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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第三章:交差する意志と揺らぐ心

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030話『紫弾飛ぶ刻に』

静岡駅に着いた瞬間、僕はホームに飛び降りた。


──間に合え。


胸の奥で、ずっと金属を叩き続けるような痛みが鳴っている。

焦りすぎて、景色の流れ方さえ妙にスローに見えた。


九条さんが手配してくれていた黒い車が、駅前ロータリーの端に止まっていた。

ドアが開くと同時に、俺は駆け込む。


「時任さんですね。ゲートへ急ぎます。乗ってください」


運転手は無駄のない声で確認してくる。


「はい、お願いします」


ドアが閉まった瞬間、車は静かに加速した。


喉の奥が熱くなるほど焦っているのに、頭の中は妙にスローだ。


……けど。


(焦っても、着く時間は変わらない)


座席に深く背を預け、僕は一度、息を全部吐き切った。


吐ききってから数秒。

自然に、空気が身体へ流れ込む。


日常業務でメンタルを整える時に、無意識で使っていた癖だ。


4つ数えて吸って──

6つかけて、ゆっくり吐く。


吸った空気が背中のほうへ流れていくイメージをする。

もう一度、同じリズムで繰り返す。


(……落ち着け。今やるべきは、焦ることじゃない)


社会人として、何度も経験してきた。

トラブル対応、緊急案件、想定外の炎上。


どれも──

焦りで判断を誤るより、一度呼吸を整えてから動くほうが必ずよいパフォーマンスにつながる。


僕は窓の外を見ながら、胸のざわつきを押し沈めるように考えを整理していく。


運転手が信号を抜けて加速した。


「到着までは十五分ほどです。最短ルートを走っています」


「ありがとうございます。お願いします」


焦りは──ある。

胸が痛いほど。


だけど、

焦っても到着時間は変わらない。

変えられるのは『僕の状態』だけだ。


車が大きく左に曲がり、目的の小型ゲートが視界に入ってきた。

最低限の距離まで近づいて停まった。


僕はシートベルトを外し、ドアが開ききる前に外へ踏み出していた。


「お気をつけて」


「ありがとうございます」


影が足元へ寄り添い、コユキの気配が柔らかく揺れた。


『……秀人、落ち着いていこ?』


『ああ、分かってる』


ブレスレットの中から、ディアの小さな声がそっと重なる。


『……準備はできているわ。ただ──どんな状況でも驚かない覚悟だけはしておきなさい』


(こういう時だけ、妙に冷静なんだよな……)


少しだけ口角が緩む。


ゲートに手を触れると、視界にメッセージが流れ込んでくる。


【クリア済み:1〜2階】

【スタート可能階層:3】


「……3階から行く」


踏み込んだ瞬間──空気が“異様”だった。


(これは……誰かが戦っている気配)


遠くで、魔力の爆ぜる音。

空気が裂けるような悲鳴。


(……一ノ瀬)


喉の奥が反射的に熱くなる。

僕は全力で駆け出した。


岩場の陰を抜けた──その瞬間、視界が一気に開けた。


そして──

空間を裂くように、紫の魔力弾が矢の雨のように飛び交っていた。


そのうちの一発が、小柄なエルフ──リィナに着弾した。


「っ……!」


小さな身体が跳ね、崩れる。


その前で震える足で立っていたのは──


──一ノ瀬透花。


髪も服も血と土埃で汚れ、足元はふらつき、それでも剣を握り、リィナを庇うように立っている。


胸の奥がズキッと痛む。


そして、インプスナッチャーがニヤリと笑い、次の魔弾をチャージしたのが見えた。


狙いは──一ノ瀬。


(間に合え──ッ!!)


足へ魔力を叩き込み、影移動(シャドウ・シフト)で距離を一息に消す。


時間視界(クロノサイト)が展開され、世界がスローに歪んだ。


魔弾が一ノ瀬の胸に向けて一直線。


「──結界防壁(バリアフィールド)!!」


半透明の光壁が弾けるように現れ──

バシュッ!!


火花が散り、僕と一ノ瀬の間に紫の光が雨のように落ちた。


「……っ」


一ノ瀬は驚いたように目を開き、声にならない呼吸のまま固まっていた。


「大丈夫か」


短く問うと──

数秒後、かすかに、こくん、と頷いた。


その仕草が見えた瞬間、僕は胸の奥にひとつだけ区切りをつける。


(間に合った……)


僕は無言で頷き返し、バットを握り直す。


一ノ瀬はこちらを呆然としたように見ていた。

まるで、目の前の光景を“信じきれない”と言わんばかりの表情で。


「……ここからは僕がやる」


威圧(プレッシャー)を放つ。


圧が空気をゆっくり押し広げ、インプスナッチャーのニヤついた顔がわずかに強張った。


そのタイミングで──ブレスレットが淡く光り、ミニチュアのディアがふっと姿を現す。


「……あの小悪魔、普通じゃない。今の秀人でも油断すれば危険よ」


「分かってる。だから──一ノ瀬とリィナの回復も頼みたい。それと、二人を守ってほしい」


ディアは渋々という顔でため息をついた。


「まったく……無茶ばかり言うんだから。この身体じゃ、戦闘支援まではできないわ。防御と回復で魔力はギリギリ。そこは理解しなさい」


「十分だよ。二人が確実に守られてるって分かれば、僕は戦闘に全力を振れる」


ディアは、ほんの一瞬だけ沈黙し──


「……まったく。そう言われると断れないのが腹立つわ」


そうぼやきながら、小さな両手を広げる。


淡い光の膜がふわりと広がり、一ノ瀬とリィナを包み込む防御結界が展開された。


直後──


「邪魔だぜ、おっさんッ!」


インプスナッチャーの身体が弾けるように動き、六発の紫弾が乱射される。


「っ……!」


僕は反射的に時間視界(クロノサイト)を起動した。


世界が、ひと拍だけ遅れる。


その“ズレ”の中で、僕は弾丸の軌道を読み、紙一重の角度で身体を傾ける。

頬をかすめる風。

その瞬間、影に魔力を落とし込む。


影移動(シャドウ・シフト)

次の瞬間には、僕は敵の真横へ跳んでいた。


逃れようと背を向けたデビルに、短く呟く。


「止まれ」


足元へ叩き込むように、魔力を流す。

氷牙凍結(フロストバイト)──凍気が爆ぜ、悪魔の脚が瞬時に凍結する。


「ぐっ……足が……!」


それでも後退する力は強く、一瞬で距離を取られた。


僕の影が、ふるりと波を打つ。

──コユキが跳び出した。


「支援展開っ!勇刻励起(ブレイヴ・インパルス)護環結界(ミスト・バリア)っ!」


影猫とは思えぬ鋭い声に、二重の補助魔法が重なる。

つづけざまに、火球術(ファイア・ボール)風流操作(エア・ルーメ)で風刃が迸る。


魔弾と火球が正面衝突し、舞い散る火花の中──

風の刃がデビルの外套を裂いた。



一ノ瀬は呆然とその光景を見ていた。


(……こんな……)


以前一緒に潜った時の時任とは、別人のようだった。


息が上がっていたように見えたあの日。


息を荒げていたはずの男が──

今は“限界の中で、なお余裕を残す戦い方”をしている。


(これが……本当の強さ……)


胸の奥がざわめく。

ただ、目を奪われるしかなかった。



僕はゴブリンの気配にも気づき、横合いからバットを叩きつける。


「ギャッ──」


緑血が散り、地面を濡らした。


踏み込みと同時に、魔力を脚に集中させる。

重圧跳躍(グラヴィティ・フレア)──


視界が一気に上へ跳ねた。


敵が魔弾をチャージし始める。


(来る……)


空中で時間視界(クロノサイト)を再展開。

世界が鈍化し、魔弾一発ごとの軌跡が“線”として浮かび上がる。


腰をひねり、肩を落とし、空中で重心を細かく捻る。

スレスレを抜ける魔弾の熱が、皮膚を焦がすようだった。


そして──


「──そこだッ!」


フルスイング。


ガキィィィン!!


敵の身体が吹き飛ぶ。


その一瞬、影が裂けた。


コユキが一直線に跳び──

鋭い爪が、敵の喉元すぐ下の急所を正確に突き刺す。


「ギッ……!?」


小悪魔の身体が一瞬、硬直した。


その刹那を逃さず、ぐっと深く牙を立てる。


バシュッ──。


敵の動きが糸が切れたように止まり、崩れ落ちた。


──静寂。


僕はバットを地面に突き、ひとつ深く息を吐いた。


──そのとき。


「……勝った……の?」


かすれた声が、岩の陰から届いた。


一ノ瀬透花。


振り向けば、彼女はまだ剣を握ったまま、ほとんど倒れかけの身体で、こちらを必死に見ていた。


ほとんど意地だけで立っている――そんな状態だった。


(……ディアがバリア張ってくれてたんだから、座ってればよかったのに)


僕は歩いて距離を詰め、はっきりした声で返す。


「ああ。もう終わりだ。大丈夫」


その言葉を聞いた瞬間、一ノ瀬の目が少しだけ細まり、糸が切れたようにその場へ静かに膝をついた。


コユキが、心配そうに一ノ瀬を覗き込む。

ミニチュアのディアがふらりと現れた。


「……回復、もう少しだけならできるよ。魔力はもう底だけど」


「それで十分だ。頼む」


ディアは小さく息を吐き、両手を合わせる。

ほのかな光が、二人を包むように溢れた。


温かな光。

緊張で縮こまっていた一ノ瀬の肩が、わずかに震えて緩む。


「……じゃあ、私は……休む……」


言葉の最後は完全に溶けて、ディアはそのままブレスレットへ戻った。

リィナは地面に倒れたまま微かに息をしている。


けれど、さっきよりは確かに“生”の気配が戻っていた。


一ノ瀬は、岩壁にもたれながら座っていた。

その瞳が、まだ息の整わないまま、僕に向けられる。


「……本当に……あなたが……?」


震える声だった。

安堵の色が隠しきれず滲んでいる。


「うん。もう大丈夫だよ」


「……そっか……助かった……のね」


彼女の声は弱かったが、確かに安堵していた。


僕はまずリィナの身体を抱き上げる。

軽い。

けれど、その重さは命を助けられた重さだ。


そのまま、一ノ瀬へ目を向ける。


「一ノ瀬、歩ける?」


少し驚いたように目を見開き――

そのあと、力なく笑みを浮かべ、こくりと頷いた。


「……肩……借りてもいい?」


「もちろん」


僕は彼女の手を取り、片腕を肩に回して立ち上がらせる。

身体の重さが素直に預けられてくる。


歩き出す前、ふと思い出したように口を開いた。


「……一つ、お願いがある」


「……なに?」


「僕が来るまでのことは、全部そのまま報告していい。ただ……戦闘の内容だけは、“気絶しててよく覚えてない”で済ませてほしい」


一ノ瀬は僕の顔をじっと見た。

その沈黙は数秒――いや、彼女の中ではもっと長かった気がする。


そして、小さく息を吸い、


「……分かりました」


静かに、けれどはっきり答えた。


ゲートを抜けると、警戒任務の隊員が二人待機していた。


僕の腕に寄りかかる一ノ瀬を見て、表情を強張らせる。


「負傷者2名!重度です!救急車の手配をお願いします!」


僕の声に、隊員がすぐ反応する。


「了解!至急手配します!」


一人の隊員が無線に飛びつき、もう一人は担架の準備を始めた。


(……任せられる)


ようやく、ほんの少しだけ力が抜けた。


僕は片手でスマホを取り出し、九条へ連絡を入れる。


【救出完了。二人とも重傷。現在、現地隊員が救急車を手配中】


送信して数秒。

すぐに返信が届く。


【了解。受け入れ病院はすでに確保済み。サポートは任せろ】


(……さすがだな)


ちょうどその時、ゲートの前に赤色灯が差し込み、サイレンの音が近づいてきた。


外の空気はまだざらついていて、戦闘の余韻は抜けない。

でも――確かに、助かったのだ。


長い一日が、ようやく終わった。


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