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晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略──ここからが本番だ  作者: 七乃白 志優
第七章:守られる檻、ほどける決断

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098話『岡崎まで、歩く理由』

土曜の朝。


窓の外は、家族連れの気配がするだけで、うちの住宅街はいつも通り静かだった。

こどもの日が過ぎても、連休はまだ残っている。


――なのに、僕の中だけが固い。


(今日、京都。確認に行く……)


洗面台で顔を洗い、タオルで拭く。

鏡の中の自分は休日の顔をしているはずなのに、何かが起きそうだと胃の奥だけは落ち着かない。


リビングに戻ると、コユキがソファの背に座っていた。

スーラはテーブルの端で、ぷるん、と小さく揺れている。


「準備できた?」


「だいたい。……。何も起きなきゃいいんだけどな」


コユキが一度だけ瞬きをする。


「でも、推しに会えるかもよ。『みみモン日記』のナナ」


「……会えない。会いに行くんじゃない」


「ほんとに?」


「ほんとに。リアルで会いたいとか、そういうのじゃなくて……」


言い訳みたいになって、口をつぐむ。


コユキが、わざとらしく首を傾げた。


「じゃあ何。うさぎの“もっちん”?」


「……そう。あの掛け合い、たまに癒やされるだけ。……って、そうじゃない」


「ふーん。癒やし目的で京都」


「違う。確認目的で京都」


ディアが顔を出した。


「癒やしは大事よ。あなた、放っておくと眉間が定住するもの」


「定住させたくないな……」


「じゃあ、今日は少しだけ移住させなさい。……でも、行くのでしょう?」


「行く。……近くまで」


ディアは頷いて、水を注いだカップを置く。


その足元で、スーラがぺたり、と僕の足首にくっついた。

小さく膨らんで、じっと見上げてくる。


「……スーラも来るか」


ぷるん。


返事みたいに揺れて、離れない。


「分かった。いつもの位置で」


スーラは満足そうに縮んで、服の内側へ潜る準備をする。

こそばゆいが、安心もある。


玄関に向かうと、コユキが並んで歩いた。

扉の前で、ひょいと影に溶ける。


『じゃ、行こ。推し活』


「推し活じゃない。……確認に」


ブレスレットからディアの笑い声が落ちる。

その軽さが、ありがたい。


電車に乗って、席に着く。

窓の外が流れ始めたところで、僕はスマホを開いた。


ニュースサイト。SNS。切り抜き動画。検証ごっこ。

昨日より“色”が濃い。言葉が尖ってる。燃料が足され続けてる。


(見ても、やれることは増えないんだけどな)


分かってるのに、指が勝手にスクロールする。

“確認”のつもりが、ただの摂取になりかけたところで――


『秀人、まだ見てるのね』


ブレスレットの奥から、ディアの念話。

声は落ち着いている。叱るというより、針の角度を変える感じだ。


『必要な分だけ。……余計なものまで飲み込まないで』


『分かってる。……でも、政府の動きは多少でも掴んでおきたい』


『なら、あなたが拾うべき“情報の種類”をひとつ』


ディアが一拍おいて続ける。


『今日のゲストの速水って女性。前回で会場で見たでしょう?あの子――契約している子の気配が、普通じゃなかったわ』


『……普通じゃない、って』


『言い方を変えるなら、“格が違う”。同じ場にいても、他のモンスターと密度が違うの。上層の守護精霊っぽい感じをうけたわ』


僕は無意識に、視線を窓に逃がした。


『コユキやスーラみたいに、やばいってこと?』


影の中から、コユキが割り込んだ。


『比較しないで。ボクは“普通”だよ』


『普通じゃないだろ』


『普通だよ。ちょっと可愛いだけ』


(そこに寄せるのか……)


僕が突っ込み損ねたところで、胸元がぷるん、と動いた。

スーラが服の内側で、わずかに震える。


ディアが静かに言った。


『スーラは論外。あなたのところのみんなは、比較の土俵がそもそも違うのよ』


『誉めてるのか、釘なのか分からない』


『両方。……で、速水の契約相手は“それに近い匂い”がした』


コユキが、少しだけ真面目な声になる。


『あの場で皆が秀人に圧倒されていた。でも、速水の後ろの子は冷静だった』


『……そういうの、分かるんだな』


『ボクだって索敵担当だもん』


僕はスマホを伏せた。

見ているだけで、頭の中が騒がしくなる。


指先でブレスレットを一度だけ触る。

ディアが、わずかに息を整えた気配がした。


胸元のスーラが、ぺた、と落ち着く。

影の中のコユキも、気配を整える。


京都まで、まだ少し。

揺れは一定で、こちらの心拍だけが不揃いだった。


京都に着いたのは、11時頃だった。


駅は観光の顔をしている。

連休の荷物。家族の声。学生っぽい集団。


地下鉄に乗って、烏丸御池。


ここで乗り換えて東山へ――もできる。

でも、今日は歩くと決めていた。


「……岡崎まで、歩くか」


影の中からコユキの声。


『乗り換えたら早いのに』


『せっかく京都まで来たんだ。少しくらい、観光っぽいこともしたい』


歩き出す。


スマホを掲げる腕が多い。

「そこ、撮るんだ」と思う角度で撮っている。

立ち止まる場所も、妙に息が合っている。慣れた町の歩き方じゃない。


(……京都だな)


僕も、つられて少しだけ速度を落とした。

視界の端に、川面が光る。橋の上から覗き込む人。

欄干にもたれて喋るカップル。家族連れの手が、ちゃんと繋がっている。


服の内側で、スーラがぷるん、と揺れた。

人の流れに合わせて、こっちも“揺れてる”みたいな感覚。


「大丈夫」


小さく言って、まわりの人と歩調を合わせる。

観光客の波に飲まれない程度に、でも、ちゃんと景色が目に入るくらいに。


岡崎の文化ゾーン。


広い公園と、文化施設がまとまった一角に、目的の“劇場会館”があった。

名前を出す必要がないくらい、京都の顔をしている建物だ。


段状のアプローチ。ガラス越しに明るいロビー。人の流れが、最初から設計されている。

そして――今日は、やけに警備が厚い。


「トークイベント、本当にやるんだな」


『やるから、人がいる』


コユキの言葉が淡々としている分、現実味がある。


入口の掲示に「本日、ホール公演は完売」と出ていた。

建物自体には入れる。ロビーまでは一般の人も出入りできる。

でもホールへ向かう通路は、きっちりスタッフが立っていて、導線が封鎖されている。


僕はロビーの端、パンフレット置き場の影になる場所に立った。


どうする。

ここから先、入れないなら意味がない。


一度、息を整えたところで――ブレスレットが、軽く反応した。

ディアの声が落ちる。


視界連結(リンクサイト)、持ってるわよね』


「……仲間と視界を共有するスキル?」


『そう。私がホールに影を滑り込ませるわ』


僕が言葉を失ったタイミングで、コユキが即ツッコミを入れる。


『便利すぎ。ズルがいくらでもできる』


『ええ。だからこそ、使いどころを選ぶのよ』


ディアがさらっと肯定する。

僕は苦笑して、場所を人があまりいない場所に移動する。


「……じゃあ、頼む」


『目を閉じて。視界だけ借りる』


一瞬、目の前の光が薄くなる。

代わりに――別の場所の“明るさ”が重なった。


ホール内。


客席の二階。手すりの影。

そこから、ホール全体が見下ろせた。


舞台の明かり。客席の層。人の密度。

二千近い椅子が埋まっていく様子が、ひとつのうねりみたいに動く。


音も、遅れて重なる。

クリアなマイクの声。客席のざわめき。プログラムをめくる紙の擦れ。控えめな咳払い。

“イベントが始まる前の空気”が、ちゃんと届いてくる。


(……見える。聞こえる)


『音は私がスキルで重ねてる。ズレたら言いなさい』


『了解。ありがとう』


『あなた、顔が真剣よ。トークイベントに来た人の顔じゃない』


『堪能してる場合じゃないからな』


ディアの声が、笑っていない。

僕も笑えない。


開演。


舞台に出てきたのは、清潔感のあるスーツの男だった。

声が通る。最初の一言で、空気を“整える”タイプだ。


白石悠真。

フリーの司会者で、ラジオもやっている――そういう人の喋り方。


「本日はお越しいただきありがとうございます。こういう時期だからこそ、“安全に楽しめる形”で進めます」


言葉が上手い。

荒れている話題に触れながら、煽らない。踏み込まない。

でも、逃げてもいない。


登壇者が紹介される。


速水えりな。

姿勢が綺麗で、笑顔が“調整された形”をしている。

清らかな空気に包まれている感じがする。


ナナ。

高校生らしい。みみモン日記で有名な動画配信者。

足元には相棒のうさぎ型モンスター、もっちんがいる。

小さな拍手に合わせて軽く頭を下げる。


鷹城慎吾。

がっしりした体。事前に調べた情報によると元消防士とのことだ。

客席を見ているようで、視線が出口と導線を拾っている。


(……どういうトークイベントになるか、少し楽しみになってきた)


白石が、上手く回す。


速水に振る時は、言葉を選んで逃げ道を作る。

ナナに振る時は、短く答えやすい形にする。

鷹城に振る時は、現実寄りの話題へ寄せる。


客席は最初、普通に盛り上がっていた。

笑いも起きる。拍手も出る。

“普通”が、成立している。


――このまま、何事もなく楽しいまま終わるのかもしれない。


開始から、40分ほど。


借りた視界の端。

一階席の前列あたりで、誰かが立ち上がった。


ディアの影が、二階の手すりから客席へ滑り落ち、前列の通路脇まで一気に寄った。


スーツでもない。スタッフでもない。

妙に目立つ動き。


そして、仮面。


黒猫――っぽい。

でも、縁日で売ってそうなプラ仮面。


『……安っぽい仮面』


コユキが、ぼそっと言った。


僕は息を止めた。

男は客席の通路へ一歩出る。


手には、首輪らしきもの。

金属じゃない。量販店の皮ベルトみたいで、留め具が安い光り方をしていた。


「帰還者は全員、首輪を――」


声が響く。

空気が、いっきに冷える。


男が、もう一歩、前に出た。


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