038話『不可侵領域の確約』
案内された会議室に入ると、そこには柊さんだけでなく、九条さんの姿もあった。
(……今日は二人セットか)
「お世話になります」
「お疲れさまです、時任さん」
柊さんはいつも通り、隙のないスーツ姿。
対して九条さんは──ネクタイが微妙に曲がっていて、目の下にははっきりとしたクマ。
「お疲れさまです。九条さんまでご同席とは、珍しいですね」
そう声をかけると、九条さんは額をぐっと押さえた。
「……珍しくもなるだろ。だいたいお前のせいだ、時任」
「え?」
「名古屋ゲートの山田玲央のメディア対応。お前の“無茶な条件”の整理。それに伴う報告書、記者会見用の草案、内閣側との調整──それに加えての協力条件……」
一つひとつ指を折りながら、恨み節のように並べていく。
「俺のスケジュールは、綺麗に崩壊した」
想像以上に生々しいダメージ報告だった。
「……それは、本当にすみません」
素直に頭を下げる。
昨日、自分が出した要求が、相当な“面倒コース”だったことは分かっている。
隣で、柊さんが小さく会釈する。
「……申し訳ありません。私からも、フォローが足りず」
九条さんは、しばらく天井を仰いでから、大きく息を吐いた。
「……で。昨日の件だ」
空気が切り替わる。
さっきまでの愚痴混じりのトーンが、仕事モードへと戻った。
「小型ゲートを3階層ではなく、8階層まで一気に攻略する。報酬は3階層クリア時点の基準でいい。ただし、クリアした階層数は政府だけが把握し、他の帰還者には伏せる」
一つひとつ確認するように言葉が並ぶ。
「そして、もう一つ。新大阪ゲートには、政府関係者を含めて誰一人として立ち入らせない。誰かが勝手に入れば、その時点で君は今後一切の協力をやめる」
「はい。間違いありません」
短く答えると、数秒だけ沈黙が落ちた。
そのあとで、九条さんは、ぽつりと呟く。
「……しぶしぶだが、了承する」
静かに、胸の奥でガッツポーズを取る。
ここが通らなければ、また別の面倒な選択を考えなければならなかった。
「ありがとうございます」
素直に頭を下げると、九条さんは肩を回しながら、にじむような声で続けた。
「ただし、ルールは守れ。勝手な拡大解釈はなしだ。そっちが誠実に動くなら、こちらも必要以上の干渉はしない」
「承知しています。約束は守ります」
「……なら、いい」
そのやり取りを聞きながら、柊さんがふっと目元を緩めた。
わずかに表情が柔らかくなっている。
「小型ゲートの割り振りについては、現在調整中です」
九条さんが資料を閉じ、こめかみを押さえる。
「君の希望どおり、“電車で片道2時間以内・日帰り圏内”という条件をつけたせいで、候補がかなり絞られていてな」
「……ご迷惑をおかけします」
「まあいい。そのぶん、他とのバランスも取りやすい。いずれにせよ、数日中には割り振りを確定させる。それまでの間──」
そこで一度、僕をまっすぐに見る。
「新大阪ゲートを進めておいてくれ」
(……よし)
胸の奥で、小さくガッツポーズを取る。
「承知しました」
自然と背筋が伸びる。
「で……実際のところ、君はどこまで進めるつもりなんだ?」
強さの“踏み込み確認”。
質問自体はシンプルだが、答え方ひとつで、今後の扱いが変わる類の問いだ。
一拍置いて、息を整える。
「最終的には、90階層を目指します」
空気が、わずかに重くなる。
「ただ……現時点で“確実にクリアできる”と言い切れるのは、40階層までだと考えています」
九条さんの視線が、さらに鋭くなった。
「……なぜ、そう判断した」
「一ノ瀬さんを助けたときの戦闘で、“自分の限界”と“まだ余裕があるライン”が、ある程度見えました」
「……あの時の“41階層のデビル”か」
「はい。ご存知の通り、あれは通常なら辿り着けない階層のモンスターでした。けど──実際に戦って、“どこまで通用するのか”を自分の体で理解できたんです」
九条さんの視線が、ほんのわずかに鋭さを和らげた。
「なるほど……契約モンスターやスキルとの相性もか?」
「それも要素のひとつですが……」
言葉を選び、少しだけ視線を伏せる。
「詳しい内容については、できれば詮索しないでいただきたいです」
沈黙。
数秒後、九条さんは静かに息を吐いた。
「……こちらを信用しているからこそ、そこまでは正直に言った。そう理解していいな?」
「はい」
「なら、こちらも“それ以上”は踏み込まない。その代わり──」
九条さんは指先で机を軽く叩き、言い方を改める。
「クリアした階層や、その時の状況だけは正直に報告してくれ。できれば……各階層の“特徴”や“変化点”も分かる範囲で教えてほしい」
「……というと?」
「大型ゲートは、まだまだ未知が多い。上層に行くほど情報がない。政府としても、“階層ごとのデータ”を少しでも蓄積したいんだ」
たしかに、九条さんの言う通りだった。
上の階層ほど、まだ到達した帰還者が存在しない。
「もちろん、危険を冒してまで詳細を調べろ、とは言わない。君が進む予定の40階層あたりまでは、何か気づいた点があれば、でいい」
「……分かりました。報告内容は整理してお伝えします」
「助かる」
短く頷き合う。
ほんの少しだけ、信頼のラインが深まった気がした。
「ちなみに──」
念のため、もうひとつ確認しておく。
「今日、このあと……新大阪ゲートに入っても問題ありませんか?」
九条さんは、わずかに目を細め、それから小さくうなずいた。
「許可する。ただし、くれぐれも無茶はするな」
「はい。今日はこのあと、そのまま新大阪へ向かいます。中で丸一日使うつもりなので、明日の夕方に、いったん報告に戻ります」
「……明日の仕事は?」
「有給を出しておきます」
柊さんが、半ば呆れたように口を開く。
「そんなに長時間ゲートにこもる人、他にいませんよ?テントでも持ち込むおつもりですか」
「いえ、寝袋です。携帯食と水も一通り」
「真面目なんだか、ふざけているのか分かりませんね。無茶をするなと言われたばかりなのに……」
「すみません……」
苦笑しながら、カバンの中身を思い浮かべる。
ディアの影の中には、すでに“ゲート用の一式”が詰め込まれているはずだ。
政府施設を出て、そのまま電車で新大阪方面へ向かう。
揺れる車内でスマホを取り出し、会社の勤怠システムにアクセス。
「……よし。有給申請、送信っと」
今日の会議で、プロジェクトは、どのみち“外部状況の様子見”で一時停止気味だ。
明日一日いなくても、致命的な支障は出ないだろう。
(何かあっても、サブマネが何とかしてくれる……はず)
夕方、新大阪駅に到着。
そこから“新大阪ゲート管理施設”に立ち寄り、手続きを済ませる。
受付の隊員たちとも、もうすっかり顔見知りだ。
「本日は、入場ですか?」
「はい」
最低限の確認だけ済ませ、ジャージ姿に着替える。
荷物の重さを、改めて肩で確認する。
ゲート前に立ち、ゆっくりと息を吸い込んだ。
『──コユキ、ディア。準備はいいか』
『うん。いつでもいけるよ』
『ええ。あなたが行くというなら、どこへでも付き合うわ』
影が静かに揺らぎ、ブレスレットが淡くきらめく。




