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ティラミスと苺タルト


 同性の若い子と一緒に過ごすなんて久しぶりだ。

 職場での年下の子と言えばみんな女性で、男性は営業や現場の面々で直接話す機会はあまりない。

 ――だから、今時の子は、こんなものなのかと思っていた。


「おっ、お待たせしました……!」

「お仕事お疲れ様です!じゃ、いきましょっか!」


 奏太との待ち合わせ場所は、二人が出会った市民文化ホールだ。

 今日は以前ここでコンサートをした早智が、


〈会場近くにあるカフェのティラミス最高でした!〉


 と、紹介していたカフェに奏太と来る約束をしていた。

 前のように南入り口の階段に座って待つ奏太のもとに急げば、彼はしばらく待たされたというのに不快な空気ひとつ出さずに労をねぎらってくれる。

 派手な見た目からは少し想像し難い、まっすぐで輝くような笑顔と優しく温かな心遣いに、充はすっかり心を開いていた。


(いい子だなぁ)


 ほっこりと思うと同時に、手に感じる熱に「今時の子だなぁ」とも思う。


「いやぁ~。楽しみですね、サチがオススメしてたカフェ!」


 充の右手は、奏太の左手が握っていた。

 出会った時から感じていたが、奏太はとにかく距離が近いのだ。

 職場で比呂達女性三人が身を寄せ合って楽しそうに談笑していたり、街中で仲良さげにしている女性達を見かけるが、それと同じくらいなのだ。


(今時の子はこんなものなのかもしれない)


 今みたいに手を繋いで引かれるのには、もう慣れてしまった。

 いや、最初は少し抵抗していたので、諦めと言ったほうが正しいか。

 スマホの画面を見せようとすると睫毛の本数を数えられるくらい近くに来るし、腕を絡めとられる時もある。しかも奏太は香水でもつけているのか、さわやかな香りがする。

 それに人が多い所では手を繋ぐことはされなかったので、充も早々に諦め、今では「今時だなぁ」と思うくらいだ。

 人というのは慣れる生き物とはよく言ったものだ。

 最初はあんなに距離の近さにぎょっとし、思わず後ずさっていたのに、今では何とも思わないし、むしろ少し距離を空けられる方がそわそわしてしまうくらいだ。


「おっ、ここですね」


 しばらく大通りを歩き、途中細い小道を曲がれば、早智がSNSで紹介していたカフェと同じ洒落た外観の店に着いた。

 恐る恐る店内を覗けば、もう夕食時だからだろうか、人の数は少なく、これ幸いと二人は中に入った。

 通された席に座り、さっそくメニュー表を開く。

 思っていたよりも馴染みのあるメニュー内容にほっとしつつ、充はすぐに目当てのティラミスを見つけた。


「あ、これ、早智くんが頼んでたやつだ」

「どれ?――あ!ほんとだ!」


 思わず大きな声を出す奏太に、口元に指をあてて注意する。


「すみません……興奮して大きな声出ちゃいました」

「ふふ、分かります。……でもなぁ、どうしようかな……」

「え?このティラミスで決定じゃないんですか?」

「その、僕あんまり苦いコーヒー得意じゃないんです。だからティラミスもちょっと苦手で……。甘いコーヒーは好きなんですけど……でも早智くんが食べてたし、挑戦してみよう、かな……」

「なら、俺がティラミス頼んでも良いですか?」

「え?」


 メニュー表から顔を上げると、案の定近くにある奏太の目とばっちり視線が合った。

 奏太は綺麗に切り揃えられている爪でメニュー表をトントンと指し、「さとさんはこれ頼んでくださいよ」と続けた。

 それは、さっきから充が美味しそうだなとチラチラ見ていたイチゴのタルトで、いつから気が付いていたのだろうと思い顔を赤くする。


「俺、甘いものそんな得意じゃなくて。でもティラミスってほろ苦系じゃないですか。これなら食べれるんですよ」

「え……なら、僕に合わせて無理して来なくても良かったのに……」


 とは言ったものの、こんな洒落た外観のカフェ、自分一人では絶対に足を踏み入れられない。

 そう思いつつも言えば、奏太はにかっと笑った。


「いやいや。俺、さとさんとお話しできるの楽しみにしてたんですから、そんなこと言わないでくださいよ。――じゃあ、食後のデザートはイチゴタルトとティラミスで決定ですね」

「……うん。ありがとうございます」


 奏太の優しさと気遣いに、充はまた内側が温かくなる。

 昼間の職場での殺伐としたやり取りで消耗した精神が、奏太といることでゆっくりと回復していくのが分かった。


「さとさんって、サチのことずっと『はやとも』ってちゃんと呼びますよね」

「そうですね。なんか、『サチ』って言うの、変に気恥ずかしくて……。やっぱり早智くんを応援するなら呼び方も愛称で呼んだ方がいいのかな、とは思うんですけど」

「いえ、可愛いので大丈夫です。さとさんはそのまま『はやとも』呼びでお願いします」

「か、可愛いって……」


 奏太の距離の近さには慣れてしまっていたが、まだ慣れていないことがある。

 それは、奏太が充のことを、事あるごとに可愛いと言ってくることだ。

 思えば出会った時から言われていたような気がするが、これは距離の近さとは異なり慣れることはなかった。


(こんなおじさんに可愛いって……本当に今の若い子はすごいなぁ)


 確かに比呂達も事あるごとに「可愛い」を連呼している気がする。

 「やばい」や「死ぬ」などと同じで、様々な意味を内包している便利な言葉なのだろうが、分かっていてもやっぱり恥ずかしい。

 片や職場帰りと分かるようなくたびれた格好をした中年男性で、片やバッチリと決まったオシャレな格好の若者。大学帰りなのに、いつも洒落た格好をしている奏太に「可愛い」と言われるのは、充はどうしてもムズムズしてしまってだめなのだ。


「さとさんは可愛いですよ。俺、本当にさとさんに会えてよかったです」

「……可愛いと言えば、僕よりも今日の早智くん写真の菊太さんでしょう」

「ッそ!そう!そうなんです~!」


 また声の大きくなってしまった奏太を制し、充は話題を変えることに成功した。

 その後は二人で食事をしつつ『M33』話で盛り上がっていれば、あっという間に食後のデザートが運ばれて来る。


「わ、わ……早智くんが食べてたティラミス……!」

「ですね!タルトも美味しそうですよ」


 目の前に置かれたティラミスは早智がSNSで紹介していたティラミスそのもので、充は夢中で写真を撮った。奏太にも協力してもらい、スマホで早智のSNS画面を表示し、早智のティラミスと一緒に写真を撮ったりもした。


「ありがとうございました……!」

「満足しました?」

「大満足ですっ」

「ふふ、かぁわいい。俺も大満足ですよ」


 また可愛いと言われてしまった。

 充は少し複雑な気持ちになりながらも、「な、何がです……」と噛みつく。


「何がって、俺が大好きなさとさんの呟きの裏側を見れて、です」

「え?」


 言われて、充の頭の中が「どういうことだろう」という疑問で一杯になった。

 そう言えば奏太は、時折充の呟きに対してコメントではなく、直接感想を伝えてくることがある。

 それも呟きの内容に対してではなく、「俺さとさんの呟き好きなんですよ」とか、「さとさんの文章って丁寧で好きなんですよね」といった、呟き全体に対しての感想だ。

 前々から不思議には思っていたけれど、一体どういうことなのだろうか。そんな気持ちが表情に出ていたのか、奏太は少し照れたように笑うと言った。


「いや、その……意外って思われるかもなんですけど、俺、結構デリケートなハートの持ち主なんですよ。大学の奴らはあんまりそう思って無いようですけど……で、大学とかのテストやレポートや実習で躓いたり、全然できなくてヘコむこととかよくあるんです」

「そうだったんですね……」


 本人が目の前にいるので口にすることはできなかったが、奏太の言葉通り、やっぱり「意外だ」と思ってしまう。

 だってkanataの呟きは、俗に言う病んでいるものは一切なく、全て明るい内容や『M33』に関することだけだったから。マイナスな呟きは、「眠い」とか「多忙だ」とか、それくらいだった。


「はい。で、俺ってあんまりそういうの出したくないんですよ。カッコ悪いし、菊ちゃんの前でもおんなじ事言えるのかって自問自答して、自分の中にしまっちゃうんですよ。……でもやっぱどうしてもキツい時とか、あるじゃないですか」


 その言葉に、充にも思い当たる節があった。


「そういう時、さとさんの呟きを見ると癒されるんです」

「え!」


 突然、自分の名前が奏太の口から出てきて驚く。

 そこは「菊ちゃんを見ると癒されるんです」、ではないのだろうか。なぜ、自分なんだろう。


「さとさんの呟きってなんかこう、しっかりと文章を考えて呟いているっていうか……ああ、この人は真面目な人で、色々な方向に気遣ってる人なんだろうなって感じられる文章なんですよ」

「ぇ、あ……そう、なんですか……?」

「はい」


 自分では気が付かなかった。

 職場の双方から挟まれる中間管理職という立場で、多方面に気遣っている性質が私生活でも抜けていないことに若干うんざりしてしまう。

 でも――


「で、なんか良い感じの人だなぁってフォローして呟きを見てったら、本当に良い人で……。正直、俺サチってメンバーの裏側を紹介してくれる人って認識でしかなかったのに、さとさんフォローしてからサチも好きになっちゃって」


 そう言われて、悪い気はしなかった。


「さとさんの呟きに癒されて、なんかもう『M33』関係じゃない日常の呟きも好きになっちゃって……どんな人だろう、いつか会いたいなって思ってたら本当に会えて……」


 あの日の事を言っているのだろう。

 奏太は充がドキッとするくらいの甘い笑顔を向けると、言葉を続けた。


「思ってた通りの――いえ、それ以上の人で、俺、本当にラッキーです」

「そ、そんなことは……」

「しかも癒される呟きの裏側も見れちゃったし」

「っ……」


 最後、奏太は冗談っぽく言って笑ったが、若者特有の冗談に慣れない充は、赤くなった顔をもう使う予定の無いメニュー表で隠した。


(は、恥ずかしい……!)


 そんな風に思われていたなんて。

 自分の呟きをそんな風に思っていた奏太の目の前で、盛大に年甲斐もなくはしゃいでしまったなんて。

 メニュー表で顔に向かって風を送るも効果はなく、前髪がめくれた事で余計に赤い顔を奏太に晒すこととなる。


「あ、そうだ」


 そんな充をさほど気にしていないのか、いつもの調子に戻った奏太が言った。


「さとさん、ティラミス挑戦してみませんか?」

「ッ、え?」

「一口だけでもいかがですか?」


 奏太はそう言うが早いか、ティラミスを一口サイズよりもずいぶん小さくフォークで取り分けると、そのまま突然の事でついて行けない充の口元に持ってきた。

 いわゆる、あーん、というやつだ。

 さすがの充もこれには固まった。


「っや、いや、奏太さん……っ。さ、さすがに、ちょっと、これは……!」

「え?」


 慌てる充に対し、奏太は充がなぜ慌てているのか分からないといった風に首を傾げた。

 その反応を見て、「まさか今の若い人達はこれが普通なのだろうか」と思う。

 なら奏太の厚意を断るのも悪い。

 それに、苦手なものとはいえ、大好きな早智が食べたものを少しだけでも食べてみたい。

 そんな気持ちがあって、充は周囲を見渡し自分達以外に客がいないことを確認すると、おずおずと口を小さく開いてフォークを迎え入れた。

 緊張で火照る唇に、フォークの冷たさがやけに鋭く感じられた。


「っん、ぇ……」


 口にひとかけら入った瞬間、好きなコーヒーの風味がいっぱいに広がる。一瞬だけ美味しいと感じたが、すぐにスポンジから染み出した苦いエスプレッソが舌にまとわり付いてきて思わず眉をしかめてしまった。


「どうです?」

「……やっぱり、苦いです……」

「あーだめでしたか。すみません、無理させちゃって。はい、これ飲んでください」


 いつの間に注文していたのだろう。

 奏太は、ふわふわのミルクフォームがたっぷりと入った甘いカフェオレを充に差し出した。

 いつもなら遠慮する場面だが、あまりの苦さに今日は素直に飲ませてもらう。

 唇にひんやりとしたミルクフォームを感じながらカップを傾ければ、苦味で満たされていた口内にまろやかな甘みが広がっていく。


(ん、おいしい……)


 苦みと甘みが絶妙に混ざり合い、さっきまで寄せられていた眉がゆっくりとほどける――と、そのタイミングで、奏太と目が合った。

 カップのふちの端から見える奏太は、まるで何かを愛でているように目を細め、口元を緩ませ、見られているこちらが恥ずかしくなるくらいの甘い表情をしていた。

 さすがに恥ずかしいが過ぎる。

 なぜ一回り以上も年下の同性にこんな表情をされるのか。いや、理由なんてどうでもいい。


「奏太、さん」


 今はとにかく、その顔を止めさせなければ。

 さっきまであんなに嬉しかったカフェオレの熱が、手のひらから顔に伝わってきて少しだけ不快に思う。


「なんです?」

「……そんなに見られたら、ちょっとその、さすがに飲み辛いです……」

「あっすみません。さとさんが可愛くて、つい」

「だ、だから……可愛いって、僕みたいなおじさ――っ!」


 赤くなった顔を俯かせ、さっきのように否定しようとする。――と、スッと奏太の手が伸びてきて、充の顎をすくった。

 体の大きさに見合った長い腕と大きな手が顎を持ち上げて、そのまま親指が優しく唇に触れる。


「ッ、ん……!」


 ふにゅ、と、指先が荒れた唇を押す。

 思わず変な声が出てしまったが、奏太は気にすることなく、そのまま指で唇を撫でるとすぐに腕を引っ込めた。


「ぇ、あ……な、に……?」


 一瞬の出来事過ぎて何が起こったか分からず目を白黒させる充に、奏太がいつものカラッとした笑顔を向ける。


「可愛いですよ。ほら、泡ついてた」


 奏太が見せた指には、充の唇についていたであろうミルクフォームが付いていた。

 さっきまで泡が付いたまま話していたという事と、それを年下の子に拭ってもらった事。

 すべてが恥ずかしくて恥ずかしくて、うなじがカッと熱くなる。


「っだ、だから……!可愛いのは僕じゃなくて、菊太さんで、しょ……っ!」

「菊ちゃんももちろん可愛いですけど、さとさんも可愛いです」


 今度は、話題を変えることはできなかった。

 充はごまかすようにイチゴタルトを食べ始めたが、顔は誤魔化しきれないほどに赤くなっていた。


(な、慣れなきゃ……)


 今後も奏太と交流を続けていくには、こういう触れ合いにも慣れていかなければならない。

 そう思いながらタルトを頬張る充の向かいでは、奏太がティラミスを美味しそうに食べていた。

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