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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第四章:月は静かに見ていた

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046話『20階層の咆哮、白き少女の秘密』

「ん……ふぁああ……」


気配を感じて目を開けたら、コユキの肉球が頬にむにっと押し当てられていた。


「おはよ、秀人。今日も在宅勤務なんでしょ?ほら、起床」


「……コユキ、目覚ましより正確で容赦ないよな……」


完全に“逃げ場ゼロ”の起こし方である。


コーヒーを淹れ、PCの電源を入れる。

日常になりつつある在宅勤務の朝──でも、今日は午後から政府施設に行く予定がある。


午前中はプロジェクト管理。

メールの返信や資料のチェックに加え、進行中の開発プロジェクトについてガントチャートを確認し、全体の進捗を整理する。

遅れが出ているチームにはフォローの連絡を入れ、クライアント報告用のドラフトも必要な部分を修正していった。



仕事が終わったあとは、新大阪18階までの進捗と、小型ゲート10階分の踏破記録を、音声でAIにまとめさせた。


「……よし、仕上がった。報告書データもOK」


「秀人って仕事早いよね。で、今日もジャケット着るんでしょ?」


「まあな。政府行く日はだいたいそれ一択だし」


「私服選ぶのが面倒なだけでしょ」


「否定はしない」


くっ……猫のくせに妙に的確だ。


14時ちょうど。

政府施設の入口に到着する。


本来なら花粉症で鼻や目がやられる時期のはずなのに、不思議と鼻はムズムズしないし、目も痒くならない。

やっぱり状態異常耐性(アブノーマルシールド)のおかげか。


春の冷えを残した風の中、受付へ向かう。


「お疲れ様です、時任さん」


柊さんがいた。今日も“完璧”の三拍子(スーツ・笑顔・佇まい)だ。


「お疲れ様です。本日もよろしくお願いします」


僕は報告データを渡しながら続ける。


「新大阪ゲート18階までの記録と、小型ゲート10階のログ。まとめて持ってきました」


「……え?10階まで?」


一瞬、柊さんの表情が固まる。


「昨日の午後、少し余裕があったので……どこまで行けるか、タイムアタックしてみました」


「…………」


完全に“今、常識が壊れました”の顔だ。


「……時任さん。お願いですから、もう少しでいいので“人間らしい行動”を心がけていただけませんか……」


「一応、人間のつもりなんですけど……」


「その“つもり”が問題なんです」


「善処します」


……善処?そこに関しては、していないな。

正直、楽しくなってるだけだ。


ただし、相手に不利益が出ない範囲かどうか――そこだけは、ちゃんと計算してから踏み込んでいる。


柊さんは気を取り直し、少し声色を変えた。


「それと……ご報告がひとつ。私も急遽、明日からベトナムで現地入りすることになりました」


一瞬だけ、頭の中で状況を整理する。


「……政府代表、ということですね」


「はい。今回の面会は、想像以上に注目されています」


「なるほど。でしたら、肩書きとしてはこれ以上ない同行者です」


「……そう言っていただけると助かります」


心強い、という言葉は胸の内に留めた。


未知の相手と海外で面会するのに、知っている政府側の人がいてくれるのは大きい。


「現地でのフォローは任せてください。ただ……時任さんが突拍子もない行動をしなければ、ですが」


「……気をつけます」


そう返しながら、小さく苦笑する。

だが、気持ちは確かに引き締まっていた。


さて――次は、新大阪ゲートだ。


明日からは異国。

だからこそ、今日のうちに進められるところまでは進めておきたい。


平日の夕方前。

駅構内も通路も人影はまばらで、都市は不思議なほど静かだった。


この“静かな日常”と、“異世界のダンジョン”の落差にも、ずいぶん慣れてきた自分がいる。


ゲート前の施設で一通りの手続きを済ませ、ジャージ姿のまま転移エリアに立つ。


『コユキ、ディア。今日の目標は……20階突破だ』


『了解!』


『ふふ。海外に出る前に、ちょうど区切りのいい数字ね』


影からコユキ、ブレスレット越しにディアの念話が重なる。


僕はひとつ息を吐き、意識を切り替える。


――新大阪ゲート。

再開地点は、19階だ。


そのまま、ゲートへと足を踏み入れた。


19階は、霧が立ちこめる迷宮だった。

視界は悪く、徘徊しているのは“煙をまとった獣型の中級モンスター”。


視界妨害と機動力に振り切った構成だ。

前衛寄りのスキル構成なら、相性は最悪だろう。


──だが。


影移動(シャドウ・シフト)


霧の中、影を伝って死角へと滑り込む。

距離は一瞬。


空間斬糸(スペース・スレッド)


影の奥から伸びた細い斬糸が、首、胴へと走り、

獣の動きを止めたまま、静かに切断した。


「……よし、突破」


地形は複雑だが、攻撃パターンは単調。

コユキの索敵とディアの補助も冴え、19階は危なげなく踏破できた。


そして──


「……来たな。20階」


深紅に染まった空。

亀裂だらけの大地の中央には、崩れかけた石造遺跡がそびえている。


その奥に、黒い狼が”立って”いた。


──いや、立っていたのは、ほんの数秒だ。


「……獣人、か?」


鋭い眼光。獣耳。毛皮のマント。引き締まった上半身。


だが次の瞬間、その躯体が大きく膨れ上がった。


「……っ!」


裂けるような咆哮。

二足歩行の獣人は、巨大な四足の超大型獣へと変貌する。


全長五メートル以上。

牙は刃、爪は槍。吠えるだけで大地が揺れた。


「フェング=バウルよ」


影の中から、コユキの声。


「……いい名前だ。だが──狩らせてもらう、影移動(シャドウ・シフト)──!」


懐へ飛び込み、空間斬糸で関節を狙う。

──が、弾かれた。


「硬っ……!」


反撃は激しいが、動きは直線的。

読み切れる。


バリアを展開するコユキを盾に、腹部へ踏み込む。


「──喰らえ、空間斬糸(スペース・スレッド)、断だ!」


斬糸を束ねた瞬間最大火力の一閃。

94階で鍛えた応用技が、魔獣の腹部を裂いた。


巨体がよろめく。


「コユキ、トドメだ!」


「任せて!」


跳躍、落下。


水撃弾(アクアボルト)


鋭利な弾丸が裂け目へ突き刺さり、フェング=バウルは呻き声を上げて膝をついた。


「今だ!」


影から飛び出した白い影が、一直線に跳びかかる。

牙が食い込み、血が滲んだ。


──沈黙。


【スキル獲得:獣人化(ビースト・シフト)


「スキル一つ、手に入れたよ。名前は──獣人化(ビースト・シフト)


「獣人化……? ってことは、最初に見た“あの人型の姿”かな?」


「そう。あれが“獣人化した姿”。で、さっきの巨大な四足の獣が“本来の姿”だと思う」


「……これ、僕も使えるのか?」


「共有不可だね。たぶん獣系モンスター専用系」


コユキが取得したスキル画面を確認しながら、ぽつり。


「でも……ボクなら“試してみる”ことはできるよ?」


「え、できるのか?」


「うん。ただ──変身系って癖が強いらしくて……今までと違う形になるから制御が難しいとか、戻りづらいとか……そういう情報もあるんだけど」


ディアが目だけで微笑む。


「興味あるんでしょう?コユキ」


「べ、別に! 興味ってほどじゃ──」


「いや、無理はすんなよ?変な姿になるとか困るし」


「ならないし!……多分!」


「──ま、とりあえず。家に帰ったら94階の古城で試してみよっか?」


コユキのしっぽが、少しだけワクワクしたように揺れた。


「えぇ……。じゃあ帰ったら検証だね」


ディアも満足げに頷く。


こうして“変身スキルの実験”という新たな楽しみが、静かに決り新大阪ゲート20階、攻略完了。


達成感とわずかな疲労を抱えながら地上に戻ってきた僕は、帰宅途中でケーキ屋に立ち寄る。


目的はひとつ──94階で待つディアへの“お土産”。


ディアの返答は、念話越しに一秒だった。


『今日はチョコケーキ。ホールね』


──選択肢ゼロ。


物置部屋のサブゲートを抜け、94階層へと転移する。

赤い月の照らす常夜の世界。古城が静かに佇んでいる。


「おかえりなさい、秀人」


本体のディアが優雅に微笑んだ。

相変わらず絵画のような美しさだ。


「今日は夕食も用意してあるわ。せっかくだから、ゆっくり楽しみましょう?」


ディアが微笑むと、僕は思わず小さく息をついた。

そういえば──ゲート探索の最中、休憩がてらディアと念話をした時、


「今日は94階で夕食にしない?久しぶりに“温かいもの”を作りたいの」


と、唐突に提案されたのだった。


ゲートから現実世界へのゲート内部の物資持ち出しは不可だけど、逆方向──現実からダンジョンは問題ない。

だから“家の食材が更に減っていた理由”にも、ようやく思い当たった。


(……あれ、ミニディアが影に格納して僕が入るときに94階に持っていってたんだな)


どうりで、野菜室が少しずつ軽くなっていたわけだ。


そんな事情があった上での「今夜は夕食を作る」宣言。

テーブルに並んだ料理を見れば、本気度がよく分かる。


「いただきます。……それにしても、豪華だな」


「ふふっ。秀人、日頃、本当に頑張ってるんだもの。これくらい当然よ」


三人で囲む食卓は温かくて、気がつけば僕の心も胃袋も満たされていた。


「さて──それじゃあ、お待ちかねの……」


「ケーキ!」


ディアがぱっと両手を上げる。

完全に子供。いや始祖の姫だけど。


ケーキをテーブル中央に置くと、ディアのテンションは最高潮。


「このチョコの濃さ……ん〜、幸せ……!あっ、コユキ。あなたは見てるだけよ」


コユキはきょとんとして、すぐに尻尾をふわっと立てた。


「残念でした。ボクは“猫だけど猫じゃない”猫モンスターなんで── チョコ、普通に食べられます。いただきます」


「いや、堂々と宣言したな!?」


僕が思わず突っ込むと、コユキは誇らしげに胸を張る。


賑やかに笑っているうちに、食後のティータイムになった。


するとディアがふと思い出したように言う。


「そういえば、今日……獣人化のスキルを手に入れたのよね。獣人化。試さないの?」


「そうだった。じゃあ……発動してみる!」


眩い白光がコユキを包む。


「う、うわっ!?ちょ、ちょっとこれ──やばっ!?」


光が収まった時──そこに立っていたのは、


「……は?」


毛に覆われた、小柄な“人型”の少女だった。


耳はぴんと立ち、しっぽはふさふさ。

髪はそのまま雪の白。

目元は確かにコユキなのに……どう見ても可愛い系のマスコット美少女。


「なっ……見んなあああ!!服が!!服が足りてないって!!」


「いやごめん!予想外すぎて……ほんと予想外すぎて……!」


「にゃああああああ!!!!!」


テラスにはディアの爆笑が響き渡る。


「ふふっ……あっははははは!!可愛すぎるでしょこれ……!」


「笑うなあああああ!!もう二度と使わないこのスキル!!封印!!!」


バンッ!と地面に両手をつき、顔真っ赤で叫ぶコユキ。

すぐさま元のモフモフ姿に戻ったが──


三本の尻尾は、しばらく“バサバサ怒りスイング”を続けていた。


──本当に、忘れられない夜になった。


……可愛さの大爆発を経て、僕はサブゲートを抜け現実へ戻ってきた。


時計は22時過ぎ。

夜風が少し冷たい。


「……明日は、ついにベトナムか」


荷造りしていたリビングへ向かい、持ち物を最終チェックする。


Eチケット。

海外ローミングの設定。

スマホも国際通話OK。

旅先で着る私服、戦闘ジャージ、最低限の常備薬──全部OK。


「よし、忘れ物なし。現金は……ベトナムドンは空港で両替すればいいか」


シャワーを浴びてベッドへ倒れ込む。


「あー……明日のこの時間、……ベトナムのホテルか」


国を越えて、ボスをテイムできる帰還者と会う。

誰かの“未来”に関わるかもしれない出来事が待っている。


「……思い描いてる通りに進んでくれたら、嬉しいんだけどな」


静かな夜の空だけが、そっと聞いていた。


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