第一章 記憶の断片 #2
退院は、事故から三日後のことだった。
外傷は奇跡的に軽く、脳にも異常はないと医者は言った。それでも、澪の胸の奥には、白い空間で交わしたあの会話が、はっきりと焼き付いていた。
(夢……じゃないよね)
澪は、病室を出るときにそっとつぶやいた。
***
その日から、澪の日常は少しずつ軋み始めた。
通学路の景色が、どこか“既視感”に満ちている。
教室の雑音が、突然異国の言語に聞こえる瞬間がある。
鏡を見るたび、自分の中に「自分じゃない何か」が見ている気がする。
そして――
「あの、澪さん?」
放課後、教室を出ようとしたとき。呼び止めたのは見知らぬ男子生徒だった。学年も名前も知らない。けれど、彼の瞳を見た瞬間、澪の心臓が跳ねた。
(知ってる……この人)
「……誰?」
「僕はカイン。君に会いに来た」
彼の言葉は落ち着いていたが、その声音には確かな必然が宿っていた。
「君は、覚えているはずだ。あの白い場所。あの記憶の海」
澪は無言のまま立ち尽くした。
「僕も……君と同じだ。魂の記憶を持ってる。番号は、027」
その言葉に、澪の中で何かが弾けた。あの白い空間、ノエルの声、そして……遠い星の光景が、再び波のように押し寄せてきた。
「カイン……あなた、前にも会ったことがある……」
「うん。何度も。いろんな時代、いろんな星で」
言葉が意味を成していくほど、現実が遠ざかる。だが澪は直感していた。自分の人生はもう、あの日の事故よりずっと前から始まっていたのだと。
「君に、知らせなければならないことがある。魂が狙われている」
「狙われてる……?」
「“魂を喰う者たち”が動き始めてる。彼らは、記憶を奪い、魂を破壊する。千の魂は、完全ではない。失われたら、二度と戻らない」
カインの目は真剣だった。冗談でも妄想でもない。彼もまた、魂に触れた者の瞳をしていた。
「君は001番。彼らが最も欲している魂だ」
世界が音を失ったように、静かになった。
教室のざわめきは遠く、窓の外の夕焼けだけが現実をつなぎとめていた。