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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第五章:共に在る戦場と日常

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058話『巡る癒しと、限界のバット』

朝、6時半。

結界の中は、ダンジョンとは思えないほど穏やかだった。


「……よく寝た。寝たけど……シャワーないの、地味にきついな」


汗の残り方が、思考より先に心を削る。

濡れタオルで拭いても“応急処置”でしかない。


「体を一瞬で清潔にしてくれるスキルとか、ないのかな……」


「ないものはない。……現実的にいこう、秀人」


朝から容赦ない。


ディアが紅茶をひと口含んでから、楽しそうに言う。


「ふふ。もし“潔癖すぎるモンスター”がいたら……そういうスキルを持ってるかもしれないわね」


僕の本気に、二人がくすりと笑った――が。


ディアはカップを置くと、少しだけ表情を改めた。


「……ちなみに。似たことは、私なら“できなくはない”わ」


「たしかに……ディアなら何でもできそう」


「浄化に近い術式なら、汗や臭いを薄くする程度はできるわ。……でも」


ディアの視線が、まっすぐ刺さる。


「それを当たり前にしないで。ここはあなたとコユキが“自力で回す”練習の場でもあるの。私のサポートは最低限よ」


コユキも淡々と続けた。


「ディアが全部やると、秀人の判断が鈍る。依存は、あとで致命傷になる」


「……言い方」


「事実」


「ふふ。必要なときは手を出すわ。でも“快適”を先に配るのは違う。今は――泥臭くいきましょう」


……分かってる。

最初から誰かの手で整えてもらうと、自分で回す力が育たない。

自走できる状態を作るのが先。

仕事も同じだ。


「了解。じゃあ、濡れタオルで我慢します」


「うん。それで十分」


「良い子ね」


朝食を済ませて、探索を再開する。


28階は湿地帯みたいな構造で、足場が悪い。

腐った草の匂い、ぬかるみの吸い付く感触。

毒属性の気配も濃い。


でも、耐性が揃っている今の僕らなら、致命傷にはなりにくい。


「……あれは?」


透明な外殻、淡い緑のコア。

精霊みたいに浮かぶ、美しい“何か”。


敵意を剥き出しにはしていない。

だからこそ、嫌な予感がした。


「可愛い。……でも、厄介そう」


戦闘が始まると、予感は当たった。


そのモンスターは癒律の精霊、ヒール・エコー。

仲間を呼び、回復支援で戦線を延命するタイプだ。

放置すると、いつまでも終わらない。


視界に映る数は増える。

湿った空気が、回復の光をやけに鮮やかに反射する。

そして――回復の“間”が、こちらの攻撃の“間”を奪っていく。


判断は一つだった。


僕が射線をずらし、コユキが影から滑るように距離を詰める。

ディアの声が短く、冷える。


最後は――コユキが、影から滑るように距離を詰めた。


「回復の核を落として。周辺は私が押さえる」


刹那。

コユキの口元が、ほんの少しだけ吊り上がった。


「──模写捕食(ミミック・イーター)、完了」


次の瞬間、淡い緑の光がコユキの足元に細く流れた。


「新スキル。癒泉導脈(リジェネレーター)


「……来たか」


声が漏れる。

回復自体なら、癒光循環(ヒールライト)もある。

ディアから借りてる再生(リジェネ)だってある。


それでも――これは違う。


でも、これは“違う”。


「一定時間、回復を“流し続ける”タイプ。範囲支援。ボクも対象」


「つまり――戦いながら周りを回復し続けられる、ってことだな」


コユキが短く頷く。


今は三人だけで回っている。

でももし、護衛対象が複数いたら。

救出が絡んだら。

後衛を守りながら押し切る必要が出たら。


効くのは、“自分だけ助かる手段”じゃない。

戦線全体を底上げできる、こういうスキルだ。


(何事も、想定してるかどうかで結果が変わる。備えは、臆病じゃなくて“仕事ができる”ってことだ)


コユキの尻尾が、ぴこっと跳ねた。


「……役に立つスキルでしょ?」


「うん。十分すぎるくらい」


勢いのまま30階も突破。

時刻はちょうど昼。


「ここでランチにしよう」


転送陣の前で腰を下ろし、温めたスープ付きの食事を広げる。


「……ディア、料理の完成度が上がりすぎてない?」


「必要だからやってるだけ。……それに、あなたが“食べられる顔”をするの、嫌いじゃない」


さらっと言うのがずるい。

僕は視線を逸らして、スプーンを動かした。


午後も順調に進む。31階、32階。

罠の類はスキルとコユキの直感で回避し、立ち回りに余裕がある。


33階クリアは19時過ぎ。


転送陣の前で座り込む僕に、コユキが近づいてくる。


「……このまま、いっきに35階まで行けそう?」


「疲れてはいるけど、まだいける」


ディアが口を挟む。柔らかいのに、芯がある。


「でも、欲張りすぎは禁物よ。夕食を挟んで一度整えましょう。その後は……1、2階で今日は終わり。いい?」


「……了解。腹ごしらえ、しよう」


影から取り出した食事を広げるだけなのに、妙に“遠征感”が出る。


「こうして影に保存できるの、ほんと便利だな」


「便利だけど無限じゃないよ。劣化しないわけでもない。管理が必要」


「うん。その管理、すでに誰かがやってくれてるけど」


「……雑に丸投げしないで?」


ディアの小さな睨み。

僕は笑って箸を動かした。


34階はボス階層。


派手な苦戦はなかったけど、油断すれば噛まれる。

そういう強さだった。


足音の反響、呼吸の乱れ、武器が擦れる音。

集中が薄れた瞬間に、相手の間合いに入る。


(勝てる。だけど、勝てるからこそ危ない。“慣れ”が一番の敵だ)


一度だけ、ディアが結界をはって立て直す場面があったが、最終的には僕たちの連携勝ちだった。


そして35階。


敵が“武器”を持っていた。

動きは単調でも、当たれば痛い。

痛いだけじゃない。

崩れる。


(……こっちは相変わらず、金属バット一本。空間斬糸(スペース・スレッド)を覚えても、結局いま殴るのはこれだ)


金属がぶつかる音が、やけに乾いて響く。

受け止めるたび、手のひらに痺れが残った。


コユキが敵の得物を見て、尻尾を揺らす。


「秀人の金属バット、そろそろ限界じゃない?変えてもいいと思う」


「だよな。いまは根性で振ってるだけだし……折れる前に考えたい」


ディアが淡く笑って、釘を刺すように言う。


「“根性”は最後の保険よ。装備は、先に整えるもの。……帰ったら、ちゃんと見直しましょう」


淡々と会話しながら、必要な判断だけを積み重ねる。


時刻は23時48分。


「……今日は、ここまで」


「正解。疲労は思考の敵だよ」


「結界、張るわね」


結界が広がり、空間がふっと静まった。


装備を外しながら、僕は小さく息を吐く。


「……体の拭き取りしてから寝よう」


濡れタオルで首筋を拭いた瞬間、逆に現実が刺さった。


「……でもさ。やっぱ風呂ないの、地味にきついな……」


コユキが、三本の尻尾をぴっと揺らす。


「いまさら?秀人、文明の恩恵に甘やかされすぎ」


「否定できないけど!汗のベタつきがさ、精神を削るんだよ」


ディアがくすっと笑い、わざとらしく肩をすくめた。


「ふふ。潔癖ね。……でも分かるわ。睡眠の質、落ちるもの」


「だろ?こう……“回復した感”が足りない」


「なら、明日も生き残って帰ること。お風呂はその報酬よ」


「報酬制か……」


「当然」


コユキが淡々と締める。


「文句言えるうちは余裕。はい、寝る」


「はいはい」


寝袋に潜り込む。


「おやすみ、二人とも」


「おやすみなさい、秀人」


「おやすみー」


結界の内側は、ほんのり温かい。

ダンジョンの冷たさが遠のいていく中で、僕の意識も静かに沈んでいった。


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