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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ママが冷たくなって、ホッとした

作者: kno

ママが死んだのきっと私のせいです。

人は人が人を忘れる五感の順番があるって

聴覚→視覚→触覚→味覚→嗅覚

つまり

声→顔→肌→ご飯の味→匂い


この雑学を知って面白かったけど、信じてはいませんでした。

確かに私はもうあの人の声も感触もご飯の味も覚えていません。

けど怒鳴り声はよくまだ頭に響くし、笑った顔と怒った顔だけは鮮明で肌なんて近付くことも怖くて亡くなるずっと前から触れ合ったこともなかったし、ご飯なんて最後に作ってもらった記憶もかなり薄くて、匂いは煙草とほろよいの匂いなので製造中止にならない限り忘れようもないです。




「ももー今日も悪いけどお手伝いしてくれる?」

「うん!いいよ!」

「いい子。」


ママから頼まれるお手伝いはいつも同じ。

小学一年生になったばかりなのでそんなにできることは少ないのが悔しいです。

毎朝、学校前の洗濯物と小さい弟の歯ブラシ、着替え、保育所への送り迎え、テレビの前のママにほろよいが空いたら冷蔵庫から持ってくること。でも私はいい子なのでママが寝てしまったら布団の周りの空き缶を捨てて、テレビも消して、毛布をかけてあげる。食器も洗ったし弟がぐずったら私があやす。だってママ起きないんだもん。起きても「弟が泣いてるで。」と不機嫌になっちゃうから。

あっあと私にはねぇね(姉)もいます。3歳上です。でもねぇねはママが怖いみたいでそもそも近寄ろうとしません。しょーがない。私がやるしかない。ほんとに真ん中っ子は辛いよ。


でも私は勉強もサボりません。だって点数が良いとママは喜んで褒めてくれるし、先生も友達もすごいねとみんな褒めてくれるから。でもねぇねは勉強が大っ嫌いみたいでいつもひどい点数でその度ママの部屋からガシャンっ!とすごい音がして次の日には子ども部屋がぐちゃぐちゃになってる。

もーまた片付けや。


そんなねぇねとママですが、たまにすごく仲良しな時もあります。理由はわからないけど。

そんな日に一度だけママがご飯を作ってくれます。焼き鮭と卵焼きと確かお味噌汁もありました。

いつもきゅうりのキューちゃんとご飯だけからしたら本当に贅沢でお腹いっぱいで、あとママこんなに料理できたんだと新発見にもなるのです。これ以外にご飯作ってくれたかはもうよく覚えていません!1回くらいはあったような?



「もも、これやっとけつったよな?」

「あっ......ごめんなさい。」

「はぁああ。」


小学二年生。下の学年が来て晴れて学校でもお姉ちゃんです。

でも最近勉強に身がはいりません。増えてきている家事と弟の世話と反抗期のねぇね。

なによりママが私の満天の解答用紙を見せても喜んでくれなくなり、そもそも見てもくれない日が多いから。

悪い点数を取ったわけじゃない。

なにか悪いことをした訳でもない。


きっとママが疲れてるだけです。


毎朝の洗濯も食器洗いもご飯を炊くのも空き缶を捨てるのも寝落ちしたママの周りを片付けるのもママのマッサージも弟の送り迎えご飯の用意も悪いことをしたねぇねが逃げて家に帰らないから代わりに怒られるのも叩かれるのも蹴られるのももう日常です。


そしてこの日から私は外で寝ることが増えました。ねぇねと一緒の日もあります。

夏はまだいいけど冬は本当に堪えます。

あとせめてお願いだから靴は履かせて欲しかった。

ママが怒り出すのはいつも急で頑張って家のことをしててもなにかがだめだったのか強い力で引っ張って玄関の外に放り出されました。ねぇねは必死に玄関を叩いて「あけてっ!」って泣き叫んでたけどこうなったら私は諦めモード。

もういつものことやん。

今日は早く入れてもらえるかもしれんやん。

とりあえず散歩しよ。


家の周りの路地裏の地図はもう完璧に頭に入った。ちなみにこの日は道路が白く見えるまでの散歩になった。

体育の授業のリレーが地獄だった。足痛い。

ベランダに締め出しの日の方がずっと楽。




「......こっち見んな。」

「......はい。」


小学二年生の秋。この頃になると学校に残る日が多くなってきた。委員会の仕事や係の仕事。友達と放課後開放の日に18時くらいまで遊んでた。

なんとなく家に帰るのが億劫になってました。

また最近、先生たちが沢山話しかけてくるようにもなりました。


最近お母さんどうしてる?

仲良くしてる?

ご飯ちゃんと作ってもらってる?


私はそれら全部に嘘で返しました。


ママ頑張ってるよ!

仲良いよ!

昨日みんなでご飯食べたよ!


別に嘘つく必要なかった。当たり前なんだから正直に返せばよかった。

なんで私は正直に話せなかったのでしょう。


この日も帰りに弟を迎えに行ってねぇねと合流して3人で家に帰ります。

そういえば今日は習字の作品がある。クラスで最優秀になった。朝出た時ママの機嫌も悪くなかったし、久しぶりに見てもらえるかも。少しルンルンで歩いていると、なにがそんなに嬉しいん?とボソッとねぇねが言ってたような気がした。


その日は大成功。

習字を見て随分久しぶりにママの笑った顔を見た気がした。

そしてそれが最後でもあった。



ねぇねが弟とお風呂に入ってる間に洗い物をしてた時


ガシャンっ!バシッ!ドンドンドン!


すごい物音とほぼ同時にママが近づいてくる足音がした。

私は洗い物してる手を止めてママを見上げました。

なんかすごい怒ってる。

え、なんやろなんもわからへん。


ものすごい剣幕で怒鳴り散らしてる。でも怒ってる理由がわからず、ママの言葉も全く頭に入ってこなくてぼーっとしてた時


じゅうぅぅう


私の左腕は爪の伸びたママの手によってぴーっと音出して沸いたやかんに押し付けられてた



「ぎゃぁぁぁあああ!!」

「...はぁ。」


あんなに大きい声を出したのはいつぶりだったろうか。

学校で遊んでてもあんな声量出さないのに。


左腕が勝手に物凄く震えてる。指もピクピクしてる。熱いのか痛いのか苦しいのか痛いのは腕ではなく頭か喉かそれすらもわからなくなった。


ママが寝室のドアをバンッ!と閉めた後、お風呂から慌てて出てきたようなびしょ濡れのねぇねがこっちを見た。

するとすぐ私をシンクに引っ張りあげて流水でで左腕を冷やしてくれた。

今度はガンガンと確実に腕からの痛みだった。

水が冷たいほど私も痛かった。




子ども部屋に戻ってからねぇねは包帯を巻いてくれた。

部屋に私のしゃっくりが響いてた。


「.........。」

「ひっく...ひっく。」

「...はい終わり。薬とかないから。」

「なんで...ヒッ...怒って...ヒッ...たん...ヒッ...かな...

ヒッヒッ...ママ。」

「いつもやん。なんで怒ってんのかわからんの。


特にももの場合は。」


「ヒック...ヒック...え?」

「てかなんでわかってないの?ママがおかしいことくらい。」

「.........。」


しゃっくりを止める方法→相手を驚かす


「この家が他の家とちゃう(違う)ことくらい。」

「.........。」

「...はぁ。お前の友達に


固くなったお米がご飯

今まで家出された時に夜中に外で会ったことあるか?

お父さんもおらんのにママも働いてない家あるか?

風邪ひいても熱出しても学校行かされて、挙句早退しても家追い出されるようなやつおるか?

親に怒られたって

ベッドにくくり付けられてハンガーで何度も叩かれたなんていってる友達おるか!?」



あぁ...今度は本当に


頭も喉も痛い





「.........。」

「.........。」


火傷事件から1年。私は小学三年生。

姉の言葉で家の異常さにやっと自覚を持ったあの日からの日々は地獄でした。


そして流石に左腕を包帯ぐるぐるで登校してきた私を見て先生たちが騒いだ。

いや今ならわかる。私が自覚するよりもずっと前から先生たちは家の異常さに気づいてたんだ。


あれから担任に留まらず、ねぇねの担任、校長先生教頭先生、保健室の先生も毎日私の様子を見て聞いてくる。


でもそれだけ。


私があの家に帰ることは変わらなかった。



11月17日

今日は算数のテストが帰ってくる日。勉強してなかったけどわりと自信があった。

けどここで私はバカな事をした。

何を期待したのか、ママに「今日起きてる?」と聞いてしまった。

でもママは「起きてなあかん!?」ととても怒ってしまった。

登校中ねぇねにボソッと「余計のこと言うな」と怒られてしまった。


テストは見事に返却された3枚とも満点。

おまけに国語の作文もとてもいい評価だった。


私は小走りで家に帰った。

今日は怒られない!!


家に着いたがテレビの音はなく、それどころか嫌に静かでママと声をかけても返事がない。


ランドセルを置いてパッとキッチンの方を見た。



そこには___



うつ伏せで倒れている

ママがいた。



「ママ......?」


ママはどれだけ揺すっても、呼んでも返事をしなかった。

少し開いた口に手を当てて息をしてるか確かめたけどよくわからなかった。


それでも思ったより自分は冷静だった。

誰か呼ぼう

静かにそう思って電話をとった。


救急車の番号...なんやっけ。

警察...ひゃくとうばんって何番?


なにもわからなかった。

学校で特活の授業や警察の人からの講演会なんかでもあんなに教えられてたこと。五教科のテストは授業聞けばすぐに覚えられた。

友達と今日どんな話をしたか全部覚えてる。



助けの呼び方だけが思い出せない



そこで何故かママの姉 伯母のことを思い出した。

家も近く普段からお世話になってて、困ったら連絡するようにと番号は覚えていた。


とにかくかけた。

まだオレンジも出てない明るい夕方の時間。

まだ仕事中なのか3回かけ直してようやくでてくれた。


「もも?どうしたん?」

「あのね、ママがね、倒れてて、帰ったら...でも全然起きひんくて...救急車?もわからんくて。」


支離滅裂だったと思う。

すみません。半分予想です。こんな風だったと思います。


「すぐ行くから。」

そういって伯母は電話を切った。



もうここからは断片的にしか覚えてない。


伯母が駆けつけてくれて、その後救急車の人が来てママを担架に乗せて運んでいく。

救急車の人が1人とても熱心に声をかけてくれてたらしいけど覚えてなくてあとから聞いたら私は全くの無反応で返事すらしてなかったって。


気づいたら部屋はオレンジ色を少し残した薄暗さで、ねぇねと弟が帰ってきた。

私は救急車に乗らなかった。



2日後


きょうだい3人とも伯母の家に預けられた。

その日学校から帰ると白い箱に入ったママとそれを取り囲む大人たちがヒクヒクと泣いていた。


「すい。ママ死んだわ。」

「今日で最後やで。」

「可哀想にまだ若いのに。」

「子どもらもまだまだ小さいのに。」







「そうなんや。

...友達と約束あるから遊びに行ってくる。」




この日から大人たちの私を見る目が変わった。



葬儀はその夜に家で行われた。

お経が響く狭い部屋で所狭しと大人たちがママを囲む。


ねぇねはずっと泣いてて、まだ小さい弟はきっと何もわかってないようできょとんとしてる。



葉っぱにお酒のようなものをつけて、それを故人の口につけるというものがあった。

それをきょうだいで順番にする。

私の番が来ると今度は1文字違いにヒソヒソと聞こえてきた。


私はまだ一度も泣いていなかったのだ。



ついに白い箱が車に乗せられ、自分たちも火葬場に行くためそれぞれ車に乗った。



そこで初めて私は堰を切ったように泣きわめいた。

ここできっと大人は私が本当は我慢してたんだ。やっぱり母親が死んで悲しいんだと思ったみたいだけど......


大きくなった今__わかった。

私はママが死んで悲しくて泣いてたわけじゃなかった。

ただ悔しかった。

何も知らない、誰も助けてくれなかった大人たちに自分の態度のことを好き勝手言われてたことが嫌で悔しくて泣いてたことに。


葬儀に来てくれた同級生のお母さんがそれからずっと私を抱っこしてあやし続けてくれてたのをよく覚えてる。




随分とあとになって聞いた話

ママは亡くなる1年ほど前からガンを患っていました。

子宮頸がん。しっかり治療して治りました。


ですが、再発防止の薬をあの人はお酒で飲んでいたのです。

あの日倒れた原因はそれだろう。

でも処置がもっと早ければ間に合ったかもしれなかったという。


私は母の本当の意味での死に目を見た。




息を引き取った時刻は11月17日の夕方前後


ママは息ができなくて苦しくなっているのに

私はママが吸うはずだった分の空気を吸っていた。




その日学校で救急処置を学んでた。


心臓マッサージ、人工呼吸、119番通報


なのに私は__

何もできなかった。




明日からのことをただただ考えてながら



母が冷たくなっていくの感じて


.....ホッとしていた。





ママを殺したのは____私だ。

私の忘れられないママの話


投稿一作目から重めのお話失礼いたしました。

評価、コメントお待ちしております。

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