星を見つける
中間管理職の里見充は、日々疲れていた。
上司と部下、営業と現場の間。
さらには自分以外の事務員は全員女性ということで、男性と女性の間にも立つ、ありとあらゆる方面での中間管理職なのだから心労は計り知れない。
すべてにおいて中間に立たされ、サンドバッグにされ、両者を立てつつも業務がスムーズに進むように自身を貶め、他人のために気を使い続ける。
だから充は、毎日倒れ込むように帰宅していた。
義務のように夕食を済ませ、なんとか風呂に入り、這いながらしばらく干していない布団の中に潜り込む。
そんな毎日なので家事が円滑に回っているはずもなく、やっと訪れた休日は平日のツケを払うように家事をこなした。ふう、と一息つけばすでに空は茜色に染まっていて、明日からもまた同じ一週間が始まるのだとぼんやりと思う。
薄暗くぼんやりとした道を歩いているような、そんな毎日が続いていた、ある夜の事だった。
「はぁぁあああ~……も~…………」
精神的に疲れるのは毎日の事だったが、今日は特にひどかった。
配管工事をしている現場担当者と工事計画を立てた営業担当者との間で連絡ミスがあり、必要部材が現場に届いていなかったのだ。
充はその内容の社内クレームの電話を受け、現場担当者から苛立ちをぶつけられ、部材を現場にまで届けることになった。そして帰社すれば営業担当者には今回の件で愚痴の捌け口になり、なぜか以降同じミスが生まれないように充が対策を練った。
まったく事務の仕事ではなかったが、こうすれば職場は平和になるのだ。
充に苛立ちをぶつけた両者が何事もなかったかのように談笑している姿を見て、充は改めてそう思った。
しかし、だ。
(同じ会社の仲間なんだから、どうしてもっと仲良くできないんだろうか)
いや、仲良くしなくていい。
せめて自分達がチームなのだという認識のもと行動して欲しい。
誰かの仕事が自分の仕事に繋がっていて、自分の仕事が誰かの仕事に繋がっているのだと、頭の片隅にほんの少しでも置いておいて欲しい。
(……いや、難しいか)
充は大きくため息をつくと、そのまま視線をスマホに落とした。
激動の今日だったが、部下である事務の女性達が充の外出中に気を使って伝票処理を手伝ってくれていたので、珍しく定時で帰宅することができた。
義務的な食事と入浴を終わらせたが、寝るにはもったいないくらいの時間。
テレビは点けてはいたが、静寂を紛らわらせるためだけの音量で、内容も興味のない音楽番組だ。
充は手の中のスマホを操作し、数年前に作るだけ作っておいたSNSを見た。
このアカウントは、作った初めのころに何度か呟いただけで、数年間なにも投稿していない見る専用のアカウントだ。
顔も見た事がない人の生活や趣味を見るのは、少ない労力で暇つぶしと気分転換ができるのでちょうどいいのだ。
「ん?」
その中で、いつもクロワッサンについてしか呟かない人が自分の好きなアイドルの宣伝をしていた。
音楽に興味のない充でも知っている、国民的人気アイドルグループだ。
投稿された画像をまじまじと見つめ、笑顔のキラキラとした華やかな衣装の彼らに「自分とは別世界の人間だな」なんて思う。
そのままなんとなく、深夜になっても適当にアイドル関連の投稿を検索して見続けていると、SNSの学習機能で様々なアイドル関係の投稿がオススメとして表示されるようになった。
(あ、このグループ……)
ぼんやりと見つめていく中で、充の目があるグループで留まった。
カラフルでもキラキラもしていない、気崩してもいないまるで軍服のような武骨でシックな衣装。全員の息が揃っている力強くキレのあるダンス。メイクをしているのか目元が黒く、眼光は鋭いのに唇だけがやけに赤い。
他のアイドルと一緒に表示される画像の中にいる彼らは、アイドルに明るくない充から見ても異質だと分かるような存在だった。
(え、えむ……『M33』……?)
アルファベットと数字で構成された、まるで銀河や星団のような名前。
(この名前、見たことが……聞いたことがある、かも――)
その時だった。
点けっぱなしにしていたテレビから、その名前が呼ばれたのは。
「あ――」
なんだったんだろう。
何が自分の琴線に触れたのだろう。疲労困憊のところに胸を撃ち抜かれたのか。それとも、もともとこういうのが好きだったんだろうか。
充は見えない糸に引っ張られるようにして顔を上げた。
薄暗い部屋の中、唯一の光源である目の前のテレビから、相変わらずの小さな音量で彼らの歌が聞こえる。深夜という事も忘れて音量を上げれば、彼らの声が腹の底にまで響いた。
彼らはキラキラと輝くことも、にこにこと笑顔を振りまくこともしていない。
彼らは触れれば傷付くような視線でこちらを射抜き、指の先まで力が漲っているような力強いダンスと、重く響くような心地よい歌声で歌っていた。
まるで一目惚れだ。
一瞬にして心を奪われたのが分かる。
気がつけば、スマホの画面は暗くなり、腰は少し浮いたまま、食い入るように久しぶりにテレビを見つめている自分がいた。
「『M33』……」
それは、充の薄暗い道を照らす星。
――そこからの行動は早かった。
SNS等使えるものすべてを使って彼らの事を調べ上げ、公式チャンネルでアップされている動画を見漁り、『M33』のSNSをフォローする。さらには公式ファンクラブへ流れるように入会した。
気がつけば、退屈と空き時間を埋めるためだけに使っていたSNSアカウントは、『M33』ファンアカウントへと早変わりしていた。
――里見充、三十四歳独身、工務店勤務。
日々の激務と人間関係に消耗していた彼に、人生で初めて『推し』が誕生した瞬間だった。