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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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103話『保護という名の制御』

月曜日。連休明け。


窓の外は静かで、住宅街はいつも通りの顔をしている。

昨日までの“祝日”が、ふっと薄まって――代わりに、平日の輪郭だけがくっきりする。


(……連休、終わったんだな)


胸の奥に、薄い鎧みたいなものが勝手に貼りつく。

着た覚えはないのに、脱げないやつだ。

――それに、スマホの向こうはまだ燃えている。


コユキはユキ丸を引き連れ朝から94階に行っている。

ディアはミニサイズでソファの背に腰掛けて、髪を指で整えた。


「そろそろ仕事、始める?」


「うん。……始めないと」


言いながら、部屋を移動する。

キーボードに指を置くと、指先だけ先に“会社”へ戻る感じがした。

僕はPCを立ち上げる。


――今日は、新卒の受け入れ初日だ。


直接の対応は、サブマネージャーの竹島さんと各リーダーが回してくれる。

でも、顔を出さないわけにはいかない。


予定のWEB会議に入ると、画面の向こうは少し緊張した空気だった。

研修上がり特有の、姿勢が良すぎる感じ。


「おはようございます。今日からよろしくお願いします。時任です」


短く名乗って、表情だけ柔らかくする。

“柔らかく”って言っても、口角を少しだけ上げるだけだ。

それでも相手の肩がほんの少し落ちる。こういうのが、一番効く。


「まずは、竹島さんとリーダーの話を、よく聞いてください。分からないことは、その場で聞く。それが一番早い。――遠慮は後でいい。最初の一ヶ月だけは、恥を捨ててください」


画面の端で竹島さんが小さく頷くのが見えた。助かる。


「水曜日は、僕もオフィスに行きます。そこでまた、直接顔合わせしましょう」


“水曜は出社する”と口に出すと、腹の中で何かが固まる。

仕事の予定が一つ、現実に刺さる感覚。


挨拶を終えて、PCの前に戻る。

連休で鈍った感覚を、キー入力と返信のテンポで上書きしていく。

仕事の筋肉が、目を覚ます。


一段落したところで、僕は上司に短くメッセージを送った。


「少し、相談したいことがありまして。今週どこかでお時間いただけないでしょうか」


退職、とは書かない。

でも、温度だけは乗せた。

“軽い雑談”で済ませる話じゃない、という温度。


送った直後、既読が付くのが早い。


少しして返ってきた。


「了解。水曜、そっちに行くわ。ついでに夜、飯でも行く? 久々に話そう」


僕は画面を見たまま、息を一つ吐いた。

吐いた息の量だけ、腹が決まっていく。


水曜。来る。

夜、飯。


ちょうど出社予定日だ。

むしろ、腹を決めるには都合がいい。


「承知しました。水曜は私もオフィスに出社予定です。夜も行きましょう。久々にお話したいです」


送信。


(……水曜、フルで出て。夜も行くか)


腹が決まる、というより。

腹を決めないと、前に進めない類の予定が、カレンダーに固定された感覚だった。


そして、時計を見る。


午前の残り時間が、ちゃんとある。

なら、やることをやるだけだ。


そこからは、メール、チャット、タスク。

溜まっていたものを、順に片付けていく。


気づけば、午前が終わっていた。


(……14時30分。政府のWEB会議)


その文字が、頭の片隅で重りみたいに居座る。

重りのくせに、やけに角が立っている。

でも今は、いったん昼だ。


リビングに行くと、すでに匂いがしていた。


温かい出汁。炊けた米。

卓の上には、簡単な昼が並んでいる。


ディアが、ミニサイズのままテーブルの上にちょこんと乗っていた。


「できてるわよ。今日は“脳を疲れさせない昼”」


「ありがとう。助かる」


スーラがぺたり。

僕が手を伸ばすと、ぷるん、と小さく揺れた。


2階からコユキの声が落ちる。


「ボクもお昼食べる」


僕は椅子に座って、箸を取った。

画面の光から目を外すだけで、目の奥の熱が少し引いていく。


ディアが、さらっと言う。


「午後のこと考えるのは、食べてから。今は食を楽しんで」


「……了解」


昼の温度で、いったん身体を“通常仕様”に戻してから――

次の重さに向き合う。


14時30分。政府のWEB会議。


指定URLから接続すると、画面が分割される。

自宅PCのカメラの外。見えない位置に、ディアとコユキ、スーラとユキ丸。

余計な気配は、全部、隠した。


先に映ったのは、見慣れた顔。


八代さん、九条さん、柊さん。


そしてもう一人、初対面の男性がいた。

スーツの整い方が違う。画面越しでも、こちらの背筋を起こさせる圧がある。

目が笑っていない――じゃない。笑う必要がない目だ。


九条さんが紹介する。


「時任、初めてだな。篠宮さん。官房側の参事官。危機管理と広報まわりの調整役だ」


篠宮さん。

画面越しでも、“こちらを測ってる”圧があった。

測っているのは能力じゃない。――折れるか、折れないか。たぶんそこだ。


僕は軽く会釈して、あえて雑談に寄せた。


「今日は対面じゃないんですね。珍しいなと」


九条が肩をすくめる。


「俺らも本当は対面がよかった。けど今は動きづらい。洗脳の件以降、基本はWEB。施設に来てもらうのもリスクだ」


場を硬くしないように空気を作りながら答えてくれる。九条さんらしい。

それから、雑談の温度を残したまま、話を切り替えた。


「……で。本題。首輪の件だが。単価、120万円。これで正式に手配したい」


一瞬、身構えた。

値下げだの、追加条件だの――“役所の交渉”が来ると思っていたからだ。

でも九条の声は、淡々としていて、迷いがない。


(……思ったより早いな)


「問題ありません。条件通りで」


言い切ると、柊さんが次を重ねる。


「サイズ違いを各10個。計40個。先に確保したいです」


僕は一拍置いて、数字を頭の中で数えた。


120万 × 40。

……4800万円。


「……四千八百万円、ですね」


思ったより声が平坦に出た。

平坦に出るのが、余計に重い。

心臓の鼓動だけが、やけにうるさい。


八代さんが、先に言葉を継ぐ。


「もう国内だけの話ではありません。現物を確保しているという事実そのものが、海外に対する説明材料――交渉カードになります」


続けて、柊さんが補足する。少しだけ眉間に力が入っていた。


「加えて、今は偽物が出回っています。効く効かない以前に、情報が混ざって混乱が広がっています。線引きを示す意味でも、政府管理の“本物”が必要になります」


偽物。

スキル封じ首輪だの、対策ネックレスだの。

あれが“本物の代用品”として売れてしまう現実が、いちばん嫌だ。


九条さんが確認してくる。


「“本物の首輪は政府管理”として公表していいか」


「お願いします。……正直、私も偽物が回るのは良く思ってません」


「わかった。政府として公表する」


そこで話題は自然に、動画の件へ滑った。

僕から切り出す。


「発端となった黒猫仮面の動画。流出元は、掴めていますか」


九条さんが首を振る。


「難航してる。運営に開示をかけて、IPまでは取れた。……が、海外経由。匿名性の高い経路で回され、追い切れない」


“IPは取れるが追えない”。

その一文が、胃に残った。


ディアの声が、耳の奥で静かに落ちる。


『予想していた通りね』


僕は頷きたいのを堪えて、画面に戻る。


画面の端で、篠宮参事官が微動だにしない。

カメラ越しでも分かる。頷きもしない。表情も崩さない。

――最初に九条さんが紹介した時、僕は“厄介な話が混ざるかも”くらいには思った。


でも、ここまで黙っていると逆に、話が終わってしまったような錯覚がある。

このまま首輪の数量と公表の段取りで、会議が畳まれる――そんな空気。


だから。


次に聞こえた声が、少し遅れて刺さった。


「時任さん」


淡々とした声。温度がないわけじゃない。

ただ、感情を材料にしていない声。


篠宮さんが、口を開いた。


「ここから先は、“身辺保護”の話です。あなたにとっては初耳かもしれませんが――提案として聞いてください」


僕は瞬きだけして、頷いた。

構え直すほどじゃない。……と思いたかった。


「移動、通信、接触。いくつか制限を設けたい。あなたの安全のためです」


予想の棚にはあった。

でも、今日このタイミングで投げてくるとは思っていなかった。


僕は、怒った“ふり”をする。


感情はある。けれど今ここで必要なのは、感情の発散じゃない。

相手の提案を“監視”として定義し直すこと――それが交渉の最初の一手だ。


怒鳴れば負ける。

冷静さを保ったまま、言葉だけで相手の立ち位置をずらす。


「それ、身辺保護という名の監視ですよね」


篠宮の眉が、ほんのわずかに動く。


僕は続ける。


「僕は自衛できます。――、具体的に“何から”保護する想定ですか。想定が曖昧だと、制限だけが先に立ちます」


篠宮さんは言い返さない。

言い返さないまま、圧だけを置く。


「今の君の立場が分かっているのか」


脅し。圧。

それ自体は、交渉材料になる。


一拍置いて、聞き返す。


「……どういう“立場”でしょうか」


篠宮さんが、淡々と答える。

まるで、最初から用意していた文章みたいに。


「帰還者として国家の管理対象です。あなたの行動一つで、国内の治安と外交が揺れる。だから、保護が必要だと言っている」


――管理対象。

言い方は丁寧でも、意味は“監視したい”だ。


「保護、という名目で。移動、通信、接触を縛る。それは“安全のため”ですか。それとも“制御のため”ですか」


一瞬だけ、九条さんの目が動く。

柊さんは表情を変えない。八代さんは、静かに見ている。


篠宮さんは、答えを曖昧にしない。


「区別する必要はない。どちらも同じです。国としての責任だ」


……なるほど。

そう言い切るなら、こちらも“国が困る形”を提示できる。


ここで初めて、僕はカードを机の上に置いた。


「分かりました。では、こちらも“選択肢”を提示します。首輪の販売――止めることもできます」


言葉が落ちた瞬間、会議の温度が一段変わった。

画面の向こうの誰かが、息を飲む。音は拾えないのに、分かる。


九条さんが眉間を押さえる気配。

“おい”と言いたいのを我慢してる顔。


僕はさらに、損失を見せるだけの言葉を置いた。


「あと……大阪にも米国総領事館があるのも知ってます。亡命も、“選択肢”にはなりますよね」


……もちろん本気じゃない。

でも、“失うもの”を見せれば、人は現実に戻る。


九条さんが割って入る。


「……もういい。時任、お前もそこまでだ」


八代さんが篠宮さんへ、釘を刺すように言う。


「必要なのは時任君の力です。拗らせるなら、責任が発生しますよ」


画面の空気が、政府の中の力学になった。


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