043話『備え終えて、歩みは止めず』
新大阪駅のホームに降り立った瞬間、春の空気がひやりと肌を撫でた。
ひんやりしてるけれど、どこか緩んだ温かみも混じっている。
ゲート管理施設への道も、今ではすっかり“日常ルート”になった。
入り口で隊員に軽く会釈を返し、更衣室でいつものジャージに着替えて、黒い揺らぎのゲート前へ向かう。
そこでふと、思い出す。
(……そうだ。結界の件、先に確認しておこう)
左手首のブレスレットへ意識を向け、念話を送る。
『ディア。結界の準備、どう?』
返ってきた声は、ほんの少し弾んでいた。
『ふふ。聞いてくれると思ってた。問題ないわ、もう展開できる』
(待ってたのか……)
『じゃあ、頼んでいいか? 新大阪ゲートに結界を張ってほしい』
『もちろん。まずは──ゲートに向かって左手をかざして。私の魔力をつなぐ“鍵”になるから』
『了解──……いや、ちょっと待って』
ディアがきょとんとする気配が、ブレスレット越しに伝わる。
僕は周囲をさりげなく見回した。
ゲート管理隊員が二人。
そのうち一人はこちらをちらっと視界に入れている。
(……ここで直接“左手をかざす”なんて、あまりにも不自然だ)
使えるスキルがないか考える。
(光幻身……これならいけるんじゃないか)
僕は自然な呼吸のままスキルを発動した。
光幻身──。
遠目には、ただの光の加減のようにしか見えない。
だが、視線はそちらに引かれやすい。
実際、隊員の一人が「ん?」と一度だけ僕を見て、すぐ残像の揺らぎへと注意を奪われた。
(よし、今なら……自然に“姿勢を直してるだけ”に見える)
『秀人……?』
ディアが小さく囁く。
『大丈夫。今のうちに、左手を向ける』
左手をかざすと、ブレスレットが淡い赤紫の光を帯び、鼓動のように脈打つ。
手の甲がじんわり熱くなる。
「……おお」
ゲート表面の黒い揺らぎが、一瞬だけ波紋のように広がった。
『うん、いいわ。そのまま……。仕上げは本体側でやるから、今日はミニの私は出られないわよ? サポートは期待しないでね』
(……え?)
一瞬だけ、胸の奥がひゅっと冷える。
(ミニディアなし……?いや、それ普通に困るんだが……)
ディアのサポートに助けられてきた場面は多い。
だからこそ、反射的に不安がよぎる。
けれどすぐに、冷静な“分析”が頭の中で動き出した。
(……でも今日は16〜18階。レベルは十分、スキルも揃ってる。コユキもいるし──安全マージンは、まだ大きい)
つまり、問題なし。
ほんの一秒で気持ちを切り替えて、短く息を吐く。
『了解。任せた、ディア』
ブレスレットの光が静かに収まり、ディアの念話も、ふっと途切れた。
(……よし。あとは僕とコユキで、きっちりやるだけだ)
ゲートの暗闇へ、一歩踏み出す。
──16階。
視界が開けた瞬間、熱風が頬を刺した。
赤茶けた大地。遠くで何かが爆ぜる音。
地面は無数のトラップで穴だらけという、いかにも“地雷原”な階層だ。
「……地雷パズル。こういう罠だらけ嫌いなんだよな」
でも、精霊導読、気配を読み取るスキル。
罠の位置、起動の予兆、その後の安全地帯まで、おおよその“導線”が何となく思い浮かび上がる。
その結果──
「よっと」
ほぼノーダメで突破した。
ボスは地熱を操る二足歩行の火蜥蜴。
派手な火力型だったけれど、影からの奇襲に加え、新スキルの空間斬糸で一閃、短時間で撃破した。
「派手なだけで意外と薄いな、こいつ」
「火力バカって、だいたいああいう感じだよね」
──17階。
空気は一転して“静寂”。
洞窟全体が淡い光を放つ水晶に覆われ、反響が不自然なほどよく響く。
「わぁ……ここ、落ち着く……いや油断すると死ぬやつだな」
この階層は、光と音で幻覚を誘発するギミックが多く、壁の位置や敵の影がコロコロ変わる。
だが、鳴破喚の音波で音の幻覚を“上書き”すれば、乱れた空間がいったんリセットされた。
「コユキ、いける?」
「もちろん!」
ボスの幻影甲虫も、煙幕顕現で魔力を乱し、幻覚の余地を完全に封じる。
無防備になった本体を一撃で撃破。
「今日のコユキ、冴えてるな」
「いつも通りだよ。……これで幻覚系は抑え込み完了だね」
──18階。
常に霧雨が降り注ぐ石造りの遺跡。
足元は水路と石畳が入り混じり、滑るわ冷たいわで非常に面倒。
敵は水幻獣。
うさぎっぽい見た目なのに、水球を高速連射し、水圧で押し潰す一撃まで織り交ぜてくる曲者だ。
「動きづらい……あとあいつの水弾、地味に痛いんだよな」
「でもスキルは良さげ。もらうね」
影から滑り込んだコユキが模写。
【スキル取得:水撃弾、水圧弾】
「よし、水系ふたつ確保。とくに後者……破壊力がすごいよ」
「水圧弾って……山田の《ブレイズ・キャノン》と対になりそうだな」
「やめて。絶対に比較されたくない」
こうして僕たちは、16から18階を一気に踏破した。
「──ふぅ……帰還っと」
管理施設での着替えと最低限の挨拶を済ませホームに行くと、外気がひんやりと肌に触れた。
時刻は八時過ぎ。
(今日はさすがに訓練はしない。ディアに結界張ってもらったし……)
帰宅途中、ふと視界に入ったのは、街角のケーキ屋。
ショーケースの中、ひとつだけ残っていた──
限定の苺ショート。
(……お。これは、喜ぶやつだな)
迷わず購入したあと、家に戻る足取りは自然と穏やかになっていた。
玄関を開ける。
「ただいまー……」
荷物を置いてすぐ、物置部屋へ向かう。
今日は、このまま差し入れを渡した方がいい。
赤黒い楕円──サブゲートに一歩踏み入れる。
空気が切り替わる。
夜の香り、赤い月、魔力の流れ。
「ディアー、来たよー。差し入れー」
中庭から、ひょこっと顔を出す本体ディア。
「……秀人。どうしたの?ちょうど結界の仕上げに入るところだったのだけど」
「邪魔したか?」
「ううん。あと数分で終わるし、来てくれて嬉しいわ」
ディアが近づくたび、周りの空気がほんのり温かくなる気がする。
──仕事中の人に差し入れを持ってきた部下みたいな気分だ。
「じゃあ……これ。がんばってくれたお礼」
そう言って苺ショートの箱を掲げると、ディアの銀色の瞳が、ぱっと花が咲くように輝いた。
「……えっ、苺ショートケーキ? 嬉しいっ!」
(……姫の威厳、完全に消えてるぞ)
「はむ……幸せ……魔力が満たされる……」
「それ絶対気のせいだろ」
だが、満足そうにしている姿を見ると、こちらまで肩の力が抜けていく。
「結界、本当に助かった。ありがとう」
「ふふ……あなたのためだもの。当たり前よ?」
素直すぎる言葉に、思わず目を逸らした。
94階から戻り、シャワーを浴びたあと。ソファに沈み込み、小さく息を吐く。
「……今日も、本当に濃かったな」
ボステイムの情報、結界、三階層突破、ディアへのお礼。
充実した一日だった。
明日は月曜日。
また会社とゲートの両立の日々が始まる。
「まあ……今はそれも悪くない、か」
スマホのアラームをセットし、丸くなったミニコユキと、ブレスレット越しのディアへ声をかける。
「おやすみ。今日もありがとう」
照明を落とし、ベッドに潜り込む。
(……明日も、良い一日でありますように)




