033話『SideStory クラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン ― 孤月の城』
私は、どれほど長くこの場所にいたのだろう。
94階層──
ここは、私にとって墓標であり、檻であり、そして罰だった。
空は暗く、風も冷たく、凍てついた石造りの空間。
石造りの廊下に響くのは、私ひとりの足音だけ。
その音さえ、いつからか“ただの証明”になった。
ああ、まだ私はここにいるのだ、と。
“ボス”という存在らしい。
滑稽な話だ。この檻に縛られた存在が、何を統べるというのか。
どうして私はここにいるのか。
戦いの果てか、誰かに封じられたのか。
はたまた、自ら望んだ孤独なのか──今となっては曖昧だ。
ただひとつだけ、確信できることがあった。
「私は……一人だった」
誰も来ない。
誰も呼ばない。
永遠にも似た時間が、静かに積もっていく。
孤独は、心を侵す。
怒りも期待も消え、感情の形すら霞んでいく。
そうして私は、“存在のための存在”になった。
何も求めず、何も待たず。
ただ立ち、ただ息をし、ただ時に沈むだけ。
──その静寂が破られたのは、本当に唐突だった。
微かな波紋。
魔力の揺らぎ。
それが“人のもの”だと気づいた瞬間、胸の奥が震えた。
「……人間?」
ああ、懐かしい響き。
私が忘れたと思っていた“興味”のかたち。
私は本体ごと階層を出ることはできない。
けれど影だけなら飛ばせるかもしれない。
意識を混ぜ、分体のようにして下層へ降りる。
その先で──私は彼を見た。
黒髪で、どこか疲れたような目。
それなのに、奥に確かな光を宿した人間。
見た瞬間、胸の奥で、ほんの小さな波が立った。
(……何、この感じ……?)
それは興味とも違う。
懐かしさとも違う。
ただ、忘れていた部分がわずかに動いた——そんな感覚。
私はその揺らぎに戸惑い、思わず“試してみたくなった”。
高慢に振る舞う。
恐れられるように。
嘲るように。
怯えると思った。
逃げると思った。
けれど──彼は違った。
驚きながらも、すぐに冷静さを取り戻していた。
(……ほんと、珍しいわね)
その瞬間、小さく、心が笑った。
次に会いたい──
その感情が湧いたとき、私はもう決めていた。
彼を、こちらに呼ぶと。
──その想いを魔力に乗せ、私は外界への干渉を試みた。
本来なら不可能だ。
ダンジョンの構造を内部から操作し、外へ通路を開くなど、いかなる魔術体系にも存在しない禁忌。
けれど、私は始祖。
血と魔力を限界まで削れば、わずかな隙をこじ開けられる。
何時間も集中し続け、血で紡いだ魔力の糸を空間へ通す。
抵抗を感じるたびに編み直し、境界の薄皮を少しずつ裂いていく。
やがて――
空間が“ひとつ”音を立てた。
「……繋がった」
地上の一点と94階層を繋ぐ“サブゲート”が開いた。
「来てくれる……よね?」
期待なんて、何百年ぶりだろう。
私の血と魔力で、ひとつのモンスターを創った。
狼型。灰色の毛並みで、牙も控えめ。
瞳はどこか臆病そうで──どう見ても“弱いモンスター”。
ただ、少し驚かせて、ちょっと困らせて、私という存在を印象づけるための、小さないたずら。
「……だって、その方が楽しいでしょ」
自分で言いながら、思わず小さく笑った。
そして──ゲートが開く。
あの人間が、赤黒い門を抜けて、この94階へ足を踏み入れた。
私は影の中からそっと姿を現し、創ったモンスターを放つ。
彼は、一瞬だけ目を見開いたけれど、
すぐに状況を読み取り、冷静に対処して撃退した。
(……もう少し強くしておけばよかったかしら)
そんなふうに思ったけれど──すぐに、胸の奥がふわりと温かくなった。
驚かすのが目的だったし、彼がちゃんと対処できる強さを持っていると分かって、ほっとしたのだ。
そのあと、城へたどり着いた彼の前で、私は静かに立ち、名乗った。
「私はクラウディア=ノクティア・ブラッドヴェイン。——この世界における“始祖のヴァンパイア”よ」
高貴に、堂々と。
そして──ほんの少しの“遊び心”も混ぜて。
わざと、死を連想させるほどの威圧を、一瞬だけ彼に向けて放った。
反応を見たかった。私という存在を、強く刻みたかった。
そんな小悪魔めいた試しの一手。
けれど、彼は怯えず、逃げず、ただ冷静にこちらを見ていた。
眷属の提案を断られたとき、胸の奥がちくりと痛んだ。
何百年ぶりかに覚える、小さな感情だった。
でも──彼は続けて言った。
「友達にならないか?」
眷属でも、従者でもない。
対等で、寄り添って、支え合う関係──“友達”。
どうしてか、その言葉は、胸の奥に静かに響いた。
驚くほど、嬉しかった。
それからの日々、私は彼の世界を知った。
コンビニの灯り、街のざわめき、テレビの音。
全てが、初めて触れる世界みたいに新鮮で。
私は、毎日、彼のそばにいた。
仕事の姿も、ゲート探索も、家での他愛ない時間も──
楽しかった。
本当に、楽しかった。
まるで、何百年ぶりかに“春”が訪れたみたいだった。
*
記憶の底──
夢のようでいて、確かに存在していた昔日の光景。
私は“始祖”だ。
この世界に最初に姿を現した三体のヴァンパイアのうちのひとり。
他のふたりは眷属を増やし、勢力を広げていった。
けれど私は違った。
私は、自分の血が“あまりにも完成されすぎている”ことを知っていた。
私の血は、完全だった。
だから私は、誰にも血を与えず、ひとりを選んだ。
それでも人は集まってきた。
畏れ、敬い、寄り添おうとした。
居城の周りには街ができ、人々が働き、笑い合い、私の暮らす空間は、いつしかひとつの国のようになっていた。
……あの頃、私は少しだけ満たされていた。
そんなときだった。
もう一体の始祖が、私のもとを訪れるようになったのは。
優雅で、礼儀正しく、知識と魔力をたずさえた吸血鬼。
そして毎度のように求婚してきた。
「君の血を、君の心を、私にくれないか」
私は毎回断った。
心が動く理由もなかった。
だが、断るたびに彼の瞳の色は変わっていった。
哀しみなのか、執着なのか──それとももっと別の何かへ。
そしてある日、言葉もなく彼は来た。
数えきれないほどの眷属を従えて。
告げられたのは、戦いの開始。
街は燃え、人々は逃げ惑い、
かつて私を慕っていた者たちでさえ、彼の眷属となり牙を剥いた。
私は戦った。
押し寄せる眷属を、そして彼自身を──
自らの手で葬り去った。
……そして気づいた。
生き残った者など、どこにもいないということに。
「……どうして、こうなったの……」
焼け落ちた城の前で、私はひとり立ち尽くした。
血も、力も、思いも、すべてが崩れ落ちていった。
あの日、私は決めた。
誰とも繋がらない。
誰にも心を寄せない。
ひとりでいれば、壊れることはないから。
それからどれほどの時が過ぎたのか分からない。
何者かに封じられたのか、自らここへ閉じこもったのかすら曖昧になり、記憶の断片だけが風化していった。
永遠にも似た静寂の中、私は“ひとり”に慣れ、孤独を選び続けた。
──孤独だけが、私の隣にあると思っていた。
秀人に出会うまでは。
*
一ノ瀬透花。
彼女の存在は、私の中にさざ波を立てた。
彼女は聡く、落ち着いていて、真っ直ぐで──
秀人と話す姿を見て、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
(……なんで、胸が痛むの?)
感情の名前がわからなかった。
ただの興味でも、苛立ちでもない。
でも、心の奥がぎゅっと縮むように痛い。
苦しくて、寂しくて──そして、悔しかった。
その名も知らない“反応”に蓋をしたまま、私は無意識に訓練モンスターを強くしてしまった。
そして──彼を傷つけた。
ほんのわずかな傷。
それなのに、秀人の右肩に赤い線が走ったのを見た瞬間、心臓が、ひどく冷たくなった。
(私……何をしてるの……?)
同じ場所にいられなくて、逃げるように背を向けた。
けれど──彼は追いかけてきた。
静かな廊下で足を止めた私に、秀人はいつもの声で、けれどどこか優しく言ってくれた。
あの夜。
私が自分でもうまく言葉にできない気持ちを、彼は急かさず、揺らさず、ただ、ゆっくり受け止めてくれた。
そして──
「……もう少しだけ、そばにいても……いい?」
震えるように問うと、秀人は迷いなく言った。
「もちろん」
その瞬間、胸の奥で固く絡まっていた何かが、ふっと解けていくのを感じた。
夜の城の一室。
月光とランタンの灯りだけが揺れ、静けさが布のようにふたりを包んでいた。
失った過去は戻らない。
あの日の街も、人々も、もう帰ってこない。
──でも。
今の私は、ひとりではない。
たったひとつの“友としての契約”が、長い孤独を破り、心をつなぎ、未来へと道を開いた。
私はヴァンパイア。
始祖であり、怪物であり──
そして今は。
あの人の隣にいる、自分を好きになりつつある。
そんな“私”になり始めている。
第三章、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
この章は、僕の中では――
秀人が42歳の理性だけでは抑えきれない「情」で、隣にいる者たちの未来を選び取った章でした。
仲間との絆も、感情の爆発も、ようやく“ここまで積み上げたもの”が報われた感覚があります。
そして次の第四章からは、世界がさらに広がっていきます。
ただ派手になるだけじゃなく、秀人の内面や、選択の重さもじわっと深くなっていく章です。
特に終盤は、第三章とは違う種類の“エモさ”が残る終わり方になっていますので、よければそのまま見届けてもらえると嬉しいです。
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