113話『土曜のDMと、夕方の約束』
土曜の朝は、9時に目が覚めた。
遅く寝たわけでもない。
頭だけが妙に冴えている。昨日の数字と段取りが、まだ脳内で回ってる。
寝室を出ると、リビングの空気はいつも通り――のはずなのに、机の上だけが司令室みたいになっていた。
ミニサイズのディアがソファの肘掛けに腰掛け、スーラがテーブルの端でぷるんと揺れている。
ユキ丸は帽子をかぶったまま直立。
コユキは、当然みたいな顔で言った。
「おはよ。相互フォロワーのDM、まとめ終わってる」
「……休日の朝の報告じゃないな」
「休日だからこそ。溜めると面倒になる」
正論すぎて反論が浮かばない。
僕は欠伸を飲み込みながら洗面所へ向かい、顔を洗って歯を磨く。
冷たい水で、ようやく身体の方が起きた。
トーストを焼いて、スープを温める。
“休日の朝”を無理やり作って、やっと現実が整う。
席につく頃には、コユキが僕の正面に陣取り、ユキ丸が一歩前へ出ていた。
「とりあえず、まとめた内容をスマホに送って。要約だけでいい」
ユキ丸が帽子を外すと、ふわり、とホログラムが立ち上がる。
箇条書きのリストが空間に並び、最後に“転送しますか?”みたいなUIが出た。
「……もう完全に秘書だな」
ユキ丸の頬の薄いピンクのラインが、ほんの少し明るくなる。
感情っていうより、反応。でも、そう見えるのが厄介だ。
「送信」
次の瞬間、スマホが小さく震えた。
朝食を食べながら、DMの要約を“パラパラ”と流し読む。
送ってきている相手が相手だ。
各国のゲート関連の政府機関、名の通った帰還者、チーム――こちらから先にフォローしている“固い”相手が多いせいか、内容も妙に礼儀正しい。
「一度、情報交換できませんか」
「短時間で構いません。面会の機会を」
「共同声明に名前を貸してほしい」――政治の匂いまで混ざっている。
(詐欺と嫌がらせが無いだけ、マシ……か)
相互フォローを絞って正解だった、と腹の底で確認する。
繋がりを広げると、管理コストが爆発する。
失礼かどうかじゃなく、事故を減らすための設計だ。
リストをもう少し進め――そこで、指が止まった。
送信時刻:午前3時27分
本文内容:「助けて欲しい。息ができない」
送信者:速水えりな
食べ物の味が、一瞬だけ消えた。
胸が冷える、というより、内臓の奥がすっと縮む。
嫌な予感が、言葉より先に立ち上がる。
(……ある)
仕事をしてきて、何度も見た。
ギリギリで引き返せた人もいたし、気づけず溜め込んで、一線を越えた人もいた。
越えたら、もう“休めば戻る”じゃない。
病院で、治療して、時間をかけて――それでも、戻り方が変わる。
昨日手に入れたスキル――前兆直感|のせいかもしれない。
それとも、単に社会経験の積み重ねか。――“言語化できない違和感”が、鳴っていた。
根拠はない。だけど、確信に近い。
これは後回しにしたらダメだ。
僕は箸を置いた。
「……返す」
コユキが僕の顔を見て、すぐに察した。
「DM?足がつく可能性あるよ」
「分かってる」
僕が言うより先に、ユキ丸が帽子を外した。
ホログラムが浮かび、入力欄にカーソルが点る。
テンプレの優しさじゃなく、相手が逃げられる形にする。圧を下げる。
――その意図だけ、短く伝える。
「この文で。送って」
ユキ丸が、こくりと頷くみたいにLEDを瞬かせる。
【大丈夫? 何かあった?
言いにくいなら、無理に書かなくていい。
今、返せる範囲でいいよ。】
文章が整い、送信のアイコンが小さく光った。
次の瞬間、ユキ丸が“送った”合図みたいに敬礼する。
待つ時間っていうのは、思考が勝手に最悪へ走るから嫌いだ。
スーラが、テーブルの端からぺたり、と僕の手の甲に触れてきた。
ひんやりした感触が、“今ここ”を引き戻す。
「……ありがと」
ぷるん、と小さく揺れる。満足げ。
20分もしないうちに、スマホが震えた。
【大丈夫ではないです
DM内に残したくない
会って、短い時間でいい、少しだけ話を聞いてほしい】
短い。
なのに、重い。
僕は即座に“会う”のリスクを並べる。
相手が本物か。釣りか。誘導か。監視か。
――でも、切り捨てた時の最悪も同じくらい鮮明に浮かぶ。
僕は、二人に投げた。
「コユキ。ディア。来た。会いたいって」
「危険の兆候はあるわ。……でも、逃げ道を作ってあげないと壊れる。そういう文面ね」
ディアの声は落ち着いている。
「やり取りはどうするの?DMに残したくないなら、別の手段が要る」
コユキが即座に現実へ落とす。
(……だよな)
僕は少しだけ、息を吐いた。
これからやることだけ見れば、犯罪組織の段取りだ。……でも目的は逆だ。壊れる前に止める。
「ユキ丸。返信」
帽子が外れ、ホログラムの文面が整う。
【DMに残したくないのは、私も同じ。
もし可能なら、今から言うアプリに移ってもいい?
アカウント作って、IDだけ送って。ほかは要らない。】
「送って」
ユキ丸が即座に送信する。
送ってから、すぐ。
【分かりました
入れます】
そこまでが早すぎて、逆に怖い。
でも、この速さは――“助けて”の本気だ。と思いたい。
さらに数分後、IDが届く。
匿名性の高いアプリに切り替わったので直接スマホで操作する。
メッセージを投げる。
【[Shuna]今どちらにいますか?無理はしないで。】
【[速水]東京です。国内でしたらどこでも行けます】
その返事を見た瞬間、背筋が少しだけ冷えた。
見ず知らずの相手に向け——【どこでも行けます】
“助けてほしい”と言いながら、移動のハードルも消えている。
普通のテンションじゃない。
メッセージを数往復する。
いまいる場所。移動手段。どれくらいで動けるか。
こちらは“無理をしないで”と繰り返しながら、会う場所だけは最初に決めた。
人が多い。出入りが自然。誰かに見られても“用事”に紛れる。
条件に合うのは、駅近のホテルラウンジだった。
——難波。ホテルのラウンジ前。16時。
(最悪、目が合って違和感があれば、僕はそのままロビーを抜ける)
速水さんから短く【はい】と返ってきた。
そのあと、【着いたら一言入れます】とだけ。
僕も余計なことは書かない。
【分かった。移動中は無理に返さなくていい。着いたらで大丈夫】
既読の表示がついて、しばらくしてから、ぽつりと一言だけ返ってくる。
【……ありがとうございます】
画面を閉じる。
僕は一度、天井を見上げた。
一段落ついたところで、僕は逆に“間”を作ることにした。
考え続けると余計なことまで考える。動いて整える。
「94階、行く」
コユキが目を細める。
「現実逃避?」
「整える。夕方までに、余計な焦りを落としたい」
ディアが小さく頷いた。
「賛成。焦りは、視野を狭くする」
サブゲートを抜け、空気が切り替わる。
静かで、広い“拠点”の匂い。心拍が少しだけ落ち着いた。
ディアが用意した訓練用のモンスターを相手に、淡々と手順を回す。
身体を動かしている間だけ、頭の中の不安が“作業”へ押し込められる。
気づけば、レベルの表示が一つ上がっていた。
レベル62。
達成感は、薄い。今日は“上がった”より“整った”が大きい。
昼はそのまま94階で軽く済ませることにしたが、そこでコユキが変な提案をしてきた。
「黒猫仮面のまま行くの?」
「無理。周りの目が耐えられない」
「じゃあ仮面は外す?」
「外さない」
「矛盾」
結局、帽子と大きめのマスクとサングラス、という“別方向に怪しい”格好になった。
一度、自宅に戻り鏡を見て、僕は自分で自分に突っ込む。
(これ、逆に目立つだろ……)
ディアが肩をすくめる。
「目立つ種類が変わっただけね」
スーラが袖の内側で、くすぐったいくらいにぴたりと寄ってきた。
落ち着けと言ってる気がした。
15時過ぎ。家に戻って、必要最低限の準備をして外へ出る。
待ち合わせは16時。余裕はある。
難波のホテルに着くと、ラウンジ前は思ったより人が多かった。
コーヒーの値段を見て、軽く笑う。一般的なコーヒー価格の数倍。
休日価格というより、場所代だ。
スーツ姿の男女が、真剣な顔で向かい合って話しているのが目に入る。
――お見合い、と決めつけるのは偏見かもしれない。
でも、休日でのラウンジ、この雰囲気、どうしてもそれっぽく見える。
(平和だな……)
平和な場所ほど、こちらの緊張が浮く。
スマホが震え、匿名アプリに短い通知が来た。
【着きました】
視線を上げると、少し離れたところに“格好の整った女性”が立っていた。
帽子。マスク。メガネ。――僕と同じ方向の警戒だ。
目が合った瞬間、相手の表情は笑っていないのに、口元だけが“正しい形”になった。
僕は一歩、前へ出て、短く名乗る。
「シュナです」
女性は小さく頭を下げた。
「速水えりなと申します」
その声だけが、妙に――軽かった。
軽いのに、どこかで割れそうな薄さがあった。




