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アンハッピー・アライブ  作者: 八千夜
1.5章 初陣と邂逅

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愛すべき悪

 後ろから何かを感じた雪広は支えていた家接の体を強く押した。次に彼女の体が感じたのは、痛みでも苦しみでもない。閉じていく視界の中でぼんやりと見える家接の姿だった。


「雪広さん、雪広さん!」


 押し倒された家接は、さっきまで体を支えられていたことなんて忘れて彼女のもとに駆け寄ろうとするも体に力が上手く入らずにその場で崩れる。


 血肉の海に倒れた彼女を救い出そうと手を伸ばすが、それは届かずに彼女の体はゆっくりとその血肉に沈んでいく。やがて体は完全に見えなくなると、地面に広がっている血が集まると赤黒い球体が完成していく。球体に伸びて蜘蛛の巣のように張り巡らされていた血の糸は、何かが切れたように一瞬で血に戻って地面を濡らすと彼女を飲み込んでいった球体はその体積をどんどんと小さくしていく。


「錬炎、満たすまで燃やし尽くせ」


 魔術が解けてしまったら彼女が火傷をしてしまうかもしれないけれど、家接ができる最大限のことはこの魔術を得たいの知れない球体にぶつけて雪広を救出することだった。あまり感覚が戻っているわけでもないのに家接は何度も何度も魔術でその球体に炎をぶつける。それでも目の前のそれは表面の肉が少し焼け焦げただけで、直接的なダメージにはなっていない。だが家接は諦めずに魔術を当て続けた。


「なんで効いてないの」


 さっきと今とで何が違うんだ。あんなに効果のあった魔術じゃないか。もう何が悪いのかわからずに自暴自棄になりながらもその手だけは決して止めない。だが、しびれを切らしたかのようにその球体は小さくなることを辞めず、最後に彼女の履いていた靴を一足残して完全に消え去った。気づけば、蛇を出していたはずのフードの人物の姿もいなくなっていて手がかりすら無くなった。


 家接はいったいどんな顔をしてカラ爺に会えばいいのか、皆目見当もつかなかった。


 僕を庇って彼女がいなくなってしまったんだ。何を言われても返せる言葉が見つかるはずもない。その帰り道は無気力感を味わったままひたすら家に向かって歩き続けた。静かに戸を引いた家接は靴を脱いで廊下を進んでいく。手には、唯一残された彼女の靴を持ってカラ爺の部屋へ向かった。


 今日も彼は忙しく作業を進めていた。扉を開けた音で家接に気が付いたカラ爺は思っていたよりも帰ってくるのが早かったと驚いた様子で言ったが、完全に憔悴しきった家接の顔を見るとそんな笑顔をしまって彼に寄り添った。


「そんな顔してどうしたんだい? とりあえず居間で座っているといい。お茶を持ってくるよ」


 カラ爺は早速部屋を出るとキッチンへと向かう。しばらくして湯気のあがったお茶を湯飲みに入れて持ってきた。家接は雪広の靴を自分の膝に置くと、さっきあの銭湯に向かって自分が経験したことを語った。


「…………それで、彼女はここには戻ってこれなかったということなんだね」


 押し黙る家接。かろうじて頷くことはできたが、申し訳ない気持ちで一杯になって言葉が出てこない。だが冷静に慌てることもないカラ爺を見ていると、何もできなかったはずの家接は余計にどうすればいいのか分からなくなって思わず聞いてしまった。


「どうして、そんなに冷静でいられるんですか」


 聞かないと収まらない。自分のことを棚に上げて家接はカラ爺に縋るように答えを求める。返ってきたカラ爺の答えに、家接はハッとさせられた。


「僕は別に冷静なんかじゃないよ、家族のような人にそんな事をされて何も感じないような人なんてあまりいないでしょ? 心の中では口にできないような制裁をその相手に加えたい、なんてことくらいはもちろん考えたりはしちゃうかな。だけど、僕は常日頃から俯瞰的にものごとを見るようにしているだけなんだ」


 そう言ってカラ爺は家接の膝に置かれていた靴を手に取った。袖の中から一枚の札を取り出して靴の上に置くと、穏やかな彼の顔がこちらを向く。


「家接くんはどうして、その靴が残されたと思う?」


「…………すみません、分からないです」


 札に手を触れたカラ爺の手が一瞬煙に包まれると、そこから出てきたのは一羽の鴉だった。


「彼女のその靴には魔力が込められている。ただ相手にしてやられるようなタマじゃないよあの子は」


 鴉は彼女の靴に止まると羽にメッシュがかかった。それで魔力を感知したのか鳴き声を上げると開いている窓から飛び立っていく。


「あの子は僕の使い魔の一つ。話は後でするとして、とりあえずついていこうか」


 カラ爺は家を出るために机に置いてあった何枚かの札を無造作に取って袖に入れると襖を閉める。家を出て鍵をすると車庫に向かっていく。だけどそこに車はあるはずがなく、家接は気が動転しすぎて車を置き去りにしてしまったことを今更ながらに思い出した。


「ごめんなさい、車おきっぱでした」


「あ、そうか。なら仕方ないね」


 そう言うとカラ爺は車庫に取り付けれらていた電気のスイッチのようなボタンを押した。すると奥にあった壁のようなシャッターが開いて空間が拓かれると、そこに眠っていたバイクが一台こちらに顔をのぞかせた。壁に掛かっているヘルメットを取って家接に渡すとエンジンをかけて跨る。


「完全に服装を間違えたけど、そんなことを言ってる場合じゃないしね。ほら早く乗ってよ家接くん。あまり時間はなさそうだし急ごうか」


 バイクは減速を知らないかのように公道を走り出した。家接はとにかく振り落とされないようにと懸命にカラ爺の腰に手を回してくっついているが当の本人は鴉を追うことを第一に、しながらも道交法は守るため赤信号のタイミングで一度止まった。すると携帯を取り出したカラ爺はどこかに連絡を取りだした。


「もしもし、緊急事態だ。何人か僕のところに来てほしいんだけどいいかな」


 カラ爺が電話をかけた先は蝋火会。名目上は魔狩師協会の傘下であるものの、そこはほとんど本部には姿を現さないという、あくまで自分たちのやり方の伝統を重んじた組合。トップと面識があるといったような話は嘘ではなく、実際彼が今話をしているのはその蝋火会の会長である蛍火久佐だ。


「お前が俺に助けを求めるなんて珍しいな。どうした、あの娘がやられでもしたか?あははっ、それはないか」


「そのまさかでね。端的に言うなら連れ去られた。やられたと言っても間違いではないかな」


 電話越しの相手からすぐには返事はなかった。だがしばらくして彼の大声が電話越しに響いた。


「二人、そっちに送る。場所はどこだ? どうせ白瀬から聞いたあの新しい奴と関係してるんだろ? 仕方ないから手を貸してやるよ」


「恩に着るよ、久佐」


「代わりと言っちゃなんだが、今度会ったら奢ってくれればいい」


「もちろん。それじゃあ、場所はメールで送る」


 電話を切ったタイミングで信号はちょうど青になりカラ爺はすぐにバイクを走らせる。半分くらいしか電話の内容を聞き取ることのできなかった家接でも、応援が来るということだけは理解できた。


「言っておくけど、これは全て君が悪いわけじゃない。半分は状況を正しく判断できずに二人を送り出した僕のせいだ。だからそこまで気負うことはないよ」


 バイクは止まることなく進んでいく。人気の少ない道に出るとさらにそこを猛スピードで搔っ切っていくと山道に突入する。山脈というほどの大きさのない小山だが、人が整備した痕跡はない。そんな山の中を鴉は迷うこと無く突き進んでいく。


「状況はあまり良くないなぁ」


 独り言のように呟くカラ爺の言葉通り、この山に入ってから感覚的に何か不穏なものを覚える。鴉が止まったのと同時にバイクは一つの廃墟の前でスピードを緩めた。廃墟の手前にある随分と錆びた門の上で飛ぶことをやめた鴉は一声鳴くと姿を再び札へと戻っていく。ふらふらと落ちてくる札を受け取ったカラ爺は目の前にある廃墟群を見て思わず感嘆の声を上げる。


「ここが、雪広ちゃんの連れ去られた場所。よくこんなところ見つけられたね」


 錆びた車輪に、色褪せた文字。開くことのないゲート。回ることのない遊具。廃墟と化してしまった遊園地がそこには広がっていた。それなのに、そこにはおびただしい魔力が渦巻いていて、彼女の居場所はおろか、彼女を連れ去った存在ですらはっきりとたどることはできない。


「さて、行くよ家接くん。夜までには彼女を連れ出そう」


「…………はいっ!」


 錆びた門の隙間を二人は潜り、遊園地の中へと向かっていく。


「今日の入場者、5名」


 そう板には記録されていた気がした。

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