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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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112話『SideStory 速水 えりな ― 台本の中の呼吸』

5月6日、京都。

模倣犯の騒動で、会場の空気が一段冷えた。

笑顔は作れた。言葉も選べた。――でも、喉の奥に砂が残ったみたいに、息だけが軽くならなかった。


その夜、事務所は「守るため」と言って、私のスマホを預かった。

炎上対策。安全対策。スポンサー対策。

全部、正しい。


正しいのに――胸のあたりだけ、狭くなる。


***


5月7日。

起きた瞬間、枕元に“無音”があることに気づく。

通知が来ない。来るわけがない。端末がないから。


代わりに、マネージャーが紙を置く。


「今日の動き。ここね。台本、更新入ってる」


行動予定が、台本化されていく。

言い回し、角度、笑うタイミング。

“帰還者アイドル”という肩書きに、最適化された私の一日。


ルミエルが、肩のあたりで光の粒みたいに揺れた。

清浄領域ピュア・サンクチュアリのおかげで体は軽い。肌も荒れない。熱も出ない。

だから余計に――「調子が悪い」を言い訳にできない。


体は元気。

なのに、感覚だけが沈んでいく。


***


5月8日。

スポンサーが言った。


「声明動画、撮りましょう。安心材料になります」


安心材料。

誰の? 私の? それとも、企業の?


スタッフもマネージャーも、目が優しい。

善意で固められた檻は、外側からは見えない。

見えないから、逃げる理由が作れない。


「速水さん、守られてますから」


守られてる。

そう言われるたび、守られる対象が“人”じゃなく“商品”に寄っていくのを感じる。


***


5月9日。

台本の行数が増えた。

行数が増えるほど、私の自由は減った。


楽屋で鏡を見る。

鏡の中の私は、もう“正しい笑顔”を先に作れる。

怖いのは、上手になっていることだ。


ルミエルが、淡く光った。

何かを言いたいみたいに。

でも、言葉は落ちてこない。

光の筋だけが、薄く視界の端を走る。


***


5月10日。

決定打は、怒鳴り声でも圧でもなかった。

淡々とした、優しい声だった。


「あなたは守られてる。だから従って」


その言葉を聞いた瞬間、理解した。

“守られる”は、いつでも“従え”に変わる。

善意は、刃を隠すのが上手い。


息が止まる、ってこういう感じか。

実際には止まっていない。吸えている。

でも、胸の奥に空気が届かない。


***


5月11日。

控室。台本の紙の上に、無意味な丸をいくつも描いていた。


昼、決められたSNS確認の時間。


スタッフが端末を持ってくる。

使用できるのは、決められた時間だけ。


スタッフの横で画面を見る。通知は整理されている。

その中で、ひとつだけ、異物みたいに引っかかった。


Shuna――フォロー。

知らない名前。

でも、画面に出た動画が、こちらの思考を止めた。


ゲートの中。

黒猫の仮面。黒い服。迷いのない動き。

――あの人だ。


さらに、引用再投稿。

名前は「一ノ瀬」。特務班。

文章は短いのに、致命的に効く。


“特務班として、過去に接触・ご協力いただいた人物と判断しています。映像の戦闘様式も一致しており、当時名乗っていた『シュナ(Shuna)』という呼称も今回のアカウント名と合致します。現時点では本人の可能性が高いと見ています。”


喉の奥の砂が、少しだけ崩れた。

確証が一つ増えるだけで、世界の輪郭が戻る。


私は、反射みたいにフォローバックした。

これが正しいのか、危ないのか。

分からない。でも――「今、逃したら二度と掴めない」と、ルミエルの光が言っている気がした。


***


5月12日。

眠れない。

眠れないのに、肌は綺麗だ。清浄領域の皮肉。


食べ物の味がしない。

舌が壊れたわけじゃない。感覚が、遠い。


「明日の台本」を読むと、心が空っぽになる。

ページをめくるほど、私は私じゃなくなる。


呼吸はできるはずなのに、呼吸だけが浅い。

胸が上下してるだけで、どこにも届かない。


守られているのに、窒息する。


その夜、私は“古い端末”を取り出した。

壊れかけの予備。誰にも言ってない、過去の逃げ道。

SimがなくてもWi-Fiで繋がる。


ルミエルの光が、肩で一度だけ強く瞬く。

兆光予見(オーメン・グリント)――そんな名前の気配がした。

数分先の選択が、細い光の筋として見える。

そこにだけ、呼吸が通る。


***


5月13日 午前3時半。

画面は暗いのに、指先だけがやけに明るい。


Shuna。

フォローした相手。世界が見ている相手。

普通なら、絶対に送らない。

送った瞬間から、痕が残る。分かってる


でも――このままだと、私が先に壊れる。


私は短く打った。

考えすぎると消してしまうから、息を吐くみたいに。


「助けて欲しい。息ができない」


送信。


ルミエルが、光の粒になって髪に溶けた。

「それでいい」と言われた気がした。


スマホを隠し、布団に戻る。

守られているはずの部屋で、私は小さく丸くなる。


返事が来るかは分からない。

でも、もう一度だけ息を吸えた。

たったそれだけで――夜が少しだけ、薄くなる。


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