植物調査の学校は、ない。
そう、ないんです。
だから、やるとしたら、こうやってOJTで覚えてもらうしかない。
「漫画雑誌を一冊、買っといて。何でもいいから。」
メールでこう伝えていたのだが、ちゃんと買って来たかな。
いや、読むためじゃないんだよ。これから仕事なんだから。
駅前のレンタカー屋で待ち合わせ。車を借りたら現場に向かう。
今日の現場は、ちょっと山奥。車で一時間くらい。
去年入社したばかりの若手に運転してもらう。
今日の仕事は、植物相及び植生調査。いろいろ手伝ってもらうよ。よろしく。
◇
「天気いいですねー。」
「いいねー。」
「漫画雑誌買って来た?」
「買ってきましたけど。何に使うんですか?」
「現場で標本を採った時に、挟んで持ち帰るためだよ。あのざらっとした紙質が、水分を良く吸ってちょうどいいんだ。」
「なるほど、それで『何でもいい』って言ったんですね。」
「ま、使わなかったら、後で読むけどね。」
正式なやり方は、新聞紙に挟んで「胴乱」という容れ物につめるのだが、大きくかさばるので、今時調査で使う人はまずいない。やるとしたら、新聞紙を板ではさんで紐でくくる。これをやる調査員さんはたまにいる。そもそも、調査の目的は種の同定であって標本の作製ではない。
だいたい、胴乱を使わなければならない程の種数が現場で同定できなかったとなると、これはもう調査にならない。最低でも8割くらいはその場で同定できなければ、時間がかかりすぎて話にならないのである。
だから、まずは現場を歩きながら植物の種をおぼえてね。もちろんすぐには無理だけど。
◇
さて、現場に着いた。邪魔にならない場所に車を駐め、調査範囲の図面を広げて現在地を確認する。
GPSを起動する。踏査ルートを記録するのと、もし重要な種が見つかったら位置を落とすためだ。
では、行こうか。
◇
野帳を取り出して、歩きながら確認種を記録していく。まずは確認種を記録してリストを作る「植物相調査」という調査から始める。
野帳といってもただの小さいノートだ。植物調査は使う道具が少ないので身軽だ。野帳とカメラ、それと例の漫画雑誌があれば植物相調査はできる。ただ、今回は植生調査もやるので、コドラートを張るための巻き尺や赤白ポールが必要だが。あと、実は双眼鏡もあった方がいい。
「野帳つけます。種名言ってください。書きますから。」
「そう?じゃお願いするけど、大丈夫かな。」
植物の種名というのは、結構耳慣れない名前が多いので、聞き取るのは実はなかなか難儀だ。
「ススキ、ヨモギ、オオバコ、エノコログサ、セイタカアワダチソウ、クズ………」
まあ、このあたりはまだいいとして。
「ヒナタイノコヅチ」
「え?」
「ヒナタ・イノコヅチ」
「ヒナタイノコグチ?」
「イノコヅチ」
「イノトグチ?」
「野帳貸して。」
野帳に「ヒナタイノコヅチ」と書く。
「まあ、私のほうで大体何のことかはわかるから、あとで見て修正するよ。」
「すみません。」
「いやいや謝ることじゃない。植物名聞き取るのは難しいんだよ。自分が知ってないとね。」
「そうか。知らないから聞き取れないんだ。」
「そういうこと。」
◇
さて、ここからは山の中に入っていく。
「コナラ、イヌシデ、シラカシ、シロダモ、ムラサキシキブ……」
高い木は、葉が確認できないので、たまに双眼鏡が必要になる。
「双眼鏡苦手なんだよなー。」
「なんでですか。」
「なんでだろう。なんか両目でピント合わせるの苦手なんだよ。あと、ちょっと動かすとすぐ見たいものが視界から消えるし。」
「あー、『あるある』ですねそれ。」
樹木だけじゃないよ。林床の下草や、小さな樹木の芽生えも漏らさず記録していく。
「セントウソウ、テイカカズラ、ヤブコウジ、ヤブラン……お、ヤマユリだ。○○県のレッドリストに入ってたかな。確認してくれる?」
「わかりました。確認します。」
調査する場所に関係するレッドリストは、確認のために持ち歩かなければならない。
◇ § ※ ○ ✕ ・ ………………
「ないです。」
「そうか。ありがと。」
また林内を歩く。
「アズマネザサ、チゴユリ、シュンラン、アキノタムラソウ、ベニバナボロギク………おわっ。」
「オワ。」
「いや今のは種名じゃなくて。キンランがあったよ。」
「キンラン!」
「国のレッドリストでVU(絶滅危惧Ⅱ類)だ。問答無用で重要種だよ。写真撮って。野帳には株数書いて。実がついてるから『1本結実あり』だな。あとGPSに位置を記録。」
「わかりました。」
「まあ、コナラが沢山生えてるし、いかにも出そうな所ではある。まだあるかもな。」
「コナラ関係あるんですか。」
「あるんだよ。こいつらはコナラと共生しているキノコから栄養をもらって生活してるんだ。」
「へー。」
その後、またしばらく歩いてから昼メシ。さて午後は「植生調査」をやる。
◇
コドラート調査の予定地点に着く。
「コドラート張るよ。えーっとそうだな……この辺でいいか。」
植生の様子を見ながら、なるべくその付近の植生の典型的な場所にコドラート(方形区)をつくる。
赤白ポールを立てて、巻き尺で1辺10mの四角い範囲をとり、テープを張って囲う。囲ったらコドラートの写真撮ってね。
「やり方は『ブラウン・ブランケの方法』で。前に会社で説明したと思うけど、再度説明します。」
「はい。」
「このコドラート内に生えているすべての維管束植物を、階層別に記録します。」
「イカンソク植物って?」
「本気で説明するとめんどくさいけど、要はコケ以外。」
「階層は、5m以上が高木層、0.5~5mが低木層、0.5m以下が草本層。それぞれの階層別に、生えているすべての種の被度と群度を記録します。」
「はい。」
「被度と群度の目安は、その紙にかいてあるとおり。」
「カーペット状とか、小群状とか……」
「それな。で、種の同定ができないと植生調査も無理なので、私が言うから野帳に書いていって。」
「はい。」
「では、まず高木層から。コナラ4・4……」
こんな感じで、樹林とか草地とかで何か所かやる。
◇
まあ、こうやって調査の仕方は教えられるんだけど、一番の課題は、実際に植物の同定が出来るようになること。これがかなりハードル高い。
実際に現場で調査ができるようになるには、1,000種くらいは覚えないといけない。それも、春の芽吹きの姿や開花時、結実時など、同じ種でも季節によって変わる姿を知っていないと、現場で同定は難しい。植物調査の学校がない一番の理由は、実はこれ。覚えるのにとても時間がかかるし、また教えられる人も少ない。
それでも覚えたいのであれば、とりあえず、自分で写真を撮って整理してみるといいよ。
◇
さて終わった。では宿に行くか。
「宿はどこ取ったの?」
「この辺宿がなくて、ビジネスホテルなんで、駅の近くまで戻ります。8,000円です。」
「ビジホも高くなったよなあ。」
「ほんとに。」
さて、宿についたらとりあえず飯を食いに出て、戻ったら野帳整理だな。
多分、直すとこ沢山あるだろうな。
マジで何書いてあるかわかんないのは、電話で聞くからな。
それが終わったら、漫画雑誌でも読むか。
明日もよろしくね。