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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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116話『段取りが早すぎる朝』

8時を少し回ったところで目が覚めた。

疲れは残ってるのに、頭だけは先に動き出す。


髪を軽く整え、寝室のドアを開ける。

階段を降りていくと――下から、生活の気配がもう上がってきていた。


一階に着いた瞬間、現実が待っていた。


コユキ。ミニチュアのディア。スーラ。ユキ丸。

そして――速水えりな、こと早見詩織。


……泊まるのは許可した。分かってる。

でも、思った以上に“馴染んでる”。

昨日の夜のあの不安定さが、少しだけ薄まって見えるのが、逆に不思議だった。


「お寝坊さんね」


コユキがいつも通りの軽さで言う。

その軽さが、逆に効く。僕の中ではまだ昨日が終わってないのに。


早見さんと目が合った。

昨日より沈みが薄い。ほんの少し、目が前を見てる。


それから、視線が一瞬だけ――安心のほうに寄った……気がする。

すぐ逸らされた。本人も気づいてないみたいに。

でも、逸らしたあとに残る“余韻”だけが、そこにあった。


僕は息をひとつ整えて、キッチンへ回る。


「……朝、食べます?」


「私は、もう……さっき簡単に」


早見さんは淡々と答える。

“食べた”って事実で自分を繋いでる感じがする。


僕はトーストを焼いて、卵を落として、コーヒーを淹れる。

いつもの手順が、今朝はやけに遅く感じた。


席につきながら、僕は確認に入る。

昨日と同じだ。感情より先に、状況を並べる。


「今日の予定、確認していいですか?」


僕が聞くと早見さんは小さく頷いて、台本を読み上げるみたいに言った。


「退職代行に……今日、連絡します。

明日の朝イチで、事務所に伝えてもらいます。

そのあと、一度東京に戻って……昼過ぎから荷詰めと引っ越し。夜に、またこちらへ戻ります」


「……分かりました」


僕が返すと同時に、コユキが胸を張る。


「全部、手配した」


ドヤ顔。

ユキ丸も帽子を外して、ホログラムにタイムラインと予約状況みたいな画面を出す。


(……この家、司令室が板についてきたな)


「……ありがとう」


言いながらも、僕の頭は別の所で引っかかっていた。

匿うって言った。だから、泊まるのはいい。


でも――“いつまで”にするのか。

その間、詩織さん自身は“これからどうする”つもりなのか。

ちゃんと話して、線を引いておかないといけない。


そこへ、ミニディアがさらっと言う。


「朝、詩織に94階のこと、説明しておいたわ」


(……今、なんて)


「え、説明したの?」


素で声が出た。

秘密って、明かした瞬間にリスクになる。

昨日はそれで神経を削ってたのに。


ディアは、涼しい顔で小さく笑うだけ。

そして追い打ちみたいに、ディアが言った。


「秀人が起きる前に少し話したの。――しばらく、94階で過ごしてもらうわ」


「……え?」


口が勝手に開きかけて、止まる。

一時しのぎで匿う――そのはずだった。僕の予定では。


でも、ディアの目が揺れてない。決めた目だ。

僕が信頼してる種類の“決断”の目。


(……一時しのぎの“匿い”が、拠点生活に発展してる)


心が追いつかない。正直。

でも、ここで揉めるのは違う。まずは事実を受け取って、次の手を考える。

僕はそういうふうに生きてきた。


そのとき、詩織さんが小さく手を上げた。


「……コユキさんに、“この時間で”って言われてるので。少し、失礼します」


そう言って、リビングの端に移動してスマホを耳に当てる。

退職代行だ。


(コユキ、どこまで段取り組んでるんだよ……)


全部は聞こえない。

でも、断片だけで十分だった。


「……はい、社員です」

「月曜の朝で……」

「……本人は、出られない……」


胸が少し冷える。

ああ、戻れない一歩を、踏んだ音がする。


電話を終えた早見さんが戻ってきて、ぽつり。


「……一度、東京に戻ります」


僕は考えるより先に口が動いていた。


「駅まで送ります」


早見さんが一瞬だけ驚いて、それから小さく頷く。


外に出て、歩いて駅へ向かう。


帽子を深めに被って、マスク。

念のため、認識阻害系のスキルを薄くかける。


会話は少なめ。少なめのほうが、今はいい。


駅が近づいたところで、早見さんが何か言いかけた。


「……」


言いかけて、飲み込む。

でも、その飲み込み方が昨日より“人”だった。


僕は深追いしない。

深追いは優しさじゃなく圧になる時がある。


「夜、無理しないで。移動、きつかったら言ってください」


早見さんは頷いた。

その頷きが、昨日より少しだけしっかりしている。


──改札の手前で止まって、見送る。

構内に彼女が溶けていくのを見届けてから、僕はゆっくり踵を返した。


リビングに入ると、司令室みたいな空気がそのまま残っていた。

僕はディアとコユキを見て、核心だけ投げる。


「……なんで94階に?」


ディアが即答する。


「秀人、匿うって決めたんでしょ?」


「決めたけど。家に置くのは一時的なつもりだった。次が決まるまで、って」


コユキの軽さが少し消える。現実の顔になる。


「放っておくと、あの“精霊”は面倒が増える。……うちに置いといた方が早い」


「面倒が増える?」


コユキは一瞬だけ、耳を伏せるみたいな顔をした。


「うん。あの精霊――ルミエルの“性質”がね」


「性質?」


清浄領域ピュア・サンクチュアリって常時スキルがある。近くにいるだけで、毒とか疲れとか、身体を蝕む系を“薄める”やつ。あと、癒泉導脈(リジェネレーター)もある。回復が、じわっと続く」


僕は思い出す。昨日、早見さんの周りの空気が、妙に澄んでいたことを。


コユキは続けた。


「だから、詩織の近くにいると体調が整う。居心地がいい。無意識に『近づきたい』って思わせる。――結果、守りたい人が増える……守る人が増えたら、管理も増える。台本も増える。鎖も増える」


言葉が、冷たいほど現実的だった。


「それに、現実の外の作業はボクらじゃ手が届かない。人間の味方が一人増えるのは悪くない。――本人が“選ぶ”なら、だけど」


ディアが続ける。柔らかい声なのに、芯がある。


「“匿う”って言い方が違うのよ。あの子、ずっと隠してほしいんじゃない」


僕は黙る。


「話して分かった。あの子ね――言い方は違っても、芯は一つだった」


一拍。


「――心も体も、もっと強くなりたいって」


「……強く?」


「でもそれは、“誰かを倒したい”じゃない。守られなくても、自分の足で立てるようになりたい。そういう意味」


なるほど、と思う。

守られる檻を壊すには、檻の外で立つ力がいる。


ディアの声色が、いつもの軽さから一段落ちた。


「それにあの子、今、“一人”。孤独はね、慣れた頃にいちばん深く刺さるのよ」


その言い方が、少しだけ自分のことみたいに聞こえた。

僕は何か言いかけて、やめる。


(……ほんと、展開についていけない)


でも、事実は事実だ。

受け入れて、次を考える。それしかない。


僕は息を吐いて、頷いた。


「分かった。二人の判断を信じる。――その段取りで動こう」


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