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人には言えないご趣味の仲間


 今日も今日とて、酷い日だったと思う。


(と言っても、まだ午後だけど……)


 例の業務提携をしているハウスメーカーと、またトラブルがあったのだ。

 以前の「激ヤバ案件です!」ほどではなく、向こうの小さなミスだがさすがに数が多すぎる。

 その小さなミスがバタフライ効果よろしく、事務方に社内クレームが来る頃には大事になっていたりするのだ。


(どうして仕様変更書が現場担当者にしか行ってないんだ……)


 仕様変更はよくある。

 が、問題なのは、ハウスメーカーがそれをこちらの営業担当者に送らなかったことだ。確かに現場担当者さえ把握していればいいような情報かと思われるが、そうもいかないのが企業というものだ。


「ハァ……」


 充は誰もいない事務所で大きく伸びをし、ちらりと時計を見た。

 そろそろ昼休憩から部下三人が戻ってくるころだ。昼休憩は、女性社員と充の入れ替わりでとっていた。


「あのアホ担当、絶対仕事できないね」

「やめなって、そういう本当のこと言うの……」

「世が世なら打ち首だね」

「打っちゃうか、首」

「打つか、首」

「だめだって」


 比呂達三人が物騒な会話をしながら休憩室から出てくる。

 彼女達も、午前中は充と同じく社内クレームの餌食になった被害者だ。


「よっしゃ、じゃあ今日は夕飯食べいこ!」

「まだ水曜だけどお酒も飲んじゃお!」

「ファミレスでいい?ドリア食べたい」

「またー!?比呂はあそこのドリア好きだね~」


 だが、充と違って、彼女達はお互いで支え合えている。

 充と違い一人で抱え込むことはせず、お互いが怒りと不満と不安を吐き出し合い、心の健康を保てているのだ。


(いいチームワークだな……)


 彼女達を見て、充は素直にそう思った。


「主任、戻りました~」

「はい。じゃあ私も休憩いただきますね」

「は~い。……でね、次の土曜に持ってく――」

「萌木も好きだねぇ――」

「あ、私お茶――」

「そりゃあ好きだよ――」


 女性陣の明るい笑い声を背中で受けながら、通勤鞄からおにぎりの入った巾着袋を取り出す。そのまま真っすぐに休憩室には行かず、事務所出入り口すぐの屋外に設置されている自販機に向かった。


「ん~~……」


 暖かな日差しの下で首を回せば、小さく首がペキッと鳴る。

 適当にカフェオレを買い、その場で開けて一口飲めば、自然とまた大きなため息が出た。


(……疲れた)


 こういう時は奏太にハグしてもらうに限る。

 ……のだが、もちろんここには奏太はいない。

 充は奏太にやってもらったように自分を軽く抱きしめる。が、やはり自分でやるにはあまり効果はない。キスをされる時みたいに唇をもにもにと指で押したりもしてみるが、やっぱり奏太にされるのとは全然違う。


「あー……」


 次に会えるのは土曜だ。あと三日もある。

 充はもう、『M33』に――奏太に会う前の自分を思い出せないでいた。

 自分は今まで、どうやって日々を過ごしていたのだろう。どうやって今のような辛い気持ちを乗り越えていたのだろう。


(ちょっと、良くないかも)


 奏太に、依存し過ぎている気がする。

 最初はしょうがないと思っていた。だって『M33』の話ができるのは奏太だけなのだ。だから、精神的にべったりとくっついてしまうのは、しょうがないと……。

 でも、奏太といるのは本当に心地が良いのだ。

 それは年齢差による奏太の気遣いではなく、彼の心からの、個人同士の気遣いや人柄だ。それがどうしても心地よくて、あたたかくて、癒される。たまに戯れのようにキスされるのはまだ慣れないが、それでもだ。

 最近は、何か良いことがあったら――たとえそれが『M33』に関係しないことでも奏太に話してしまうし、美味しいものを食べたら奏太にも食べさせてあげたいと思う。それくらい充の中で奏太の存在が大きくなっているのだ。


(あと三日か……長いなぁ)


 依存し過ぎているとは思う。

 けど、会うのを控えたりはしなかった。

 戻れないくらい依存しなければいい、大丈夫だ、自分はいい大人なのだから――。


(ああ、でも――)


 いい大人だけど、やっぱり疲れるものは疲れる。

 奏太にあと三日も会えない心の疲れ。職場の人間関係に挟まれる疲れ。なぜか協力関係にあるハウスメーカーの業務進捗を気にしなければならない精神の消耗。

 充はスマホの青いカバーを外すと、その中に忍ばせておいた早智のチェキ風カードを取り出した。これは以前、奏太から貰ったものだ。

 カードには外から誰かに頬をつままれて、キリッときめた顔ではない、少しくだけた笑顔を見せる早智がいて、充はつい声に出して呟いてしまった。


「疲れたよ、奏太くん……」

「あ、『M33』だ」


 ――いつの間にか、隣に比呂がいた。

 彼女の視線はばっちり自分の手元を見ている。


「――ッッ!!」


 驚きすぎて、声にならない叫び声を上げながら猫のように飛び上がってしまう。

 その拍子に手から滑り落ちたカフェオレを比呂は難なくキャッチすると、驚いた拍子に尻もちをついた充に手を差し出しながら、「やっぱり好きなんですか?」と平然と聞いてきた。


「あ、見ちゃってすみません」

「ッひ、ろ、さん……!そのッ、そ、の……!」


 見られてしまった。

 比呂に、部下に、女性に。

 カードを、早智を、早智に向かって弱音を吐く姿を。

 スマホで画像を見ているならまだ良かった。でも今見られたのは、カードを見ている姿だ。


「あのっ、その、これ、これ、は……ッ!」


 体の芯がスウッと冷えるのに、頭と顔は信じられないくらい熱くなっている。

 どうしよう、見られてしまった。ずっと隠してきたのに。

 比呂に、自分の上司が男性アイドルグループを好きなんだと知られたら、今のままではいられなくなる。

 せめて事務方だけでも平穏を、チームとして働けるよう、頑張ってきたのに。

 充は尻もちをついたままスマホとカードを胸に押し当てる。うまく動かない頭と舌をなんとか動かそうとするが、出てくるのは変に上擦った馬鹿みたいな声だけだ。


「ちが、くて……!これ、は、そのッ、違うん、です……っ!」

「ん?違いました?」


 比呂の目が、まっすぐに自分を見つめる。

 その目には嫌悪や抵抗といった感情はなく、ただ単純に疑問として聞いているのが分かった。

 だから、充は――


「……ち、違く、ない……です」


 震える声で、絞り出すように言った。

 『M33』を好きだと。男である自分が、自分よりも年下の男性アイドルグループを、カードをお守りとして持ち歩くくらいには好きだと、認めた。

 しかし認めたものの、比呂の反応が怖い。

 もし今ので比呂の顔つきが変わって、こちらを嫌悪感溢れる目で見てきたらどうしよう。――そう、思っていたのに。


「そうですか」


 比呂の返答は、ずいぶんとあっさりとしたものだった。

 彼女は自分の手をポカンとしたまま掴もうとしない充に痺れを切らしたのか、強引に手をとって起き上がらせる。

 掴まれた手の小ささからは考えられない力で引き上がると、何事もなかったかのようにカフェオレを手渡してきた。


「なになに、比呂ってば主任に何したの?」

「主任大丈夫ですか?」


 事務所から尻もちをついていた充が見えたのだろう。

 何事かと咲元と萌木の二人が駆けつけてきた。


「何もしてないよ」


 比呂が少しムッとした表情で言う。


「主任がなんか見てたから、なんだろって思って手元覗き込んだらビックリしちゃったみたいで」

「あららら~、それはだめだよ。マナー違反よ?」

「なんだ、結局比呂のせいだったのか」

「………………すみませんでした」


 ペコリと頭を下げる比呂に、充は慌てて言った。


「いやっ、大丈夫だから……!私がびっくりして、尻もちついちゃっただけ、ですので……は、はは」


 フォローしつつ、今自分が置かれている状況の情けなさに乾いた笑いが出てくる。

 これじゃあ「やましいものを隠しています」と言っているようなものだ。いや、別にやましくはないのだが。


(なんとか、話題を変えないと……!)


 このままだと、「何をそんなに驚くことがあったんですか?」とか、比呂に「カード持ち歩くほど好きなんですか?」と突っ込まれそうだ。

 この会話の流れをなんとかしなければ……!

 そう思いながらスマホとカードをなんとか怪しまれずにポケットに入れる。そんな矢先、萌木が「あ、そうだ」と声を上げた。


「そうそう、主任。実は少し前から気になってたことがあったんですけど……」

「はっはい!なんでしょうか」


 渡りに船だ。

 このタイミングで会話の内容を変えてしまおう。

 充は萌木に心の中で感謝しながら、彼女の言葉を待った。


「主任って、『M33』好きなんですか?」

「ッ、ぇ、あ……ッ!?」


 ――秘密の話をするように抑えた声で聞かれた内容は、再び充をパニックに陥れるには十分だった。

 いつの間にかまた手から落ちたカフェオレを比呂がキャッチする。


「おお、ナイスキャッチ」

「だめだよ萌木。さっきそれ聞いて主任尻もちついちゃったんだから」

「えっ、そうなの?」

「ッ、なん、なん、で、その、そのこと……!」


 なぜ萌木までそんなことを言うのだろうか。

 さっき早智のカードを見た比呂にならともかく、萌木にはなにも見られていないはずなのに。

 唯一の秘密把握者――と言っても、ついさっきなったばかりだが――である比呂に助けを求めるように視線を向ければ、比呂は「あー……」と言いづらそうに口を開いた。


「その、主任は隠していたつもりだと思いますが、少し前から察してはいました」

「……え」

「だからつい、さっきは口走ってしまったというか……」


 持たされたカフェオレの缶が、ベキ、と音を立てる。


「なん、なんで……ッ、い、いつから、ですか……?」


 そんな事を聞いて何になるのだろか。何にもならないだろう。

 分かっていても、何か言わないと弾け飛んでしまいそうだった。


「いつから?ん~、主任の私物に青いものが多くなた頃……ですかね?」

「うんうん。その頃からなんか楽しそうだったし、カラーが青の推しでもできたのかなって話してたんです」

「たまに歌も口ずさんでたし。――で、それがたまたま私の知ってる曲だったんですよ」

「ぁ、ああ……そうだったんですね……」


 一口飲んだだけのカフェオレが、どんどん冷えていくのが分かる。

 カフェオレが冷えたのか、充が熱くなったのか。

 どちらかは分からない。

 ただ、彼女達に充の秘密はすべてバレていて、それが今この場で明白になったのは確かだ。

 途端に三人に申し訳なくなる。こんなおじさんが若い男性アイドルファンだなんて知って、さぞ不快に思っただろう。


「す、すみま――」

「主任の気持ち、分かりますよ」


 そう思って咄嗟に謝罪の言葉が口から出たが――それを比呂が、遮った。


「え?」

「私達もそうなんですよ。――ちょっと待っててくださいね」


 言って、比呂が事務所の中に戻っていく。

 ぽかんと彼女の背中を見つめる充に、残った二人が自分達のスマホの画面を向けてきた。


「え、え?」

「主任、これ見てください」

「あたしのも!」


 女性のスマホ画面を見ていいものなのだろうか、と思いつつ、二人のスマホを見る。

 そこに映し出されていたものは――


「メイド、と……ロックバンド……?」


 萌木のスマホには、ずいぶんと露出のあるメイド服を着た黒髪の女性。

 咲元のスマホには、ビジュアル系よりも過激そうな出で立ちのロックバンド。


「これがあたしの推し、グラビアアイドル兼コスプレイヤー兼メイド喫茶不動のナンバーワンである『よるみな』ちゃんです!」

「私の推しは『バイガル』っていって、ジャパニーズヘビメタバンドです!あ、バンド名は『バイバイ、ガール』って意味なんですけどね」

「よ、よるみな?ばいがる?」

「お待たせしました」


 二人から与えられた情報で頭の中が「?」でいっぱいだ。

 そんなところに、先程事務所の中に消えた比呂が戻ってきた。その手には、ペンライト――


「これが私の推し、『防撃戦隊・ディフェンジャー』です」


 ――ではなく、比呂が手にしていたものは、警棒のような形をした幼児向け変身グッズだった。

 どこかのスイッチを押したのか警棒が黄色に光り、派手な効果音と一緒に「小さき巨人の大いなる守り!ディフェンジャーイエロー!」という女性の音声が流れる。


「今日は持ってきてないですけど、変身ベルトもあります」

「私はシャツの下にバイガルTシャツ着てます」

「このシュシュ、よるみなプロデュースグッズなんですよ」


 咲元がワイシャツの隙間から黒い生地のシャツを見せ、萌木が髪を結っていたシュシュを見せてきた。


「……まあつまりですね、私はヘビメタビジュアルハードコア系のバンドが好きで、萌木はメイド喫茶のメイド兼グラビアアイドルに貢いでて、比呂は特撮ヒーローに憧れている――みんな、なかなか人には理解されない趣味と推しがいるんですよ」

「だからあたし、いつか主任の推しの話も聞いてみたくて!」

「みんなで虎視眈々と機会を窺っていたわけです」


 ついに言ってしまった、と言わんばかりに表情を輝かせる三人。


「……」


 そんな彼女達を前にして充は――

 充は、ポケットにしまったカードを、三人の前に差し出した。


「ぼ、くの推しの……『M33』の、早智くん、です……」


 目の前の三人から、わぁっと歓声が上がった。


【事務3人組の紹介】

比呂(ひろ)…特撮ヒーローが好き

萌木(もえぎ)…グラビアアイドル兼メイドが好き

咲元(さきもと)…ヘビメタが好き

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