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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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111話『区切りの朝、砂漠の午後』

金曜日。


朝、目を開けた瞬間に——現実が先に来た。

今日は出社日。

しかも午前中で、プロジェクト全体に“自身の区切り”を入れる。


リビングへ行くと、コユキがソファの背にちょこんと乗っていた。

ミニチュアのディアとスーラは台所側。

ユキ丸は帽子を被ったまま、いつもの位置で待機している。


「おはよ。SNS……さらに伸びてる」


コユキの声は軽い。

軽いのに、その一言が胸の奥を――熱く、じゃなくて、ざわつかせた。


ユキ丸が帽子を外すと、空間にホログラムが浮かぶ。

Shunaの画面。数字がじわっと上がっているのが分かる——けど、喜ぶより先に、心のどこかが冷めている自分もいる。


(バズの熱より、退職の実務。……今日はそっちだ)


ディアが小さく首を傾げて、僕の顔を見た。

“複雑そうね”と言わなくても分かる目だ。


「……今日、出社だ。先にそっちが優先」


「うん。分かってる」


「朝ごはん、先。冷めるわよ」


「……ありがとう」


スーラがぷるん、とテーブルの端で揺れて、ゴミ袋のほうへ体を伸ばした。

ゴミを溶かして片づける役まで、いつの間にか板についている。


朝食を食べ、歯を磨き、身支度を整える。

ジャケットを羽織ったあたりで、ようやく“仕事の顔”が戻ってくる。


「いってきます」


玄関で言うと、ユキ丸のほっぺの薄いピンクの発光ラインが少しだけ明るくなった。

感情なんてないはずなのに、見送りの温度だけは確かにある。


オフィスの空気は、通常運転だ。

そして僕も、迷う余地はない。今日やることは決まっている。


午前の立ち上がりで、プロジェクトのメンバーを集める。

全員が揃うまで待って、余計な前置きは入れなかった。


「共有です。家の事情で半休を続けていましたが……半休でも厳しくなってきました。なので、家のことに専念するため、5月末で退職します」


空気がざわつく。

驚きの声が上がりそうになるのを、誰かが飲み込むのが分かった。


「急で申し訳ないです。引き継ぎは今日から段取りに入ります。竹島さんを軸にして、担当を分けて渡します。迷惑が出ない形にします」


感情を入れると場が揺れる。

ここは“説明”じゃなくて“処理”。

そう割り切って、淡々と次の話に進めた。


続けて、関西の営業副部長に声を掛ける。

東京の営業部長もWEBで入ってもらった。


画面越しの営業部長が、先に言った。


「退職の件は、昨日会社から聞いたよ」


「ありがとうございます。お願いがあります。来週から再来週で、担当顧客へ挨拶回りをしたいです。午前中で回れる形に組んで欲しいです。アポイント、営業側で先に押さえてもらえますか」


「了解。顧客の温度が落ちないうちに動こう。副部長、段取り頼む」


副部長が頷く。


「任せてください。時任さんの枠、午前で固めます」


午前は、その調整で埋まった。

退職って、感情の話に見えて——実際は、予定表と関係者の話だ。


昼は外に出なかった。

コンビニで弁当を買ってきて、社内の休憩スペースで済ませる。


――食べてる間に、ぽつぽつ人が来る。

午前中の共有を聞いたメンバーだ。

顔に出てる。“大丈夫ですか?”と“この先どうなります?”が混ざった目。


不安になる気持ちは、分かる。

だからこそ、昼休みのこういう“隙間”で拾うのが大事だ。

段取りはカレンダーで引けるけど、安心は、声をかけないと残らない。


僕は箸を置いて、短く言う。


「心配しなくていい。引き継ぎの叩き台は出来上がってる。不安なところがあれば、今ここで聞く」


それだけで、空気が少しだけ動いた。


午後半休。――切り替える準備が、ようやく整い、新大阪ゲートへ向かう。

Lv61。安全マージンは10。

だから今日は、51階だけ。


ゲートをくぐると、景色が灼けた。


砂漠。

ただの砂じゃない。熱を含んだ空気が、肌の表面を薄く削るみたいにまとわりつく。

遠くに、半壊した古代都市の残骸が見えた。石柱、回廊、崩れた門。

そして時々——砂嵐が、世界を切り取る。


ミニディアが高く飛ぶ。上空から視界を掃く。


「陽炎で方向がズレるわ。見えてる道を信じないで」


コユキは後ろから、淡々と支援を重ねた。


「左、砂の下。群れ。……来る」


スーラは、インナーみたいに服の内側へ馴染んでいる。

腕へ伸びて、籠手の形になった。ひんやり柔らかいのに、衝撃を吸ってくれる感触がある。


(……守られてるな)


51階の“攻略”は、ボス戦じゃなかった。

環境と群れと、ギミックの積み重ねだ。


いわゆる“探索型”だ。ボスを倒すんじゃない。条件を満たして出口を開く。


遺跡の奥に点在する四つの石碑(オベリスク)

それを起動して、風除けの結界を完成させるのがクリア条件。

砂嵐の切れ目で走り、陽炎に惑わされる前に方向を決め、狭い回廊で群れを捌く。


僕は黒想鋳具アーマメント・フォージで黒い棒を作り、握る。

次いで、空間斬糸(スペース・スレッド)

目に見えない“線”が、距離と角度を支配する。


砂中から飛び出す個体。遺跡内部で壁際に張り付く個体。

狭所では糸で切り分け、近距離は棒で終わらせる。

派手さはいらない。今日は“51階を終える”だけでいい。


先に動いたのは、コユキだった。


影の中から現れ、コユキが獲物の“何か”をぴたりと噛み取る。

模写捕食(ミミック・イーター)


前兆直感(オーメン・センス)、取得。


言語化できない“違和感”が、輪郭を持つ感覚。

罠の気配、待ち伏せ、分岐の危険度。

それだけじゃない。

“今は踏み込まない方がいい”“この瞬間は避けるべきだ”——そんな“なんとなく”が、少しだけ確信寄りになる。


ディアが、空中で小さく頷いた。


「いいスキルね。守りにも、逃げにも使える」


「……日常でも、変な電話に出なくてすみそうだ」


「出た方がいい電話もある」


コユキが、さらっと言う。


「それが怖いんだよ」


3時間半。

4つ目の石碑に触れた瞬間、結界が立ち上がる。風が止み、熱が少し引いた。


スーラがぷるん、と籠手の先で揺れた。

“おつかれ”みたいな合図に見える。


帰りのゲートと次の階への転送陣。

僕は深追いせず、そこで引いた。


18時過ぎ。

玄関を開けると、ユキ丸が待っていた。

ほっぺの薄いピンクの発光ラインが、ふわっと明るくなる。


「ただいま」


コユキがユキ丸の近くへ行って、話しかける。


「おかえりの反応、分かりやすくなった?」


ユキ丸の明るさが、ほんの少し上下した。

“肯定”にも“照れ”にも見えるのがズルい。


僕は先に風呂へ逃げる。

湯で熱を落としながら、砂漠の空気を思い出していた。


リビングに戻ると、台所がもう動いている。

ディアが手際よく鍋を見て、スーラがゴミを溶かして片づける。

家庭の温度が、戦場の匂いを上書きしてくれる。


食卓につくと、コユキがいきなり報告した。


「Shuna、フォロワー30万超えた。海外の拡散が速い」


「……多いな」


喜んでいいのか、怖がるべきか。

その迷いごと、胃の奥にしまって、僕は“処理”へ回す。


コユキが、いつになく真面目な声で言った。


「相互フォローになった相手からDMが来てる。……アメリカ、中国、あと他の国も。けっこう」


「読むのは後。まず整理だ」


僕は箸を置き、指示を切る。


「本文は今は読み上げなくていい。代わりに――どこの国の、誰から、どんな内容か。それを日本語でまとめてほしい。名前と所属が分かるなら、それも。要点だけでいい」


「要点だけね。了解」


「ユキ丸、一覧にできる?」


ユキ丸が帽子を外すと、空間にリスト用のUIが浮かぶ。

もう、家の中が普通に司令室だ。


「あと、プロフィールに追記。“DMをいただいても基本的に反応しません”って英語で書いといて」


コユキが小さく頷く。

――Even if we mutually follow, I won’t respond via DM. 、ユキ丸が対応する。


「閉じるんだね」


「窓口は作らない。火種を増やすと、何が起きるかわからない」


ディアが鍋をかき混ぜながら、穏やかに言った。


「もし連絡を受けるとしても、対応ルールを決めないと危ないわ。読む順番、返す相手、返さない相手。……秀人、得意でしょ?」


得意というか——仕事の癖だ。

でも、その癖が今日は助かる。


食後、ホログラムの端で数字がまだ動いている。

ユキ丸が静かに更新を続け、コユキが嬉しそうに尻尾を揺らした。


「明日、担当の小型ゲート。追加で撮影、行ける?」


「行けるけど——明日の優先は、DM一覧だな」


「まじめ」


「崩すと、火傷する」


スーラがぷるん、とテーブルの下で揺れた。

ディアは少しだけ笑って、皿を下げる。


仕事、退職、ゲート、SNS。

やることは山ほどある。けど今日は、ここで止める。


明日はまた、明日の現実が来る。

それでも——家の中だけは、ちゃんと“家”の温度で終わった。


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