105話『静けさとSF』
火曜日、在宅。
連休明けの二日目は、妙に“部屋の静けさ”が耳に残る。
昨日は会議で頭を酷使して、夜は94階でご飯食べて楽しんで――それでも朝はちゃんと来る。
コユキはソファの端で丸くなっていた。
ディアはミニサイズで、テーブルの向こう側。
スーラは机の脚にぺたりと貼りついて、ぷるん、と小さく揺れた。
いつもの仕事部屋にこもり、ノートPCを置き、ログイン。
カレンダーの通知が、遠慮なく現実を叩いてくる。
(……まずは、今日の一発目)
新卒受け入れの件。直接の対応はサブマネージャーとリーダー陣がやってくれている。
僕は“顔を出す役”と“詰まった時の判断役”だけでいい。
チャットを開き、竹島さんに短く投げる。
「昨日の受け入れの様子どうでした?三人の雰囲気、ざっくりでいいので」
続けてリーダー陣にも同じ温度で流す。
「リーダー各位、新卒の受け入れで困りごとが出たら遠慮なく上げてください」
送信。
少し待って、返ってくる反応を拾う。
「今のところ大丈夫です。緊張してるけど素直に対応しています。環境案内と端末セットアップは予定通りです」
「質問は多いけど、筋はいいです。今日明日は現場の空気に慣れさせます」
よし。
僕は自分のタスクに戻る。
——とはいえ、今日は“自分の役割をまっとうする”だけじゃ足りない。
いない前提で回る形を、少しずつ作る。
僕はタスクを進めながら、形だけ少しずつ寄せていく。
引き継ぎメモを更新して、判断の背景と結論だけ残す。
関係者には「どこに何があるか」――情報の所在だけ、抜けなく置いていく。
画面の端で、昨日の政府との会議と、明日の夜が一瞬だけよぎった。
思考を戻す。今は、目の前の仕事。
午前が、淡々と流れていく。
手を動かして、脳を回して、気づけば昼。
リビングに行くと、ディアが簡単な昼を用意していた。
温かいスープと、焼いたパン。匂いだけで少し救われる。
「……いつも、ありがとう」
ディアは視線だけ寄こして、ふっと口元をゆるめた。
「どういたしまして」
労ってくれてるのが分かる。
僕が椅子に座ると、スーラがぺたり、と膝に乗ってきた。
「……柔らかい」
ぷるん。
食事を終えたところで、コユキが急に顔を上げた。
「目処、立った」
「……何の?」
「SNS。アカウントの箱。ユキ丸が“辿れない”形にできるって」
言い方がさらっとしすぎて、逆に怖い。
「“辿れない”って、どのレベルで言ってる?」
コユキが、当然みたいに瞬きをする。
「IPアドレスからも。端末情報からも。ログから辿り着く前に、辿れる線が消える」
「……それ、説明できる?」
「できるよ。ユキ丸ができる」
僕は横を見る。
雪だるまロボ——ユキ丸が、ちょこんとこちらを見上げていた。
無表情の丸目。なのに、なぜか“任せて”の圧がある。
「一応、聞くけど。どうやって説明してくれるんだ」
ユキ丸が帽子の縁に指——じゃなくて、細いメカアームの先を当てて、ひょい、と外した。
次の瞬間。
空間に、薄い光が立ち上がった。
立体のスクリーン。三次元の板が、そこに“浮いてる”。
「……えっ」
僕が固まると、コユキが得意げに言う。
「その顔。好き」
「今のは、驚くよ」
ホログラムみたいな画面に、見慣れた“新規アカウント作成”のフォームが並んでいる。
ただし——スマホでもブラウザでもない。空間に浮かぶUI。SFのやつ。
「VRとかMRのデバイスをつけた時のような画面みたいだな……」
「そういうの、好きでしょ」
「確かに好きだけど……」
ディアが、ミニチュアのまま頷いた。
「ユキ丸って……便利ね」
ディアが、小さく笑う。
僕は頷きながら、まだ半信半疑のまま言った。
「便利、で片づけていいのかこれ。家の中でSFが起きてる」
コユキが、きっちり胸を張った。
「当然。ボクが育てた」
「育てたって言うな。ロボだろ」
「育つ」
「育つのかよ……」
画面の中で、図が動き始めた。
一本の線が走り、枝分かれし、また重なって――最後に霧みたいに散る。
説明は文字と一緒に、概念のアニメーションが流れた。
点が“中継”になり、点が潰れて“消える”。
別の点が生まれて、同じ役割を引き継ぐ。
コユキが、誇らしげに言う。
「ユキ丸、地球のネットワークを理解した。追いかける側が追いかけたくても、追いかける“一本”が残らない」
「……いや、待て。今の、すごいこと言ってない?」
「すごいよ」
さらっと返す。
画面の図はさらに複雑になって、最後には“鍵”のアイコンが何重にも重なった。
僕は額を押さえる。
「一応、僕もシステム会社の人間なんだけど……半分も理解できてない。図解付きなのに」
ディアが小さく笑う。
「理解できなくていい部分よ。秀人が知るべきなのは――使った結果、足が残らないってことだけでしょ」
(それでもエンジニア職としてのプライドが……)
「任せて。ちゃんと“辿れない運用”にする」
「……分かった。じゃあ、そこは任せる。あくまで“身元保護”の範囲でな。攻撃には使わないよう」
僕は息を吐いて、降参する。
「で、次はアカウント作成だ」
ホログラムが切り替わり、今度はSNSの新規作成画面が浮かび上がった。
コユキがフォームの入力欄を前足で“ちょん”と叩く仕草をする。
ユキ丸がそれに合わせて、入力カーソルを動かした。
もう、完全に“猫の合図で動く下僕”だ。
「アカウント名はどうする?」
「……Shunaで」
これまで“仮の名”として使ってきた呼び名。
僕が言うと、コユキが首を傾げる。
「黒猫仮面じゃないの?」
「自分で“黒猫仮面です”って名乗るの、なんか嘘っぽくならないか」
「……たしかに。自己申告は胡散臭い」
「だろ。名前は別でいい。あと、投稿は英語でいく」
ディアが小さく笑った。
「秀人は、やっぱり色々考えてるね」
僕は画面——じゃなく空間を見たまま、息を吐く。
「ただ問題は、どうやって“本物”だって示すかだ」
コユキが即答する。
「ゲートで無双する動画、撮って上げたら」
「……今の時代、それっぽい映像ならAIでいくらでも作れる。証明にはならないかも」
コユキが首を傾げる。
「じゃあ、どうするの?」
僕は一拍置いて、言葉を選ぶ。
「でも“完璧な証明”じゃなくていい。まず“出す”。反応を見て、次の手を決める」
――詰まったとき、考え続けるだけだと前に進まない。
小さく出して、現実のフィードバックで仮説を修正する。
仕事でも、結局いちばん強いのはその回し方だ。
また、動いている中で閃くこともある。
「止まってても、何も変わらない」
「まずは一個、出す。やりながら考える」
「うん。動くの、大事」




