交差する想い(九)
香澄は朝から緊張していた。
真治が来る。音楽室で自席に真治が来る。それは『音楽室で交わす初めての会話』となる。
香澄は朝練の間も緊張していたが、その瞬間は訪れなかった。
夕方の練習が始まった。香澄は『日記の答え』を探してクラリネットを一生懸命吹いたが、しっくり来ていなかった。
「十五分休憩ー」
村田がそう言って指揮棒を置いた。
香澄は『今日も叱られずに済んだ』と思って緊張を解いたが、日記の内容を思い出して、また別の緊張をした。
やがて後ろのパーカッションエリアで、三年男子サンバ化トリオが、休憩時間名物のティンパニー勝負を始めた。
ティンパニーは、打面を水平に置いた音の違う太鼓で、三つ並んでいる。その内の二つを使って、教本最終ページの『ドラムロール』で、勝負するのだ。
『右右右右・左左左左・右右右右・左左左左
右右左左・右右左左・右右左左・右右左左
左左右右・左左右右・左左右右・左左右右
右右左左・左左左左・右右左左・左左左左』
これをセットとして、左右逆転してもうワンセット。
というのを『早く』叩き終わった者が勝ち。
同着は『デカイ音』の方が勝ち。単純だ。
だから、盛り上がって来ると大音量になる。
そして、挑戦者の前でティンパニースティックが、本当に残像で『八の字が見える』程、高速で動くのだ。
そんな状態だから、失敗すると『パチーン』と盛大な音がして、ティンパニースティックが飛んでくる。
息の合った『ファー』のかけ声と共に、弧を描いたスティックは、それ自身も回転しながら、大抵スネアドラム二年の『芹沢姉様』の方に、飛んでくるのだ。
足元に転がった場合は『選手交代で競技続行』となるが、芹沢姉様にヒットした場合は、ティンパニースティックが『没収』となり、競技はそこで『強制終了』だ。
香澄は、いつ被害に遭うかも判らず、ティンパニーの音もまた、イコール『緊張』である。
『パチーン』
『ファー』『ファー』『ファー』
来るっ。サンバ化トリオの声だ。吹奏楽に関係してそうなのは、この声だけだ。何の合図か知らないが、ピッタリと揃っている。
「いったーい。下手糞。なぁにやってるんですかっ!」
芹沢姉様がお怒りである。上級生に遠慮がない。
「下手だから練習してるんでしょ。返してー。いてっ」
今日のティンパニースティックは、芹沢姉様の足元に着地したのだが、回転の角度が悪かったのか、跳ねて左足に直撃した。
怒って投げ返したようだ。
「はーい。休憩終わりー」
村田が帰って来た。手元にティンパニースティックが帰って来たのに、競技は当然『強制終了』だ。
香澄の緊張が解けるのは、何時になるのだろうか。
練習が終わると、ざわざわと人の波が動き出す。
金管楽器は演奏後の手入れが簡単なのか、ほいほいとケースにしまうと、収納棚に向かって歩き出す。
天井まである収納棚は、一メートルよりちょっと上に幅三〇センチ位の段があって、そこに乗ると一番上の棚にまで手が届く。
そこがトランペットとトロンボーンの収納場所だ。
男子がひょいと上に乗り、下から各自が使った楽器を受け渡し、どんどん収納して行く。
女子が上に乗らないのは、スカートの中が見えてしまうからだ。
ここをステージにして『ヘイ! ヘイ! ヘイ!』と、スカートを左右にひらひらさせるのは、真衣だけだ。
それも村田に怒られてからは、封印している。
中段はホルンであるが、トランペットを収納していると『中段の扉』が開かないので、しばし待つ。
クラリネットとフルートは下段だ。
軽いので上でも良いのだが、フルートとクラリネットは男子がほぼいないので、女子だけで取り扱える下段を使うことになる。
香澄は、今日もクラリネットの掃除を続けている。




