長い日曜日(三十九)
「本当に言ってたの?」
パートへ行く支度をした真理子が、居間を覗き込みながら聞いた。香澄は座卓前に座ったまま体を捻って、真理子の方を見て答えた。
「さらっと言ってました」
真理子は口をへの字曲げて『しょうがない奴』という顔をした。香澄も口をへの字に曲げて同意したので、ちょっとおもしろくなって苦笑いした。
真理子は考えていた。
トランペットと書かれたノートのページ数は、残り少ない。
そして、天気と洗濯物とお弁当のおかずについての記載だけが続き、真治と真理子の間だけを往復する日々が続いている。
そんな『日常の様子』で埋まって行くノート。
それはそれで、真理子にとって『真治を感じることができる』大切な宝物に違いなかった。
「あら、それお父さんのでしょ?」「お父さんのは私のでしょ!」
悪びれることもなく、当然のようにプリンを食べ始めた真衣に、真理子は気が付いた。
「あんたもしょうがない子だねぇ」「何が?」
ポカーンとしながらもプリンを食べ続ける真衣。
その様子を見ていると、笑いながら振り返った香澄と、また目が合った。真理子は思わず口にする。
「ごめんねぇ。こんな子達でも付き合ってくれて」「いえいえ」
苦笑いしながら香澄は頷いた。
香澄には判っていた。真衣も真治も『悪気』はないのだ。
「じゃぁ、パート行って来るから。お夕飯は適当に食べてね。あ、あとプリンありがとうございます、ってお母さんに言っといてね」
「はい」
返事をしたのは香澄だけで、真衣はプリンを食べ続けている。
「どうやら、私の分はないみたいだけど!」
真理子は真衣に聞こえるように嫌みを言った。
『これ、美味いなっ』
真衣がしゃがれ声で言った。香澄には真衣が『またふざけている』ようにしか、見えなかった。
しかし真理子には、それが病没した夫、『智成の真似』だと、直ぐに判った。
親の決めた許婚ではなく、平社員の真理子を選んだ智成は、結婚後に様々な『親族の掟』に翻弄され続けた。
それでも家庭では、何でも美味そうに食べる『健康優良児』そのもので、慣れない家庭環境の中、胃薬を常用していた真理子の方が、当然先に逝くものと思っていた。あれからもう五年か。
「じゃぁ、お母さん行って来るから」
「はーい」「いってらっしゃーい」
返事はしたものの、真衣は容器にくっついているプリン片をかき集めている。
真理子は『そこまで真似するか』と思いながら吹き出した。
「今度、またプリン作ろっか?」「本当!」
真衣に憑依していた智成は一瞬にして成仏し、いつもの様子に戻った真衣が顔をあげ、笑顔を真理子に見せた。
「いつ? 今日? 明日?」
そして食いつくように問うてくる。
「今度は今度よー」「じゃぁー明後日かー」
最後の一口を食べながら真衣が確信的に言うものだから、香澄は『今度=明後日』であることは理解した。
しかし、何故なのかは判らない。そう。進藤家で覚える日本語は、斬新なものが多いのだ。
真理子は笑いながら居間に背を向け、台所の片隅にある玄関に向かって歩き始めたが、直ぐに立ち止まった。
「あぁ、そう言えば卵の特売、明後日だったかも」「ほらねっ!」
真理子の声がして、真衣が叫んだ。
香澄は疑問が解決したのと同時に、パッと『日傘』のことを思い浮かべていた。
真衣の『何かを感じる特殊な能力』を、今週もまた、体験したと思っていたのだ。




