115話『変な家の、救い方』
玄関に着くと、ユキ丸が出迎えに来た。
ぴたりと止まって、僕の変装姿の顔を見る。
速水さんが目を瞬かせる。
「……ロボット……?」
「家の秘書、みたいなものです」
ユキ丸が帽子を外して、ホログラムを出す。
“おかえりなさい”の表示が淡く浮かんで、速水さんの呼吸が少しだけ乱れた。
リビングに通すと、影の端が動く。
次の瞬間、コユキがひょいと出てきた。
「おかえり。……連れてきたってことは、“匿う方向”で動くんだね?」
速水さんが固まる。
「……猫が……しゃべった……?」
コユキは悪びれず、三本の尻尾をふわりと揺らした。
「うん。しゃべる。で、そっちは――“事情あり”って顔だね」
コユキは、わざと軽く言ってから、僕のほうを見上げる。
確認するみたいに一瞬だけ間を置いて、次に――速水さんへ向き直った。
「改めて。僕はコユキ。……シュナの契約モンスター」
速水さんの瞳が、少しだけ見開かれる。
「け、契約……?」
「うん。だから、ここにいる。今日の“話”、ボクも関係者」
速水さんの喉が小さく動いた。
そのとき。
僕の服の内側が、もぞ、と動いた。
「……え?」
僕の服の内側から、スーラがぴょんっと飛び出した。
「……っ!」
速水さんが声にならない声を漏らす。
短時間に情報量が多すぎる。そりゃそうだ。
「……すみません。順番に説明します」
僕は観念して、リビングで帽子とサングラスとマスクを外した。
速水さんの視線が僕の顔に落ちて、止まる。
そして、小さく言う。
「……やっぱり。京都でお会いした方だったんですね」
「“本物はあんなことしない”ってやつ?」
「……聞こえてました」
軽く笑うしかなかった。
その笑いで、少しだけ空気がほぐれる。
ブレスレットのあたりから、ミニチュアのディアがふわりと出てきた。
「ふぅ。……やっと落ち着ける場所ね」
速水さんが、また固まる。
次の瞬間、ディアが本体サイズに戻ると、固まり方が一段増えた。
「……え、え……?」
「驚かせてごめんなさいね。お茶、淹れるわ」
ディアが台所へ向かう。
スーラもぷるん、とついていく。ゴミ箱の前で一瞬だけ形が変わって、細かいものを溶かす仕草を見せる。
「ありがとう」
僕が言うと、ディアが肩越しに言った。
「どういたしまして。あなたは、お客様のエスコートしなさい」
僕は座り、ローテーブル越しに速水さんと向き合った。
「綺麗な家ですね……」
「結婚してた頃に奮発して建てた家でね。今は一人だけど、居心地が良くてそのまま住んでる」
速水さんは頷く。
頷きながら、少しだけ目が遠い。
ディアが湯気の立つカップを置いた。
香りが、ようやく“家”に戻してくる。
僕は話を戻す。
「匿ってほしい、について。詳しく教えてください」
速水さんはカップに触れたまま、言葉を選ぶ。
「監視……みたいになってます。スマホも管理され、行動予定が全部、台本になって」
「“守るため”ってやつですか」
「……はい。善意です。でも、善意のまま……私の意思が消えていきます」
「明日は、仕事?」
「休みです。月曜日は仕事があります。……行きたくない。もう、出たくない」
そこで、彼女は小さく言った。
「……速水えりなじゃなくて。早見詩織に戻りたいです」
僕は一拍置いて聞く。
「はやみ……詩織。それが……本名ですか」
速水さん――いや、彼女は、頷いた。
「はい」
ここで、勢いに飲まれたらダメだ。
守るなら、段取り。けど段取りの前に、核心だけは確認しておく必要がある。
僕は声のトーンを落とす。
「はやみさん。ひとつだけ、先に聞かせてください」
彼女の指先が、膝の上で小さく握られる。
「……“事務所を辞めたい”って言ったのは、今この場の衝動ですか。それとも、本気ですか」
彼女は、すぐには答えなかった。
でも、迷いながら出てくる言葉じゃない。
「……本気、です」
短いのに、重い。
「月曜になったら……また、台本に戻される。そう思うだけで、息が浅くなるんです」
――ここまで言えた時点で、もう十分だ。
本気なら、次は“どうやって”を詰めるだけ。
僕は頷いて、質問を一段だけ具体に落とした。
「分かりました。じゃあ次の確認です。今の契約形態は、業務委託ですか。それとも雇用ですか」
彼女は言葉に詰まった。
“言ってはいけない癖”が出ているのか。台本の外に出られない感じ。
その瞬間、ディアがさらっと逃げ道を作る。
「ここは台本の外よ。言いたい範囲でいいのよ」
早見さんは、少しだけ肩を落として答えた。
「……雇用契約です。帰還者になる前は業務委託でした。でも……帰還者アイドルとして売るタイミングで、社員扱いになりました」
僕は頷いた。
「雇用なら、辞められます。あなたが辞めたいと言えば、手続きは“できます”」
そして、続けた。
「もし直接のやり取りが怖いのなら、代行という手段もある。これは逃げじゃなく、“安全の確保”のための選択です」
早見さんが目を伏せる。
「……でも」
「迷惑がかかる、って思いますよね」
彼女は小さく頷く。
僕は、自分の退職相談の夜を思い出す。
お世話になった会社には、言うべきだ。
義理は通したい。――だから僕は退職代行に良い感情は薄い。
でも、これは別だ。
“壊れる前”に止める話だ。
「退職は逃げじゃない。迷惑を考える気持ちも分かる。でも、雇用っていうのは、会社が責任を持つ形でもある。今のあなたが、月曜以降どうしても動けないなら――代行は、手段として正しいとも言える」
彼女は、しばらく沈黙したあと、言った。
「……すぐにでも退職したいです」
言い切ったあと、自分の言葉に怯えるみたいに瞬きをした後……ほんの少しだけ顔色が戻った。
“選べた”ことが、彼女を持ち上げた。
「ただ……いきなり辞めたら、家まで来ると思います」
「芸能事務所とかなら……来る可能性はありますね。では――順番を決めましょう」
僕は指を折っていく。
「明日。退職代行に連絡して、月曜の朝イチで事務所へ通知してもらう。即日が無理でも、“現場に出ない”状態を先に作る」
「同じく明日。引っ越し手配をする」
早見さんが頷く。
「家電とかは、買い取りに出せます。いらないものは、引っ越し業者がそのまま持っていく。身軽にする」
彼女の目が、少しだけ明るくなる。
「……それ、いいですね」
「でしょう。匿うって決めた以上、逃げ道を一本じゃなく、二本作る」
彼女が小さく笑った。
笑顔じゃない。でも、呼吸が浅いままではない。
「荷物……こちらに送っていいですか」
「もちろん。ただ、宛名と受け取りはこっちで管理します。表に匂いを残さない」
彼女が頷き、そして不意に言う。
「……本当に、ここで匿われるんですね」
「うん。今夜は。少なくとも、今夜はここで寝てください」
僕は立ち上がって、リビングの端に向かって言った。
「コユキ。ユキ丸。明日、引っ越し業者の手配をお願い。あと退職代行も、候補をいくつか出して」
コユキが、やけに楽しそうに胸を張る。
「任された!」
彼女が、また驚く。
さっきよりは軽い驚きだ。――人は、慣れる。
ユキ丸が帽子を外し、ホログラムに“手配中”のUIを浮かべる。
彼女の視線が、そちらに吸われる。
「……すごい……」
「うち、だいぶ変な家なんで。今日は“変”に救われる日だと思ってください」
コユキが“じゃ、明日の段取り詰めよっか”と空気を切り替え、彼女とユキ丸をそのまま“打ち合わせ”に引きずり込んだ。
僕はキッチンの方へ移動した。
ディアとスーラが夕食の準備をしている。
「お疲れ様」
ディアの声が、やけに柔らかい。
それだけで、肩の力が一段落ちる。
「予想外の方向に来たな」
「あなたの直感が鳴いたんでしょ。なら、正解よ」
僕は一瞬、言い返しかけてやめた。
今日は、正解かどうかを議論する日じゃない。
ふと視線を感じて、振り向く。
リビング側で、彼女がこちらを見ていた。
ディアと僕が短く言葉を交わす、その空気を。
目が合った瞬間、彼女はほんの少しだけ視線を逸らした。
隠すほどじゃないのに、隠したい、みたいな動き。
指先がカップの縁をなぞって、落ち着く場所を探すみたいに止まる。
――羨ましい、じゃない。
でも、そこに“居場所”を確認している目だった。
夕食は静かだった。
彼女はよく食べるわけじゃない。でも、箸は止まらなかった。
食後、彼女が“シャワーをお借りしてもいい”と聞いてきた。
その背中を見送った瞬間、僕は変に落ち着かなくなった。
(……落ち着け。目的は“救う”だ)
ディアが、僕の横で小さく笑った。
「心拍、上がってる。……落ち着きなさい」
「上がるに決まってるだろ」
「……なら、私が“沈めて”あげようか」
「沈めるって……」
ディアは、それ以上は踏み込まず、ただ隣にいた。
その距離感が、いちばん効いた。
やがて彼女が出てきて、用意していた部屋へ案内する。
「……ありがとうございます」
「礼は明日でいい。今日は寝て」
灯りを落として自分の部屋に戻ると、ディアが後から入ってきた。
何も言わず、背中から抱きしめてくる。温度だけがある。
本当にこれで良かったのかは、まだ分からない。
相手がアイドルで、僕が“騙されてる”可能性だって――ゼロにはできない。警戒は、解いていない。
ただ。今日は、自分の直感を信じて動いた。
動いたなら、途中で腰が引けるのが一番よくない。
(やりきる。振り返りは、後でいい)
ディアの腕が、背中の硬さをほどくみたいに少しだけ強くなる。
その圧に、僕の呼吸が落ち着いていく。
この行動で、何かが変わる。
そう信じて――今は。




