045話『雨音とタイムアタック』
火曜日の朝。
今日は、窓を打つ細かな雨音が、書斎に静かなリズムを刻んでいた。
「よし……今日も午前中だけ、ちゃんと働きますか」
椅子に座り、ノートPCを起動。
今日のタスクは、午前のオンライン会議がひとつと、その後のフォローアップ
昨日のうちに準備は終わっているので、難易度は低めだ。
「コユキ、会議入ったら静かにしとけよ。マイク、わりと拾うからな」
「りょーかい。今日はタブレットで読書タイムにしとく」
『私は大人しくしてるわ。……昨日の“ケーキホール”の約束もあるしね?』
ブレスレット越しのディアの声は、妙に機嫌がいい。
甘味パワーの効果は絶大だ。
集中して作業しているうちに、時計はあっという間に11時55分。
ラストの報告を流し、社内チャットに「午後半休入ります」と送信して、午前の部は終了。
「さて……午後は、昨日もらった小型ゲート、一本目だな」
大阪南方面の小型ゲートが三つ。
今日は、そのうちひとつ──自宅から電車で35分ほどの現場に向かう。
外はしっとりと濡れていた。
細かい雨が途切れなく降り続き、アスファルトに薄い光の膜がかかっている。
(……仕事もゲートも、“午後半休”で両立か。ほんと、変な生活だよな)
そう思いながらも、雨に薄く煙る景色のせいか、足取りは妙に落ち着いていた。
最寄り駅へ向かう道は、しんと冷えて、それでもどこか柔らかい“雨の春”の空気だった。
小型ゲート周辺には、簡易フェンスと臨時の詰め所。
制服姿の若い隊員が、門のところで立っている。
「こんにちは。時任秀人です。柊さんから話が通っていると思います」
「あ、時任さんですね。確認しております。こちらへどうぞ」
スムーズな案内に、少しだけ肩の力が抜ける。
政府側との連携も、回数を重ねるほど“お互い慣れてくる”のが分かる。
軽く注意事項の説明を受け、ゲート前まで歩を進める。
「では、行ってきます」
「ご無事をお祈りしています」
軽く会釈を交わし、僕は一歩、ゲートに足を踏み入れた。
空気が変わる。
景色が反転する。
一度担当として入り、先々週に三階層まで踏破したことがある小型ゲート。
今回は、その続き──4階から。
上記を始めて入るゲートだけど、誰かが3階層までクリアしているので4階層からみたいな表現に帰れますか
「ねぇ秀人、せっかくだから今日は、ちょっと遊ぼ?」
「遊ぶ、の定義によるな」
影からひょこっと顔を出したコユキが、いたずらっぽく笑う。
「今日のテーマは“タイムアタック”。今から5時間で、どこまで行けるか試してみない?」
「いいじゃない。今の実力を測るにはちょうどいいわ」
ミニディアの賛成も、すぐ飛んでくる。
「……まあ、今日は余裕もあるし。やってみるか」
こうして、“5時間タイムアタック”が緩いノリでスタートした。
4階からの、コンパクトな冒険が始まる。
「やっぱり……低層は難易度が低いな」
5階層のボス部屋を抜けたところで、思わずそんな感想が漏れた。
小型ゲートだから、というより──
単純に“低層”ゆえに、罠も少なく、敵の動きも直線的に思える。
新大阪の十数階層帯とは、そもそもの難易度が段違いだ。
「ライトなダンジョンって感じ。これはこれで悪くないね」
「ええ。テンポがいい分、スキル調整には向いているわ」
コユキとディアの声が、背中越しに続く。
道中の雑魚も程よい強さで、空間斬糸の使いどころを試すにはちょうどいい。
他のスキルも組み合わせ、気持ちよくコンボを回しているうちに、時間感覚がどんどん薄くなっていって──
「──10階層、クリアっと」
気づけば、予定していた“8階層まで”を軽くオーバーしていた。
「5時間で10階……。思ったより進んだな」
「秀人のレベルも以前より上がってるしね」
我ながら、ちょっとだけ驚く。
ちゃんと強くなっている実感があるのは、悪くない。
今回の小型ゲート攻略で、コユキが新たに覚えたスキルは二つ。
《圧壊掌握》
《陽光遮断》
どちらも地味めだが、実際に使うとかなりえげつない。
圧壊掌握は、掴んだ対象一点に圧力を集中させて粉砕する近接スキル。
武器を掴めば破壊、腕や足なら、簡単に骨を折れるレベルのダメージ。
「おおー、“掴んでブチッ”って感じのやつだね。ロマンある」
「語彙が怖い。黙っときなさい」
陽光遮断は、周囲の光を僅かに遮り、影を濃くするスキル。
“自分の存在を目立たなくする”効果が強く、ステルス系との相性がいい。
「影が濃いと、潜り込みやすいしね。奇襲の成功率も上がりそう」
「戦闘だけじゃなく、日常でも使えそうね。視線から外れるって、案外重要よ」
どちらも、今後の立ち回りの幅を広げてくれる“いいカード”だった。
その場で、何度か発動テストをして、感覚を調整しておく。
ゲートから出た時には、空はすでにオレンジを通り越して群青に近かった。
昼まで降っていた雨はちょうど上がったところらしく、地面には薄く残った水たまりが街灯をぼんやり映している。
隊員に軽く会釈して現場を後にし、家に着いたのは夜の八時前。
十階まで踏破しただけあって、程よく身体が重い。
「秀人。お風呂、わかしておいたよ」
「お、助かる……って、コユキ、毎度のことながらどうやって?」
振り向くと、コユキがなぜか誇らしげに胸を張っていた。
「自動給湯とタイマー設定と、この繊細な前足さばきがあれば余裕だよ」
「……人類の限界越えてない?お前が一番ファンタジーだわ」
「褒めてる?もっと褒めて」
「褒めてない。むしろ怖い」
苦笑しながら風呂に入り、汗と疲れを流す。
簡単に夕食を済ませたあと、スマホを手に取り、メッセージを一本。
──柊さんへ
【こんばんは。小型ゲート攻略の結果報告を兼ねて、明日14時頃、政府施設に伺えればと思います。
もしご不在の場合は、改めて日程調整のうえ別日に伺いますので、お手すきの時にご確認いただければ幸いです。】
送信を確認し、画面を閉じる。
「ふぅ……今日も、だいぶ進んだな」
ゲートの攻略。
新スキルの獲得。
5時間タイムアタックで10階踏破。
ひとつひとつは小さな積み重ねだけど──こういう“地味な前進”が、きっといつか、ディアがいる深層へも繋がる。はず……
「……明日は報告して、その次の日には、もうベトナム行きか」
ソファに身を預け、ゆっくりと目を閉じる。
ほんの少しの疲労感と、確かな充実感。
それらを抱えたまま、意識を静かに明日へ向けて整えていった。




