034話『ふたつの家、拡散される異能』
──「平穏」って、やっぱり贅沢だ。
一昨日から昨日にかけて、本当に色々あった。
激戦の末に救い出した一ノ瀬とリィナを病院に送り、容体を見届けて。
そのあとディアが、ちょっと拗ねて、ちょっと嫉妬して──そして、今は……まあ、やけにご機嫌だ。
……何があったかは、ここでは語らない。
語っちゃいけない気もする。
ともあれ、今日は3月21日。
春分の日明けの火曜日。連休明けとはいえ、またいつもの「会社員」に戻る日だ。
とはいえ、午前中は在宅勤務。
午後からはゲートにも行かず、ゆっくり過ごすつもりだ。
……94階層での訓練も含めて。あそこも、もうひとつの「家」みたいになってきたし。
「……おはよう」
寝ぼけ眼のままリビングに行くと、ソファの上で白いモフモフが丸くなっていた。
「おっそいよ、秀人。もう朝ごはん終わった」
「早くない?ていうか猫がどうやって朝飯を用意するんだ」
「自動炊飯器と冷凍ごはんとレンジと、この前足の器用さで」
「人類の努力に謝ってほしいな……僕のいないところで文明フル活用するのやめてくれない?」
コユキはすっかり「完全起床モード」で、尻尾をくるりと巻いて香箱座りしている。
僕の手首のブレスレットが、かすかに震えた。
「……ん、ふぁ……おはよう、秀人」
小さな光がふわっと浮かび、ミニサイズのディアが姿を現す。
まだ少し眠そうなのに、第一声はこれだ。
「今日も会えて嬉しい。……さっきまでの顔も、寝起きで可愛かったわよ?」
「朝一で言われたことないタイプの感想だな、それ」
横でコユキがじとっとした目を向けてくる。
「……昨夜の余韻が残ってるのかしらね。ふふっ」
「ディア、それ以上はストップでお願いします」
慌てて遮る僕をよそに、ディアはふわりと飛んで僕の肩に腰を下ろした。
距離が、昨日までよりほんの少し近い。
「今日は仕事なのよね? あんまり無理しないで」
「はいはい。おとなしく社会人やってきますよ」
──うちの相棒たちは、相変わらず仕事より手強い。
そこからは、いつもの「在宅の午前」。
クライアントへのメール、チャットでのやり取り、進捗資料の更新。
短い打ち合わせをオンラインでこなし、ガントチャートとひたすら向き合っていく。
「……よし。ひと区切り」
時計を見ると、11時半を少し回っていた。
時間は短くても、集中すればそれなりに削られる。
「おつかれさま、秀人。ちゃんとやり切ったわね」
ミニディアが、僕の腕に軽く抱きつくようにして覗き込んでくる。
「撫でてもいいわよ?ほら、ご褒美」
「それ、立場逆じゃない?」
「人間だって、癒やされる側が必要なの」
机の端では、コユキが丸くなってこちらを見ている。
「……今日は特別に、たくさんモフってもいいよ?」
「べ、別に。秀人が頑張ってたから……気分よ。ほら、早く」
「はいはい。ありがたく癒やされます」
白い毛並みをゆっくり撫でると、コユキは喉を鳴らしながらも、小さく一言。
「……しゃべらないで。今はモフに集中」
──仕事より疲れる、うちの相棒たち(二度目)。
残りの仕事をやり切った後、午後は完全オフにした。
ひと通りSNSを眺めたあと、柊さんにメッセージを送る。
【明日、午後に淀屋橋に伺います。柊さん、いらっしゃいますか?】
返事はすぐ来た。
【承知しました。明日は政府施設におりますので、時間を合わせましょう】
(よし。明日の確認と相談先は確保できたな)
スマホをテーブルに置き、ひと息つく。
今日このあと、外に出る予定はない。
小型ゲートにも行かないつもりだ。
……ただ、もうひとつの「居場所」で、今日はしっかり体を動かすつもりだった。
「じゃ、行くか」
「94階で訓練?」
「うん。今日はまとまった時間が取れるし、ちゃんとやっておきたい」
コユキが三本の尻尾をふわっと揺らし、ディアは嬉しそうに微笑む。
僕は深く息を吸い、ディア本体のいる94階層へ意識を切り替えた。
94階層──ディアの古城。
赤い月が浮かぶ夜の空。
石造りの回廊。
冷たさの中に、もう馴染んでしまった空気がある。
「おかえり、秀人」
広間に入った途端、ディアがこちらへ歩み寄ってきた。
ミニサイズではない、本来の姿のディアは、相変わらず息を呑むほど整っている。
「何その顔。そんなに見つめられると、照れるわ」
「いや、毎回ちょっと見惚れてるだけです」
「ふふ。素直なのは悪くないわね」
すっと距離を詰めて、自然な動きで僕の肩に手を置いてくる。
昨夜のことを思い出しそうになって、慌てて意識を切り替えた。
「さ、さあ。訓練でも」
「まだ何も言ってないのに?真面目ね、本当に」
「訓練、しよ?ね?」
絶妙なタイミングでコユキが間に入る。
「……ふふ。じゃあ今日は、いつもより少しだけ負荷を上げましょうか」
「ほどほどでお願いします」
そんなやり取りから、訓練が始まった。
ディアが血と魔力で生み出したモンスターを相手に、コユキの支援を受けながら連携の確認。
影移動と時間視界の組み合わせ、攻撃と防御の切り替え、位置取りの精度。
いろんなスキルも試していく。
時計を見れば、あっという間に4時間が経っていた。
「……ふぅ」
ステータスウィンドウを呼び出す。
【レベルアップ!現在レベル:46】
「よし……上がったか」
たった一つ上げるだけで、この経験値量だ。
(……ほんと、RPGなら完全に“後半の伸び方”だな。経験値の要求量が跳ね上がってくる頃合いだ)
そんな内心を落ち着かせていると、横からディアの声。
「秀人、4時間頑張ったわね……高みに行こうとするほど、時間も経験も必要になるものよ。」
椅子に腰をかけたディアが、紅茶のカップを軽く傾ける。
足元ではコユキがふにゃっと伸びながら、尻尾を揺らす。
「うん。今日は特に手応えあったよ。ボクたち、間違いなく前に進んでる」
「……ん?今“ボク”って言ったか?」
コユキが、ぴたりと尻尾を止めた。
「言ったよ?今日から“ボク”にすることにしたの」
「急にどうした」
「だって、“私”って……ちょっと固いじゃん?秀人のしゃべり方、ずっと聞いてたら、こっちの方がしっくりきたんだよ。猫だし、ボクの方が可愛いでしょ?」
どこか誇らしげに胸を張る。
……なるほど。無邪気さと理屈が半々なのが、コユキらしい。
ディアがくすっと笑いながら横槍を入れる。
「ふふ、いいんじゃない?その方が“あなたらしい”わよ」
「でしょ!」
そのやり取りに肩の力が抜け、僕は小さく息をついた。
「……そうだな。今日の訓練は、ほんと手応えあったよ」
しんどい。間違いなくきつい。
なのに、不思議と嫌じゃない。
(……“レベル”って仕組み、やっぱり分かりやすいよな)
会社での評価や、勉強の成果はどうしても曖昧だ。
テストの点があっても、仕事の評価があっても、“どれだけ伸びたのか” は見えづらい。
でも、レベルは違う。
倒した相手、積み重ねた経験――そのすべてが“数値”に集約される。
昨日より今日、どれだけ強くなったのか、明確に示してくれる。
ただそれだけのことなのに、不思議とやる気が湧く。
(見えるって、大事なんだよな……)
──ようやく“やりがい”という言葉を、素直に口にしてもいい気がしていた。
訓練を終え、現実世界のリビングに戻ってきた頃には、外は暗くなっていた。
さっと風呂で汗を流し、パジャマに着替えてソファに沈み込む。
「……文明、偉大」
体を動かしたあとのシャワーは、それだけで生き返る感覚がある。
相手がモンスターという時点で、だいぶ現実離れしているけれど。
足元では、コユキがラグの上で半分眠そうに丸くなっていた。
三本の尻尾だけが、ゆっくり揺れている。
「私はまだ元気よ」
ブレスレットから、ミニチュアサイズのディアがひょいっと顔を出し、僕の肩に乗る。
「明日の訓練後のおやつも、ちゃんと用意しておいてね?」
「感想がそれしかないのか」
軽くため息をつきつつ、僕はスマホを手に取った。
夕食の前に、情報収集タイムだ。
ニュースアプリとSNSをざっと巡り、帰還者関連の話題をチェックする。
「……やっぱり増えてるな」
“契約モンスター紹介”“スキル実演配信”“ダンジョン潜ってみた”――
帰還者を前面に出した動画や投稿が、目に見えて増えていた。
火の玉を投げる映像、壁を駆け上がる映像、空中で一瞬止まる映像。
派手な演出と編集が加わり、再生数と投げ銭で盛り上がっているらしい。
「タグまでできてるのね。『うちのモンスターが可愛すぎる』、ですって」
ディアが画面を覗き込みながら呟く。
コユキは目を細めたまま、
「……あれ、炎の出し方がちょっと雑。燃費悪そう」
と、プロ目線のコメントを入れてくる。
一方で、少しスクロールを進めると、別のトーンの投稿も目立ち始めていた。
《帰還者が街にいると思うと正直怖い》
《スキルって、どこまで危険なんだろう》
《モンスターとか連れて歩いてるの、正直怖い》
興味と不安が、同じタイムラインの上で並んでいる。
「……まあ、そうなるよな」
例えば、職場に突然「火を出せる同僚」が現れたら。
隣の席の社員が、いきなり空を飛べるようになったと言い出したら。
戸惑うのが普通だ。
「人間って、新しい力には惹かれるけど、同じくらい怖がるわよね」
ディアの声は、どこか落ち着いていた。
「特に今回は、“普通の人間”と“力を持った人間”の境界が一気に露出したからね」
僕は画面を閉じて、軽く息を吐く。
「だからこそ、目立ち方を間違えると、簡単に叩かれる」
派手にスキルを見せつけてバズる帰還者もいれば、僕みたいに、あえて目立たないように動いている帰還者もいる。
その間に生まれる誤解や恐怖は、放っておくとどんどん大きくなるだろう。
「……明日、柊さんとちゃんと話そう」
小型ゲートの進捗。
そして──病院に運ばれた一ノ瀬さんとリィナの“容体の確認”。
今どういう状況で、次に何が必要なのか。
そこは、きちんと把握しておくべきだ。
そうひとつ区切りをつけて、ようやく立ち上がり、簡単な夕食の支度を始めた。
鍋を温め直して、出汁にご飯を入れ、卵を落として雑炊にする。
湯気と一緒に、出汁の香りが部屋に広がった。
「はぁ……明日も、忙しくなりそうだ」
そう呟きながら、僕は静かに箸を動かした。




