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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第四章:月は静かに見ていた

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049話『お土産は最強の可能性』

帰りの車の中。


窓の外には、午後の光が少しずつ傾き始めたベトナムの空が広がっていた。

まだ明るいが、太陽はすでに西寄りで、湿った熱気と街のざわめきがガラス越しにじんわりと伝わってくる。


(……無事、終わった)


肩の力を抜きたい気持ちを抑えつつ、静かに息を吐く。


『ねぇねぇ秀人、全部、完璧だったんじゃない?』


『ボク的にも100点。情報も取れたし、怪しまれてもない』


『あのグエン、思ってた以上に真面目で、いい子ね。こっちも嘘は最低限で済ませられたわ』


二人ともテンションが高い。


『……ここで騒ぐなって。柊さんもいるんだから。表情ひとつで怪しまれる』


そうしているうちに、車はホテル前に滑り込むように停まった。


ロビーで簡単に情報共有と、明日の流れの確認を終える。


「それでは──今夜は19時にロビーへお越しください。せっかくですし、皆さんで現地のお料理をいただきに行きましょう」


柊さんの提案に、僕は頷く。

部屋に戻り、ドアを閉めた瞬間、ネクタイをゆるめてベッドに倒れ込んだ。


「……つっかれた……」


「おつかれさま〜。ボクも、ずっと聞き耳モードだったから、さすがに肩こったわ」


(猫モンスターに“肩こり”って概念あるのか?)



影からコユキがにゅっと現れて、ベッドの端で丸くなる。


続いて、ブレスレットからミニディアがふわっと浮かび出た。


「おつかれさま。秀人、今日は本当に頑張ったわね。……それと、ほら」


ディアが指先でつまんで見せたのは、数本の髪の毛。


「この細いのがグエンの。こっちが軍服の男性。そして、この落ち着いた波動のが、政府側の女性ね」


「うちの姫の仕事ぶり、いつもながら完璧だな……ありがとう」


ディアが笑顔で指先でつまんだ三本の髪をコユキの前にすっと差し出した。


「じゃ、さっそく──いただきまーす」


コユキが器用に前足で受け取り、ぱくりと口に含む。

しばらく目を閉じて、何かを“読む”ように沈黙したあと、ぱっと目を開いた。


「まず一人目。《魂縛契約(ソウル・バインド)》。さっき話してくれた内容と一致。ボス系契約の中枢スキルだね」


「二人目。《捕縛結界(バインド・ケージ)》。“空間固定型の捕縛フィールド”。逃走阻止や足止めに便利そう」


「最後。《解析眼(アナライズ・サイト)》」


ディアが愉快そうに笑う。


「あの女性、やたら秀人のこと見てたもの。やっぱり解析系だったのね」


「うん、でも大丈夫。こっちの偽映結界(ミラーシェード)が情報を上書きしてくれてたから──」


コユキがにやりと笑う。


「今、解析眼(アナライズ・サイト)で秀人を見ても、“レベル24・スキル二つ持ち”にしか見えないよ。本当のステータスは、完全にマスクできてる」


「助かる。こういう“目に見えない守り”があるだけで、ずいぶん動きやすくなる」


時計を見ると、そろそろ19時前。

日本メンバーとの夕食タイムだ。


「さて……次は“社会人のオフモード”に切り替えるかな」


ラフな私服──黒のポロシャツとチノパン──に着替えた。


夜のハノイは、昼とはまた違う顔を見せていた。


ネオンの光、屋台の明かり、人のざわめき。

ホテルから少し歩いた路地の奥にある、ローカル感の強い食堂に案内される。


鉄板で焼かれる肉の音。

香草たっぷりの麺。

甘辛いタレに浸かった串焼き。


どれも、食欲を刺激してくる匂いだ。


「これで日本円にして、ワンコインくらいですか……?」


「物価差、すごいですよね」


そんな会話を交わしながら食べていると、隣の柊さんが少し声を落として話しかけてきた。


「……先ほどの“面会理由”の説明、とても巧みでしたね」


「ゲームやアニメのくだり、ですか?」


「ええ。“伝説級をゲットできる人に会いに来た”ってところ。あれ、時任さんの本音も混ざっている感じもあり、きれいな表現でした」


柊さんが、少しだけいたずらっぽく笑う。


「本当は、それだけじゃないですよね?」


「まぁ……アニメやゲーム好きなのは本当なんですけどね」


僕も軽く笑ってごまかす。

そのまま話題を変えるように、串をひとつ口に運びながら続けた。


「――そういえば、柊さん。ここだけの話ですが……あの場に“観察系の能力持ち”がいましたよ」


箸を止めた柊さんが、わずかに目を丸くする。


「そうだったんですね。……?何となくですけど、“見られている感覚”はありました。でも、どうして気づかれたんですか?」


「そこは……企業秘密、ということで」


「また秘密ですか……時任さんは本当に“伏せるのが上手な人”ですね」


丁寧な口調のまま、苦笑が混ざる。


僕はベトナム独特の甘辛い串焼きをひとつ口に運びながら続けた。


「――向こうが“直接面会を希望した理由”、あれは鑑定での調査が関係してそうですね」


「そうですね……」


「今後、他国と帰還者が接触する機会が増えるかもしれません。そのときは……“見られている前提”で動くのがいいかもしれませんね」


「……肝に銘じておきます」


柊さんは真面目に頷いたあと、ふと疑問を口にする。


「……ということは、時任さんの情報も……?」


は軽く笑って肩をすくめる。


「ご心配なく。あの人たちより、僕のほうが一枚上手なので。見抜かれていませんよ」


その瞬間。


「……その自信、どこから来るんですか!?」

「ほんとですよ、呆れます……!」


柊さんと同行の通訳さんが、ほぼ同時にツッコんできた。


僕は苦笑いしながらグラスを軽く持ち上げた。


テーブルを囲む空気が少し和らぎ、食事はそのまま賑やかに、そして驚くほど早く過ぎていった。


店を出ると、むっとした湿気がまだ空気に残っていた。

昼よりはわずかに和らいでいるものの、ベトナムの雨期らしく“夜でも熱が逃げきらない”暑さだ。


「……では、また日本で」


柊さんの穏やかな言葉に、僕は軽く会釈して手を振る。


部屋に戻り、カバンを置いて、椅子に深く座り込む。


「……嘘、か」


ぽつりと独り言が漏れる。


(僕は、嘘をつくのが好きなタイプじゃない)


それでも──必要な場面では、使わざるをえない。


ただのその場しのぎじゃ意味がない。

“嘘”にも、背景となるストーリーと、相手が納得できる文脈がいる。


ビジネスの現場でも、交渉の場でも同じだ。

「本音」と「建前」をどう並べるかで、関係が決まる。


(……一度ついた嘘は、どこかで回収するまで、ずっと持ち続けることになるんだよな)


だから、できるだけ数は少なく。

できるだけ、誰も傷つかない形で。


それでも今日は──


「……悪くない一日だったな」


窓のカーテンを少しだけ開くと、異国の夜空に月が浮かんでいた。

日本で見る月と、形は同じなのに、どこか違って見える。


ディアのことを想い胸の奥に、静かな安堵が広がる。


「明日には日本か」


そう呟いて、カーテンを閉めた。


月だけが、さっきまでの僕の表情を、黙って見ていた。


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