046話『20階層の咆哮、白き少女の秘密』
「ん……ふぁああ……」
気配を感じて目を開けたら、コユキの肉球が頬にむにっと押し当てられていた。
「おはよ、秀人。今日も在宅勤務なんでしょ?ほら、起床」
「……コユキ、目覚ましより正確で容赦ないよな……」
完全に“逃げ場ゼロ”の起こし方である。
コーヒーを淹れ、PCの電源を入れる。
日常になりつつある在宅勤務の朝──でも、今日は午後から政府施設に行く予定がある。
午前中はプロジェクト管理。
メールの返信や資料のチェックに加え、進行中の開発プロジェクトについてガントチャートを確認し、全体の進捗を整理する。
遅れが出ているチームにはフォローの連絡を入れ、クライアント報告用のドラフトも必要な部分を修正していった。
仕事が終わったあとは、新大阪18階までの進捗と、小型ゲート10階分の踏破記録を、音声でAIにまとめさせた。
「……よし、仕上がった。報告書データもOK」
「秀人って仕事早いよね。で、今日もジャケット着るんでしょ?」
「まあな。政府行く日はだいたいそれ一択だし」
「私服選ぶのが面倒なだけでしょ」
「否定はしない」
くっ……猫のくせに妙に的確だ。
14時ちょうど。
政府施設の入口に到着する。
本来なら花粉症で鼻や目がやられる時期のはずなのに、不思議と鼻はムズムズしないし、目も痒くならない。
やっぱり状態異常耐性のおかげか。
春の冷えを残した風の中、受付へ向かう。
「お疲れ様です、時任さん」
柊さんがいた。今日も“完璧”の三拍子(スーツ・笑顔・佇まい)だ。
「お疲れ様です。本日もよろしくお願いします」
僕は報告データを渡しながら続ける。
「新大阪ゲート18階までの記録と、小型ゲート10階のログ。まとめて持ってきました」
「……え?10階まで?」
一瞬、柊さんの表情が固まる。
「昨日の午後、少し余裕があったので……どこまで行けるか、タイムアタックしてみました」
「…………」
完全に“今、常識が壊れました”の顔だ。
「……時任さん。お願いですから、もう少しでいいので“人間らしい行動”を心がけていただけませんか……」
「一応、人間のつもりなんですけど……」
「その“つもり”が問題なんです」
「善処します」
……善処?そこに関しては、していないな。
正直、楽しくなってるだけだ。
ただし、相手に不利益が出ない範囲かどうか――そこだけは、ちゃんと計算してから踏み込んでいる。
柊さんは気を取り直し、少し声色を変えた。
「それと……ご報告がひとつ。私も急遽、明日からベトナムで現地入りすることになりました」
一瞬だけ、頭の中で状況を整理する。
「……政府代表、ということですね」
「はい。今回の面会は、想像以上に注目されています」
「なるほど。でしたら、肩書きとしてはこれ以上ない同行者です」
「……そう言っていただけると助かります」
心強い、という言葉は胸の内に留めた。
未知の相手と海外で面会するのに、知っている政府側の人がいてくれるのは大きい。
「現地でのフォローは任せてください。ただ……時任さんが突拍子もない行動をしなければ、ですが」
「……気をつけます」
そう返しながら、小さく苦笑する。
だが、気持ちは確かに引き締まっていた。
さて――次は、新大阪ゲートだ。
明日からは異国。
だからこそ、今日のうちに進められるところまでは進めておきたい。
平日の夕方前。
駅構内も通路も人影はまばらで、都市は不思議なほど静かだった。
この“静かな日常”と、“異世界のダンジョン”の落差にも、ずいぶん慣れてきた自分がいる。
ゲート前の施設で一通りの手続きを済ませ、ジャージ姿のまま転移エリアに立つ。
『コユキ、ディア。今日の目標は……20階突破だ』
『了解!』
『ふふ。海外に出る前に、ちょうど区切りのいい数字ね』
影からコユキ、ブレスレット越しにディアの念話が重なる。
僕はひとつ息を吐き、意識を切り替える。
――新大阪ゲート。
再開地点は、19階だ。
そのまま、ゲートへと足を踏み入れた。
19階は、霧が立ちこめる迷宮だった。
視界は悪く、徘徊しているのは“煙をまとった獣型の中級モンスター”。
視界妨害と機動力に振り切った構成だ。
前衛寄りのスキル構成なら、相性は最悪だろう。
──だが。
「影移動」
霧の中、影を伝って死角へと滑り込む。
距離は一瞬。
「空間斬糸」
影の奥から伸びた細い斬糸が、首、胴へと走り、
獣の動きを止めたまま、静かに切断した。
「……よし、突破」
地形は複雑だが、攻撃パターンは単調。
コユキの索敵とディアの補助も冴え、19階は危なげなく踏破できた。
そして──
「……来たな。20階」
深紅に染まった空。
亀裂だらけの大地の中央には、崩れかけた石造遺跡がそびえている。
その奥に、黒い狼が”立って”いた。
──いや、立っていたのは、ほんの数秒だ。
「……獣人、か?」
鋭い眼光。獣耳。毛皮のマント。引き締まった上半身。
だが次の瞬間、その躯体が大きく膨れ上がった。
「……っ!」
裂けるような咆哮。
二足歩行の獣人は、巨大な四足の超大型獣へと変貌する。
全長五メートル以上。
牙は刃、爪は槍。吠えるだけで大地が揺れた。
「フェング=バウルよ」
影の中から、コユキの声。
「……いい名前だ。だが──狩らせてもらう、影移動──!」
懐へ飛び込み、空間斬糸で関節を狙う。
──が、弾かれた。
「硬っ……!」
反撃は激しいが、動きは直線的。
読み切れる。
バリアを展開するコユキを盾に、腹部へ踏み込む。
「──喰らえ、空間斬糸、断だ!」
斬糸を束ねた瞬間最大火力の一閃。
94階で鍛えた応用技が、魔獣の腹部を裂いた。
巨体がよろめく。
「コユキ、トドメだ!」
「任せて!」
跳躍、落下。
水撃弾。
鋭利な弾丸が裂け目へ突き刺さり、フェング=バウルは呻き声を上げて膝をついた。
「今だ!」
影から飛び出した白い影が、一直線に跳びかかる。
牙が食い込み、血が滲んだ。
──沈黙。
【スキル獲得:獣人化】
「スキル一つ、手に入れたよ。名前は──獣人化」
「獣人化……? ってことは、最初に見た“あの人型の姿”かな?」
「そう。あれが“獣人化した姿”。で、さっきの巨大な四足の獣が“本来の姿”だと思う」
「……これ、僕も使えるのか?」
「共有不可だね。たぶん獣系モンスター専用系」
コユキが取得したスキル画面を確認しながら、ぽつり。
「でも……ボクなら“試してみる”ことはできるよ?」
「え、できるのか?」
「うん。ただ──変身系って癖が強いらしくて……今までと違う形になるから制御が難しいとか、戻りづらいとか……そういう情報もあるんだけど」
ディアが目だけで微笑む。
「興味あるんでしょう?コユキ」
「べ、別に! 興味ってほどじゃ──」
「いや、無理はすんなよ?変な姿になるとか困るし」
「ならないし!……多分!」
「──ま、とりあえず。家に帰ったら94階の古城で試してみよっか?」
コユキのしっぽが、少しだけワクワクしたように揺れた。
「えぇ……。じゃあ帰ったら検証だね」
ディアも満足げに頷く。
こうして“変身スキルの実験”という新たな楽しみが、静かに決り新大阪ゲート20階、攻略完了。
達成感とわずかな疲労を抱えながら地上に戻ってきた僕は、帰宅途中でケーキ屋に立ち寄る。
目的はひとつ──94階で待つディアへの“お土産”。
ディアの返答は、念話越しに一秒だった。
『今日はチョコケーキ。ホールね』
──選択肢ゼロ。
物置部屋のサブゲートを抜け、94階層へと転移する。
赤い月の照らす常夜の世界。古城が静かに佇んでいる。
「おかえりなさい、秀人」
本体のディアが優雅に微笑んだ。
相変わらず絵画のような美しさだ。
「今日は夕食も用意してあるわ。せっかくだから、ゆっくり楽しみましょう?」
ディアが微笑むと、僕は思わず小さく息をついた。
そういえば──ゲート探索の最中、休憩がてらディアと念話をした時、
「今日は94階で夕食にしない?久しぶりに“温かいもの”を作りたいの」
と、唐突に提案されたのだった。
ゲートから現実世界へのゲート内部の物資持ち出しは不可だけど、逆方向──現実からダンジョンは問題ない。
だから“家の食材が更に減っていた理由”にも、ようやく思い当たった。
(……あれ、ミニディアが影に格納して僕が入るときに94階に持っていってたんだな)
どうりで、野菜室が少しずつ軽くなっていたわけだ。
そんな事情があった上での「今夜は夕食を作る」宣言。
テーブルに並んだ料理を見れば、本気度がよく分かる。
「いただきます。……それにしても、豪華だな」
「ふふっ。秀人、日頃、本当に頑張ってるんだもの。これくらい当然よ」
三人で囲む食卓は温かくて、気がつけば僕の心も胃袋も満たされていた。
「さて──それじゃあ、お待ちかねの……」
「ケーキ!」
ディアがぱっと両手を上げる。
完全に子供。いや始祖の姫だけど。
ケーキをテーブル中央に置くと、ディアのテンションは最高潮。
「このチョコの濃さ……ん〜、幸せ……!あっ、コユキ。あなたは見てるだけよ」
コユキはきょとんとして、すぐに尻尾をふわっと立てた。
「残念でした。ボクは“猫だけど猫じゃない”猫モンスターなんで── チョコ、普通に食べられます。いただきます」
「いや、堂々と宣言したな!?」
僕が思わず突っ込むと、コユキは誇らしげに胸を張る。
賑やかに笑っているうちに、食後のティータイムになった。
するとディアがふと思い出したように言う。
「そういえば、今日……獣人化のスキルを手に入れたのよね。獣人化。試さないの?」
「そうだった。じゃあ……発動してみる!」
眩い白光がコユキを包む。
「う、うわっ!?ちょ、ちょっとこれ──やばっ!?」
光が収まった時──そこに立っていたのは、
「……は?」
毛に覆われた、小柄な“人型”の少女だった。
耳はぴんと立ち、しっぽはふさふさ。
髪はそのまま雪の白。
目元は確かにコユキなのに……どう見ても可愛い系のマスコット美少女。
「なっ……見んなあああ!!服が!!服が足りてないって!!」
「いやごめん!予想外すぎて……ほんと予想外すぎて……!」
「にゃああああああ!!!!!」
テラスにはディアの爆笑が響き渡る。
「ふふっ……あっははははは!!可愛すぎるでしょこれ……!」
「笑うなあああああ!!もう二度と使わないこのスキル!!封印!!!」
バンッ!と地面に両手をつき、顔真っ赤で叫ぶコユキ。
すぐさま元のモフモフ姿に戻ったが──
三本の尻尾は、しばらく“バサバサ怒りスイング”を続けていた。
──本当に、忘れられない夜になった。
……可愛さの大爆発を経て、僕はサブゲートを抜け現実へ戻ってきた。
時計は22時過ぎ。
夜風が少し冷たい。
「……明日は、ついにベトナムか」
荷造りしていたリビングへ向かい、持ち物を最終チェックする。
Eチケット。
海外ローミングの設定。
スマホも国際通話OK。
旅先で着る私服、戦闘ジャージ、最低限の常備薬──全部OK。
「よし、忘れ物なし。現金は……ベトナムドンは空港で両替すればいいか」
シャワーを浴びてベッドへ倒れ込む。
「あー……明日のこの時間、……ベトナムのホテルか」
国を越えて、ボスをテイムできる帰還者と会う。
誰かの“未来”に関わるかもしれない出来事が待っている。
「……思い描いてる通りに進んでくれたら、嬉しいんだけどな」
静かな夜の空だけが、そっと聞いていた。




