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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第五章:共に在る戦場と日常

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052話『日常への帰還、万能スキルの処方箋』

日曜の朝──いや、もう昼前だった。


カーテン越しに差し込む春の光が、じんわりと布団を温めている。

目覚ましをかけずに寝たのなんて、どれくらいぶりだろう。


「お寝坊さんですね、秀人。もうすぐお昼ですよ」


布団の端をちょんちょんと引っ張る肉球。

覗き込んできたコユキが、にやっと笑っていた。


「昨日まで海外だった人を……もう少し寝かせてくれてもいいと思うんだけど」


「はいはい。観光もしっかりして“帰ってきた人”のセリフ?ベトナムなら時差ボケもないでしょ」


「……言い返せないのが悔しい」


しぶしぶ起きてリビングに向かうと、テレビでは料理系の配信動画が流れていた。

画面の前にはミニチュアサイズのディア。真剣な顔で字幕を追っている。


「……なるほど。この下処理が味の決め手、と」


「おはよう。朝から勉強熱心だな」


「せっかく文明の利器があるんですもの。学べるのなら……できるだけ美味しいものを作れるようになりたいじゃない?」


淡々とした声の奥に、少しだけ嬉しそうな色が混じっている。

そういうのに気づくと、すぐ表情を引き締めるあたり、本当にディアらしい。


昨日までのベトナムでの面会や帰還者の話が、少しずつ遠ざかっていく。

代わりに、ゆるくて、静かな日常が戻ってくる感じがした。


(非日常が、ちゃんと“帰る場所”にくっついてきてる、って感じか)


この緩さは、悪くない。


買い出しに出たのは14時過ぎ。

今日はスーパーとドラッグストアのはしご。


家を出て、少し遠回りして駅前の広場を抜けるルートを選ぶ。

天気もいいし、人出も多い。


(……やっぱり増えたな、人)


ニュースで“外出自粛の緩和”が流れてから、街の空気は目に見えて変わりつつあった。

それがよく分かるくらいには、駅前が賑やかだ。


そのときだった。


『……あそこ、人だかりできてる』


視線の先、ちょっとした輪ができている。

中心には、若そうな男と、その足元でふわふわ浮かぶ小さなモンスター。


「……初めて見たな。他の帰還者と、その契約モンスター」


僕が思わずつぶやくと、足元の影がふっと揺れた。

そこからコユキの声が、直接頭の中に響く。


『人の集まり方からして、“プチショータイム”って感じ。見せ物としてのモンスター、もう受け入れられ始めてる』


視線の先のモンスターは、どう見ても“可愛い側”だ。

ミルク色の柔らかそうな肌。

羽みたいに動く耳。

人懐っこい動きに、子どもも大人も笑顔になってスマホを向けている。


『ああいうの、癒やし系マスコット枠だね』


『見た目で油断すると危ないけどね。解析眼(アナライズ・サイト)で見ると幻惑・睡眠スキルを持ってる。使われたら一般人はひとたまりもない』


『お前はもうちょっと夢を見よう?』


『夢を見ないのが、現場の基本です』


返事は冷静なのに、尻尾は小さく揺れている。

可愛いものは、ちゃんと可愛いらしい。


周囲を見渡す。

どこか浮ついたような、でも少しだけ不安を孕んだ空気。


(“非日常を楽しむ”空気と、“何かあったらどうするんだろう”って空気が、同居してる感じだな)


僕らは騒ぎに加わらず、その横を通り過ぎた。


(帰ってきても、やっぱり“普通の休日”だけで終わるわけにはいかないか)


買い出しを終えて帰宅。

冷蔵庫に食材を詰め込み、ひと段落ついたところで、頭のどこかに引っかかっていた“やり残し”が顔を出す。


「……そういえば、ベトナム行く前に言ってたよな。Lv50にしておくって」


「うん。言ってた」


ソファの背もたれに飛び乗ったコユキが、じっとこちらを見る。


「今、いくつだっけ?」


「49。あと1。……このまま放置するの、キリ悪すぎて気持ち悪いわ」


「知ってた」


「じゃ、決まりだな……行く」


僕は立ち上がり、物置部屋へ向かう。

赤黒く揺らぐサブゲートをくぐった。


闇夜のような空気が、肺にひんやりと流れ込む。


「おかえりなさい、秀人」


待っていたディアが、いつもの柔らかな笑みで迎えてくれる。


「ただいま。あと1レベル、付き合ってくれるか?」


「もちろん。前回のデータを元に、ちょうどいい強さの相手を用意しました」


「ちょうどいいって言葉が怖いんだよなぁ……」


コユキが横から出てきて、にやっと笑う。


「“ギリギリ死なないライン”ってやつ。成長に最適」


「それを平然と言うな」


でも、始まってしまえば──身体が馴染んだ動きを取り戻していく。


ディアの血から生まれたモンスターたち。

刃の角度、腕の重さ、魔力の軌跡。

すべてが「ギリギリ倒せる」ように調整されているのが分かる。


「右、回り込んでくる!」


「受ける。空間斬糸(スペース・スレッド)で足止めする」


「上から来る。影、滑り込み」


「うん、見えてる」


呼吸が合う。

言葉を交わすより先に、互いの動きが噛み合っていく。


(……こういうの、いいな)


仕事でプロジェクトメンバーたちと噛み合ったときとも違う。

もっと本能的で、もっと直感的な“連携”だ。


どれくらい時間が経っただろうか。


最後の一体が闇にほどけると同時に、体がわずかに軽くなる。


【レベルアップ:Lv50】


「──よし」


「おめでとうございます、秀人。お約束、達成ですね」


ディアが、少しだけ誇らしげに微笑む。


「努力、評価。適応力も、想定以上」


「だからコユキ、もう少し感情を乗せよう?」


その軽いやり取りだけで、張り詰めていたものがふっと緩む。


「……腹減った」


「ですよね。特訓の間に、少し用意しておきました」


案内された城の食堂には、湯気の立つ料理が並んでいた。


(影でモンスター作りながら料理って……マルチタスクの概念どうなってんだ)


香ばしい肉と、ハーブの効いたスープ。

動画で見たらしい要素が、ところどころに混ざっている。


「これ、全部ディアが?」


「ええ。まだ試行錯誤中ですけれど……味見役がいると、やる気が出ますから」


「そういうの、反則なんだよな……」


強くて、頼れて、しかも料理まで頑張る姫。

心の防御が、静かに削られていく。


ひとしきり食べて一息ついたところで、ディアがフォークを置いた。


「じゃあ、二つほど報告があるわ」


「二つ?」


「一つ目。以前お話しした、新大阪ゲート92階への“影”ですが──接触そのものは完了しました。今のところ、こちらへの敵意や警戒は見えません」


「助かる。無理だけはしないでくれよ」


「もちろん。あくまで“遠くから挨拶した”程度です。会話が成立するかは、これからね」


ロボットたちが支配する近未来階層。

そこのボスと会話が通じるのなら──関係を築ける可能性もある。


「で、二つ目は?」


ディアが、ふわりと手を上に掲げる。

その指先から、細い糸のようなものが垂れ下がっていた。


「これです」


「……髪?」


「お昼に街で見かけた帰還者、覚えてる?」


「ああ、駅前でプチショーしてた彼か」


「ええ。あの方から少しだけ拝借してきました。ただ──あのモンスターは毛がなくて、サンプルにできるものがありませんでした」


「拝借、ねぇ……」


「で、試してみる、と」


「そういうこと。……コユキ」


「はーい。じゃ、模写捕食(ミミック・イーター)タイム」


テーブルの上にぴょんと飛び乗ったコユキが、髪を受け取る。

そのまま、ぱくり、と口に含んだ。


「……ん。うん、来た」


コユキの尻尾がぴんと伸びる。


「スキル判明。自在操作フレックス・マニピュレート──器用系万能スキル。運動・技術・感覚の習熟速度が跳ね上がる。武器の扱いでも、楽器でも、料理でも、応用次第で何でも“すぐ使えるようになる”タイプのスキルだね」


「……何でも、すぐ……使える……か」


思わず、その言葉を繰り返した瞬間、胸の奥がどすんと沈んだ。

表情に出たらしい。コユキが僕を見上げて首を傾げる。


「どうしたの?顔が暗いよ」


「いや……ちょっと思い出しただけだ。仕事も、昔やってたゲームも……“できるようになった瞬間”、急につまらなくなることが多くてさ。作業みたいになって……気づけば、感情なく淡々とやっていたり終わったりしてた」


当たり前になると途端に飽きが早くなる。


ソシャゲだって同じだった。

廃課金して最強装備を一気に揃えた瞬間、逆にゲーム寿命が縮む──あの感覚に近い。

成長のプロセスを飛ばすほど、プロセスを楽しむ時間が失われる。


自在操作フレックス・マニピュレートなんて手に入れたら──“何でも簡単にこなせるようになって、また退屈するんじゃないか”

そんな不安がよぎった。


コユキは一拍おいてから、ため息をつくように言葉を響かせた。


「秀人、今更スキルの一つや二つで、あなたの本質まで変わらないよ。退屈するなら、その時また別の楽しみ方を探せばいい。第一、あなたは根がマジメだもの。“何でも簡単にできる人”には絶対ならない」


「……慰めてるのか、それ?」


「事実を述べただけ」


少し照れくさくなったその時──ディアが紅茶を置き、こちらを真っすぐ見た。


「秀人。あなた、私と本契約を結ぶまで“強くなる”つもりなんでしょう?」


「……ああ。もちろん」


「なら、悩む必要はないわ。自在操作フレックス・マニピュレートを得たくらいで届く距離なら、とっくに本契約は済んでるもの。それだけ、あなたの目標は“高い”ってことよ。使えるものは全部使いなさい。遠慮はいらないわ」


その言葉に、胸が軽くなるのを感じた。


(……そうか。簡単になったら、もっと難しいことを目指せばいい。退屈するなら、自分で“次の段階”を作ればいい)


吹っ切れた。


「……そうだな。何でも早くできるようになるなら、そのぶん目標を上に置けばいいだけか」


コユキが小さく笑う。


「そうそう。あなたには、それくらいでちょうどいい」


ディアも静かに微笑む。


「ええ。遠い道ほど、歩きがいがあるでしょう?」


ふたりの声が、妙に心地よかった。


──レベル50。

──新スキル自在操作フレックス・マニピュレート

──そして、まだまだ遠いディアとの本契約。


背筋が、すっと伸びる。


「よし。使えるものは全部使う。……それでいく」


割り切った瞬間──


(……仕事にも普通に使えそうだしな、これ)


資料作成の精度とか、プレゼンの滑らかさとか。

そんな現実的なことが最初に浮かぶあたりが、我ながら社会人だと思う。


切り上げて、城から自宅へ戻った。


シャワーを浴びて、ソファに沈み込む。

いつものスマホ。だけど、流れてくるニュースの中身は、以前よりだいぶ“非日常寄り”だ。


《帰還者による能力の“見せびらかし行為”が社会問題に》


画面の中では、空を飛びながら炎を撒き散らす人影。

モザイクはかかっているが、動きの癖に見覚えがある。


「動きと軌道、炎の性質から見て……“フレアホーク”の契約者だね。名古屋ゲートの帰還者、山田玲央の可能性が高い」


「だろうな……」


ヒーローショーのつもりかもしれないけれど、世の中的には「危険行為」として叩かれる未来が見える。


さらに、別のニュースが目に入る。


《米IT企業、フランス政府と提携──“ゲート総合プラットフォーム”構想を発表》


各国のゲート情報を集約し、公開範囲内のデータを多言語で提供。

位置情報から各階層の敵性モンスターのデータまで、すべて一元管理──。


「フランスと組むの、ちょっと意外」


「向こう、ゲートに詳しいうんちくフクロウの知性モンスターがいるって話だっただろ」


「ああ、例の“資料庫番”みたいな子ね」


もしそのフクロウ型モンスターが、本当にフランス側の研究に噛んでいるなら──

世界の情報戦も、また一段階上がる。


(こっちも、ボーッとしてる暇はないな)


スマホをテーブルに置き、天井を見上げる。


「……退屈しないのは、ありがたいことだな」


思わず、そんな言葉が漏れた。


「そうだね。少なくとも、“何も起きない”って世界じゃなくなった」


肩の上で丸くなったコユキと、テーブルの上で料理動画に夢中のディアの気配を感じながら。


変わっていく世界の中で、僕もまた、少しずつ前に進んでいくしかないんだろうな、と思った。


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