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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第五章:共に在る戦場と日常

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057話『招集の予兆、結界の夜』

金曜の朝、新大阪。


カジュアルスーツに袖を通し、いつものオフィスへ向かう。

昨日は在宅だったぶん、気持ちはまだ軽い――はずなのに。


(通勤って、体力というより“気力”を削るんだよな)


午前中の仕事は、特別なこともなく淡々と進んだ。

午後から半休。

今日は“潜る”日だ。


昼休憩が入ってすぐ、スマホが震えた。


【九条:4月12日(水)、会わせたい人がいる。政府施設に来られるか】


……嫌な文面だ。


会わせたい人。

水曜日。

政府施設。


ろくな予感がしない。


(政治絡みとか、肩書きだけで空気が重くなる相手とか。ああいうのは、会話より前に疲れる)


とはいえ放置はできない。

深呼吸ひとつして、指を動かす。


【14時以降であれば伺えます。なおこれから日曜夜まで、ゲート滞在が長くなるため連絡が取りづらくなります】


“潜る”前の、最低限の根回し。

ゲート内では通信が入らない。

即応はできないと、先に伝える。


しばらくして、スマホが再び震えた。


【九条:水曜日、15時半に来てもらえると助かる。日曜夜まで連絡がつかない件も了解した】


……やっぱり、そうなるよな。

結局は一度、顔を出さないと済まない。


【承知しました】だけ返し、スマホを伏せた。


(さて。午後はいよいよ本番だ)


14時前。

会社を出て、そのまま新大阪ゲートへ向かう。


金曜から日曜まで、二泊三日。

“何も起きない前提”で動くための長期攻略だ。


施設前には、いつもの隊員さんが立っていた。


「時任さん、今日は……なんだか気合い入ってますね」


「ええ。ちょっと長めです。日曜の夜まで戻らない可能性があるので、そのつもりでお願いします」


隊員さんが一瞬、言葉を失う。


「えっ……そんな長期で。大丈夫ですか?」


「計画的にやります。九条さんにも伝えてありますし、たぶん問題ないはずです」



前に一ノ瀬が戻ってこなくて、外がざわついた。

あの時は結果的に間に合ったけど、危機一髪だった。


でも今回は、そういう話じゃない。

今回は“余計な騒ぎを起こさない”ために、先に伝える。


連絡が薄くて外がざわついたら、確認だの報告だので時間が溶ける。


社会人の段取りって、結局これだ。

「起きてから走る」より、「起きないように先に伝える」。

一言あるだけで、あとから飛んでくる確認や説明といったコストがごっそり減る。


「承知しました。“長期攻略中”として扱います。お気をつけて」


「ありがとうございます」


軽く会釈して、ゲートの渦へ足を踏み入れる。


空気が、ひとつ切り替わる。

視界が揺らぎ、音が遠のいていく。


──新大阪ゲート、21階層。


「……よし」


声にすると、呼吸が整う。


ブレスレットから、ミニチュアのディアがふわりと姿を現す。

涼しい顔で、僕の肩口に視線を置く。


「40階。……焦らず、着実にいきましょう」


影の縁から、コユキの耳がのぞいた。

白い尻尾が三本、わずかに揺れる。


「ボクも準備できてる」


「うん。行こう」


21階から25階までは、正直、快調だった。


敵の圧は少しずつ増している。

湿った空気が肺に重く、遠くで金属が擦れるような鳴き声がする。

それでも、こちらのレベルと連携が上回っていた。


僕が影移動(シャドウ・シフト)で死角へ滑り込み、コユキが認識をずらす。

そこへ空間斬糸(スペース・スレッド)を通す。


視界、足場、退路。

頭の中でチェックが回り続ける。


(崩れるとしたら、“手順”だ。疲労で手順が抜ける。抜けた瞬間に事故になる)


時間視界(クロノ・サイト)を使うまでもない。まだ温存でいい。


技能共有結(コードリンク)も安定してる」


ディアの声は淡々としているのに、どこか満足げだった。


25階を抜けた頃、時計は20時を少し回っていた。

転送陣の前で、自然と足が止まる。


「ここで一回、夕食にしよう。26階に入る前にエネルギー補給」


「賛成。ボクも今のうちに整えたい」


ディアも頷く。


「食事と休息は、戦闘と同じくらい大事よ。判断が鈍るでしょ?」


平坦な石床の広場に腰を下ろす。

戦闘が途切れると、ダンジョンは驚くほど静かだった。


「……しかし、ゲートの中は相変わらず“食の敵”だな」


僕がぼそっと言うと、コユキが軽く鼻を鳴らす。


「魔力汚染が強い。味が良くても、ダンジョン産の植物や肉は身体が拒否する。食べた瞬間に吐いてしまう」


「安全なごはんは……外から持ち込むしかないよな」


「だから昨日、影にぎっしり詰めてくれたでしょ。デザートもある」


少しだけ得意げな言い方に、僕は小さく笑った。


「……僕、恵まれてるな」


「ようやく気づいた?」


「ずっと前から思ってる」


ディアが紅茶をひと口含み、淡く笑う。


食後、26階。


通路は細く、入り組んでいた。落とし穴、傾斜、見えにくい段差。

歩くたびに、石が湿り気を含んで滑る。


ランダムに見えて――違う。


「……誘導性がある。踏ませに来てる」


コユキが首を傾げ、通路の床をじっと見た。


「つまり、ここは“転ばせて笑う係”がいるってこと?」


「悪趣味にもほどがあるな」


「でもほら、人生もさ。油断した瞬間に落とし穴あるじゃん?」


「急に深いこと言うな。あと今は人生じゃなくてダンジョンだ」


ディアが小さく息を吐く。


「罠そのものより、“焦り”を引き出す設計ね。踏ませるための道筋を作ってる」


コユキが真面目な顔に戻り、淡々と続ける。


「焦ると視野が狭くなる。視野が狭くなると確認が雑になる。確認が雑になると事故る。……いつものやつ」


「因果関係を三段活用みたいに言うな。社内研修か」


「分かりやすいでしょ?」


妙に納得してしまうのが悔しい。


通路を進みながら、ふと足が止まる。


「……この地形、どこかで見たことがある」


石の模様。曲がり方。柱の配置。

微妙に違うのに、骨格が同じだ。


「別のゲートの階層でも似た感じがあった。……パーツの使い回し、みたいな」


モンスターもそうだ。

同じ種族を微調整したような個体が、別の階層や別のゲートにもいる。


「上に行けば変わるんだろうけど……低階層は“既知の素材”で組まれてる感じがする」


二人が静かに頷いた。


27階を抜けた頃、時計は24時を回っていた。


「……そろそろ限界じゃない?」


コユキの声は軽い。でも判断は正確だ。


「賛成です。本日はここまでにして、休息を優先しましょう」


「助かる。僕も思ったより汗かいてる」


28階へ続く転送陣の近く、安全地帯で腰を下ろす。

ディアが指先を走らせると、淡い霧の膜がふわりと広がった。


結界が展開される。


風の流れが止まり、湿気が外側へ押し出されていく。

呼吸が、急に楽になる。


「すごいな……“防ぐ”だけじゃなくて、環境まで整えるのか」


ディアは少しだけ胸を張った。


「防衛と環境制御はセットよ。睡眠の質が落ちたら、明日の判断が鈍るでしょ?」


「……寝不足で会議に出るのと同じだな」


「そういうこと」


一拍置いて、ディアが続ける。

淡々としてるのに、どこか誇らしさが滲んだ。


「それに――前より精度も出力も上がってるの。魂縛契約(仮)のおかげで、魔力の通りが良くなったのよ。だから、この程度の結界なら……朝まで維持するのも余裕よ」


「……なるほど」


頼もしさだけが、すっと残る。


「ありがとう、ディア。……じゃあ、寝よう」


装備を整え、寝袋へ。

コユキは僕の隣、ディアはブレスレットの中へ戻る。


「……今日は、よく動いた」


深く息を吐いて目を閉じる。

静かなダンジョンの夜に、僕たちの呼吸だけが溶けていった。


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