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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第四章:月は静かに見ていた

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034話『ふたつの家、拡散される異能』

──「平穏」って、やっぱり贅沢だ。


一昨日から昨日にかけて、本当に色々あった。


激戦の末に救い出した一ノ瀬とリィナを病院に送り、容体を見届けて。

そのあとディアが、ちょっと拗ねて、ちょっと嫉妬して──そして、今は……まあ、やけにご機嫌だ。


……何があったかは、ここでは語らない。

語っちゃいけない気もする。


ともあれ、今日は3月21日。

春分の日明けの火曜日。連休明けとはいえ、またいつもの「会社員」に戻る日だ。


とはいえ、午前中は在宅勤務。

午後からはゲートにも行かず、ゆっくり過ごすつもりだ。

……94階層での訓練も含めて。あそこも、もうひとつの「家」みたいになってきたし。


「……おはよう」


寝ぼけ眼のままリビングに行くと、ソファの上で白いモフモフが丸くなっていた。


「おっそいよ、秀人。もう朝ごはん終わった」


「早くない?ていうか猫がどうやって朝飯を用意するんだ」


「自動炊飯器と冷凍ごはんとレンジと、この前足の器用さで」


「人類の努力に謝ってほしいな……僕のいないところで文明フル活用するのやめてくれない?」


コユキはすっかり「完全起床モード」で、尻尾をくるりと巻いて香箱座りしている。


僕の手首のブレスレットが、かすかに震えた。


「……ん、ふぁ……おはよう、秀人」


小さな光がふわっと浮かび、ミニサイズのディアが姿を現す。

まだ少し眠そうなのに、第一声はこれだ。


「今日も会えて嬉しい。……さっきまでの顔も、寝起きで可愛かったわよ?」


「朝一で言われたことないタイプの感想だな、それ」


横でコユキがじとっとした目を向けてくる。


「……昨夜の余韻が残ってるのかしらね。ふふっ」


「ディア、それ以上はストップでお願いします」


慌てて遮る僕をよそに、ディアはふわりと飛んで僕の肩に腰を下ろした。

距離が、昨日までよりほんの少し近い。


「今日は仕事なのよね? あんまり無理しないで」


「はいはい。おとなしく社会人やってきますよ」


──うちの相棒たちは、相変わらず仕事より手強い。


そこからは、いつもの「在宅の午前」。


クライアントへのメール、チャットでのやり取り、進捗資料の更新。

短い打ち合わせをオンラインでこなし、ガントチャートとひたすら向き合っていく。


「……よし。ひと区切り」


時計を見ると、11時半を少し回っていた。

時間は短くても、集中すればそれなりに削られる。


「おつかれさま、秀人。ちゃんとやり切ったわね」


ミニディアが、僕の腕に軽く抱きつくようにして覗き込んでくる。


「撫でてもいいわよ?ほら、ご褒美」


「それ、立場逆じゃない?」


「人間だって、癒やされる側が必要なの」


机の端では、コユキが丸くなってこちらを見ている。


「……今日は特別に、たくさんモフってもいいよ?」


「べ、別に。秀人が頑張ってたから……気分よ。ほら、早く」


「はいはい。ありがたく癒やされます」


白い毛並みをゆっくり撫でると、コユキは喉を鳴らしながらも、小さく一言。


「……しゃべらないで。今はモフに集中」


──仕事より疲れる、うちの相棒たち(二度目)。


残りの仕事をやり切った後、午後は完全オフにした。


ひと通りSNSを眺めたあと、柊さんにメッセージを送る。


【明日、午後に淀屋橋に伺います。柊さん、いらっしゃいますか?】


返事はすぐ来た。


【承知しました。明日は政府施設におりますので、時間を合わせましょう】


(よし。明日の確認と相談先は確保できたな)


スマホをテーブルに置き、ひと息つく。

今日このあと、外に出る予定はない。

小型ゲートにも行かないつもりだ。


……ただ、もうひとつの「居場所」で、今日はしっかり体を動かすつもりだった。


「じゃ、行くか」


「94階で訓練?」


「うん。今日はまとまった時間が取れるし、ちゃんとやっておきたい」


コユキが三本の尻尾をふわっと揺らし、ディアは嬉しそうに微笑む。


僕は深く息を吸い、ディア本体のいる94階層へ意識を切り替えた。


94階層──ディアの古城。


赤い月が浮かぶ夜の空。

石造りの回廊。

冷たさの中に、もう馴染んでしまった空気がある。


「おかえり、秀人」


広間に入った途端、ディアがこちらへ歩み寄ってきた。

ミニサイズではない、本来の姿のディアは、相変わらず息を呑むほど整っている。


「何その顔。そんなに見つめられると、照れるわ」


「いや、毎回ちょっと見惚れてるだけです」


「ふふ。素直なのは悪くないわね」


すっと距離を詰めて、自然な動きで僕の肩に手を置いてくる。

昨夜のことを思い出しそうになって、慌てて意識を切り替えた。


「さ、さあ。訓練でも」


「まだ何も言ってないのに?真面目ね、本当に」


「訓練、しよ?ね?」


絶妙なタイミングでコユキが間に入る。


「……ふふ。じゃあ今日は、いつもより少しだけ負荷を上げましょうか」


「ほどほどでお願いします」


そんなやり取りから、訓練が始まった。


ディアが血と魔力で生み出したモンスターを相手に、コユキの支援を受けながら連携の確認。

影移動と時間視界の組み合わせ、攻撃と防御の切り替え、位置取りの精度。

いろんなスキルも試していく。


時計を見れば、あっという間に4時間が経っていた。


「……ふぅ」


ステータスウィンドウを呼び出す。


【レベルアップ!現在レベル:46】


「よし……上がったか」


たった一つ上げるだけで、この経験値量だ。


(……ほんと、RPGなら完全に“後半の伸び方”だな。経験値の要求量が跳ね上がってくる頃合いだ)


そんな内心を落ち着かせていると、横からディアの声。


「秀人、4時間頑張ったわね……高みに行こうとするほど、時間も経験も必要になるものよ。」


椅子に腰をかけたディアが、紅茶のカップを軽く傾ける。

足元ではコユキがふにゃっと伸びながら、尻尾を揺らす。


「うん。今日は特に手応えあったよ。ボクたち、間違いなく前に進んでる」


「……ん?今“ボク”って言ったか?」


コユキが、ぴたりと尻尾を止めた。


「言ったよ?今日から“ボク”にすることにしたの」


「急にどうした」


「だって、“私”って……ちょっと固いじゃん?秀人のしゃべり方、ずっと聞いてたら、こっちの方がしっくりきたんだよ。猫だし、ボクの方が可愛いでしょ?」


どこか誇らしげに胸を張る。

……なるほど。無邪気さと理屈が半々なのが、コユキらしい。


ディアがくすっと笑いながら横槍を入れる。


「ふふ、いいんじゃない?その方が“あなたらしい”わよ」


「でしょ!」


そのやり取りに肩の力が抜け、僕は小さく息をついた。


「……そうだな。今日の訓練は、ほんと手応えあったよ」


しんどい。間違いなくきつい。

なのに、不思議と嫌じゃない。


(……“レベル”って仕組み、やっぱり分かりやすいよな)


会社での評価や、勉強の成果はどうしても曖昧だ。

テストの点があっても、仕事の評価があっても、“どれだけ伸びたのか” は見えづらい。


でも、レベルは違う。


倒した相手、積み重ねた経験――そのすべてが“数値”に集約される。

昨日より今日、どれだけ強くなったのか、明確に示してくれる。


ただそれだけのことなのに、不思議とやる気が湧く。


(見えるって、大事なんだよな……)


──ようやく“やりがい”という言葉を、素直に口にしてもいい気がしていた。


訓練を終え、現実世界のリビングに戻ってきた頃には、外は暗くなっていた。


さっと風呂で汗を流し、パジャマに着替えてソファに沈み込む。


「……文明、偉大」


体を動かしたあとのシャワーは、それだけで生き返る感覚がある。

相手がモンスターという時点で、だいぶ現実離れしているけれど。


足元では、コユキがラグの上で半分眠そうに丸くなっていた。

三本の尻尾だけが、ゆっくり揺れている。


「私はまだ元気よ」


ブレスレットから、ミニチュアサイズのディアがひょいっと顔を出し、僕の肩に乗る。


「明日の訓練後のおやつも、ちゃんと用意しておいてね?」


「感想がそれしかないのか」


軽くため息をつきつつ、僕はスマホを手に取った。

夕食の前に、情報収集タイムだ。


ニュースアプリとSNSをざっと巡り、帰還者関連の話題をチェックする。


「……やっぱり増えてるな」


“契約モンスター紹介”“スキル実演配信”“ダンジョン潜ってみた”――

帰還者を前面に出した動画や投稿が、目に見えて増えていた。


火の玉を投げる映像、壁を駆け上がる映像、空中で一瞬止まる映像。

派手な演出と編集が加わり、再生数と投げ銭で盛り上がっているらしい。


「タグまでできてるのね。『うちのモンスターが可愛すぎる』、ですって」


ディアが画面を覗き込みながら呟く。

コユキは目を細めたまま、


「……あれ、炎の出し方がちょっと雑。燃費悪そう」


と、プロ目線のコメントを入れてくる。


一方で、少しスクロールを進めると、別のトーンの投稿も目立ち始めていた。


《帰還者が街にいると思うと正直怖い》

《スキルって、どこまで危険なんだろう》

《モンスターとか連れて歩いてるの、正直怖い》


興味と不安が、同じタイムラインの上で並んでいる。


「……まあ、そうなるよな」


例えば、職場に突然「火を出せる同僚」が現れたら。

隣の席の社員が、いきなり空を飛べるようになったと言い出したら。


戸惑うのが普通だ。


「人間って、新しい力には惹かれるけど、同じくらい怖がるわよね」


ディアの声は、どこか落ち着いていた。


「特に今回は、“普通の人間”と“力を持った人間”の境界が一気に露出したからね」


僕は画面を閉じて、軽く息を吐く。


「だからこそ、目立ち方を間違えると、簡単に叩かれる」


派手にスキルを見せつけてバズる帰還者もいれば、僕みたいに、あえて目立たないように動いている帰還者もいる。

その間に生まれる誤解や恐怖は、放っておくとどんどん大きくなるだろう。


「……明日、柊さんとちゃんと話そう」


小型ゲートの進捗。

そして──病院に運ばれた一ノ瀬さんとリィナの“容体の確認”。


今どういう状況で、次に何が必要なのか。

そこは、きちんと把握しておくべきだ。


そうひとつ区切りをつけて、ようやく立ち上がり、簡単な夕食の支度を始めた。


鍋を温め直して、出汁にご飯を入れ、卵を落として雑炊にする。

湯気と一緒に、出汁の香りが部屋に広がった。


「はぁ……明日も、忙しくなりそうだ」


そう呟きながら、僕は静かに箸を動かした。


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