長い日曜日(三十)
「お母さん。バラ三の楽譜って、新しいの必要?」
「お母さんのあるわよ?」
香澄からの唐突な質問に、恵子は首をかしげながら答えた。
「時代と共に解釈が変わるから、書き込み用に自分のが必要? そう言うもの?」
香澄も小首をかしげて更に問う。すると恵子は、首を真っ直ぐに戻して香澄の目を見た。
「そうねぇ。確かに新しい資料が発見されたりして、解釈が変わることもあるわね」「へぇ。やっぱりそうなんだ」
「そう。けれど、バラ三については、今の所そういうのは聞いたことはないわ。後でお母さんも確認するけど」「じゃぁ、要らないか」
ちょっと残念そうな香澄の表情を見て、恵子は言葉を続ける。
「でも、バラードは『人により解釈は別』だから、お母さんの解釈と、香澄さんの解釈は違ってて、全然良いのよ」「そうなんだ」
香澄は納得して頷いた。
恵子は客人の前で、何故に次の曲『ショパンのバラード三番』について、聞いて来たのか不思議に思いつつも、真治が退屈していないか心配して、ちらりと真治の方を見た。
真治は呑気にプリンを食べ続けている。大丈夫そうだ。
香澄は両手を膝の上に置いて、まるで『ピアノ教室の生徒』のように、真面目に話を聞いている。恵子は笑顔になった。
「あなたもそう言うの、気にするようになったのね」「えへっ」
「嬉しいけどそれは、弾けるようになってからね」「はい」
「先ずはお母さんの楽譜で練習して、一通り弾けるようになったら、『香澄さん用の楽譜』を買ってあげますよ」「はい。ありがとう」
恵子も香澄も、笑顔で見つめ合った。
恵子は何だか、香澄が凄く成長したようにも思えた。
この間の『傘の件』で、自ら謝って来たことや、『料理をしたい』と言い始めたこと。
それに昨日だって、本当は何だかんだ言って『ピアノの練習をサボりたいだけ』なんでしょう。と、思っていた。
するとどうだろう。いつも出発直前まで『あれこれ』悩んでいるのに、今朝は早起きして一発でコーディネートを決めた。夫におねだりをして買って貰った『一番のお気に入り』だ。
そして、身支度もさっさと整え寸分も無駄にせず、約束の時間まで朝の練習をしていたではないか。
それに、ちゃんと予告通り『おやつ前』には、帰って来たし。
もうこれからは、『ライバル』として接しなければ。
「買いに行く時、一緒に行って下さいねっ!」
恵子に向けていた笑顔のまま、香澄は真治にお願いをしている。
「判りました」
何の話かも判らず、ただプリンを食べていたと思っていた真治が、笑顔で頷いた。笑顔の二人を見て、恵子も思わずお願いをする。
「あら。その時は是非。よろしくお願いしますね」




