052話『日常への帰還、万能スキルの処方箋』
日曜の朝──いや、もう昼前だった。
カーテン越しに差し込む春の光が、じんわりと布団を温めている。
目覚ましをかけずに寝たのなんて、どれくらいぶりだろう。
「お寝坊さんですね、秀人。もうすぐお昼ですよ」
布団の端をちょんちょんと引っ張る肉球。
覗き込んできたコユキが、にやっと笑っていた。
「昨日まで海外だった人を……もう少し寝かせてくれてもいいと思うんだけど」
「はいはい。観光もしっかりして“帰ってきた人”のセリフ?ベトナムなら時差ボケもないでしょ」
「……言い返せないのが悔しい」
しぶしぶ起きてリビングに向かうと、テレビでは料理系の配信動画が流れていた。
画面の前にはミニチュアサイズのディア。真剣な顔で字幕を追っている。
「……なるほど。この下処理が味の決め手、と」
「おはよう。朝から勉強熱心だな」
「せっかく文明の利器があるんですもの。学べるのなら……できるだけ美味しいものを作れるようになりたいじゃない?」
淡々とした声の奥に、少しだけ嬉しそうな色が混じっている。
そういうのに気づくと、すぐ表情を引き締めるあたり、本当にディアらしい。
昨日までのベトナムでの面会や帰還者の話が、少しずつ遠ざかっていく。
代わりに、ゆるくて、静かな日常が戻ってくる感じがした。
(非日常が、ちゃんと“帰る場所”にくっついてきてる、って感じか)
この緩さは、悪くない。
買い出しに出たのは14時過ぎ。
今日はスーパーとドラッグストアのはしご。
家を出て、少し遠回りして駅前の広場を抜けるルートを選ぶ。
天気もいいし、人出も多い。
(……やっぱり増えたな、人)
ニュースで“外出自粛の緩和”が流れてから、街の空気は目に見えて変わりつつあった。
それがよく分かるくらいには、駅前が賑やかだ。
そのときだった。
『……あそこ、人だかりできてる』
視線の先、ちょっとした輪ができている。
中心には、若そうな男と、その足元でふわふわ浮かぶ小さなモンスター。
「……初めて見たな。他の帰還者と、その契約モンスター」
僕が思わずつぶやくと、足元の影がふっと揺れた。
そこからコユキの声が、直接頭の中に響く。
『人の集まり方からして、“プチショータイム”って感じ。見せ物としてのモンスター、もう受け入れられ始めてる』
視線の先のモンスターは、どう見ても“可愛い側”だ。
ミルク色の柔らかそうな肌。
羽みたいに動く耳。
人懐っこい動きに、子どもも大人も笑顔になってスマホを向けている。
『ああいうの、癒やし系マスコット枠だね』
『見た目で油断すると危ないけどね。解析眼で見ると幻惑・睡眠スキルを持ってる。使われたら一般人はひとたまりもない』
『お前はもうちょっと夢を見よう?』
『夢を見ないのが、現場の基本です』
返事は冷静なのに、尻尾は小さく揺れている。
可愛いものは、ちゃんと可愛いらしい。
周囲を見渡す。
どこか浮ついたような、でも少しだけ不安を孕んだ空気。
(“非日常を楽しむ”空気と、“何かあったらどうするんだろう”って空気が、同居してる感じだな)
僕らは騒ぎに加わらず、その横を通り過ぎた。
(帰ってきても、やっぱり“普通の休日”だけで終わるわけにはいかないか)
買い出しを終えて帰宅。
冷蔵庫に食材を詰め込み、ひと段落ついたところで、頭のどこかに引っかかっていた“やり残し”が顔を出す。
「……そういえば、ベトナム行く前に言ってたよな。Lv50にしておくって」
「うん。言ってた」
ソファの背もたれに飛び乗ったコユキが、じっとこちらを見る。
「今、いくつだっけ?」
「49。あと1。……このまま放置するの、キリ悪すぎて気持ち悪いわ」
「知ってた」
「じゃ、決まりだな……行く」
僕は立ち上がり、物置部屋へ向かう。
赤黒く揺らぐサブゲートをくぐった。
闇夜のような空気が、肺にひんやりと流れ込む。
「おかえりなさい、秀人」
待っていたディアが、いつもの柔らかな笑みで迎えてくれる。
「ただいま。あと1レベル、付き合ってくれるか?」
「もちろん。前回のデータを元に、ちょうどいい強さの相手を用意しました」
「ちょうどいいって言葉が怖いんだよなぁ……」
コユキが横から出てきて、にやっと笑う。
「“ギリギリ死なないライン”ってやつ。成長に最適」
「それを平然と言うな」
でも、始まってしまえば──身体が馴染んだ動きを取り戻していく。
ディアの血から生まれたモンスターたち。
刃の角度、腕の重さ、魔力の軌跡。
すべてが「ギリギリ倒せる」ように調整されているのが分かる。
「右、回り込んでくる!」
「受ける。空間斬糸で足止めする」
「上から来る。影、滑り込み」
「うん、見えてる」
呼吸が合う。
言葉を交わすより先に、互いの動きが噛み合っていく。
(……こういうの、いいな)
仕事でプロジェクトメンバーたちと噛み合ったときとも違う。
もっと本能的で、もっと直感的な“連携”だ。
どれくらい時間が経っただろうか。
最後の一体が闇にほどけると同時に、体がわずかに軽くなる。
【レベルアップ:Lv50】
「──よし」
「おめでとうございます、秀人。お約束、達成ですね」
ディアが、少しだけ誇らしげに微笑む。
「努力、評価。適応力も、想定以上」
「だからコユキ、もう少し感情を乗せよう?」
その軽いやり取りだけで、張り詰めていたものがふっと緩む。
「……腹減った」
「ですよね。特訓の間に、少し用意しておきました」
案内された城の食堂には、湯気の立つ料理が並んでいた。
(影でモンスター作りながら料理って……マルチタスクの概念どうなってんだ)
香ばしい肉と、ハーブの効いたスープ。
動画で見たらしい要素が、ところどころに混ざっている。
「これ、全部ディアが?」
「ええ。まだ試行錯誤中ですけれど……味見役がいると、やる気が出ますから」
「そういうの、反則なんだよな……」
強くて、頼れて、しかも料理まで頑張る姫。
心の防御が、静かに削られていく。
ひとしきり食べて一息ついたところで、ディアがフォークを置いた。
「じゃあ、二つほど報告があるわ」
「二つ?」
「一つ目。以前お話しした、新大阪ゲート92階への“影”ですが──接触そのものは完了しました。今のところ、こちらへの敵意や警戒は見えません」
「助かる。無理だけはしないでくれよ」
「もちろん。あくまで“遠くから挨拶した”程度です。会話が成立するかは、これからね」
ロボットたちが支配する近未来階層。
そこのボスと会話が通じるのなら──関係を築ける可能性もある。
「で、二つ目は?」
ディアが、ふわりと手を上に掲げる。
その指先から、細い糸のようなものが垂れ下がっていた。
「これです」
「……髪?」
「お昼に街で見かけた帰還者、覚えてる?」
「ああ、駅前でプチショーしてた彼か」
「ええ。あの方から少しだけ拝借してきました。ただ──あのモンスターは毛がなくて、サンプルにできるものがありませんでした」
「拝借、ねぇ……」
「で、試してみる、と」
「そういうこと。……コユキ」
「はーい。じゃ、模写捕食タイム」
テーブルの上にぴょんと飛び乗ったコユキが、髪を受け取る。
そのまま、ぱくり、と口に含んだ。
「……ん。うん、来た」
コユキの尻尾がぴんと伸びる。
「スキル判明。自在操作──器用系万能スキル。運動・技術・感覚の習熟速度が跳ね上がる。武器の扱いでも、楽器でも、料理でも、応用次第で何でも“すぐ使えるようになる”タイプのスキルだね」
「……何でも、すぐ……使える……か」
思わず、その言葉を繰り返した瞬間、胸の奥がどすんと沈んだ。
表情に出たらしい。コユキが僕を見上げて首を傾げる。
「どうしたの?顔が暗いよ」
「いや……ちょっと思い出しただけだ。仕事も、昔やってたゲームも……“できるようになった瞬間”、急につまらなくなることが多くてさ。作業みたいになって……気づけば、感情なく淡々とやっていたり終わったりしてた」
当たり前になると途端に飽きが早くなる。
ソシャゲだって同じだった。
廃課金して最強装備を一気に揃えた瞬間、逆にゲーム寿命が縮む──あの感覚に近い。
成長のプロセスを飛ばすほど、プロセスを楽しむ時間が失われる。
自在操作なんて手に入れたら──“何でも簡単にこなせるようになって、また退屈するんじゃないか”
そんな不安がよぎった。
コユキは一拍おいてから、ため息をつくように言葉を響かせた。
「秀人、今更スキルの一つや二つで、あなたの本質まで変わらないよ。退屈するなら、その時また別の楽しみ方を探せばいい。第一、あなたは根がマジメだもの。“何でも簡単にできる人”には絶対ならない」
「……慰めてるのか、それ?」
「事実を述べただけ」
少し照れくさくなったその時──ディアが紅茶を置き、こちらを真っすぐ見た。
「秀人。あなた、私と本契約を結ぶまで“強くなる”つもりなんでしょう?」
「……ああ。もちろん」
「なら、悩む必要はないわ。自在操作を得たくらいで届く距離なら、とっくに本契約は済んでるもの。それだけ、あなたの目標は“高い”ってことよ。使えるものは全部使いなさい。遠慮はいらないわ」
その言葉に、胸が軽くなるのを感じた。
(……そうか。簡単になったら、もっと難しいことを目指せばいい。退屈するなら、自分で“次の段階”を作ればいい)
吹っ切れた。
「……そうだな。何でも早くできるようになるなら、そのぶん目標を上に置けばいいだけか」
コユキが小さく笑う。
「そうそう。あなたには、それくらいでちょうどいい」
ディアも静かに微笑む。
「ええ。遠い道ほど、歩きがいがあるでしょう?」
ふたりの声が、妙に心地よかった。
──レベル50。
──新スキル自在操作。
──そして、まだまだ遠いディアとの本契約。
背筋が、すっと伸びる。
「よし。使えるものは全部使う。……それでいく」
割り切った瞬間──
(……仕事にも普通に使えそうだしな、これ)
資料作成の精度とか、プレゼンの滑らかさとか。
そんな現実的なことが最初に浮かぶあたりが、我ながら社会人だと思う。
切り上げて、城から自宅へ戻った。
シャワーを浴びて、ソファに沈み込む。
いつものスマホ。だけど、流れてくるニュースの中身は、以前よりだいぶ“非日常寄り”だ。
《帰還者による能力の“見せびらかし行為”が社会問題に》
画面の中では、空を飛びながら炎を撒き散らす人影。
モザイクはかかっているが、動きの癖に見覚えがある。
「動きと軌道、炎の性質から見て……“フレアホーク”の契約者だね。名古屋ゲートの帰還者、山田玲央の可能性が高い」
「だろうな……」
ヒーローショーのつもりかもしれないけれど、世の中的には「危険行為」として叩かれる未来が見える。
さらに、別のニュースが目に入る。
《米IT企業、フランス政府と提携──“ゲート総合プラットフォーム”構想を発表》
各国のゲート情報を集約し、公開範囲内のデータを多言語で提供。
位置情報から各階層の敵性モンスターのデータまで、すべて一元管理──。
「フランスと組むの、ちょっと意外」
「向こう、ゲートに詳しいうんちくフクロウの知性モンスターがいるって話だっただろ」
「ああ、例の“資料庫番”みたいな子ね」
もしそのフクロウ型モンスターが、本当にフランス側の研究に噛んでいるなら──
世界の情報戦も、また一段階上がる。
(こっちも、ボーッとしてる暇はないな)
スマホをテーブルに置き、天井を見上げる。
「……退屈しないのは、ありがたいことだな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
「そうだね。少なくとも、“何も起きない”って世界じゃなくなった」
肩の上で丸くなったコユキと、テーブルの上で料理動画に夢中のディアの気配を感じながら。
変わっていく世界の中で、僕もまた、少しずつ前に進んでいくしかないんだろうな、と思った。




