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晩年こそ本番。42歳会社員、モンスター猫とダンジョン挑戦記──この冒険、やり直しじゃなくて、僕の本番だ。  作者: 七乃白 志優
第一章:目覚めのゲート

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003話『影を駆ける敵、刻まれるスキル』

砕けたタイルを踏みしめるたび、靴底が小さく鳴る。

薄暗く崩れた通路の奥。湿った風が、ゆるやかに吹き抜けていた。


「……少し、慣れてきたみたいね」


前を歩くコユキが、ちらりとこちらを見る。

その銀の瞳には、わずかな試す色があった。


「緊張が切れたわけじゃない。普通に歩こうと歩き方を変えただけだよ」


「ふふ、言葉の割に動きが落ち着いてるわ。最初より呼吸が整ってる」


「……たしかに、最初は無我夢中だったかもな」


言いながら自分でも驚いていた。

最初の戦闘の時のような恐怖は、もうなかった。

代わりにあるのは、どこかに満ちる“張り詰めた静けさ”。

緊張と静けさが、今は不思議と心地いい。


「ここ、さっきより空気が重い気がする」


「奥に行くほど魔素が濃くなるから。慣れないうちは、身体がだるく感じるのよ」


魔素。

この世界での酸素みたいなもの——そう彼女は言っていた。

空気が濃くなり、頭の芯がじんわりと痺れてくる。

異世界の“呼吸”に、少しずつ身体が順応していくのを感じた。


そのとき、コユキの耳がピクリと動く。

次の瞬間、彼女の声が低くなった。


「……来るわ。前とは違う気配」


壁の亀裂から、ぬるりと黒い粘液のようなものが這い出てくる。

スライム——だが、前に戦った個体とは違う。

その表面は光を吸い込み、まるで影が形を得たように揺らめいていた。


「……動きが違うな」


黒い塊は地面を滑るように進む。

次の瞬間、まるで影に溶けるように姿を消し、別の位置に現れた。


「今の見た?“跳んだ”んじゃない、“滑った”のよ」

コユキの声が鋭くなる。

「影を媒介に移動してる。……影移動(シャドウ・シフト)ね」


「スキル……?」


「ええ。短距離を影ごと滑るスキル。なるほど、これなら——摂取対象としても面白い」


「……摂取?」


「説明してなかったわね」


コユキはわずかに顎を引き、視線をスライムから外さないまま言った。


「私の固有スキルは2つ。時間視界(クロノサイト)と、模写捕食(ミミック・イーター)。敵の身体の一部を取り込むことで、そのスキル構造を模写できるの。もちろん全部じゃないけど」


「……取り込むって、まさか……食べるのか?」


「噛むの。舐めるの。ちょっと“味見”すれば十分よ」


軽く言いながら、コユキのしっぽがふわりと揺れた。

僕は喉の奥がひやりとするのを感じながら、鉄パイプを握り直す。


スライムが再び影に沈み、音もなく滑るように迫ってくる。


「……来るよ!」


スライムがこちらに向けて滑るように突進してきた。


「避けて!」


叫ぶと同時に、僕は脇へ飛んだ。

背後を刃のような粘液がかすめる。ゾクリと背筋が冷える。


「いい反応ね、秀人」


スライムがこちらを威嚇し、再び影を這う。


その瞬間、コユキが跳ねた。


白銀の身体が空中を弧を描き、スライムの頭上から落ちる。

刹那、鋭く光る爪がスライムの表皮を切り裂いた。


「今!」


彼女の口元が一瞬、獣のそれに変わった気がした。


──ガブッ!


次の瞬間、スライムの身体の一部がコユキの口の中で光を放ち、霧のように溶けて消える。


「……模写、完了」


着地と同時に言い放つその声は、どこか興奮をはらんでいた。


「……終わった、のか?」


「ええ」


「ええ。スキルは奪えたわ。影移動(シャドウ・シフト)――新しい手札ね」


彼女の尻尾がゆるく揺れた。

その仕草は、どこか満足げだった。


「そのスキル、僕にも共有できるのか?」


「慣れるまでは、練習が必要。影に入る感覚、タイミング、距離の制御。うまく扱えなければ、ただの暴走スキルよ」


「……了解。練習して何とかモノにする」


「その意気よ、マスター」


コユキの口元が、わずかに緩んだ。

厳しさの中に、嬉しさが滲む。


ふと気になって、僕は尋ねた。

「なあ、この階層にも“層主”ってやつがいるのか?」


「ええ。層主はこの階層の“核”みたいな存在。いない階もあるけど、第一層には必ずいるわ」


「そうなのか。……じゃあ、そろそろボスが出てきたりするのかな」


「もう少し奥みたい。ただ——油断しないで」


コユキが前を向いたまま、静かに言う。

その横顔が、わずかに真剣さを増していた。


歩きながら、ふと道中の話を思い出す。


「……ていうか、喋れるモンスターが普通じゃないって話、改めて思うけど、こうして色々聞けるの助かるな」


「ふふ、それくらい分かってるなら感謝しなさい。“言葉が通じる”モンスターなんて、そう多くないんだから」


「はいはい、ありがたく思っとくよ」


「その“軽い返事”がもう少し丁寧になれば、なお良しね」


「モンスターにマナー指導されるとは思わなかったよ」


「当然でしょ?私は格が違うの」


口調はいつものように少しツンと尖っている。

でも、その尻尾はどこか楽しげに揺れていた。


軽口を交わしながら、ふたりは再び歩き出す。

崩れた廊下に、鉄とコンクリートの残響が淡く響く。


廃墟の奥。

次の試練が、静かにその時を待っていた――。


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