048話『異国の空、共通の言語』
「……あまっ」
ベトナム名物、練乳入りコーヒーをひと口飲んだ瞬間、思わず声が漏れた。
ホテルの朝食ビュッフェ。
テーブルの上には、生春巻きとフルーツ、それからこのベトナムコーヒー。
寝起きの舌には、かなりの甘さだ。
(……でも、これはこれでアリなんだよな)
じわっと広がる甘さと、奥に残る苦味。
一気に頭が起きていく感じがして、嫌いじゃない。
『ふふ、ずいぶんご機嫌じゃない』
ブレスレットからディアの声が響く。
見えてないけど、ご満悦な顔が目に浮かぶ。
『あとで、わたしも飲んでいい?』
『ボクも。気になるから、一口体験させてほしい』
影の中からコユキの声も重なる。
『はいはい。あとで部屋で、な』
心の中でそう返して、皿の上を片付けていく。
食後、ラフな格好のまま、ホテルの外に出てみた。
「うわ……」
湿気をまとった熱気が、一気に肌にまとわりついてくる。
バイクのエンジン音、クラクション、日本とは違う独特の匂い、人の話し声。
すべてが混ざり合って、朝から街が「動いてる」感じだ。
(……みんな普通に外に出て、好きに動いてる。この“活気づいてる空気”、なんかいいな)
僕の知っている今の日本より、少しだけ“息がしやすい”場所みたいに思えた。
通りを少し歩いて、近場の店や屋台を眺める。
旅行で来たわけじゃないのに、なんとなく観光客みたいな気分になる。
(……さて。遊びモードはここまで、だな)
部屋に戻ってシャワーを浴び、髪を乾かし、スーツに着替える。
ミニチュアのディアが、当然のようにチェックを入れてくる。
「ネクタイ、あと一センチ左。……そう、そのくらい」
「助かる。うちの姫は、スタイリストも兼任かな」
「当然でしょ?“見た目”も、大事な情報よ?」
第一印象は数秒で決まる。
仕事でも、人間関係でも、外交の場でも。
どれだけ内容が良くても、最初に「信頼できない」と判断されたら、話が入っていかなく挽回に苦労する。
逆に言えば──姿勢、清潔感、服装の丁寧さだけで、相手の心理的ハードルはぐっと下がる。
(今日みたいな“国をまたぐ面会”なら、なおさらだ)
僕は小さく息を整え、胸元の皺を軽く伸ばした。
足元の影から顔を出したコユキが、クスッと笑う。
「ボクは完全ステルスモードで行くから。気配が漏れないように気をつける」
「頼んだ。二人とも、今日はよろしく」
そう言って、最後にスマホで時間を確認したところで──着信バイブが震えた。
【柊 真理恵:ロビーに向かいます】
予定通りのタイミング。
「よし」
小さく息を整え、カードキーとスマホをポケットにしまい、エレベーターへ向かった。
ホテルのロビーに降りると、すでに柊さんがいた。
「お待たせしました、時任さん。体調の方はいかがですか?」
「問題なしです。朝食のコーヒーがちょっと甘すぎたくらいで」
そう返すと、柊さんがふっと笑う。
「それは完全にベトナムあるあるですね」
柊さんの隣には、スーツ姿の男女が二人。
男の方はがっしりした体格で、明らかに警護寄り。
女性の方は柔らかい物腰で、通訳担当だろうと直感でわかる。
「こちら、今回同行してくれる日本側のスタッフです。手前が谷崎、女性が佐原です」
「時任です。よろしくお願いします」
軽く会釈を交わしたちょうどそのとき、ホテルのエントランスから、現地政府関係者らしき数人が入ってきた。
そのうちの一人が、まっすぐ歩いてきて手を差し出してくる。
「グッドモーニング、ミスター・トキトウ。お会いできて光栄です」
「こちらこそ。お招き、ありがとうございます」
握手を交わす。
乾いた掌、慣れた握り方。外交慣れしているタイプだ。
流れのまま、黒塗りのワゴン車へ案内される。
車が発進すると、助手席の佐原さんが、通訳を交えながら説明してくれた。
「本日はこのまま、ハノイ郊外にある政府関連の訓練施設へ向かいます。帰還者の方との面会は、その施設内の会議室で行う予定です」
窓の外を見ると、高層ビルが減り、代わりに緑と低い建物が増えていく。
「こちらは……外出規制などは、特にないんですね」
なんとなく漏らした独り言に、柊さんが答える。
「はい。ベトナムは帰還者に関する制度整備が比較的早くて、ゲートに対する市民意識も柔軟なようです。もちろん治安維持のルールはあるようですが、日本ほど『まずは自粛』という雰囲気にはなっていないですね」
(同じ世界でも、国が変われば“常識”が変わる、か)
前席では、運転手と現地担当官がベトナム語で会話している。
「|Giờ này chắc là kẹt xe rồi. Nhưng mà, không sao đâu, đã có lịch trình rồi.《ヨー ナイ チャック ラ ケッ セー ゾイ。 ニュン マ、コム サオ ドウ、ダー コー リッ・チン ゾイ。》」
(……うん、相変わらず一ミリも分からない)
「何かトラブルですか?」
念のため佐原さんに小声で聞いてみる。
「あ、いえ。“この時間は渋滞しやすいけど、今日はスケジュールに余裕があるから大丈夫”って話でした」
「助かります。ITがここまで発展しても……やっぱり通訳さんは神ですね」
翻訳アプリもAI通訳もある時代なのに、それでも“人のニュアンスを汲み取って伝えてくれる存在”は別格だ。
言語理解スキルとか、そろそろどこかで拾えないもんだろうか──そんな都合のいいことを、つい考えてしまう。
そんなことを考えているうちに、車は郊外の広い敷地へと入っていった──。
無駄のない建物、整備された道路と警備員の配置。
「ここは遊び場じゃないですよ」と、空気そのものが教えてくる。
案内された控室は、白を基調とした簡素な部屋だった。
窓はなく、空調の効いた静かな空気。
「こちらで少々お待ちください。先方の準備が整い次第、お呼びいたします」
扉が閉まり、短い沈黙が落ちる。
(……いよいよ、だな)
ネクタイを軽く整え、ブレスレットに意識を向ける。
『ディア、そっちは大丈夫か?』
『問題なし。周囲の気配もある程度把握してる。気を抜かないでね』
(緊張してるの、完全に僕だけだな……)
そう思ったところで、ノックの音がして、扉が開いた。
「失礼します。こちらが、ベトナム帰還者のグエン=ズアン・ハイ氏です」
現れたのは、二十代後半くらいの青年だった。
身長は高く、引き締まった体に濃紺のシャツと黒いパンツというシンプルな服装。
それでいて、どこか落ち着いた雰囲気をまとっている。
右肩には、光沢のある鱗を持つ蛇のようなモンスターが、ゆるくとぐろを巻いて乗っている。
足元には、小型のドラゴンが静かに控えていた。
まるで王の側近のように。
(おおぉ……!)
『あの蛇、精霊寄りの属性ね。ドラゴンの方は……希少種かな。魔力の密度が普通じゃないわ』
『うん、まだ幼体だけど、将来有望って感じ』
ディアとコユキの声が、同時に頭の中で囁く。
その少し後ろには、軍人らしい男と、スーツ姿の女性が一人ずつ控えていた。
最初は「随行の人かな」と思ったが──
『……秀人、あの二人も帰還者よ。一般人じゃない』
(……スキル持ちが複数人揃ってるってことは、こちらも気を抜けないな)
僕が警戒を少し強めた、そのほんの数秒後。
グエンが一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「こんにちは。私は、グエン=ズアン・ハイと申します。今日は、お会いできて光栄です」
柔らかい日本語。
発音は少し独特だけど、丁寧さとまっすぐさが伝わってくる。
「時任秀人です。こちらこそ、お時間いただきありがとうございます」
握手を交わす。
細い指なのに、芯のある握り方だった。
一通りの挨拶が終わったところで、僕は持参していた紙袋をそっと差し出した。
「日本から、少しだけお土産を持ってきました。よかったら、受け取ってもらえると嬉しいです」
袋の中には、日本の有名アニメのグッズ。
キャラクターもののお菓子。
某モンスター育成ゲームの限定パッケージ。
通訳が簡単に説明してくれると、グエンの目が一気に輝いた。
「これは……“ピカチュロ”!それと“デジアニマ”のキャラ……?本物、ですか?」
さっきまでの落ち着いた雰囲気が、少し崩れる。
肩の蛇モンスターがくるりと動き、足元のドラゴンが喉を鳴らした。
(よし、刺さった)
『情報収集、バッチリね。日本のアニメ好きって分かってて正解だったわ』
『“推しの国”から推しグッズもらったら、そりゃ心のガード緩むよね』
ブレスレットと影の中から、二人の満足げな声が届く。
会話の空気が一気に和らいだところで、面会は本題へと入っていった。
「それでは、グエンさんのスキルについて、いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか」
通訳の佐原さんが、タイミングを見て話を切り出す。
グエンは肩の蛇を軽く撫で、少しだけ姿勢を正した。
「日本との信頼関係のために、話せる範囲でお答えします。私のスキルは──魂縛契約です」
その名が通訳されると同時に、僕はわずかに姿勢を正した。
「ダンジョン内のモンスターと、“意思の疎通”を前提に契約を結ぶスキルです。最大契約数は三体まで。ただし新しいモンスターと契約する際は、既存のいずれかとの契約を解除し、そのあと一定時間の“空白期間”が発生します」
「空白期間……契約のクールタイム、という感じですか?」
「モンスターを失った時の精神的反動……のようなものだと考えています。スキル自体が使えなくなるわけではなく……“心の余白が戻るまで時間が必要”という感覚です」
(仕組みは合理的なのに……根底はかなり情緒的だな)
グエンは足元の小型ドラゴンにもそっと触れ、少しだけ首を傾けて僕を見る。
「──なぜ、私との面会を希望されたのですか?」
その直球の問いに、僕は笑みを添えつつ答えを選んだ。
「率直に言うと……“あなたはミューセイジやルギュラ級の存在を仲間にできる人なんじゃないか”と思ったんです」
「ミューセイジ……ルギュラ……?」
グエンが一瞬だけ目を瞬かせ、次の瞬間、ふわりと笑顔を浮かべた。
「ああ……先ほどいただいたプレゼントにも入っていた“伝説級キャラ”ですね。あのシリーズ、ゲームやアニメ、実は私も、ずっと好きなんです」
その表情は、さっきよりもずっと柔らかい。
「ああいう“伝説級キャラ”を本当に契約できるような人に会うチャンスなんて滅多にありませんからね。僕もワクワクして来ました」
ブレスレットの奥で、ディアが「ふふっ、いい流れね」と満足げに笑う気配がした。
そこから話題は自然に深く入り込んでいく。
その流れの中で、グエンが立ち上がり、ドラゴンに短く声をかけた。
「……少しだけ、見せましょうか」
幼体とは思えない圧が、金色の光とともに部屋に満ちる。
「──っ……!」
通訳も柊も肩を震わせ、周囲のスタッフの視線が鋭くなる。
(これが……“テイムされたドラゴン”の力……)
打って変わって、グエンは淡々と説明を続けた。
「“雷鱗竜”というドラゴンです。まだ幼いですが、信頼が積み重なれば、このように応えてくれます。強力な個体は最初、“仮契約”から始まりました。命令には従いませんが、何度も通い、絆を築くことで“本契約”に至りました」
気になって仕方がなく、素直に質問を投げる。
「グエンさん。その雷鱗竜……もし差し支えなければ、ボスモンスターなんですか?」
通訳を通して質問すると、グエンは迷いなくうなずいた。
「はい。かつて私は、この個体が守る階層で戦いました。“仮契約”を積み重ねた末に、本契約が成立したのです」
(……やっぱりボスか)
胸がざわめく。
なら──次に聞くべきことは、ひとつしかない。
「では……その階層は、“討伐せずとも”クリア扱いになったんでしょうか?」
一瞬の静寂の後、グエンがはっきりと言った。
僕の質問に、グエンは軽く息を整えてから答えた。
「まず、“仮契約”の段階で──帰還ゲートが出現しました。そして“本契約”が成立した瞬間──今度は次の階層への転送ゲートが出現しました。これは討伐時と同じ扱いで、“突破条件を満たした”という判定が下ったのだと思います」
胸の奥で熱が跳ねる。
その余韻に浸る間もなく、今度はグエンが身を乗り出してくる。
「では……あなたのスキルについても、伺ってよろしいでしょうか?」
「はい。僕が持っている戦闘スキルは二つ。影移動と 空間斬糸です」
グエンの眉がわずかに動く。
「二つ……?そんなに?」
「はい。10階層を一人で突破したときに、二つ目のスキルを得ました。最近、ようやくそこまで到達したところです」
通訳が訳すと、グエンは興味深そうにうなずく。
「とても参考になります。知りませんでした」
こちらも、向こうの説明に合わせるように、影移動と 空間斬糸の概要だけは丁寧に話す。
“どこまで話すか”“どこから伏せるか”。
ビジネスの交渉と同じだ。
そして、次の質問が飛んでくる。
「あなたの契約モンスターは……今日は、一緒ではないのですか?」
(まあ、聞かれるよな)
「ええ……飛行機に“モンスター同伴”はできなかったんです。僕の相棒は、尻尾が三本ある猫モンスターで……本当に可愛いんですが、今回は会わせられなくて残念です」
グエンの口元がやわらかく笑みに変わる。
「とても……魅力的な相棒なのですね」
足元の影の中で、コユキが露骨にドヤ顔している気配が伝わってくる。
──そんなやりとりを重ねながら、面会は予定時間いっぱいまで続いた。




