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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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099話『SideStory 速水 えりな ― 笑顔の置き場所』

鏡の中の私は、よくできている。


口角の角度。目尻の柔らかさ。息の吐き方。

こうすると“安心して見える”――そう覚えたのは、芸能の現場だった。


洗面台の上のライトが白い。

ホテルの空気は静かで、少しだけ澄みすぎている。


契約モンスター、ルミエルのせいだ。


言葉を交わすわけじゃない。

でも、肩のあたりに“冷たい光”がいると分かる。

肌を撫でる空気だけが、やけに綺麗になる。


「……今日も、よろしくね」


返事はない。

ただ、白銀の粒が、ふっと揺れた気がした。


私はいつも通り、笑える顔を作った。

作ってしまった。


そうしないと、今日という一日が始まらないから。


***


福岡の、都市部寄りの出身。

上京する理由は、珍しくない。


地元では地方CM、モデル、小さな舞台。

上京してからは――タレントの卵。


卵は割れやすい。

割れても、誰も驚かない。

“売れかけては消える”世界を見てきた。


だから笑顔は、調整するものになった。

気分じゃない。防具だ。


それが“職業病”だと気づいたのは、ずいぶん後だった。


***


3月5日。


仕事が途切れた。

焦りが増えた。

次の予定が空くと、自分の輪郭が薄くなる気がする。


見た目は若く見られる。年齢を伏せているせいもある。

でも現実の数字は、28だ。

“次”がある人間じゃないと、置いていかれる年齢。


それで――気づけば、足が向いていた。


小型ゲート。


「行くつもりなんて、なかった」


そう思ったのに。

一歩、踏んでしまった。


あの中の空気は、現実より軽くて、現実より重い。

矛盾しているのに、そう感じた。


そして私は、いちばん最悪な形で追い詰められた。


背中が壁。前は刃。

逃げ道が“ない”って、こんなに静かなんだ、と初めて知った。


そのとき。


白銀の粒光が、肩に止まった。


羽みたいに細い光。

冷たくて、痛くないのに、肌が粟立つ。


銀翅精霊獣(ぎんしせいれいじゅう)ルミエル。


私が求めたわけじゃない。

“欲しい”なんて言う余裕もない。

でも、必要だから結ばれた――そんな感覚だった。


次の瞬間、空気が変わった。


澄んだ。

整った。

周囲の殺気が、薄膜を一枚隔てたみたいに遠のいた。


それが、救いで。

同時に、檻だった。


***


帰還した瞬間、私は喋る前に“像”になった。


政府が動き、事務所が動き、スポンサーが動く。

誰かが私の名札を作り、誰かが私の役割を決めた。


「帰還者アイドル」

「安心の象徴」

「希望の光」


言葉は綺麗。

でも、綺麗な言葉ほど、逃げ道がない。


ルミエルの清浄領域ピュア・サンクチュアリは常時。

近くにいるだけで体調が整う人がいる。気持ちが落ち着く人がいる。


だから、人が寄る。


寄る、というより――置かれる。


「速水さん、こちらへ」

「速水さん、この位置で」

「速水さん、今は発言を控えて」


守られている。

そう言えば、聞こえはいい。


でも、守られるほど自由は減る。

私はそれを、現場で学んできた。


***


4月29日。


15人の帰還者が集められた日。


会場の空気が、途中で変になった。

笑いが薄くなり、目が合わなくなり、言葉が浮く。


洗脳。


後からそう呼ばれたものが、そこにあった。


私は――効かなかった。


ルミエルの護光域ガーディアン・ヘイローが、淡く張っていたから。

心が守られた、というより、侵入経路が塞がれた感じだった。


そして、黒猫の仮面。


あの人は――怖かった。


強いから怖いんじゃない。

強さを“道具”として使う手が、迷わなかったから怖い。


首輪を付けて、去っていった。


助かった、と思った。

でも、その感情すら声に出せない。


「助かった」と言えば、

「支配だ」と切り取られる。


私はもう、“言葉が武器になる世界”を知っている。


***


5月3日。


動画が拡散した。


洗脳と首輪。

恐怖と熱狂。

そして、帰還者そのものへの疑い。


私のSNSも、燃えた。


事務所は沈黙。

スポンサーは「安全」だけ言う。


私は――笑顔を作った。


作るしかない。

作らないと、世界が“勝手に意味”を作るから。


でも本音は、どこにも置き場がない。

それが一番、きつかった。


***


そして、京都。


岡崎の文化ゾーン。

京都の顔をしている劇場会館。


二千人規模のホール。

今日は満員。


導線が二重三重。

警備の視線が、普段より鋭い。

それでも客席は、笑い声を出す準備をしている。


「楽屋、こちらです」


スタッフの声は丁寧で、どこか固い。

“守る”側の緊張は、伝染する。


ナナが隣を歩いている。


女子高生。癒し枠。

なのに彼女は、声が震えない。


慣れなのか。肝なのか。

どちらでも、私は少し救われる。


「大丈夫?」


私が小さく聞くと、ナナは小さく頷いた。


「大丈夫。……えりなさんもいるしもっちんもいるから」


その言葉が刺さった。

優しさみたいに聞こえるのに、責任が混ざっている。


私は笑った。

ちゃんと“安心して見える”笑い方で。


***


開演。


司会の白石さんは、場を回すのが上手い。

言葉を選ぶのが、仕事の人だ。


速く喋らない。

押しつけない。

でも、客席のテンポは落とさない。


鷹城慎吾さんは、現場の人だ。

視線が、出口と導線を見る。

それが“癖”として体に残っている。


私は、その二人を見て少しだけ息が楽になる。

“像”じゃなく、現実を見ている人がいる。


客席は普通に盛り上がる。

笑いが起きて、拍手が出る。


(このまま、何事もなく終わるのかな)


そんな甘い考えが、よぎった瞬間だった。


***


一階席の前列あたり。


誰かが立ち上がった。


動きが妙に大きい。

スタッフでも警備でもない。


黒猫の仮面。

でも、あの人ではない。


男が声を張る。


「帰還者は全員、首輪をしろ!」


ざわめきが、刺さる。

スマホが上がる気配が、目に見えるみたいに増える。


(やめて)


頭の中で言った。

声にはしない。


声にしたら、そこだけ切り抜かれる。


男は首輪らしきものを掲げた。

金属じゃない。留め具が樹脂みたいな光。ベルト式。

胡散臭い“商品”の匂いがした。


警備が動く。

近づく。

客席がざわつく。

空気が、炎上の現場になる。


白石さんが、マイク越しに落ち着いた声を出す。

怒らない。でも逆らわせない声。


「皆さま、座ったままでお願いします。通路は空けてください」


鷹城さんが、反射的に立つ。

客席へ圧を向けない。安全を確保する動き。

現場の人の体は、こういうとき勝手に動く。


「裏へ」


スタッフが小声で言う。


私とナナは、袖へ誘導された。

私は歩きながら、ナナの手を握る。


手が冷たい。

でも震えていない。


それが逆に怖くて、私は息を吐いた。


「外、行こう」


「うん」


裏口から、外の空気へ。


建物の外は、初夏の匂いがした。

遠くで人の笑い声もある。

京都の観光の顔が、普通に続いている。


――その普通が、いちばん怖い。


ナナが、短く息を吐いた。


「……こわい」


やっと。

その一言が出たのが、救いだった。


私は頷いた。


「怖いよ。……でも、大丈夫」


そう言った瞬間。


少し離れたところで、男の声がした。


「……本物は、ああいうことはしないんだけどな」


私は足を止めた。


声の質が、違う。

野次馬の声じゃない。

何かを“見ている”人の声だ。


目が合う。


声は届く距離で、視線がまっすぐ刺さる。

顔は覚えられる。

そう本能が告げた。


私は、深追いしなかった。


波風を立てない。

私の得意技。

ここで動いたら、また“像”が先に歩く。


だから私は、笑った。


作った笑顔。

でも、今はその奥が少しだけ痛い。


「……戻ろう」


ナナに言うと、ナナは頷いた。


会場に戻らなきゃいけない。

戻らないと、また別の“物語”が作られる。


でも胸の奥に、引っかかりだけが残る。


(会いたい、じゃない)


ただ――確かめたい。


あの人は、誰だったのか。

そして、さっきの騒動が“偶然”なのか。


私は歩き出した。

京都の空は綺麗で、

その綺麗さが、今日はいちばん信用できなかった。


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