030話『紫弾飛ぶ刻に』
静岡駅に着いた瞬間、僕はホームに飛び降りた。
──間に合え。
胸の奥で、ずっと金属を叩き続けるような痛みが鳴っている。
焦りすぎて、景色の流れ方さえ妙にスローに見えた。
九条さんが手配してくれていた黒い車が、駅前ロータリーの端に止まっていた。
ドアが開くと同時に、俺は駆け込む。
「時任さんですね。ゲートへ急ぎます。乗ってください」
運転手は無駄のない声で確認してくる。
「はい、お願いします」
ドアが閉まった瞬間、車は静かに加速した。
喉の奥が熱くなるほど焦っているのに、頭の中は妙にスローだ。
……けど。
(焦っても、着く時間は変わらない)
座席に深く背を預け、僕は一度、息を全部吐き切った。
吐ききってから数秒。
自然に、空気が身体へ流れ込む。
日常業務でメンタルを整える時に、無意識で使っていた癖だ。
4つ数えて吸って──
6つかけて、ゆっくり吐く。
吸った空気が背中のほうへ流れていくイメージをする。
もう一度、同じリズムで繰り返す。
(……落ち着け。今やるべきは、焦ることじゃない)
社会人として、何度も経験してきた。
トラブル対応、緊急案件、想定外の炎上。
どれも──
焦りで判断を誤るより、一度呼吸を整えてから動くほうが必ずよいパフォーマンスにつながる。
僕は窓の外を見ながら、胸のざわつきを押し沈めるように考えを整理していく。
運転手が信号を抜けて加速した。
「到着までは十五分ほどです。最短ルートを走っています」
「ありがとうございます。お願いします」
焦りは──ある。
胸が痛いほど。
だけど、
焦っても到着時間は変わらない。
変えられるのは『僕の状態』だけだ。
車が大きく左に曲がり、目的の小型ゲートが視界に入ってきた。
最低限の距離まで近づいて停まった。
僕はシートベルトを外し、ドアが開ききる前に外へ踏み出していた。
「お気をつけて」
「ありがとうございます」
影が足元へ寄り添い、コユキの気配が柔らかく揺れた。
『……秀人、落ち着いていこ?』
『ああ、分かってる』
ブレスレットの中から、ディアの小さな声がそっと重なる。
『……準備はできているわ。ただ──どんな状況でも驚かない覚悟だけはしておきなさい』
(こういう時だけ、妙に冷静なんだよな……)
少しだけ口角が緩む。
ゲートに手を触れると、視界にメッセージが流れ込んでくる。
【クリア済み:1〜2階】
【スタート可能階層:3】
「……3階から行く」
踏み込んだ瞬間──空気が“異様”だった。
(これは……誰かが戦っている気配)
遠くで、魔力の爆ぜる音。
空気が裂けるような悲鳴。
(……一ノ瀬)
喉の奥が反射的に熱くなる。
僕は全力で駆け出した。
岩場の陰を抜けた──その瞬間、視界が一気に開けた。
そして──
空間を裂くように、紫の魔力弾が矢の雨のように飛び交っていた。
そのうちの一発が、小柄なエルフ──リィナに着弾した。
「っ……!」
小さな身体が跳ね、崩れる。
その前で震える足で立っていたのは──
──一ノ瀬透花。
髪も服も血と土埃で汚れ、足元はふらつき、それでも剣を握り、リィナを庇うように立っている。
胸の奥がズキッと痛む。
そして、インプスナッチャーがニヤリと笑い、次の魔弾をチャージしたのが見えた。
狙いは──一ノ瀬。
(間に合え──ッ!!)
足へ魔力を叩き込み、影移動で距離を一息に消す。
時間視界が展開され、世界がスローに歪んだ。
魔弾が一ノ瀬の胸に向けて一直線。
「──結界防壁!!」
半透明の光壁が弾けるように現れ──
バシュッ!!
火花が散り、僕と一ノ瀬の間に紫の光が雨のように落ちた。
「……っ」
一ノ瀬は驚いたように目を開き、声にならない呼吸のまま固まっていた。
「大丈夫か」
短く問うと──
数秒後、かすかに、こくん、と頷いた。
その仕草が見えた瞬間、僕は胸の奥にひとつだけ区切りをつける。
(間に合った……)
僕は無言で頷き返し、バットを握り直す。
一ノ瀬はこちらを呆然としたように見ていた。
まるで、目の前の光景を“信じきれない”と言わんばかりの表情で。
「……ここからは僕がやる」
威圧を放つ。
圧が空気をゆっくり押し広げ、インプスナッチャーのニヤついた顔がわずかに強張った。
そのタイミングで──ブレスレットが淡く光り、ミニチュアのディアがふっと姿を現す。
「……あの小悪魔、普通じゃない。今の秀人でも油断すれば危険よ」
「分かってる。だから──一ノ瀬とリィナの回復も頼みたい。それと、二人を守ってほしい」
ディアは渋々という顔でため息をついた。
「まったく……無茶ばかり言うんだから。この身体じゃ、戦闘支援まではできないわ。防御と回復で魔力はギリギリ。そこは理解しなさい」
「十分だよ。二人が確実に守られてるって分かれば、僕は戦闘に全力を振れる」
ディアは、ほんの一瞬だけ沈黙し──
「……まったく。そう言われると断れないのが腹立つわ」
そうぼやきながら、小さな両手を広げる。
淡い光の膜がふわりと広がり、一ノ瀬とリィナを包み込む防御結界が展開された。
直後──
「邪魔だぜ、おっさんッ!」
インプスナッチャーの身体が弾けるように動き、六発の紫弾が乱射される。
「っ……!」
僕は反射的に時間視界を起動した。
世界が、ひと拍だけ遅れる。
その“ズレ”の中で、僕は弾丸の軌道を読み、紙一重の角度で身体を傾ける。
頬をかすめる風。
その瞬間、影に魔力を落とし込む。
影移動
次の瞬間には、僕は敵の真横へ跳んでいた。
逃れようと背を向けたデビルに、短く呟く。
「止まれ」
足元へ叩き込むように、魔力を流す。
氷牙凍結──凍気が爆ぜ、悪魔の脚が瞬時に凍結する。
「ぐっ……足が……!」
それでも後退する力は強く、一瞬で距離を取られた。
僕の影が、ふるりと波を打つ。
──コユキが跳び出した。
「支援展開っ!勇刻励起、護環結界っ!」
影猫とは思えぬ鋭い声に、二重の補助魔法が重なる。
つづけざまに、火球術と風流操作で風刃が迸る。
魔弾と火球が正面衝突し、舞い散る火花の中──
風の刃がデビルの外套を裂いた。
*
一ノ瀬は呆然とその光景を見ていた。
(……こんな……)
以前一緒に潜った時の時任とは、別人のようだった。
息が上がっていたように見えたあの日。
息を荒げていたはずの男が──
今は“限界の中で、なお余裕を残す戦い方”をしている。
(これが……本当の強さ……)
胸の奥がざわめく。
ただ、目を奪われるしかなかった。
*
僕はゴブリンの気配にも気づき、横合いからバットを叩きつける。
「ギャッ──」
緑血が散り、地面を濡らした。
踏み込みと同時に、魔力を脚に集中させる。
重圧跳躍──
視界が一気に上へ跳ねた。
敵が魔弾をチャージし始める。
(来る……)
空中で時間視界を再展開。
世界が鈍化し、魔弾一発ごとの軌跡が“線”として浮かび上がる。
腰をひねり、肩を落とし、空中で重心を細かく捻る。
スレスレを抜ける魔弾の熱が、皮膚を焦がすようだった。
そして──
「──そこだッ!」
フルスイング。
ガキィィィン!!
敵の身体が吹き飛ぶ。
その一瞬、影が裂けた。
コユキが一直線に跳び──
鋭い爪が、敵の喉元すぐ下の急所を正確に突き刺す。
「ギッ……!?」
小悪魔の身体が一瞬、硬直した。
その刹那を逃さず、ぐっと深く牙を立てる。
バシュッ──。
敵の動きが糸が切れたように止まり、崩れ落ちた。
──静寂。
僕はバットを地面に突き、ひとつ深く息を吐いた。
──そのとき。
「……勝った……の?」
かすれた声が、岩の陰から届いた。
一ノ瀬透花。
振り向けば、彼女はまだ剣を握ったまま、ほとんど倒れかけの身体で、こちらを必死に見ていた。
ほとんど意地だけで立っている――そんな状態だった。
(……ディアがバリア張ってくれてたんだから、座ってればよかったのに)
僕は歩いて距離を詰め、はっきりした声で返す。
「ああ。もう終わりだ。大丈夫」
その言葉を聞いた瞬間、一ノ瀬の目が少しだけ細まり、糸が切れたようにその場へ静かに膝をついた。
コユキが、心配そうに一ノ瀬を覗き込む。
ミニチュアのディアがふらりと現れた。
「……回復、もう少しだけならできるよ。魔力はもう底だけど」
「それで十分だ。頼む」
ディアは小さく息を吐き、両手を合わせる。
ほのかな光が、二人を包むように溢れた。
温かな光。
緊張で縮こまっていた一ノ瀬の肩が、わずかに震えて緩む。
「……じゃあ、私は……休む……」
言葉の最後は完全に溶けて、ディアはそのままブレスレットへ戻った。
リィナは地面に倒れたまま微かに息をしている。
けれど、さっきよりは確かに“生”の気配が戻っていた。
一ノ瀬は、岩壁にもたれながら座っていた。
その瞳が、まだ息の整わないまま、僕に向けられる。
「……本当に……あなたが……?」
震える声だった。
安堵の色が隠しきれず滲んでいる。
「うん。もう大丈夫だよ」
「……そっか……助かった……のね」
彼女の声は弱かったが、確かに安堵していた。
僕はまずリィナの身体を抱き上げる。
軽い。
けれど、その重さは命を助けられた重さだ。
そのまま、一ノ瀬へ目を向ける。
「一ノ瀬、歩ける?」
少し驚いたように目を見開き――
そのあと、力なく笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
「……肩……借りてもいい?」
「もちろん」
僕は彼女の手を取り、片腕を肩に回して立ち上がらせる。
身体の重さが素直に預けられてくる。
歩き出す前、ふと思い出したように口を開いた。
「……一つ、お願いがある」
「……なに?」
「僕が来るまでのことは、全部そのまま報告していい。ただ……戦闘の内容だけは、“気絶しててよく覚えてない”で済ませてほしい」
一ノ瀬は僕の顔をじっと見た。
その沈黙は数秒――いや、彼女の中ではもっと長かった気がする。
そして、小さく息を吸い、
「……分かりました」
静かに、けれどはっきり答えた。
ゲートを抜けると、警戒任務の隊員が二人待機していた。
僕の腕に寄りかかる一ノ瀬を見て、表情を強張らせる。
「負傷者2名!重度です!救急車の手配をお願いします!」
僕の声に、隊員がすぐ反応する。
「了解!至急手配します!」
一人の隊員が無線に飛びつき、もう一人は担架の準備を始めた。
(……任せられる)
ようやく、ほんの少しだけ力が抜けた。
僕は片手でスマホを取り出し、九条へ連絡を入れる。
【救出完了。二人とも重傷。現在、現地隊員が救急車を手配中】
送信して数秒。
すぐに返信が届く。
【了解。受け入れ病院はすでに確保済み。サポートは任せろ】
(……さすがだな)
ちょうどその時、ゲートの前に赤色灯が差し込み、サイレンの音が近づいてきた。
外の空気はまだざらついていて、戦闘の余韻は抜けない。
でも――確かに、助かったのだ。
長い一日が、ようやく終わった。




