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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第四章:月は静かに見ていた

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047話『異国の空、契約者の影』

目を開けると、コユキの肉球が僕の頬にむぎゅっと押し付けられていた。


「ほら秀人、起きる時間。今日は海外でしょ?」


「……はいはい、頼んでおいてなんだけど、遠慮ないな」



昨夜、念のため目覚ましのセットだけでなく“起こしてくれ”と依頼したのは僕だ。

アラームより確実な白モフアラーム。今日も仕事が早い。



顔を洗い、コーヒーを淹れ、在宅分の作業をさっと片付ける。

サブマネージャーへ、不在中の対応をお願いする。

まだ午前中だけど、気持ちはすっかり“出発モード”だ。


「よし……これで一区切り」


カップに残ったコーヒーを飲み干し、ノートPCを閉じた。


今日の本番は、仕事じゃない。


「さて……いよいよ、ベトナムだな」


パスポート、変換プラグ、モバイルバッテリー、着替え……

スーツケースを開けて最終チェック。


「よし。忘れ物なし」


「ボクも準備完了!影にこもる準備も万端!」


「私も問題ないわ。今日はブレスレット内で魔力を温存しておくから」


ディアの声がふわっと響く。


「じゃあ行こうか。──いざ、ハノイ」


玄関を出た瞬間、空気がほんの少しだけ旅の匂いを帯びた気がした。


関西空港へ向かう電車。

見慣れた景色なのに、今日はどこか少し違って見える。


「……久々の海外だな」


胸の奥が軽く跳ねる。この“旅立つ感じ”が、悪くない。


ただ──


(影にコユキ入れて、ブレスレットにディア……ほんとに手荷物検査いけるよな……?)


『問題ないって言ったでしょ〜』


『心配しすぎよ。どちらかと言えば、あなたの飲みかけのペットボトルが危険ね』


実際その通りで、引っかかったのは僕の水だった。


……恥ずかしい。


でも手続きは順調に進み、15時──搭乗口へ。

飛行機に乗り込むころには、不安より楽しみの方が勝っていた。


離陸の重力が身体を押しつけ、窓の外が雲の海へ変わっていく。


(……さて、5時間半。何しよう)


訓練もできない。ネットも弱い。映画も今は気分じゃない。


結局、念話に意識を向けた。


『ねぇ、コユキ。ひとつ聞いていい?』


『なに?機内トーク?暇だもんね』


『……なんか、こうして地上と離れて空を飛んでるとさ。普段考えないことが、ふっと頭に浮かぶんだよ』


『変なこと?……まあ、聞くだけ聞くよ』


『僕がもし死んだら……コユキはどうなる?』


『んー……数十分〜数時間で消えると思うよ。契約が“生存前提”だから。』


『逆は?コユキが死んだら僕は?』


『影響ナシ。けど……もう “次の相棒となる契約モンスター” は出てこないと思う』


胸の奥が、わずかにざわめく。


『秀人、向こうでの段取りだけ確認しとこっか?』


『……ああ。そうだな』


僕はブレスレットを指で軽く叩く。


『ディア、聞こえる?例の件、頼んでいた通りでお願いしたい』


『ええ。任せて』


『助かる。じゃあ僕は、話を引き出すことに集中する』


──それだけの、簡単な打ち合わせだった。


必要以上に重くもしない。

でも抜かりはない。


どんな場でも、結果の7割は“準備の精度”で決まる──それは仕事でも同じだ。

目的を揃え、役割を決め、最悪パターンを想定しておく。

それから──聞かれること。聞くべきこと。その“想定問答”の整理。


これを事前にやっておくだけで、現場の迷いがほとんど消える。

答えに詰まらないだけで、相手への印象は段違いだ。


それが僕の“いつもの準備”。


機内の低いエンジン音だけが続いていた。


『全部のゲートが世界から消えたらどうなるんだろうな』


『それは……私にも今はわからないわ』


僕は窓の外を見た。

白い雲と青い空の境目の、あの遠さが妙に胸に残る。


(……ゲートって、結局なんなんだろうな)


答えは出ないまま、飛行機は進んでいく。


現地時間での午後8時過ぎ。ハノイ・ノイバイ国際空港に、無事着陸した。

外へ出た瞬間、まとわりつくような湿気が肌に絡みつく。


「……この湿気、久しぶりだな」


『わ〜、活気ある空気!こういうの好き〜!』


『香辛料と油の匂い……この国、日本と違ってなんだか元気ね』


二人ともテンションが高い。

僕だけが“海外”で静かに緊張してる……気がする。


(……いや、正直に言うと、英語が苦手なんだよな。)


ある程度は翻訳アプリでなんとかなるし、海外出張の経験もある。


(言語理解スキルとか……どこかの階層で落ちてたりしないかな。)


ふとそんな帰還者的な発想が頭に浮かぶ。

現実世界で苦手なことほど、スキルで解決できるような気がしてしまうのは、たぶんこの今の生活の“副作用”だ。


「さて、Grab起動っと」


こういう時、配車アプリは本当に頼りになる。


車を呼び、ドライバーと軽く言葉を交わし、市街地へ。

夜景に包まれたハノイは、雑多で、熱くて、なんかすごく“生きている街”だった。


(……日本みたいに外出規制がかかってないのかな)


50分ほどでホテルへ到着。

チェックインして部屋に入ると──


「広っ……」


ツインルームのベッドに倒れ込み、そのまま天井を見上げる。


「さて……飯に行くか」


ホテルから少し歩いた大通りには、屋台がぎっしり並んでいた。

匂いだけで飯が食える勢い。


「フォーください」


指差し注文は世界共通語。

出てきたフォーはあっさりしてて、出汁が沁みてくる。


『おいしそー!ボクも後でちょうだいね!』


(……僕、一応ぼっち飯なんだけどな?)


でも、不思議と寂しくなかった。

旅先の空気と、“仲間の気配”がそう思わせてくれるのかもしれない。


食べ歩きしながらホテルへ戻り──コユキ用バインミーも購入。


「差し入れ」


『おおっ、今夜のご褒美だね!』


シャワーを浴び、ようやく息をつく。


テレビをつけ、翻訳アプリ越しにニュースを眺める。


《世界各地でスタンピード対策が加速──帰還者の軍事研究が議論に》


《国連、スキル発現者データの共有案を検討へ》


「なるほど……ここでも大きな話題か」


「当然よ。スキル社会への移行はもう始まってるもの」


窓の外にはハノイの夜景と月。


明日の午後3時──いよいよ、ボスモンスターをテイムしたという帰還者と面会する。


「準備はした……思い描いたとおりに進んでくれたら嬉しいな」


小さくつぶやき、テレビを消す。


異国の夜が、静かに深まっていった。


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