安心して。痛くない子よ」


「痛くない子って何……?」


紅い霧と黒い魔力が絡んで、床の上に湿った輪郭が立ち上がった。

――ちびワーウルフみたいなやつ。

眠たそうな顔。

動きもゆるい。


「ぬいぐるみ感あるな……」


黒想鋳具アーマメント・フォージを片手剣にして、一閃。


黒い刃が、空気を裂いた。

ちびワーウルフは、霧みたいに散った。


「……いける。ちゃんと当たるし、斬れる」


「魔力の流れも安定してる。動作も悪くない」


コユキの分析が、妙にプロっぽい。

プレッシャーが増す。


その後も、剣、槍、ハンマー……形を変えながら数体を相手に繰り返す。


最後に息を吐いて、僕は肩を回した。


「よし。今日はここまで。……いい練習になった」


「ええ。継続が大事よ」


「継続は正義」


コユキが頷く。


──帰る前に、スーラをディアの城に置いていく。

アイスブルー色のゼリーみたいな体が、ぷるん、と小さく揺れて、床の装飾の影へゆっくり溶けるように寄っていった。


「……頑張るんだぞ」


スーラは一度だけ、ぺちん、と軽く跳ねてみせる。

その仕草が、返事みたいで――僕はそれ以上言わなかった。


帰宅して、汗を流す。

熱いシャワーは、身体じゃなく頭の奥に効く。

湯気に包まれると、現実と非現実の境目が少しだけ滑らかになる。


ベッドに潜り込んで、スマホのカレンダーを見る。


「……そうだ、明日は出社だった」


それから、ふと思う。


「午後から、新大阪ゲートにも行けるな」


日常と非日常が、交互に来る。

でも――一人じゃない。


「……また、潜るか」


小さく呟いて、目を閉じた。


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