042話『その力を、繋ぐために』
カーテンの隙間から差し込む春の日差しが、やけにまぶしくて目が覚めた。
時計を見ると、七時すぎ。
(……そういや九条さんとの約束、今日の十時だったな)
昨日の特訓がハードだった割に、意外とスッと目が覚める。
寝室を出てリビングへ向かうと──
「ん、おはよ。今日もネガティブなニュースばっかだよ」
トーストをかじりつつタブレットを操作するコユキ。
今日のテレビは音量控えめに流れていて、朝の光の中に“日常と異常”が溶け込んでいた。
ブレスレットが薄く揺れ、ミニサイズのディアがぴょこんと姿を現す。
「おはよう、秀人。今日はきっと、良い流れになるわよ?」
「……そういう気持ちで始まる朝って、案外ほんとに“良い日”になったりするよな」
ディアが満足げに微笑むのを横目に、僕は軽く伸びをしてキッチンへ向かう。
ヨーグルトと卵で手早く朝食を済ませ、身なりも整える。
「じゃ、行ってきます」
「うん。影でついてくから、変な人に絡まれても安心しなさい」
「言う必要ないだろ、それ」
コユキの呆れ声を背中に、玄関を出た。
乗り継ぎを終え、政府施設の前に立つ。
日曜の淀屋橋──いつもなら会社員の姿が消えて、静けさだけが残るはずの場所なのに、今日はその静けさが、街全体をさらに包み込むように深かった。
川沿いの遊歩道には、ランナーがぽつりぽつりと見えるだけ。
中之島の方へ目を向けても、観光客らしい姿はほとんどない。
“不要不急の外出控え”。
その言葉が、この一帯にもゆっくり染み込んで、空気を重たくしている──そんな感覚があった。
受付を済ませ、案内された会議室の扉を開ける。
(あれ……)
部屋には九条さん、ただ一人。
「おはようございます」
「来たか。座れ」
席に着きながら、僕は周囲を一瞥してから尋ねた。
「今日は、柊さんはいらっしゃらないんですか?」
「今日は日曜だぞ。普通は休むだろう」
(……そうだ。世間は休みだ。九条さんの働き方が異常なだけなんだよ……)
姿勢を正し、呼吸をひとつ整える。
「それで、本日のご用件は?」
こちらが“聞く姿勢”を取った瞬間、九条さんの目がわずかに鋭く光った。
「……君が以前探していると言っていたな。“ボスモンスターをテイムした帰還者”。その情報がやっと入った」
その言葉が落ちた瞬間、思考が一拍遅れて動き出した。
(……本当に……?)
心臓が跳ねる。
外見は平静を保つ。
だが、内側では、静かに拳を握りしめていた。
「日本にいらっしゃるのですか?」
「ベトナムだ。ハノイの大型ゲートの帰還者だ。しかも──実際に“ボスモンスターのテイムに成功した”実績つき」
一枚の資料が、テーブルに置かれる。
写っていたのは、長身の青年と、竜型モンスター。
「……本当に……」
「幸運だったのは、相手が親日国だった点だな。現地政府も協力的だ」
「では……直接、お会いできると?」
「ああ。最短で──3月31日の金曜日。現地で面会可能だ」
その瞬間、胸の奥で何かがゆっくりと弾けた。
(……本当に、見つかったんだ)
込み上げる喜びを抑えながら、落ち着いた声で答える。
「ぜひ、お願いします」
「向こうはWEB面会を拒否している。現地での面談だ。……まあ、その様子から察するに君の希望とも一致するだろう」
コユキの気配が影の奥で静まり、ディアの魔力も微かに揺れた。
ふたりとも、何かを察しているようだ。
「通訳はこちらで用意する」
「通訳……ですか」
「国を跨いだ帰還者同士の面会だ。言葉の齟齬一つで、余計な火種が生まれかねん」
九条さんは淡々と言うが、視線には慎重さが滲む。
「……実質、“監視”の意味合いもある。理解しておいてくれ」
「むしろ助かります。誤解が起きて不利益を被るのは、誰も望まないですから」
「そう言ってくれると助かる」
ひと呼吸置き、九条さんが資料を閉じ、真っ直ぐこちらを見る。
「──君は、その人物に“テイムしてほしいボス”でもいるのか?」
その質問には、わずかに“核心へ踏み込む気配”があった。
だからこそ、僕も落ち着いて応じる。
「……九条さん。詮索はしないでくださる、というお話でしたよね」
言い方はやわらかく。
でも、線引きだけは丁寧に示す。
九条さんは一瞬だけ目を細め、次の瞬間、ふっと息を抜いた。
「……そうだったな。すまん。つい職業病が出た」
敵意も圧もない、むしろ誠実な謝意。
「ただ、言える範囲で構わん。君としては──何を望んでいる?」
あくまで、約束の範囲内で聞こうとしてくれている。
その姿勢がありがたかった。
僕は一度呼吸を整え、言葉を選びながら答えた。
「……今は、“会うこと”そのものに意味があると思っています」
九条さんはわずかに眉を上げ、それから小さく頷く。
「根拠が薄くても、君の感覚は軽視できん。……分かった、信じよう」
その一言が、静かに胸へ染みていく。
資料を整理し終えた九条さんが、話題を切り替える。
「昨日の国連声明は見たか?」
「ええ。さすがに驚きました」
ゲートの1階と2階について。
スキル獲得条件。
リポップ周期。
裏側だった情報が、すべて“公”へ。
「大変なのは管理庁より対策局だろうな。官邸と報道対応で火の車らしい」
「……お気持ち察します」
SNSのカオスも頭に浮かぶ。
《スキルほしい!》
《冒険者になれる!》
《俺も1階行ってくる!》
その横で、
《1階って詰んだら終わりじゃん》
《なんで今まで黙ってたんだ》
《ヒーロー気取りのバカが増える》
温度差が凄まじい。
「単なる野次馬はまだいい。だが──“覚悟と現実の重さが釣り合っていない層”は、一番危険だ」
「……本当に、そう思います」
僕も帰還者として、そして大人としてそれを痛感している。
そのとき──九条さんが一枚のメモを差し出した。
「それと。昨日、一ノ瀬が新宿ゲートの9階層を突破した」
「……!」
胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じた。
(9階……もう少しで、大きな区切りだ)
「彼女から“時任には伝えていい”と言われた。そちらの情報は伏せている。……信用されているんだろう」
「……ありがとうございます」
言葉にすると軽くなりそうで、けれど確かに胸の内に灯るものがあった。
(……一ノ瀬も、あんなことがあったけど前に進み続けてるんだな)
胸の奥に宿った熱を、ひとつ呼吸で整える。
「──では、今日はこのあと新大阪ゲートに向かいます」
机越しに視線を受け止めたまま告げると、九条さんが少し言いにくそうに眉を寄せた。
「差し支えなければだが……今日は何階層まで進むつもりだ?」
「そうですね……6時間くらいしか滞在できませんし、16階から数えると……18階前後、ですかね」
九条さんは、額を押さえた。
「……もういい。無事に戻ってきてくれれば十分だ」
「ありがとうございます」
丁寧に会釈を返し、改めて礼を述べてから席を立つ。
扉を静かに閉じると、廊下のひんやりした空気が肌を撫でた。
(……よし)
胸の奥で、小さなスイッチが入る。
ボステイマーの情報を得た──その事実が、思考と行動をひとつの方向へ整えていく。
今日やるべきことは、もう決まっている。
僕は影とブレスレットへ意識を向けた。
『ディア、コユキ。準備はいいか?』
『もちろん。今日は十八階まで行くんでしょう?』
『ボクもOK。昨日の斬糸、実戦運用するんだよね』
ふたりの声が重なり、背中を押してくる。
(よし……行こう)
目的地は──新大阪ゲート。
今日の目標は、18階層突破。
地下鉄の車内は、静かだった。
中津駅を過ぎたあたりで、春の光がわずかに差し込む。
その柔らかい明るさを横目にしながら、電車はほどなく新大阪へと滑り込んでいった。




