一歩一歩は程遠く
改めての説明になるがエスファント・サイドゥンという少女は全盲である。生まれ持ったその眼には世界を見通す祝福は与えられなかった。しかし彼女は不幸以上に幸運なものを賜っていたのだ。それに気が付いたのは彼女は物心ついてから数年が経った頃。ふと見上げた先にいた人に手を伸ばしたのがきっかけだった。
「あなた、誰?」
目の見えない少女は見えていないはずなのに目の前に立っている老獪の大きな手に自分の小さな手を重ねようとしていた。そんな少女の姿を見た男は優しくその手を取り少女の目線まで体を屈めると尋ねた。
「目が、見えないのか?」
「うん!なんかね、他の人とは違って私の世界は何もないの。それでね、たまにぼわって見えるんだけどおじさんはなんか全部見えるんだ!」
無邪気な彼女の笑顔にあてられてか、それともただ単にその場のきまぐれか。弟子はおろか人に魔術を教えたことすら無かった男は彼女にこう告げた。
「もっと広い世界が見たいか」
「うん!」
即答した彼女を見て思わず顔をほころばせた。もう何年も笑った試しなどなかった彼は自分が笑っていることに気が付いて驚いたと同時に未だに自分を見上げている少女を見て「なら私の弟子になりなさい」と伝えると用事を済ませた老獪は姿を消す。後に彼女は両親に彼の事を聞いて一週間もしないうちに魔術協会に入り彼の弟子となった。そうして特異科に新たな教師としてラスター・シルフェスの名が刻まれたこととなったのだ。
見えない目を開けると今でもあの光景を思い出す。両親ですら曖昧に見ていたその世界でただ一つ、一番星のように見えたあの姿を。こうして世界をたくさん知ってあんなに凄い人はたくさんいると知れたけど自分の世界が輝いたのは彼のおかげであるということは変わらない。
思い出は記憶を現在まで引き戻し、サイドゥンは自分のやるべきことのために立ち上がる。カツカツと杖を突く音が鳴ると閉ざされていた目をゆっくりと開けながら彼女は近くにいた家接に尋ねる。
「とりあえず、一番近い魔力を感じるところに行こう。私が直接そこに行けば十中八九場所は分かる。とにかく急いだ方が良いのは確かだからね」
「なら誰か運転を」
と家接が声を掛けようとしたが、振り返った先にいる人々は皆何か無い追われているようで声を掛けても意識してるのかしていないのか僕の声は届かない。そんな様子を見たサイドゥンは杖で外を指して言った。
「なら君が運転すればいいだろう。何も迷う必要は無い。きっと治外法権が認められるはずだ」
「だとしても僕まだ運転できないんですけど」
「別に気にしないさ。可及的速やかな行動が求められたということにしておけば」
だが彼女の言うとおり時間が無いことは確かだ。もういっそのことそうしてしまおうかと思った時だった。トントンと肩が叩かれる。振りかえるとそこにはウルラの姿があり、手には自動車の鍵が握られている。
「なら、ウチが運転するよ。なんか二人はそれぞれやらないといけないことがあるんだもんね?」
クルクルとキーケースを回す少女を見て僕とサイドゥンの意見は合致した。
「なら、お願いしようかな」
ウルラが言うにはそれは魔術協会にいる誰かから借り受けたものらしいのだが、まるで自分の所有物化のように手慣れた手つきでエンジンを掛けるとクーラーを掛けながら二人が席に着くのを待った。
だが僕達がシートベルトを付ける暇も無く彼女の運転する車は車庫を飛び出した。その勢いに体が吹っ飛びそうになりながらもなんとかシートベルトを付け終え、陽気に鼻歌を歌いながら運転をしているウルラに聞き忘れていたことを尋ねる。
「ねぇ、一応聞いておくんだけどウルラは今何歳?」
彼女は運転をしながらこちらを一瞬見てどうしてそんなことを聞くんだろう?という顔をしたがすぐにまた前を向いて答える。
「今年で15だけど、それがどうしたの?もしかしてウチに惚れちゃった?」
そんなわけない。っていうか15!?免許どころか義務教育すら終えていないような年齢じゃないか。
僕は慌ててウルラに運転を取りやめるように言ったがあろうことかサイドゥンは彼女の方に加勢し始める。
「まぁそう慌てるなよ家接くん。いくら彼女が見目麗しい美少女だからってそこまで無いんじゃないかい?それにここにも私という美少女がいるんだ。視界がそのように映ってしまうことも致し方ないとも。だから君は恥じる必要は無いよ」
ダメだ、なんかだんだんとイライラしてきた。このまま彼女のペースに飲まれてはいけないと理性に訴えかけるが何かの拍子に反応してしまいそうだ。そうなれば終わり、彼女の思うつぼになるのは明らかだった。
「とりあえずサイドゥンさんは寝ていてください。乗り物酔いするってのは嘘だったんですか?」
「おっとそんな他人行儀な受け答え、心にくるなぁ。でも君の言うとおりだ。私はそろそろ寝させてもらうよ」
隣に座る彼女はゆっくりとその体を背もたれへと預けてゆっくりと目を閉じると寝息を立て始めた。そのままだらりと寝転がるようにしているのを見てなんだか子供みたいだなと感じる。あんな揶揄いをしてはいたが、彼女が寝るまでの移動中この車に迫る脅威が無いかを魔眼の力でずっと見ていた。彼女が寝てしまった今、その仕事は僕にバトンタッチされた。
「ウルラ、とにかく安全運転で頼むよ」
「もちろん分かってるって。ウチに任せておけば大丈夫だから安心して!」
運転することのできない僕はただ彼女の言葉を信じるしかなく、先祖返りの力を解放すると一瞬で町全体を霧の中に隠してしまう。これでしばらくは僕たちの乗っている車の所在をしることもできないはずだし、もし仮に攻撃を仕掛けてきたとするならすぐに感知することができる。
「わぁっ!なんか急に霧が出てきたんだけど!」
「安心して、それは僕の魔術だから」
「そうなの?なら安心だね。でもなんか前方に何か止まってる。なんだろう」
ウルラがそう呟いた瞬間だった。突然前方からとんでもなく巨大な魔力を感じ取った。
反射的にそれがヤバいものだと感じ取った僕はウルラに伏せろと叫ぶが一歩遅い。その魔弾は車両の運転席の上側を破壊する一撃を放った。その衝撃に目を瞑っていた家接はすぐに目をあけるがそこにはまるで何かが焼け焦げたような匂いが漂っていて、恐る恐る運転席にいたはずのウルラの安否を確認する。
「……っ!」
焼け焦げたものの正体は彼女であり、上半身を欠損した彼女はもう人の形を保ってはいなかった。




