暁のバンケット
遡ること数十年、時は1990年代の中頃のこと。その組織が結成されたのは、日が暮れてまもなくのとある酒場でだった。酒場には酔っ払いの大声が響きわたる。
「マスター、もう一杯」
「おいおいお前さん、あんまり飲み過ぎるなよ。明日だって仕事なんだろ?」
「別にいいだろこれくらい。死ぬわけじゃないんだからよ。それより早く酒を出してくれよ、飲んでなきゃ死んじまう」
のちにNo.0の創設者となる男、ジェスター・ミストガンはそれはもう浴びるほどに酒を飲んで陽気に席を荒らしていた。同じ席にいる他の仲間たちは、そんな彼を見て笑いながら同じように酒を飲む。
こんな呑気に酒を飲んではいるが、端的に言えば彼らは異端者呼ばれる人達だった。酒場で大っぴらに酒を飲んだことなど初めてであり、自らの戒律を破ってこうして禁足事項を犯すことは協会に対する叛逆の狼煙だと自らを奮い立たせるための儀式だった。今日はその栄えある日、彼らの心に刻まれるべき記念の標なのだ。
「だけどお前達、本当に俺についてくるつもりなのか? 今ならまだ引き返せるんだぞ」
酔いの回った舌っ足らずの口で彼は皆に今一度問い直す。だが全員を見回しても、返答が変わる者は誰一人としていない。すでに彼らの心は決まっていて、その決意を折るほどの説得力はミストガンには無かった。並大抵の覚悟なしにこうして堂々と酒に口をすることは、一度は神に身を委ねた者としてあり得ないことだからだ。
グラスに注がれた酒は次々と無くなっていき、酒を呷る中で仲間のうちの一人が呟いた。
「ここまで来て引き返すなんて臆病なことするわけがないだろう? 俺たちゃみんな、お前の味方さ」
そうして男がミストガンと肩を組み合うと、そのままどんちゃん騒ぎは朝まで続いた。いつの間にか眠っていたミストガンが目を覚ます頃にはいつの間にか日が昇っていて、その中には知らない間に服を脱いでいた者やワインの空瓶の山に埋もれている者など、とてもじゃないがこれを見て昨日まで敬虔な信者だったとは思えないような惨事が広がっていた。
酒場の店主は店じまいをするために一人ずつ外に放り出していくが、全員深酒をしすぎたのか寝息が絶えることなく聞こえてくる。そんな彼らを見てミストガンは嬉しさで思わず笑みを零してしまった。
「そうか。……ありがとな」
その後日、ミストガンはNo.0を設立。詳細は省くが紆余曲折があって最終的には十数人のメンバーを抱える組織として発足されることとなった。彼らが掲げた最終目標はたった一つだけ。魔術世界に贖罪を課すこと。表立って世界を支配しようとした各国の政治家、軍官、はたまた投資家。
彼らが行ったことは最終的に不幸と戦争、格差や貧困を人々に後々まで続く負債として残していった。ではその間、魔術世界の住人は何をしていたか。
正解は、何もしなかった。ただ自らの探求に溺れ傍目から世界の恐慌を見て見ぬふりをした。過去の教訓を生かし反省し、変化しようとしている今になってすら魔術師たちはその現実に向き合おうとすらしない。そのくせに利権のためなら表の世界の住人を利用するだけ利用し、それが果たされればまた使い捨てにしていく。
彼らにとって魔術の使えない人々とは世界を動かせると勘違いしている子供であり、利権のためにと表
に姿を見せるのはあくまで自分達が世界を動かして探求を怠らずにできるようにするため。すでに科学に屈しようとしているこの時代にもそんな態度を貫いているのだ。
ではそんな彼らに価値はあるのか? 存在する意義は本当にあるのだろうか?
疑問は嫌疑に、そして最後には不信に変わっていく。
「だから俺は、この可笑しな世界を変える」
そう言って仲間たちと盃を交わしたのだ。
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No.0が最初に行動を起こしたのは、西欧における権威の象徴である魔術協会に襲撃を仕掛けることだった。 この組織をたった一言で表せと言われれば”魔術の礎である”という言葉に尽きるだろう。あらゆる魔術体系において隙が無く、欧州の魔術の歴史を語るうえで欠かすことのできない存在。
かく言う反逆者となったミストガンたちですら現にその組織に在籍して今までその恩恵を十全に受け続けていた。西欧で魔術師になるとはつまりそういうことなのだ。だが、だからこそこの世界に最も影響を及ぼす場所はここだとはっきり分かる。
「狙うならあそこしかないだろ」
都合の良いことに、彼らは少々のことがあろうと表舞台には干渉すらしてこない。二十世紀の惨状がその最たる例だ。そして反対に、魔術の世界で何かが起ころうとも彼らは決して表舞台にそれを漏らすことは無い。なぜなら彼らにとって魔術世界の秘密は何であろうと公に晒してはならないとされているから。
それに、もし魔術の本質を全て明かされることがあるとすればあらゆる過去の精算を押しつけられることが目に見えているからだ。それほどに魔術世界は重要な転換点にだけその世界の門を開いていた。そんなに分かりやすい弱点を叩かない手はない。自分たちに迫っている実情を理解させるために、その総本山を叩くのは最も効果的な方法なのだ。
「でもどうするんだ? あそこには、俺たち以上の魔術師なんて数えきれないくらいにはいるぞ」
そう、最大勢力には求めずとも自ずと力のある者達が集まる。ミストガンたちはれっきとした魔術師と言えるだけの力はあるものの、どれだけ多く見積もったとしても超一流とは口が裂けても言えない。良くて一流だろう。正面から馬鹿正直に殴り込みに行くなんてことをすれば当然、ただの反逆者として粛々と処されるだけだ。もちろん対策はしていく。
「それならブラッドムーンの日に行けばいい。直近で一番魔術師が少なくなるのはその日のはずだ」
月食の夜は大気中の魔力の質が良くなるため、魔術師はこぞって外での研究を進めたがる。つまり魔術協会の本体である時計塔の警備は自然と手薄になるということだ。そしてもちろん、ミストガンたちが狙うのは魔術師でなく、そこに所蔵されている貴重な代物。なぜなら魔術師が一人死んだ程度で魔術協会は動くほどお人好しじゃ無いからだ。
「聖遺物か? それとも禁書?」
みんなが略奪しようとするものを次々に上げる中、ミストガンだけはそんなものでは満足していなかった。もっと大惨事にしないと本当に動かしたいところはきっと動かないだろう。
「どうせ盗むのなら、少女にしよう」
ミストガンのその言葉に皆が息を飲んだ。
「本気で言ってるの?」
一人の女性がミストガンに言うが、彼は余裕の笑みを返す。それは見栄でもなんでもなく本心だ。
「どうせ盗むんだ、物だろうが人だろうが変わらんだろ」
「そうだけど」
だがそれ以上言う前にミストガンは女性の口を塞いだ。なぜならその少女は、ただの少女では無いからだ。先日ミストガンの耳にとある少女の噂が耳に入っていた。協会によって少女は保護という名目で隔離されていたが、理由は彼女自身が先祖返りであったからだ。
先祖返り自体は確かに数こそ少ないが確かに存在している。実際、過去には魔術協会にも先祖返りが所属していたという記録は少ないが存在していた。問題は何の先祖返りであるかということだ。彼女の魂に宿っていたのは火の精、つまりサラマンダーだった。
科学が急速に発展した20世紀初頭にはすでに四大精霊の先祖返りは全員が死んでおり、新たに見つかっていなかったところで現れた少女。やっとの思いで見つけたうちの一人であり、そのネームバリューも相まって彼女の存在は値段にすることのない価値を生み出していた。
そうして、あらゆる魔術師から狙われかねない存在を保護するという名目によって片田舎の村から連れ
出された。もちろん彼女の同意なく。だが、彼女は自身の内なる存在に気づくどころかそもそも魔術を使えなかった。そんな幼気な少女は何も知らないままこんな欲望にだけ忠実な者達の坩堝に誘われたのだ。
その大量の魔力と神秘に近しい精霊の力に惹かれる者は多く、彼女に対して様々な実験を行うための準備段階に入っていた魔術協会から奪うのはとても効果的であり、奪える可能性から言えばきっと高い方だろう。
「そして、暁の夜ならあいつが一番輝く。そうだよな、フェルナンド?」
「任せておけ。お前たちを思う存分暴れさせてやる」
ミストガンたちはその日のために協会に悟られないよう秘密裏に準備を整えていた。協会にとって表舞台はあくまで表。魔術という隠匿された世界に干渉するものはいないと高を括っている。実行当日のその日まで、彼らの準備が魔術協会の目につくことは結局のところなかった。
「それじゃあ、お前達準備はいいか?」
十数人が円を組んで立つ。全員が万端の武装をしており、いつでも乗り込める体勢になっていた。作戦開始の合図はフェルナンドの魔術が発動してからだ。
「言っておくが、絶対に安全だと言える時間の確証は無いからな。最悪の場合は個人個人で逃げてもらうことになる。それは覚悟のうえでってことでいいんだな?」
全員が頷く。それを見てフェルナンドは自身の周りに事細かく描かれた魔法陣を綴じた。片手に引き抜いた短剣を当てるとゆっくりと動かした。ポタポタと血が落ちると魔法陣に染み込んでいく。
「暁は我が護であり、月光は沈丁花に照らされる。可惜夜に満ちるは同胞の如き先達。我が願いは抗、我が礎は鋼、我が犠牲は光。沈みゆく綺羅星に祝福あれ。紅翼の陣」
彼らの右肩には小さな赤い羽根が付いた。その合図と共に全員が行動を開始する。
「生きて、帰ってきてくれよ」
両手を付いたまま陣を展開する彼はそう願うことしかできない。
真っ先に戦闘を走るミストガンは魔術協会のガラスを突き破って侵入すると、そのあとに続いて一斉に仲間たちが中に入った。そこからは各自バラバラになり少女の行方を追う人達と、探している間に排除しにくるであろう魔術師たちの足止めをする人達で二手に分かれる。前者はミストガンのわずかな記憶を頼りにしながら地下に向かって一直線に走っていき、後者は侵入者を排除するためにやってくる協会の人達のために魔術を仕掛けるのと同時に脱出のための経路を確保する。
協会の連中も、この歴史のある建物をむやみに破壊することはできない。人数不利ではあったが協会内部という場所においてはそれは逆にメリットに転じていた。ミストガンら一行はその頃、地下室をどんどんと下に向かって進んでいた。
魔術協会は地上にある施設の大きさに驚かれることが多いが、実際のところはその施設の本体は地下にあるといっても過言ではない。最下層15階からなるその規模は地上にある施設の総体積の約200倍。そんな豊富な地下施設に監視の目などというものはない。自身の研究、秘奥は自身で守り抜けとでも言わんばかりに各々の研究室には多大な結界や魔術式が施されていて、どこを見ても魔力に満ち溢れていた。
そんな研究室の廊下を通り抜けてミストガン達が向かったのは第14層にある教会本部が直々に管理を行っている階層である、通称:監獄室と呼ばれる場所。禁忌指定の魔術を持つ人間や、今から攫う予定の子のような超特異体質持ち。加えて多大な実験によって生まれた手の施しようのない合成獣のような生物の飼育なども行っている階層であり一言で表すなら人外魔境というやつだ。
その階層のセキュリティーは他の階層に施されているものとは比べ物にならない程に厳重ではあるため万全といえる。だが、そんな術式が編み込まれていたとしても一度突破してしまえばなんてことはない。
「セルビア、頼んだ」
「りょうかーい!」
セルビアと呼ばれた少女は、何重にも魔術式で施された魔法陣を編み込むようにして作り上げられたペンを持つと結界を作り上げている魔術式に直接ペンを当てる。そしてゆっくりと術式からペンを離していくと、術式はそれに引っ張られてあやとりのように形を変えていく。数分もしない作業のうちに彼女は再び魔法陣に術式を引き戻すと壁に戻っていく。するとひとりでに扉が開いて難なく攻略されてしまった。
「さすがだな」
「どんなもんだいっ」
彼女の出番はここで終わり。あとは力仕事と言ってもいい。中に急いで入ると牢屋の中から例の少女を探していく。久しぶりの訪問客ということもあり助けれくれと懇願する人や敵意をむき出しに威嚇する獣などがいるが大抵はなんて事のないように落ち着いている。そんな彼らを無視して最奥にある扉まで進んでいく。そこには部屋の隅で顔を埋めているぼろぼろのワンピースを一枚に身を包んだ少女が座っていた。ミストガンは鍵を破壊すると扉をゆっくりと開ける。少女の体はびくりと反応したかと思うと、さらに体が震え始めて余計に顔を隠してしまう。
「おーい。大丈夫だ、俺たちは君の敵じゃない」
彼女にそんな言葉は届かず、隅に隅に行こうと足を動かしていく。逃げる場所がここしかない彼女は下を向いたままただミストガンが去るのを待とうとしているが、男が身を引く音がしないことにさらに恐怖を覚えた。
「外に出たいんだろ? 俺たちは君を助けに来たんだ」
だが「外」という言葉を耳にした彼女はそれに反応して一瞬だけ顔を上げた。とても可愛らしい年相応の顔じゃないかと思う。やせ細ってこんな格好をしているのがもったいないくらいには綺麗な子だったことを思うと、こんなところで自由のない生活をさせられていたことはきっととても苦しかったのだろうと思う。更に顔を上げた彼女はミストガンと目が合う。男はにこやかに笑みを浮かべると静かに手を差し伸ばした。
本当はそんな純粋な動機じゃなかった。魔術協会に一泡吹かせてやろう、そんな人によっては悪ともいえるような理由。だけどこの子の顔を見ていると無性に手を差し伸べたくなっていた。少なくとも、こんなところで何かに怯えて暮らすなんて許せない。彼の手に少女の手が恐る恐る重ねられる。そのままミストガンは少女を立ち上がらせると、彼女を抱えて走り出した。
「任務完了だ。さっさとずらかるぞ!」
彼女を抱えて地上に向かう一行。この時すでに第14層が突破されていることは魔術協会側には知れ渡っており、廊下には鼠一匹逃がすまいと多くの魔術師が待ち構えていた。
「その子を置いていきなさい」
「それは無理な話だな。ほら、お前らにはこれをプレゼントしてやるよ」
ポケットから手榴弾を取り出してピンを抜くと、彼らに投げつける。同時にミストガン達は、背中に付いていた羽根を手で取る。
「じゃあな」
爆音とともに彼らの姿は忽然として消え、その音を聞いた地上で死守していた者たちも一斉に羽根を手に取った。地上では全員の帰還を確認して陣を解いたフェルナンドの姿があった。ほとんどの魔力を使い切って瀕死寸前の彼の肩を叩いて、お疲れ様とミストガンは激励を述べる。
「あの、ありがとうございます」
彼女が深々と頭を下げるのを見て、全員が顔を見合わせた。しばらくしてミストガンが顔を下げる彼女の頭に手をやる。
「頭なんてそんな簡単に下げるなよ。俺たちはお前を利用しようとしてる悪人だぞ? というか、今現在悪人になったんだがな。でも俺らは別にお前に苦しんで欲しいわけじゃない。お前を苦しめるようなあの魔術協会の連中に、少しだけ天罰を加えようとしてるだけなんだ」
顔を上げた彼女はどうするべきかと困り果てた様子でいると、背後からセルビアが着ていたコートを
彼女に羽織らせる。顔を上げた少女はコートの両端を持って縮こまるとセルビアはそんな彼女を愛おしむような目で見つめた。
「行くところがないなら、私たちと一緒に来る?」
「…………いいんですか? 私、故郷の村も燃やされちゃって」
そこまで行くと非道の極みだ。彼らにはやはり越えてはいけない一線というものが存在しないんだな。
「もちろん俺たちは歓迎するぞ。これからよろしくな。そうだ、助け出すのに精いっぱいで名乗ってなかったな。俺はジェスター・ミストガン。ミストガンって呼んでくれ」
「私はアリシア。ただのアリシアです」
「そうか。アリシアって言うのか。いい名前だ。よろしくな、アリシア!」
この事件は後に、暁のバンケットと呼ばれる。
それが、No.0達の思い出。
カラ爺が家接たちに教えたのは、その組織の誕生理由と目的、手段。そして創設者であるミストガンが今なお指名手配を受けているということだ。この思い出を詳しくは二人には語られなかった。
「分かってもらえたかな」
「つまり、家接が彼らに狙われているのは。その攫われたサラマンダーの先祖返りの少女同様に、シルフの先祖返りを持ってるからってこと?」
「雪広ちゃんの言う通りだ。だから君は今以上に危険なことに遭遇し、時には足を入れなくてはならな
い」
「そうなんですね。…………分かりました。そのためには、僕ももっと頑張らないといけないってことですね」
「そういうことになるかな。突然のことで受け入れがたいことがあるかもしれないけど理解してくれてありがとう。僕たちもそれについては一層注意を払うし、君の力になれるように頑張るからさ」
家接は無理矢理にでも納得しようとした様子で雪広と共に部屋を出ていった。だが、カラ爺にはカラ爺のしなくてはいけないことがある。No.0の動きを知るために必要なことだと、目の前の懐中時計の作業に集中するためにカラ爺は再び机へと向き合った。




