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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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119話『台本の外側』

リビングに入ると、コユキが当然の顔でソファの背にもたれていた。

……もうここが自分の定位置みたいになっている。


キッチンの方では、ディアが湯気の立つカップを用意していて、スーラがぷるんぷるん跳ねている。


コユキが三本の尻尾を揺らして聞いてくる。


「午前のワイドショー見た?」


「見てない」


早見さんがキッチンへ向かい、ディアが並べた皿を受け取ってテーブルに置く。

僕は、少し遅れて椅子に座った。早見さんも同じタイミングで腰を下ろす。


「“速水えりな、体調面を考慮して当面活動休止”って出てた。心配の声すごい」


食卓が落ち着いたところで、箸が動き始める。

……いや、動きかけて止まった。


早見さんが、箸を持ったまま指先を止めた。目が少し泳ぐ。


「……ファンに嘘をついてるみたいで……」


声が小さい。

自分が何か悪いことをした、という顔だ。


「嘘を発表してるのは事務所だよ。詩織さんが背負う話じゃない」


早見さんは唇を結んで、でも頷けない。


コユキが、尻尾を揺らした。


「でも、発表が出たってことは、事務所も“いない”前提で動き出したってこと」


「……そうだな」


僕は箸を置いて、言葉を選ぶ。

“切り分け”を間違えると、早見さんは自分で自分を追い詰めそうな気配がある。


その時、ディアが静かに口を挟んだ。


「それに、“体調面を考慮”は……本当よ」


早見さんが顔を上げた。


「本当……ですか」


ミニチュアのディアは湯気の立つカップの近くで、淡々と言った。


「一昨日からずっと緊張してた。睡眠も浅かった。ごはんだって、味がしてるか分からないくらいだったでしょ。スキルの効果で……体調に出ない方が、むしろ変よ」


「……」


早見さんは視線を落としたまま、少しだけ肩を落とす。

罪悪感の形が、ほんの少し変わった。

“嘘をついた”から、“無理をしてた”へ。


ディアが、静かに言った。


「良心があるのは、悪いことじゃない。……その痛みまで詩織が全部持つ必要はない」


早見さんは小さく、はい、と答えた。


食後、僕はスマホをテーブルに置いた。


「事務所の発表を、こちらの説明の“根拠”に使おう」


コユキが即座に聞き返す。


「何に?」


「帰還者管理庁に“安全な場所で静養中”って連絡しておく。事務所が安否確認で動く時の抑止にもなる。“生存確認は取れてます”が一枚あるだけで、関係者の動きが変わる」


ディアが、僕を見た。視線が鋭い。


「秀人、台本を書いてる。……悪いって意味じゃないわよ」


……図星だ。

僕は状況を整理しこれからのシナリオを立てたがる。

誰かを救う時に、それが正しいとは限らない。


早見さんが、慌てたように手を振った。


「でも……それ、私も良いと思います」


言い方が、違う。

“従います”じゃない。

“自分で選んだ”言い方だ。


僕は短く頷く。


「うん。なら、やろう」


早見さんが少し顔をしかめた。


「ただ……担当の番号、スマホを取られてて分からないんです。東京担当は朝霧さん、って名前ですけど……」


「じゃあ僕担当の柊さんに繋いで、朝霧さんに回してもらおう」


コユキが即座にツッコむ。


「却下」


「え」


「“僕担当”は禁止」


「……関西担当の柊さん、です」


「最初からそう言う」


そのやり取りに、張りつめていた空気が少しだけほどけた。

僕も、ほんの少しだけ笑ってしまう。


コール。

二回目で繋がる。


『……柊です』


声が、仕事モードの低いテンションだ。

この人はこういう時、まず“嫌な予感”を拾う。


「お世話になっております。時任です」


『お世話になっております。――次は、どうされましたか』


「少しご報告がありまして。……嫌なご予感、されてますか」


『……しております』


コユキが横で“ほら”と顔をしている。


「今回の件は成り行きで……速水えりなさんの活動休止の件、ご存じでしょうか」


『はい。把握しております』


「実は……こちらで保護することになりました」


一拍、間が空く。


『……保護、ですか。現在位置の特定は不要ですが、“第三者の同席”だけ確認させてください。時任さん単独ですか?』


ディアやコユキを思い浮かべる。


「同席者はいます。――照会が入った場合は、“生存確認は取れております。”と、その旨のみお伝え願えないでしょうか。私の件は伏せてください」


『……あのぉ……』


溜息は、怒りじゃない。困ってるだけのやつだ。


「ご本人もいますので、代わりますね」


『えっ』


柊さんの反応を他所に、僕はスマホを早見さんへ差し出した。


「お願いします」


早見さんは一瞬だけ息を吸って、目の焦点が変わった。

スイッチが入る。

“人前に立つ対外説明の顔”だ。


「お世話になっております。速水えりなです。突然のご連絡となり申し訳ありません」


語尾が丁寧で、息継ぎが正確で、必要な情報だけを落とさず話す。

声が震えていない。

先ほどまでとは、別人みたいだ。


『確認です。現在ご本人は安全で、体調面は静養が必要な状態――その理解でよろしいでしょうか』


「はい。安全な場所におります。体調面につきましては、休養が必要な状況です」


『承知しました。東京担当の朝霧へ、こちらから共有いたします。事務所・関係者から照会があった場合の返答は――』


「“生存確認は取れております。現在静養中です”。それ以上は回答不可、でお願いいたします」


『……承知しました』


早見さんは深く頭を下げるように、声だけで礼を作った。


「ご配慮ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません」


『いえ。まずは静養を最優先にしてください。こちらでも調整します――時任さんにかわってもらえますか』


「はい、わかりました」


スマホの液晶画面を拭いて、僕の方へ差し出された。

まだ、通話は切れていない。


「時任です」


『……本当に、保護されているのですね。速水さんと繋がりも、あったということで』


「はい。経緯の詳細は控えますが、SNSを始めたことがきっかけで……」


『分かりました。時任さん……あまり問題を増やさないでくださいね』


釘は刺しつつ、声は冷静だ。


『事情を詳しく伺えるタイミングで、また共有ください。取り急ぎ、速水えりなさんの件は九条に私から説明しておきます。その後、九条から東京担当に話が共有されると思います』


「助かります。よろしくお願いいたします」


通話が終わる。


早見さんは、肩から力が抜けていた。

僕は――あの切り替えの鮮やかさを言葉にしかけて、やめた。


褒め言葉が、いつも救いになるとは限らない。

今はたぶん、“できてしまう自分”が一番つらい気がする。


僕は代わりに、短く言った。


「助かった。ありがとう」


それだけで、早見さんは少しだけ笑った。


少ししてインターフォンが鳴った。


『引っ越しです。お届けに来ました』


「僕が出ます」


玄関を開けると、業者さんが二人。


「自分で中に運ぶので、玄関にお願いします」


「了解です。こちらにまとめますね」


衣装ケースが四つ。段ボールが九つ。布団と、細長い袋がいくつか。


テキパキと荷物が積まれて、あっという間に玄関が埋まった。

受領サインをして、ドアを閉める。


向こうから足音がした。


「時任さん、運ぶの……手伝いましょうか」


早見さんが、少し遅れて玄関に顔を出す。

素のままの、気遣いの声だった。


「大丈夫。……でも、ありがとう」


僕がそう返すより早く、ミニチュアのディアが後ろから静かに飛んできた。


「手で運ぶ必要なんて、ないわ」


影が広がって、荷物が“吸い込まれる”みたいに沈む。


衣装ケースが、段ボールが、布団が。

“沈む”。


早見さんは言葉を失って、口を開けたまま止まった。

それでも、昨日みたいに硬直はしない。目が動く。理解しようとしている。


「……え、い、いま……」


コユキが得意げに言う。


「影。便利」


スーラがぷるん、と床の影の端で跳ねた。


ディアが早見さんに視線を向けた。


「94階へ持っていこう」


早見さんが僕を見る。

怯えより、驚きと、少しの期待。


僕は頷いた。


「……そうだな。このまま今日は94階で過ごそう」


物置部屋のサブゲートをくぐる。

空気が変わる。温度と、匂いと、空気の厚み。


94階の“城”に戻ると、ディアがまず荷物の置き場所を示した。

影から吐き出された段ボールが、整然と並んでいく。


「……すごい……」


早見さんは思わずそう漏らして、すぐに口をつぐんだ。

驚きが消えたわけじゃない。ただ、昨日みたいに固まらなくなっている。


ディアは早見さんの顔を一度だけ見て、いつ間にか用意された紅茶のカップを置いた。


「これで、少しは落ち着ける」


早見さんが小さく頷く。


「……はい」


少しの沈黙。

荷物の“生活感”だけが増えていって、城の空気が現実に寄る。


そのタイミングで、ディアがふっと言った。


「秀人にも、今の詩織を見てもらいましょう」


「え……?」


「僕も、今の位置は把握しておきたい」


早見さんは唇を噛んだあと、小さく頷いた。


「……お願いします」


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