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聖地 詩のような短編

作者: ゆっか

今、心をたっぷりと解放させる場所が欲しいなあと思ってます。

海岸線から数百メートルの間は一面低い松林が続いていた。

その松は全て海風のために背が低く、おおむね海と反対方向に曲がっている。

五十年ほど前に海辺に建てられた古い化学工場がその地にあった。

松の間には今でも白い大きな建物を四方から見ることが出来たが、その周囲の土地は大きく金網で囲まれている。

建物の周り一キロほど松林に入ることはできない。

その建前なのだが、一か所、金網と金網の継ぎ目が外れているところを凪子は見つけていたのだ。

松林の近くに住んでいたので、日課のようにその金網を通り抜けて中を縦横無尽に歩いていた。

工場の近くまで行かなければ、人に見つかることはない。

凪子は一人で歩くのが好きだった。

松林の中は海岸よりも、自由で秘密めいていた。

誰にも会わないところで、心置きなく歌ったり、走ったりできた。

そして独特な美しさがあった。


特に気に入った場所が一つできた。

少し奥に入ったところだ。

細く低い松の間を潜り抜けて、凪子の六畳間の部屋の半分ほどのスペースだったろう、少し開けた地点があった。

そこでは深い黄金色の松の花が、緑や茶色の葉に混じって香り高く、びっしりと地を覆い、積もるように溜まっていた。

松の花が柔らかいので、凪子はスニーカーを脱いで、その場に立つ。

足の裏のチクチクするようなくすぐったいような感覚に満足すると、たちこめる香りをたっぷり胸に吸い込んで足を延ばして寝転んでしまう。

松の匂いは虫を寄せ付けないのだろうか。

辺りに生き物の気配がない。

ひどく清浄で、手で松の花をすくって落とすとさらさらと言う音がとても大きく響いた。

枝の間から降り注ぐ夕陽が一層、その空間を蜂蜜色に染める。


ここで死のう、

何となく凪子はつぶやいた。

すうすうとした秋の風を感じていた。

私の体は松の花になって風に飛ばされて消えてゆくだろう、

そんな気が凪子にはした。

凪子の呼吸はゆっくりとして深かった。

でも、こうしていると、その息が止まっていくような気がした。

誰も私のことを知る人はいない。

誰も私のことを思い出す人もいない。


目をつぶって、小一時間も経ったろうか。

辺りは本当に暗くなってきた。

何処からか虫の声が聞こえてきた。

コオロギだ。

凪子はしばらくそのまま虫の音に身を委ねた。

無心に聞いていたコオロギの声は、次第に学校から帰る道すがらのことを思い出させ、次に学校のことや友達の顔を思い出させた。

ふーっと大きくため息のような深呼吸をした凪子は勢いよく起き上がった。

明日は飛行機のことを調べるんだった。

スニーカーを履き直した凪子は真っ暗になった松の間を、迷うことなく駆け出していた。


この短篇を将来、長い物語の前書きに使えたらなあと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 生き物の気配が感じられない隔絶された自分の好きな空間で、自分の終わりを決める凪子の潔さに驚き、でもそう感じてしまう気持ちも少しわかるように思いました。 コオロギの声で生きることを思い出すシー…
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