102話『抜け道は、味方を連れてくる』
レグリスは完璧な角度で首を傾げた。
「マスター。何か問題がございますか」
「問題しかない……いや、今はいい」
言い直して、僕は視線を横にずらす。
雪だるまロボが、僕を見上げている。
無表情なのに、やけに“待ってる”感じがした。
僕が口を開く前に、コユキが言った。
「魂縛契約。秀人のスキルじゃないよ」
「……えっ」
言われて、脳内の引き出しが一気に開く。
そうだ。僕はいつも、色んなスキルを技能共有結で“借りて”使っている。
(……僕が持ってるんじゃなくて、借りてるだけ)
「待てよ。ってことは――」
「ボクもできる」
コユキが、即答した。
コユキが“すっ”と前に出て、空気が一段、ピンと張った。
雪だるまロボの頭が、くるりと回る。
帽子がほんの少しズレた。
次の瞬間、コユキの声が落ちる。
『魂縛契約』
空気は、変わらない。
ただ、雪だるまロボのほっぺの発光ラインが、すっと点った。
帽子の縁も淡く光って――切り替わったみたいに、静かに止まる。
一拍だけ待ってから、短く告げた。
「……成立」
僕は、言葉を失った。
「……成立したのか」
「うん」
コユキが、淡々と答える。
「そんな抜け道が……」
ディアが静かに息を吐いた。
「抜け道というより、最初から穴が空いていたみたいね」
「怖いこと言うなよ……」
僕は雪だるまロボを見下ろす。
「名前は、既に決まってる?」
レグリスがすぐに言った。
「ありません。呼称があった方が管理しやすいです」
「だよな……じゃあ――」
その先を言う前に、コユキが被せた。
「ユキ丸」
「は?」
「丸い。雪だるま。あと、ボクのユキ」
言い切るのが早い。
雪だるまロボが、ちょこんと頭を回した。
返事の代わりみたいに、目のLEDが一度だけ瞬いた。
「ユキ丸でございますか」
レグリスが、妙に納得した声で頷く。
「機体としても、呼びやすい」
「可愛いけど、機体扱いなのか」
「可愛いは性能に影響しません」
レグリスが淡々と補足する。
「なお、ユキ丸は離れていても私と通信が可能です」
「通信?」
「はい。92階のロボ系は、私の通信網で繋がっております。群として管理する方が効率が良いので」
群として、って言い方が急に物騒だ。
コユキが満足げに、ふっと向きを変える。
「じゃ、次」
「次?」
「抜け道、もう一個」
嫌な予感しかしない。
場所を移す。
94階の拠点から、物置部屋の黒いサブゲート前へ。
僕が口を開く前に、コユキが言った。
「ユキ丸、ついてきて」
ユキ丸は音もなく滑る。
転がってるのに、転がってない。
足元が浮いてるみたいで、気持ち悪いくらい静かだ。
「行ってくる」
コユキの声が落ちた。
次の瞬間、ユキ丸がサブゲートに入る。
数分。
そして、戻ってきた。
ユキ丸の細いメカアームが“花が開く”みたいに静かに展開されている。
その両腕に――ノートPC。
家に置いてあるやつだ。
僕が“今日は持って行かないでいいか”と置いてきた、いつもの。
「……えっ」
思わず声が出た。
ユキ丸は、僕の前でぴたりと止まった。
腕の角度を少しだけ変えて、“どうぞ”みたいに差し出してくる。
コユキが誇らしげに言う。
「証明できた。ボクがユキ丸と魂縛契約しても、ユキ丸はボクと同じ扱いになる。――ゲート、出られた」
「……つまり」
「これで、家にも連れて帰れる」
二回目が、口から漏れた。
「……抜け道、成立しちゃったのか」
ディアが笑っている。
声じゃない。表情が見える距離で、ちゃんと“楽しそう”だった。
「可愛いのに、やることが乱暴ね」
「可愛いは正義」
コユキが言い切った。
「正義の使い方が雑なんだよ……」
僕はノートPCを受け取って、膝に置いた。
「ノートパソコンをもってきたけど……これで、何ができる」
コユキが、わざとらしく尻尾を揺らした。
「秀人、昨日、言ってたでしょ」
「……何を?」
「身元を絶対に割られない形で、SNSを動かしたいってやつ」
「……言った。開示とか、解析とか、そういうの全部含めて“辿れない”運用」
「うん」
コユキは、そこで初めてレグリスの方を向いた。
「レグリス。ユキ丸。これ、できる?」
レグリスは間を置かない。
「可能性は高いです」
「即答だな……」
「前提条件と制約は確認が必要ですが、“辿られない形を作る”という目的は理解できます」
コユキが、ノートPCの天板を前足でちょい、と叩く。
「だから、これ。家のやつも持ってきた」
「……それで?」
レグリスが続けた。
「ユキ丸は、システムや仕組みを読むのは得意です。端末の理解、ネットワークの理解、サーバでの記録の残り方――そういう“足跡”になり得る要素を、潰す方向で学習できます」
“足跡”という言葉が、胸の奥に刺さる。
コユキがさらっと言う。
「要はさ。どれだけ探されても、秀人に辿り着けない形を作る」
「言い方……」
「悪用じゃないよ。生活を守るための“最小限”」
方法がある、と分かっただけで胸の奥の重さが少し軽くなる。
「じゃあ、まずは相談だな。条件整理から」
コユキが即答する。
「うん。今日、打ち合わせする」
「打ち合わせって……誰と誰が?」
ユキ丸が、ちょこんと頭を回した。
帽子が少し揺れる。
「ボクと、レグリスと、ユキ丸」
レグリスが一礼した。
「議題を整理いたします。まず“絶対に辿られない”の定義を、言語化してください」
「定義って……」
「条件が曖昧だと、穴が残ります」
コユキが胸を張る。
「先生はボク。助手はこの二人」
「先生、偉そうだな」
「偉いから」
そしてコユキが言った。
「今日は、このままレグリスとユキ丸と打ち合わせする」
「もう会議が始まってる気がするけど」
「これから本番」
ディアが僕を見る。
「あなたは?」
「……訓練する。頭、まだ散ってる」
「わかったわ」
スーラが、ぷるん、と膝に乗ってきた。
(……慰め役か?)
ぷるぷる。
違う。
“やるぞ”の圧だ。
「分かった。付き合ってくれ」
ディアが指先を動かす。
血と魔力が混ざり、形が立ち上がる。
今日の相手は、獣型。
「来るわよ」
来た。
索敵。
回避。
反撃。
僕が半歩遅れると、スーラが足元に“ぺたり”と広がる。
薄い膜みたいな形で、靴底を支えた。
沈み込みが減る。
踏み替えが速くなる。
地面が一瞬だけ“良い床”になる。
「……そういう使い方か」
ぷるん。
得意げに揺れる。
休憩に入ると、スーラが少し膨らんだ。
ぷよぷよのクッションになる。
僕はその上に腰を下ろす。
「……便利だな」
ぷるぷるぷる。
嬉しさが、分かりやすすぎる。
そこへ、影からタオルがすっと出てきた。
スーラが端をぺたりと掴んで持ってきてくれた。
「お前、できる子だな」
ぷるん!
「甘やかしすぎよ」
ディアが言うけど、止めない。
「褒めた方が伸びる」
短く返して、また立つ。
(……今は、動く)
考える作業はコユキがやってくれている。
任せられる相手がいる。そう思うだけで、視界が少し澄んだ。
夕方、家に戻る。
シャワーで汗を落とすと、生き返る。
食卓には、ディアの料理。
いつも通りの匂いがするだけで、気持ちが落ちる。
そして。
廊下の角から、ユキ丸がすっと出てきた。
「……お前、いるのか」
ユキ丸は無言で、ちょこんと頭を回した。
帽子の角度が妙に整っている。
後ろから、コユキが呼ぶ。
「ユキ丸」
即、反応。
ユキ丸の頬のラインがぴっと光る。
腕が静かに展開されて、敬礼みたいな動き。
「(了解です)」
声はないのに、動きがそう言ってる。
「……下僕化が早い」
コユキが当然みたいに言う。
「当たり前」
ディアが小さく笑った。
「教育って、怖いわね」
僕は箸を持ちながら、ため息をつく。
「しばらくは、ユキ丸に学習させるんだよな」
「うん。地球の仕組み、詰め込む」
「スパルタ……」
でも、今はそれでいい気もした。
連休最終日。
明日から仕事――それも、午前だけじゃない。
14時30分から、政府とのWEB会議が待っている。
胸の奥には、朝に浮かんだ“退職”の重さが、まだ残っていた。
消えてはいない。
ただ、押し潰されるほどでもない。
(……まずは、明日を乗り切る)
今日は、コユキに驚かされてばかりだった。
レグリスのアップデート。ユキ丸。抜け道。打ち合わせ。
頭の中が、まだ渋滞している。
コユキが少しだけ得意げに言う。
「明日も驚かせるよ」
「やめろ。午前仕事で、14時半から政府だぞ」
「それ、驚かせに来てるの政府じゃない?」
「言い方」
ディアがさらっと落とす。
「なら、今日は寝なさい。明日は“言葉”で戦う日よ。表情も崩さないで」
確かに。
画面越しでも、崩れると一発で持っていかれる。
スーラが、ぷるん、と足元に寄ってきた。
小さく膨らんで、いつもの“終わりの形”を作る。
柔らかい重みが、思考の角を丸めてくれる。
「……ありがと」
ぷるん。




