061話『帰還と、湯気の現実』
「……帰ろう」
言葉は短くした。
余計なことを言うと、また引きずる気がしたから。
コユキが尻尾を一度だけ揺らす。
「うん。今日は十分。……時間があってもこれ以上やると、判断が鈍る」
ディアも、いつもの柔らかい声で頷く。
「賛成よ。目標は達成したんだし、ここで欲張らない。……あなた、ちゃんと戻ってきたんだもの」
その“戻ってきた”が、胸に刺さる。
僕は頷くだけで返して、転送陣でなく帰還ゲートへ向かって歩き出した。
右腕のスーラが、ひんやりと寄ってくる。
ぷに、と小さな振動。
――大丈夫、とでも言うみたいに。
「私はブレスレットに戻るわね。また……お家で」
ミニチュアのディアがふわりと浮かび、ブレスレットへ滑り込む。淡い光が収まり、気配だけが残る。
「じゃ、先に」
コユキも短く言い残し、影の縁へ溶けた。
スーラもついていくように、ぴょん、と跳ねて影へ――。
──転送陣を抜けた先で、顔なじみの隊員さんが目を丸くする。
「今回は……本当に長かったですね」
「ええ。さすがに疲れました。今日は大人しく帰って寝ます」
身体は平気だ。
問題は、神経のほうだった。
終わった途端に、どっと疲れがやってくる。
着替えを済ませ、汗を拭き、施設をあとにする。
新大阪のホームの雑踏が、やけに現実っぽくて眩しかった。
電車のシートに沈み込む。
視界がゆっくり遠のいて――
『秀人、次で降りるわよ』
柔らかく、少し申し訳なさそうなディアの念話が、意識を引き戻した。
「……助かった」
ふらつきながら玄関を開けて、ただいまを小さく言う。
(……やっぱり家は、空気が違う)
まず浴室へ。
言葉にしない。
(――やっと、シャワーだ)
身体を温水で洗い流した瞬間、肺の奥まで息が入った。
皮膚の上から、ゲートの湿り気と緊張が一枚ずつ剥がれていく。
“戻ってきた”って、こういうところで実感する。
「三時間だけ、寝る。起こして欲しい」
返事はない。
でも、いる。
それだけで十分だった。
「……ん」
鼻先に、やわらかな感触。
コユキの肉球が、軽く、正確に、起床ボタンみたいに押してきた。
「時間。三時間、きっちり」
「ありがとう……相変わらず正確すぎる」
「ズレると、秀人は一気にだらけるでしょ」
「……だらけるって言うな」
「だらける。目も死ぬ。口も半開き」
「具体的に言うな!」
言い返そうとして、ふと違和感に気づく。
コユキの毛並みが、妙にふわっとしている。
艶が戻って、白が白い。
耳の裏まで、きれいに整っていた。
「……コユキ、風呂入ったか?」
「……秀人が寝てる間に、影から出て浴室借りた。空いてたし」
鼻先に、石けんの匂いが残っていた。
僕は笑って、リビングへ。
「改めて……ありがとな。それと――スーラ、ようこそ」
影の縁から、スーラがぷるん、と現れる。
ソファの前まで跳ねて、嬉しそうに震えた。
テーブルの端にちょこんと乗って、こっちを見る。
(……新しいメンバーが増えた、ってことか)
ディアが通常サイズで現れ、カップを置いた。
髪の香りがふわりと混ざって、部屋が静かに整う。
「じゃあ、今回の成果、まとめましょうか。あなた、こういうの好きでしょう?」
「好きというか……仕事の癖だな。やったことは棚卸ししないと落ち着かない」
「だよね」
コユキが当然みたいに頷いた。
ソファに背を預けて、息を吐く。
「僕は……レベル、51から53」
「うん。想定より上がってる。戦闘回数が多かったしね」
“褒める”というより“事実”。
その言い方が、逆に頼もしい。
「それと、40階クリア報酬の……三つ目のスキル」
僕は右手を開く。
掌に漆黒の魔力を集め、意識を注ぐ。
形が立ち上がる。
槍――いや、いまは槍の形にしただけだ。
「黒想鋳具」
黒い槍が、掌の上で静かに脈動する。
「魔力から“意志の武器”を鋳造する。形状はイメージ次第で変えられるし、出し入れも速い」
「うわ。……また物騒なの手に入れたね」
コユキがじっと槍を見つめ、目を細めた。
「それ、ディアの影響あるでしょ。色も質感も、なんかディアの幻影の槍っぽい」
「……言われると、否定しづらいな」
ディアが口元を隠して、小さく笑う。
「あなたの“イメージ”で出てくるなら、半分はあなたの色よ。……でも、影響があるのは当然よ。血の契約と|魂縛契約で、混ざってるんだもの」
「混ざってる、って言い方」
「嫌?」
「嫌じゃない。むしろ――頼りになる」
ディアは一瞬だけ目を丸くして、すぐにいつもの顔に戻った。
……契約の影響があるのは、たぶん事実だろう。
けれど同時に、タイミングが出来すぎてもいる。
金属バットの見直しを考え始めた矢先に、“意志の武器”を鋳造するスキルが手に入った。
しかも直前に、腹を貫く幻影として刻まれた“槍”のイメージまで残っている。
――偶然にしては、妙に噛み合う。
(もしかして、スキルって……本人の適性や願望に引っ張られて形を取るんじゃないか)
そう考えると、技能共有結も説明がつく。
会社と家の往復、独り身、同じ日々。
――僕はたぶん、気づかないふりをして“信頼できる誰かと、同じ場所で苦楽を分け合える繋がり”を欲しがっていた気がする。
(考えるのは後でいい)
「……ふふ。じゃあ、その武器の使い方は、あとで“事故らない範囲”で試しましょう」
「はい、先生」
コユキが鼻で笑った。
「先生役、増えた」
「あなたもよ、コユキ」
「じゃあ、ボクはブレーキ役。二人が暴走したら止める」
「ツッコミ担当ね」
噛み合ってるのに、どこか張り合ってる。
この感じが、いつもの僕らだ。




