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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第三章:交差する意志と揺らぐ心

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031話『淡く灯る、その距離で』

病院の廊下は、夜の空気をそのまま閉じ込めたように静かだった。


三階層の救出劇から、まだ一時間ほどしか経っていない。

僕は個室の前の長椅子に座り、薄いガラス越しに眠る二人を見ていた。


ベッドの上、一ノ瀬は点滴につながれ、呼吸は浅いが整っていた。

そしてその隣では、リィナが疲れを抱えたまま、小さく寝息を立てている。


──助けられて、本当に良かった。


あの紫の魔弾が脳裏をよぎるたび、喉がひりつく。

一撃でも遅れていたら、どちらも今ここにはいなかった。


スマホが震えた。九条さんからだ。


【柊がそちらに向かっている。22時前後に到着予定】


僕はすぐ返信する。


【承知しました。病室で待機しておきます】


壁の時計は20時半を指していた。

救急搬送の時点では全身が緊張していたのに、今は現実に追いつくように疲労が押し寄せてくる。


長椅子に体を預け、影に丸まるコユキへ念話を送る。


『……静かだな』


『うん。いい静けさだと思うよ。二人とも、生きてる』


『ああ。ギリギリだったけどな』


影の中の小さな白猫は、いつもの調子で落ち着いた声を返した。

その穏やかさが救いになっていた。


ブレスレットが淡く光り、ミニチュアのディアが現れる。


「ねぇ秀人。あんたはまた戦う。ゲートがあれば飛び込む。でも……その先に、何を望んでるの?」


「……何を、か」


僕はしばらく黙った。


目的?

使命?

そんな格好いいものはない。


だからこそ、嘘をつかずに言った。


「まだ先なんて見えてない。ただ──今が楽しいんだ。」


ディアが無言になる。

だけど否定ではない。

むしろ、続きを促す沈黙だった。


「退屈な毎日から抜けてさ。毎日が想像つかなくて、次の展開が読めなくて……それが、すごく心地いい。だから戦ってるだけだよ。ワクワクが続くなら、それで十分だ。」


飾り気のない本音。


「……ふふ」


かすかな笑いが漏れた。

冷たくも艶のある声に、ほんの少しだけ柔らかさが混じっている。


「そういう答え、嫌いじゃないわ。目的も野望もないのに、迷わず前へ進むのって……案外いちばんタチが悪いんだから」


声音は呆れているようで、でもどこか楽しそうだった。


「あんたがどこまで行くのか……ちょっと楽しみになってきた」


それ以上何も言わず、光の粒になってブレスレットへ戻っていった。


ディアの興味の矛先は──使命ではなく“秀人という存在そのもの“へ向いていた。


22時前。

静かにノックが響き、扉が開いた。


入ってきたのは柊さんだった。

いつもよりややラフなジャケット姿。

だが、その眼差しは変わらず冷静だった。


「時任さん、お疲れさまです」


「来ていただいて助かります。正直……僕もそろそろ限界でした」


少し苦笑気味に立ち上がり、病室の状況を簡潔に報告する。


「お二人とも容体は安定しています。ただ、すぐに動ける状態ではありません」


柊さんはすぐに頷き、落ち着いた声で答えた。


「承知しました。こちらで監視と調整を引き継ぎます」


「ありがとうございます。僕は、このあと近くのホテルで休もうと思います。……正直、ここで倒れられる状況でもないので」


「当然です。今日の件は相当に負担が大きかったはずです。どうかゆっくり休んでください」


丁寧な一礼を向ける柊に、僕も軽く頭を下げる。


「では、よろしくお願いします」


そう言って病室を後にした。


ホテルの部屋へ戻り、靴を脱いだ瞬間──そのままベッドに沈み込んだ。


……助かった。


声にならない言葉が、胸の奥でようやくほどけていく。

張り詰めていた何かが、じわりと緩んでいった。


だが、その直後にふっと思考がよぎる。


(……まだ、2週間と少ししか経ってないんだよな)


ゲートが出現して、わずか16日。


それなのに、もう一ヶ月分、いや二ヶ月分くらいの密度で“変化”が雪崩れ込んできている。


スキルを覚え、契約して、レベルが上がり、戦い、守り、また戦って──気づけば、ずっと全力で走り続けている感覚だった。


(……なんとなく、ゲームの“序盤ブースト”に似てるな)


スマホゲームを始めたばかりの頃。

課金で一気に強くなって、敵もサクサク倒せて、進むたびに気持ちよかった。


──でも慣れたら、一気に飽きた。


(ディアには“今が楽しい”なんて言ったけど……この毎日も、そのうち“退屈”に変わるんだろうか)


答えは出ないまま、視界が静かに落ちていく。

そのまま、深い眠りへ沈んでいった。



翌朝。

僕は7時すぎに病室へ戻った。


柊さんはすでに来ていて、壁際でタブレットに目を通していた。

顔つきは疲れているはずなのに、姿勢は崩れていない。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「……はい。思っていたよりは休めました」


僕が答えると、柊さんは落ち着いた表情で軽く頷いた。

ベッドでは一ノ瀬もリィナも、まだ静かに眠っている。


「……お二人とも、一度も意識を?」


「はい。医師によれば、本日中には目覚める可能性が高いとのことです」


そこで柊さんの視線が僕へ向く。


「昨日の現場について、差し支えない範囲で構いません。状況を教えていただけますか?」


「承知しました。僕が把握できた内容のみですが……」


僕は必要な部分だけを順序立てて説明する。


「到着時、一ノ瀬さんはリィナを庇う形でいました。おそらく意識はわずかにあったようですが、戦闘継続はほぼ不可能な状態でした」


柊さんの表情がほんの少しだけ沈む。


「敵の種類は?」


「シャーマン風のゴブリンが一体。それと──小型ゲートでは想定外の強さを持つデビル型のモンスターがいました」


「……想定外の強さを持つデビル、ですか」


「おそらく、あのゴブリンに“召喚系スキル”があったのだと思います。ダンジョン内のモンスターをランダムに呼び寄せるタイプで……今回は最悪の個体を引いた可能性があります」


本当は──これは昨夜、コユキから教えてもらった推測だ。

僕自身も、分析として腑に落ちた。


柊さんはしばらく沈黙し、それからゆっくり頷いた。


「詳細は、一ノ瀬さんが目覚め次第、改めて確認いたします」


その言葉が終わるのと同時に、ベッドのシーツがわずかに揺れた。


一ノ瀬透花が、ゆっくりとまぶたを開く。


柊さんが声をかける前に、


「……おはようございます」


かすれた声が、静かな病室に落ちた。


「ご気分はいかがですか?」と柊さんが問う。


「……水を……少しだけ」


柊さんはすぐに介助し、彼女の喉に無理のないよう少量を含ませる。


僕は一ノ瀬さんの横へ立ち、静かに声をかけた。


「目を覚まされて安心しました」


彼女は僕の方へ視線を向け──ほんの一瞬、まつげが揺れた。


「……本当に、助けていただき……ありがとうございました」


「間に合って良かったです」


彼女はしばらく僕を見つめ、ためらいがちに──けれど、どこか迷いを含んだ息を吐いた。


「……あらためて……ありがとうございました」


その頬が、ほんのわずかに赤く染まった。


その瞬間、ブレスレットがかすかに熱を帯びる。

気のせいかもしれない。

でも、チリッと小さく火花が走ったような気配だった。



それから少しして、リィナも目を覚ました。


「……ん……あれ……?」


焦点を探すように視線が揺れ、すぐに大きく見開かれる。


「……わたし……生きて……?」


一ノ瀬が微笑んだ。


「ええ。あなたを庇って、私も倒れて……でも、助けてくださった方がいたの」


一ノ瀬の言葉に、リィナの視線が僕へ向く。


「……時任さん……?」

焦点が合った瞬間、リィナの目が大きく開く。


「もしかして……助けて、くださったんですか……?」


「はい。間に合ってよかったです」


誤魔化さず、しかし必要以上に大げさにもしない。

淡々と事実だけを返す。


リィナはその言葉を聞いて、胸に手を当て、ほっと息を落とした。


「……ありがとうございます……」


そして僕は立ち上がった。


「では、僕はこれで。今後の対応は柊さんが行ってくれますので、ご安心ください」


出口へ向かいかけたとき──


「……時任さん」


一ノ瀬さんの声が僕を呼び止める。


振り返ると、彼女はベッドの上でまっすぐこちらを見ていた。


「……本当に、ありがとうございました。このご恩は、必ずお返しします」


「……お気持ちだけで十分です。どうか今日は休んでください」


軽く会釈し、病室を後にした。


病院を出ると、日の光が少しだけ眩しく感じた。


最寄り駅のベンチに腰を下ろし、電車を待っていると、足元の影がわずかに揺れた。

コユキが、そっと声をかけてくる。


『……二人とも、助かってよかったね。本当に、あと一歩だった』


『ああ。本当に、間に合ってよかったよ』


コユキの声には、安堵と少しの誇らしさが混じっていた。


だが──ブレスレットの中のディアは、静かなままだ。


『……ディア? 聞こえてる?』


念話を送っても、返答はない。


『……もしかして、寝ちゃってるのかな……?』


コユキが小さくつぶやく。


けれど──胸の奥に、針の先みたいな違和感が残ったままだ。


(……ディアが“無言”って、珍しいよな)


普段、仕事で遅刻も欠勤もない社員が、連絡もなく突然姿を見せない──ただそれだけで、不安がじわりと広がる。


“いつも通り”が崩れたとき、人は何かを察してしまう。


ディアの沈黙にも、どこか同じ空気を感じていた。


もっとも、返事をくれるならそれでいい。

話せるなら、ちゃんと向き合うべきだ。


ちょうどその時、電車がホームに滑り込み、春の風が足元をふっと揺らした。


(……帰ったら、ちゃんと話そう)


僕は小さく息をつき、電車へと足を踏み入れた。



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